プアアアアアンという頭が割れそうな音を聞きながら、私はペースを乱さずに電車の前を走り抜けた。線路を越えてぎりぎりのところで、真後ろを電車が走り抜けたときは全身が総毛だったものの、それでも生きてることにほんの少し、安心した。だけど、そのとき先ほどの電車とは反対側から、もう一本電車が来ていることにまったく気づいていなかったのだ。

「あ」

プァアアアンともう一度大きな音が響いて、わたしは今度こそ本当に足が止まった。線路に沿って走れば、わたしは電車に対しても赤の女王仮説(レッドラインレース)の念をかけられたのかもしれない。でもそんなことを考えるよりも頭が真っ白になって、少しだけ暗くなった空の下、線路の真上で私は電車のライトに照らされてその場で立ちすくんだ。
一瞬でいろんなものが頭をよぎる。電車は、全身がばらばらになっちゃうのかな。そんなのは嫌だ。全部あいつのせいだ、と思ったら涙で電車すらも見えなくなって、そして全てが、暗転した。



電車にひかれたら力は真横にかかるものだと思っていた。体が弾き飛ばされる感覚を覚悟したわけではなく、でも痛いのがくると思っていたのに、ふいに体が上に引かれて、一瞬の浮遊感、そしてその後すぐにズシンと体が重くなったものの、痛みだけはどこにもなかった。
ぎゅっと瞑った目を恐る恐る開いてみると、いつもとは違う視界に目をパチパチと瞬かせる。
背中に何か支えがあって、空が見えて、

「おい、平気か?」
「えっ、あっ・・・あああああああッ!!!!」

空が見えるのはわたしが横抱きに、いわゆるお姫様抱っこの状態だからだった。耳元で思い切り叫んだ悲鳴に、さっきまでわたしを追って来ていたはずのそいつは思い切り顔をしかめる。

「はなっ・・離して・・!はなっ・・・離してよぉ!」

電車にひかれそうになったことで引っ込んでいた涙が、再び恐怖と共に湧き上がってきてどうしようもない。怖い、のだ。今わたしは相手の腕の中にいて、逃げようにも逃げられなくて、思い切り胸板を押したところで力の差は歴然で腕からほんの少し動くこともできない。鼻声に涙が混じって、声が震えて、最後にはついに完全に泣き声になった。
ほんの少し体を支える腕に力が入る。腕から動揺が伝わった。だが、それ以前に涙が止まらなくて、どうしようもなくてそっと地面におろされても、腰が抜けてもう走ることもできなかった。

「わたっ・・な゛んも゛、して、な゛ひっ・・いもん゛!なんで・・!なんっ!おっうっぶっ」
「悪かった悪かった。オレが悪かった。だから泣き止め、な?」

思い切り鼻をつままれてタバコの臭いの染み付いたハンカチで涙と鼻水を乱暴に拭かれた。痛い。でも最後に頭をポンポン、と二回撫でられると、少しだけ恐怖が和らいで、ゆっくりと顔を上げる。
周りは暗くなり始めていて、家から明かりがちらちらと漏れるばかり。だが線路のすぐ周りにはあまり家もないから、暗く細かい顔立ちまではわからなかった。ただ、比較的身長の高いそいつは、胡坐をかいて地面に座りこんでいて、わたしのはなみずと涙を拭いたハンカチをぐしゃぐしゃにしてそれから普通にポイと捨てた。わたしが顔を上げると明らかに狼狽した風であったものの、もう一度恐る恐る手を伸ばしてそれから頭をもう一度撫でられた。

「・・・・・ぞれ・・・・」

手を伸ばす。男は最初は何のことかわからかなかったようだが、指差した方を見て、わたしがバックを指差しているとわかったらしい。

「わたっ・・・しの・・・」

そいつと出会って落として逃げてきたはずのバッグと弁当箱が、そいつのすぐ脇にあった。

「おう、あとそうだ」

そいつはすぐにバッグをわたしの方に押しやってくれた。わたしはそれを膝の上に抱える。そしてぎゅっと抱きしめると少しだけ安心した。

「前に会ったとき落としただろ」
「?」

差し出されたのは、一番最初にこいつと出会ったときなくしたと思っていた携帯だった。手を伸ばすべきか迷っていたら手をつかまれてその上にぽんと携帯を落とされた。落としたせいで、少しだけ傷がついていたそれは、もう解約してしまったから電源を入れても、電波は届いていない。でもそれを見たらいろんなものが一気に思い出されてまた涙がこぼれてきた。
バッグをぎゅっと抱えて、できるだけ体を小さく丸めて、必死で自分だけの世界に入って泣いていると、またゆっくりと頭を撫でられて、今度はすぐには手を離されなかった。
ひっく、グズッ、うっ、、、
泣いている間、ぎこちなく頭を撫でられて、そのうちゆっくりと手が離れるころにはわたしの気持ちも随分と落ち着いていた。
泣きすぎて、ぼーっとする。頭が、痛い。目も多分はれていて顔を上げる気にもならない。ぼーっとしていると、そいつが先に立ち上がって、それから「立てるか」と聞かれた。
首を横に振る。
そうすると半ば無理やり腕をつかまれて、立ち上がらせられた。存外軽くそんなことをされて、驚いたが、泣き喚いたせいか、緊張していたせいか、そいつに手を離された瞬間足に力がかからなくてすぐにまた倒れそうになる。

「あっ・・・う・・・」

だが倒れる前にまた腕をつかまれて、それからしばらくは多分手をつかまれていたんだと思う。ようやっと足の感覚が戻ってきたから「いい・・・」と言うとそいつはゆっくりと手を離した。
頭がぐらぐらする。泣きすぎて痛い。でも帰らないとなぁ、という気持ちだけはちゃんとあったが、ゆっくりと顔を上げるとここがどこかだなんてわからなかった。
そいつはゆっくりと周りを見回すわたしの様子でおおよそ何があったのかわかったのだろう。ため息が聞こえて、びくりと体が震えた。また、得体の知れない恐怖がぞわりとやってきて、体が震えて、どうしようもなくなる。涙がまたあふれてきたが、今度はまた泣き声が漏れるよりも早く頭にぽんぽんと手を乗せられて、「家、どこだ」と聞かれた。
ゆっくりと顔を上げるとすごくバツの悪そうな表情が街頭に照らされいて、わたしはゆっくりと住所を告げる。

「・・・・・」
「・・・・・知らないの・・・?」
「・・・いや・・・まぁ、ここほとんど来たことねぇし」

その表情は少しだけ笑える。

<<<  >>>
2014/04/08