水流と共に立ち上がる

 どん、どん、どん、と硝煙の臭いに混じって激しい音が鼓膜を揺さぶる。怒号と悲鳴が入り混じって最早誰の物なのかわからなかったが、どこで何が声を上げようと那由多は氷の上を走る足を止めようとはしなかった。
 滑りやすい氷の上から、そり立つ壁に足をかけると、頭上より、拳よりも大きな石塊が降ってきたが、なに恐れるほどではない。抜いた刀の峰で打ち、続くつぶては鞘で打つ。残念ながら打ち返す、と言うほどの力はなかったがそれでも頭上より那由多を狙った海兵が息を呑むのはわかった。そりゃあ、開閉とて壁を登ってくる相手はあまり想定していないだろうから、当然だ。那由多は体勢を整えられる前に、ぱっと砲兵の立ち並ぶ狭間に飛び込むとあとは那由多に分があるのだから、打って切っての大乱闘である。そり立った壁の中ごろにある狭間に乗り込まれることは、当然海兵も予想だにしない出来事であったのだろう。刀を抜いているものはなく、銃を構えるのも間に合わず、狭間の中はあっという間に那由多の一撃で昏倒した海兵で溢れかえったのだった。
 だが、ここで一つ那由多にも予想外だったのは、すでに大砲には弾がこめられ火がつけられていたことであった。当然気付いても良かったはずなのだが、ずっと硝煙の間に立たされていたせいですっかりと煙の臭いに鼻が麻痺してしまっている。火縄をたどるかすかな煙に気付いたときはそれはすでに砲の中に飲み込まれ、轟音と共に弾が吐き出される直前であった。
 耳栓もなく、壁の真ん中辺りのくぼみの中で、大砲の間近にいた那由多は激しい音の波を直に受けて、一瞬くらりと眩暈がする。音が消えてもなお頭の中に音が響き渡るようであった。

 「くそっ!!」

 おそらく、鼓膜をやられたのだと思う。那由多はカッとなって壁をがんと拳で強く叩いたが、その拍子に再びぐらりと眩暈がして思わずしゃがみこむ。この類のものは過去にも勿論何度か経験はあったが、ここまで激しく半規管に衝撃を受けたのは初めてであった。何せ、大砲などと言うものは、忍の世界ではさほど重宝されるものではなかったのだ。あんなものよりもはるかに訓練を受けた上忍の方が早い。大国では防壁破壊のために大砲などを用意しているところもあるが、それでも忍の術に比べればあまり効力を得なかったようにも思う。ある意味で非常に狭い世界に生きていたことが祟った。もしもこれが海賊や海兵であれば、すぐに砲の火縄に火がついていることにも気付けただろうに、注意が散漫であったことは事実だった。
 これがサソリに知れたらと思うと、さて、どうなるか。
 忍びとは道具であれ、と子は親に教わる。それは感情を捨てろ、という意味でも他者に思い入れを持つな、という意味でもあるのだろう。確かに忍びというものの本来の生まれた意味を考えれば、誰かの痛みに共感できるものは戦場に立つことすらできず、この世のありとあらゆる出来事に疑問を持つものはその場に立ち竦んだまま一歩も進めなくなるだろう。だから、忍びはただの道具と同じように正確に任務を遂行できる存在であれとされるのであった。ただ、彼らは忍びであると同時に人でもあって、誰もが忍びとしてのありようと人としての間で迷うのである。その結果出てくる答えは一人ひとり異なるものであるだろうが、少なくとも那由多は人としてのありようというものに迷うことのない忍びであるのだった。
 那由多の育った環境は、本当の意味で忍びらしい忍びを育てるのに非常に適していた。暁は那由多に人間らしいナニカを求めはしなかった。那由多という人物の存在意義を捨てたくないのであれば、任務を正確に遂行する力が必要であった。迷うことも立ち止まることも、誰にも求められていない。健全な精神の育成など必要もない。人は時に「自分はなんであるのか」ということに悩みもするが、那由多はそこで「言われたことを正確にできさえすれば、自分は常に存在できる」と、答えを得たのである。
 サソリはきっと那由多が使えなくなったら捨てるのだろう。ただ、那由多はそれが怖いとは思わなかった。捨てられることで生じる結果に那由多は恐怖を感じるほど、心が成長していない。その代わりに、捨てられてしまったら彼にはしたいこともすべきことも存在せず、ただ困るのであった。
 極限まで、道具というものを突き詰めると、結局のところ「主体性」のない「人の形をした」「ナニカ」ができあがるのではないだろうか。命令には従う。それも忠実に正確に、間違えることのない、それだけ素晴らしい力を持っていても、「自分が何をしたいのか」「何をすべきなのか」を考えられなければ、結局なにもできないのである。目の前にはさみを置いてみるといい。はさみは、目の前に置いたまま、たとえ何十年と放置していたところで自ら動いて紙を切ることはない。彼らはそもそも動くことが出来ないのだから当然だが、もしも彼らが自分で動くことが出来たとしても、結局誰かから命令を受けなければ紙を切ることはないだろう。那由多は、捨てられたはさみと何一つ違うところはない。捨てられてしまえば、動けない。いや、那由多は一応人の体を持っているのだから、当然歩くことも寝ることもどこかへいくこともできるが、しかし動けない。生命を維持することだけは出来ても、最終的に彼自身が何をしたらいいのか、那由多は考えることができない。
 任務を遂行するために必要なものは兼ね備えている。眩暈と頭痛がひどいのであれば、ひとまず落ち着くまで待つしかない。呼吸を潜めて、じっと周囲に気を張りながらも、目を瞑って全てが落ち着くのを待つ。何秒立ったのか、数えていないのでわからないが、隣で響いた大砲の発射音に合わせてゆっくりと目を開くと、まだかろうじて世界の輪郭は保たれていた。一歩踏み出せば若干側頭部が痛んだものの、動けないほどではない。那由多は飛段と違って痛みを好むわけではなかったが、痛みには強かった。掌の感覚を確認するように鞘から一度刀を抜き、そしてもう一度鞘に収めてから、那由多は狭間を飛び出した。
 周囲の様子を確認することもなく、狭間よりさらに上に向けて駆け出せば、やはり、那由多が飛び出してくるのを待っていたであろう銃口が、ある。だが那由多があまりにも突然表れたために、銃口が火を噴くよりも早く那由多のクナイが銃口に突き刺さった。暴発する銃の真横を通りぬけ、真下に向かって構えていた銃兵の肩を足場にさらに上に駆け上ると、下へ落ちていく悲鳴が後ろから那由多をひっぱった。だがそんなものをこの戦争の中で誰が気にかけるというのか。何、壁の真下は氷が溶けているから、きちんと水に飛び込めば死ぬこともないだろう。双方死者はできるだけ減らすように、と出陣前に長門にそう声を掛けられたのだが、それは決して相手方を慮った言葉ではないことは明らかである。けが人を増やせば増やすほど、見捨てられずにそれを助ける誰かが出てくる。そうやって労力を使わせれば使わせるほど、下層の兵力が減っていくのである。今回の戦いの中でもっとも邪魔になってくるのは、上位の能力者もそうであるが、数のいる下級の兵士も圧倒的に厄介もだ。力は弱いが数は邪魔になる。あれらをつぶすには、殺すよりも足を切って生かした方がよっぽど牽制になる。
 銃口は、一、二、三、と那由多が呼吸を終えるよりも早く全て銃口が落ちた。勢いを殺すことなく、那由多は再び狭間を飛び出し、最後数メートルとなった壁の一番上に向かって再び跳ね上がる。

 「っとぉ」

 しかしながら、チャクラコントロールの下手な那由多にとってはこの程度の壁を登りきるのも一苦労で、ふっと力を入れ間違えた瞬間に踏み込んだ右足がずるりと滑る。がくんと体が落ちる感覚を得て、那由多は抜いたままであった刀を口にくわえて右手を突き出し、すんでのところで角を掴む。ずしんと右腕に全体重がのしかかったが、何このぐらいは大したことではない。抜き身の刀をくわえたまま、一呼吸置いてから右手に力をぐいと籠めて自分の体を一気に持ち上げたのだった。
 その瞬間、那由多の背を冷たい空気が撫でていった。

 「おっ?」
 
 一瞬敵かとも思ったのだが、殺気はない。振り向くよりも早く、目の前を下っていくのは巨大な水流で、その中にルフィがいるのを見つけて那由多はにやりと笑うのだった。

 「エースの弟!俺も連れてけ!」

 壁の内側ではジンベエが那由多と同じようにニッと笑う。那由多は、壁の最上部にて左右より海賊を討ち取らんと迫る海兵に目もくれず、一気に流れ落ちる水流めがけてぽんと飛び出すのだった。
 一体どれほどの敵を予想してこの壁を海軍が建設したのかはわからない。だがオーズJr.の身の丈に匹敵するほどの巨大な壁は、強度を保持するためにその最上部は広く平坦な床が作られている。さながら、要塞と城壁を合体させたもののような構造の内部には、当然海兵たちが整備や応戦のために移動する空間がある。オーズJr.の体が壁を邪魔しなければ本来はここで登ってきた海賊達を打ちとる予定だったのだろう。那由多が天辺へつくとほぼ同時に姿を現した海兵は、狭間にいる連中よりも動きは俊敏であった。
 だが那由多はそんな海兵たちには目もくれず。眩暈がするほど高いその場所から、何の迷いもなく飛び出したのだった。
 さすがの那由多とてこの高さから落ちれば五体満足とはいかないだろう。いつもであれば、壁伝いに勢いを殺しながら降りるか、もしくはデイダラやサソリの手を借りるところだが、今はクッションとなる水塊がある。水流を突き抜けないように、かといって届かなければ意味もない。瞬時に距離を測り、地面を蹴れば、那由多は寸分迷うことなく水流のど真ん中、それもルフィの丁度真上に飛び込むことになって、猛烈な勢いの水と共に一気に地面にまで引きずり降ろされる。
 ごぼりと吐いた息すらも、水流に呑まれて地面に落ちていく。那由多はルフィの腕を掴むと流れる水を蹴り飛ばし、地面まであと少しと言うところで水の中から飛びだした。
 ごうごうと流れる水音にかき消されていた、剣戟と悲鳴が急に耳に戻ってくる。ジンベエが打ち上げた水流が落ちようとするまさにその真下は、上空からの思わぬ侵入者に大混乱を呈し、すでに陣形もあってないようなものである。果たしてジンベエは、打ち下ろす場所も狙っていたのだろうか。ちょうど水流が落ちていく場所は階級も持たぬような兵士ばかりが揃っており、那由多やルフィを向かえ打てるほどの階級の兵士達はみな、この混乱に巻き込まれすぐに動けずにいる。

 「儲けたな」
 
 水塊が落ちるのをわざわざ待つ必要などどこにもなかった。水の落ちる勢いに負けないように、思い切り力をこめて、チャクラのコントロールもせずに踏み込めば、体は水の中からはじき出される。空中に飛び出るやいなやルフィの腕を放し、勢いのままに一回転すると同時に四方八方にクナイを放てばさらに混乱は大きくなっていく。
 水は、地面に叩きつけられ四方に広がっていく。成人男性でも膝まで水がきてしまえば歩くのも難しく、水の流れが強ければ足を掬われるだろう。将棋倒しのように四方に広がる水の塊に押し流され、倒されていく者たちを見やることもない。
 ルフィはごほっと飲み込んでしまった水を吐き出してから、息を大きく吸ってそれから渾身の力を籠めて叫ぶのだった。

 「エーース!!!助けに来たぞぉ!!」




20150623