水平線の向こうでかすかに頭を出した太陽の明るさにうっすらと目を開けると、腹がやけに重い。うあ?と気の抜けた声を上げて上半身を起こすと腹の上でシャンクスの頭が那由多の呼吸にあわせゆっくりと上下している。邪魔くせーとばかりに右手で払いのけると、彼の頭は勢いよく甲板にぶつかって痛そうな音が響く。だが起きる様子は一向にない。
「よう」
相変わらず酒に強いのか弱いのかよくわからないエースは、一夜明けるとやけにすっきりした表情で暢気なあくびをかましている。
シャンクスを払いのけて立ち上がった那由多は一つ伸びをして、立ち上がると日課である準備運動(鍛錬とも言うが本人曰く一日の初めの準備運動、だそうだ)を始めた。クナイを構え動きを止めること一分。所謂瞑想、という奴だろうか。それから動き出した那由多は準備運動の名に相応しく、いつもと寸分変わらぬ動きで一通りの武器を全て取り出し、そして最初と同じように仕舞ってしまった。
衣擦れの音すらもなく、最後に那由多が甲板に着地しても誰一人として起きてはこない。
「よし、問題ねーな」
「なんだお前、昨日シャンクスが言ってたこと気にしてんのか?」
お前でも人の言葉気にするんだなー、とにやついた表情のエースが言う。腹立つ顔だな、と思いながらクナイを放ったが、エースの額のど真ん中を狙ったはずのそれは、チャクラを纏っていないためあっさりとエースの顔を通り抜けてその先の空樽に突き刺さっただけだった。
ふごっ、ぶすっとよくわからない寝息を立てたシャンクスは暢気なものでぼりぼりとシャツの隙間から出た腹をかいている。顔を覗き込んでも起きる筈もなく、こんなんが一船の船長かと思うとむしろ誰でも船長ぐらいなれる気がしてくるから不思議だ。
「でも、ま、人望はありか」
くゆる煙が那由多の顔をかすめて、そちらを向くと、ベン・ベックマンがそ知らぬ顔で煙草をふかしていた。そういえば昨日、一滴も飲んでいないこの男は、夜の間も一睡もしていないのだろう。だがそんな様子も見せずにベックマンは「早いな」と言う。自分は寝てもいないくせに。
那由多とて自分が起きたときからベックマンの視線がじっと自分のことを観察していたのはよく知っていた。一通りの準備運動を終えて、エースにクナイを投げる一連の動作まで、視線が突き刺さるようだったが、それに殺気が混じったのは那由多がシャンクスを覗き込んだときだ。殺す気はねーんだけども、と思いながら気付かない振りをしたまま考え事に興じていれば、やがて殺気もゆるゆるとおさまって、代わりに煙が鼻をくすぐった。これは自分がシャンクスの敵と見なされなくなったのか、それとも何かあれば事が起きる前にベックマンが那由多を殺せると判断したということか。那由多にはベックマンがそのどちらと判断したのかまではわからなかったが、大方そんなところだろうと思った。
「あんた、飲めない口?」
そんなはずもなかろうが、じゃれあいで口を開く。
「・・・・・見張りがいないからな」
うちの船長はどうもその辺気が回らないからな、見張りまで宴会に連れ込んじまう・・・・と苦笑いを浮かべて言うベックマンはやけに楽しそうだ。悪いがそこの赤髪の馬鹿を起こしといてくれ、と言い残して船室に消えたベックマンの後姿と相変わらず暢気にあくびをしているエースを見ながら、那由多は暁のリーダーとはまた違った人望というものを海賊船の船長から感じ取っていた。物好き、としか思えないそんな不思議な海賊達の繋がりも、海の上では絶大な威力を誇る盾にも矛にもなるというのだから本当に不思議なものだ。個人プレーが主の忍として生きてきた那由多には到底理解しがたいその関係を理解できねーの一言で片付けると、那由多はだらしないシャンクスの寝顔を遠慮容赦なく蹴り飛ばした。
小船でいいから一隻船を貸してくれ、というマルコの申し出にシャンクスは思った以上に素直に応じた。マルコとしてはここで何かしらふっかけられるだろうと思っていた分拍子抜けだったようだ。マルコの間抜け面を見て笑ったシャンクスに、もしかしてこれを見たいがためにシャンクスはあえて素直に応じたのではないかとイタチとエースが小声で話す。
脱出用の小船に簡易な帆が取り付けられた、ギリギリ五人乗りの船が用意されたのはそれからわずか三時間後のことである。その間特にすることもない那由多たちは暇を持て余し、適当に話をしたり寝ていたりしたわけだが、小船ができればあとは変えるだけどあまり名残惜しそうな様子もなく全員は即座に船に乗り込んだ。シャンクスはやけに静かに五人を見送っているように思えて不気味だ、とベックマンは思っていたのだが、彼は全く持って静かでもなんでもなかったのだ。
「・・・・・やっぱだめだ」
唐突にシャンクスがそう言ったのはそれじゃ、と最後の挨拶を終えて本船と小船を結びつけるロープを那由多が今正に切ろうとした瞬間であった。そのとき何のためらいもなく切り離せばこの後の面倒もなかったのだろうが、那由多はやけに暢気に呟いたシャンクスの言葉に一瞬動きを止めた。
「やっぱだめだ!!船はやれねぇ!!おい、那由多!おれと勝負しろ!!」
「はぁ?」
何言ってんだこいつ、とばかりの表情でシャンクスを見上げる那由多だったが、シャンクスは真顔だ。ベックマンがその後ろで「言い出したらもう無理だな」と呟いてそっぽを向いて煙草をふかしている。助ける気はさらさらないようだった。
「おい、那由多。気にすんな。いつもの気まぐれだ」
気まぐれ、というよりわがままと言った方がしっくり来る気もするが、とにもかくにもマルコの言葉に頷いて那由多は改めて綱を切ろうとする。
「ッ!!」
だが、それよりも早く真っ二つになったのは五人が乗っていた小船だったのだ。シャンクスの残された片手にはいつの間にやら剣が抜かれ、届くはずもないその間合いで船はあっさりと真っ二つになっていた。高く跳躍した那由多、イタチとデイダラはマルコとエースの二人を抱えて穏やかに揺れる海面に着地する。
ごぼごぼと泡と渦を巻きながら沈んでいく船にちらりと目をやって、それから相変わらず剣を抜いたままさして構える様子もなく立つシャンクスに向き直る。
「オレ、あんまりあんたの気まぐれに付き合う気ねーんだけども」
そういう那由多もすでに片手には鎖鎌が握られている。穏やかな表情の裏のシャンクスの本気を嗅ぎ取った証拠だろう。
「なーに、おれたちは海賊だぞ?海賊は欲しいもんを奪うんだ。おれはお前らが欲しい、だから返さん」
「どうしたら船くれんの?」
「おれと勝負で勝ったら、な」
目の上の三本の傷が歪む。なんとまぁ、シャンクスの楽しそうなことか。
これが日常茶飯事なのか、赤髪海賊団のクルーはすでに全員退避を終えて、一際広い甲板の上はいまや那由多とシャンクスしか立っていなかった。お頭を応援するでもなく那由多を応援するでもなく二人の勝負の行く末を見守るのはクルーと、それからマルコ、エース、イタチ、デイダラの四人である。
「おれが勝ったらお前ら全員おれの船に乗れ。お前が勝ったら・・・ま、仕方ねぇ、今回は船やるよ」
「今度はオカシラさんに真っ二つにされないような頑丈な船にしてくれ、よっ!!」
那由多の言葉を合図に気って落とされた開戦の火蓋だったが、戦況はあっという間に佳境を迎えた。
那由多の鎖鎌の鎖はシャンクスの持つ剣を捉えたが、恐ろしいまでの切れ味を誇るその剣は一瞬で、それこそそうめんでも切るような感覚で鎖をあっさりと切り裂いてしまう。ぶらんとぶら下がった邪魔臭い錘を那由多は片手で引き千切り、片方の鎌を勢いをつけて放つ。シャンクスとてそんな一直線の攻撃を避けられないほどひ弱ではない。鎌は甲板に突き刺さったが那由多は避けられたことそのものを予測していたかのように動揺の一つも見せずに数歩、マストを駆け上る。
いつもなら接近戦をとにかく好む那由多がシャンクスの間合いに近づかないのは珍しい。よほどシャンクスの剣を恐れているのか、シャンクスが決して船を傷つけられないことを知って、常に船の本体の陰に隠れるように動いている。シャンクスもまた那由多が近づいてこないことを知って無理に間合いを詰めようとはせず、代わりにゆっくりと口を開いた。
「どうした、かかってこいよ、腰抜け」
にやりと笑ったシャンクスのそれは明らかな挑発だ。逆上して自ら懐に飛び込んでくるのを狙っていたのだろうが、那由多はシャンクスの言葉をあざ笑うだけである。
「腰抜け上等」
むしろシャンクスの言葉にカチンと頭に血を上らせたのは外野のマルコとエースの方だ。明らかに頭に血が上ったという様相で眉を寄せたエースに対し、那由多はシャンクスに言い返す余裕すらある。
キィィンという剣とクナイがぶつかり合う音と同時に激しく火花が散った。シャンクスが一瞬、己の剣で真っ二つにしたクナイに視界を覆われた瞬間、那由多が懐に飛び込んでくる。返そうとした右手首は那由多の左足に弾かれ、がら空きになった胴を袈裟懸けに刀が走る。
そのまま動きを止めれば那由多の刀の餌食になっただろう。だがシャンクスは那由多に右手を弾かれた勢いのままにぐるりと重心を移動して体を捻ると、刀の軌道に沿って体を寝かせたのだ。ダン、とその場で跳躍してよくもまぁあそこまで高く飛べるものだと思う。わずか右足の踏み込みだけで体を浮かせそして一回転する、それと同時に戻ってきた剣は寸分違わず那由多の眉間を狙った。
那由多は完全に胴を切り落とす勢いで刀を振るっていたから、重心は前に、両手は刀と共に下へ向かってしまっている。自ら刀の切っ先に吸い込まれるように近づいていく那由多に、エースは思わず目を瞑ったが、那由多自身はむしろその切っ先を見つめて紙一重で体を横にズラした。ほんの数センチで十分だ。かすかに頬に剣先が触れ皮膚が裂けたが、それは重要ではない。バランスを崩した那由多はさすがに常態でその場に留まることは出来ず甲板に倒れこんだが、完全に甲板にぶつかる前にシャンクスの蹴りが那由多の腹に収まる。
「ぐッ・・・!」
一瞬ちらついた視界は、指先に針を刺すことで誤魔化した。常人なら失神しててもおかしくない一撃を喰らってなお、那由多は二度甲板を転がってからあっという間に回復し立ち上がる。
「いやー驚いた。お前よく立てるな」
「そりゃどーも」
シャンクスはまだ敵と対峙したままだというのにカラカラと笑っている。那由多はその場に佇んだままゆっくりと懐に手を入れて、彼にしては珍しく遠距離戦用の武器を手にした。
「おっ弓か!!なんだお前刀や鎌だけじゃなくってそんなのも使えるのか!?」
目をキラキラと輝かせておれにも使わせろよー、というシャンクスを無視し那由多は一瞬で弦を張ると、構える。そして真正面から矢を放った。弦のバネと相まって筋肉のバネと勢いでクナイを放つよりも遥かなスピードで矢はシャンクスに向かうが、正面から来たそれをまさかまさかいち海賊船のお頭が避けられぬはずもない。シャンクスはほんの少しだけ体をずらすだけで矢を避けようとしたが、ふいにシャンクスの目が見開かれ、己の剣を顔の横で大きく振るった。光に反射するものが力を失ってふっ、と甲板に落ちそれに導かれるように大きくしなった矢はかすかにシャンクスの頬にかすり傷をつけて海へ落ちる。
「・・・・いつの間にこんなもんつけやがった」
「さぁ?」
口の端を上げて酷く不愉快な笑みを浮かべた那由多は楽しそうだ。那由多が手を開くとその中に握られていた何本もの薄く叩き伸ばされた鋼鉄の糸もまた力を失って甲板に落ちる。それらは強い光の中では輝きに紛れてしまってほとんど見えない。いつの間にかそれをシャンクスの体につけた那由多は、あえて大きな動作でシャンクスを狙う振りをして矢に取り付けたリングに糸を潜らせたのだ。
「ほんとはざっくり首筋抉ってくれる予定だったのにさ、残念」
あまり残念がっている様子が見えないのは、矢の仕込が一つではないということを物語っている。シャンクスがそれに気付いたときにはすでに足の力が抜けて立ち上がれなくなっていた。甲板に突き刺した剣で辛うじて姿勢を保つが、あいにくと先ほどのように剣を振るえそうにはない。
「・・・・ちっ、汚ねぇぞ、那由多」
「汚くてなんぼなんぼ。腰抜け上等、はい、オレの勝ち」
にやっと笑った那由多に子供のように拗ねてしまったシャンクス。
結局彼ら五人はシャンクスとのお約束通り、小船を一隻貰って白ひげに帰ったんだとか。
2013/03/01