「おい、おいおいまた遭難かこれ?」
ぷかり、ぷかりと海を浮いている船は今にも壊れそうで、波が来るたびに那由多はエースの襟首を引っつかんだ。いや、最早これは船と言うべきではないだろう。どちらかと言えばボロ筏という言葉の方が遥かにお似合いで、那由多が拳でこんこんと自分の座っている板を叩くと収まりの悪かったそれは真下の海に消えて行った。
「穴を開けるな那由多」
「大の男が五人揃ってこれしか作れねーってどうよ」
「大の男は大の男でも五分の三は精神年齢が十以下だから仕方ないだろう」
「それどういう意味だ・・・・うん」
「お前とお前とお前のことだよい」
イタチの言葉に早速反発したのはデイダラで、すでに額に青筋が浮かんでいるのだが当の本人は涼しい顔をしたままである。助け舟を出したマルコは那由多、エース、そして舵っぽいかもしれない何かを取っているデイダラの三人を順に指差してそう言うものだから、デイダラが完璧にぶち切れたのは言うまでもない。
「ボロ船でもないよかましだから勘弁しろよデイちゃん」
「那由多はともかくエース!!お前も何とか言えよ、うん!!」
「腹減ったー」
「おい、こら待てそれどういう意味だバカダラ」
昨晩の嵐が嘘のように空はどこまでも青く、きつい日差しをさえぎるものがない海の上は夏ではないはずなのにそこにいるだけでじっと汗ばんでくる。イタチも長い黒髪がうっとうしいのか珍しく上のほうで髪をまとめていて首筋は涼しげだが、そもそも黒っぽい服を好んで着る彼が一番暑苦しいことには変わりなかった。反面、下手しなくても露出狂と呼ばれるだろうエースとマルコにいたっては、薄手のシャツの前を全開にしているため風通しだけはよさそうである。こんな海の上だ、誰が見ているわけでもなくいっそ脱いでしまっても良かったのだが、ほんの少しでも肌を防御する役割のある着物を手放すのはどうにも落ち着かず那由多はなかなか上を脱いだりまた腕まくりをする決心がつかなかった。彼の場合着物の生地の色自体はさほど暑そうではないのだが、武器を隠し持つため厚手であるため本人は非常に厳しい状況である。イタチ以上にぐったりしているように見える那由多に、頭から海水をかければ彼はじろりとエースを睨んだ。
「べったべたするからやめろ」
「いや死にそうだったから」
「余計死ぬ」
海の上で遭難、というのは海賊ならともかく那由多にはもちろんイタチもデイダラも経験がなかった。さすがにこれだけの塩分濃度の海水を飲んだらまずいということぐらいはわかるが、風を掴む術も海流に乗る術も知らず先の見えない海の上をただひたすら進まないといけないどこか重圧にも似た何かに耐えるのはなかなか難しい。それは体力と言うよりもむしろ精神力の問題で、身を隠す場所がない開けた場所ではなおさらのことだった。
嵐の海に落ちてうっかりどことも知れぬ島へ流された五人は結局その無人島で一晩を明かし、次の日になってから本当に適当に筏を作ってビブルカードだけを片手に海に出た結果が今の燦々たる状況である。那由多の言う通りボロ船を通り越した碌でもない筏は到底大の男五人が額寄せ合って作ったとは思えない代物である。船の航行に関して一番期待していたエースもよくよく考えてみれば元・船長ということで別に船を作れるわけでも航海術に優れているわけでもなんでもないのだ。勿論一人で航海していた時期もあったから、決して何もできないということではないのだが、グランドラインで船を動かすことを考えれば彼の航海術はあまりに不十分である。随分古参のマルコはそもそも自分の船を持ったことがなく、残り三人の忍組に至ってはサバイバルはともかく海のこととなればずぶの素人。勿論論外である。せめて繋ぎ合わせて筏らしくできればとも思うが、手先が器用なのか起用じゃないのかよくわからない五人がつくりあげたのはかなり偏屈な見方の持ち主であれば筏と称してくれるような代物だった。本当にかろうじてという言葉がお似合いなほどぎりぎりで海に浮いたそれに平気な顔をして乗り上げた根性だけは認めてやろうと言いたいが、現実はさほど優しいものではない。ぶちぶちっ、とそこかしこですでに限界を迎え始めた模様の紐代わりの蔦が切れる音が聞こえてくる。
そんな彼らの視線のずっと先に、一隻の船が現れたのはちょうどそのときだった。
「いや、それにしても暇ですね」
「魚は海に帰ったらどうだ」
「削りますよ角都さん」
潮風が吹き付ける甲板で、鬼鮫が剣呑な視線を隣に立つ角都に送れば彼は別に焦る風でもないがマスクの下でくつくつと笑いながら片手を振った。
「おーい鬼鮫ー、角都ーそろそろ飯にすんぞー!」
背後から投げかけられた声に振り向けば、船室からぴょこんと顔を覗かせた片腕赤髪の男が呼んでいる。海賊とはこんなものなのか、と思うほど言ってしまえば随分と間抜けた空気の流れるその船は鬼鮫にとっては少し異様な空間だった。
暁の一員である干柿鬼鮫がコチラへ来たのは、もういつだったか覚えてないが小南とそう時を違わずしてのことだったのは確かである。気付けば海の上。鮫に食われて死んだと思った彼がはて、と首をかしげたのは言うまでもない。置いてきたはずの鮫肌も相変わらず彼の背中にあって、理由などわからないままに鬼鮫はとりあえず慣れた水の中を泳いでいった。
深い深い霧に包まれた霧隠れの里は、砂ほど厳しい環境でもなくかといって木の葉ほど生活に適した環境ではなかった。砂が最も劣悪な環境に身を置いた忍たちの隠れ里だとすれば木の葉は最も人が生活するのに適したところに町が出来て、その結果隠れ里が生まれたといったところだろう。忍とて生き物であるが故水がなければ生きていくことは出来ず、そう言った意味でサソリの出身地である砂隠れの里は死と生が常に隣り合い忍としてよりも何よりもまずは生き物としての生存競争が苛烈な地であった。そういう意味で、鬼鮫の出身地である霧隠れの里は非常に淡水に恵まれた地であったように思われる。ことあるごとに雨が降り、それらは大地を潤し広大な川を点々と連なる島々に作り上げた。比較的乾燥した家を一歩出ればひやりとした空気が身体を包む。湿気の多いその空気はいつだって冷たかった。島々を包む霧が晴れるのは一日のほんの一時で、そのほとんどが薄暗い霧に包まれていた。砂と対照的な言い方をしたければ霧隠れはとにかく陽の光に飢えていたのだった。
だからこそと言おうか、鬼鮫にとって水と言うものは本当に身近な存在である。水に入れば泳がなくては息をしなくては、と頭が認識するよりも早く腕と足が動いていつの間にか身体は水面に浮いているのだ。泳ぐことは歩くのと同じように自然な動作のうちの一つで鬼鮫にとってはグランドラインの気まぐれな海もまたそう泳ぐのに苦労する場所ではなかった。
それから泳ぐこと一昼夜。ようやく水平線に何かの塊が見えてきて、鬼鮫がそちらへ向かうと彼がたどり着いたのは一つの島だった。そして、鬼鮫はそこで厄介ごとの種と言っても過言ではない赤髪のシャンクスと出会うことになるのである。そのあたりの詳しい出来事は割愛させていただくが、シャンクスは鬼鮫との出会いの第一声に「人魚だ!」とぶっとんだ叫び声を上げ、元の世界ではS球犯罪者として知られる鬼鮫に「ここの情報が欲しけりゃおれの船に乗れ!」と条件を突きつけた挙句無理矢理自分の船に乗せてしまったわけである。似たような理由で同じく船に乗っていた角都との邂逅は偶然か、必然か。角都曰く金があるなら偶然だろうと必然だろうと何でもいいらしい。
「さて、赤髪さんがまた拗ねる前にさっさと行きましょうか」
「待て、鬼鮫。あれはなんだ」
「あれ?」
潮風と共にどこか懐かしい匂い(粘土)と声が届いた気がした。
2011/03/08