「忍歌、戦陣」
恐怖のバレンタイン開始よりすでに六時間以上が経過するとすっかり日が昇り、木々の生い茂ったジャングルも多少は先が見通せるようになってくる。とはいえ樹冠は葉がぎっしりと密集し木漏れ日すらもほとんどないのだから明るくなったと言っても暗闇ではないと言う程度に過ぎない。
さすがに六時間も経過すると落ちる奴は大方落ちきったのだろう。夜空に煌く花火ラッシュも落ち着きを見せ、森の中は朝のしんとした独特の雰囲気に包まれている。
懐かしい、とエースは思った。朝こうして森の中に出かけると全てが静まり返っているような、それこそ世界に自分しか存在しないような気になるほど静かな空気をよく感じたものだった。その度に背筋がぞっとして森がざわめきだすまでの間エースはいつもダダンの家の傍を離れられなかった。別に誰に必要とされているわけでもなかったが、そのときふと誰にも知られず死ぬのは悲しいと思ったのだった。
だが今はその感覚すら懐かしい。むしろ清清しくさえある朝の静けさにエースが浸っていると那由多が突然歩みを止めた。
〔どうした〕
唇だけを動かして意を伝えると那由多はそうすることすらする暇もないのか、手ですっとエースを押し留める。
音も立てずに那由多の手の中に現れたクナイは鈍い光を放っていた。
〔火ィ、使うなよ〕
〔わかってる〕
昨夜も言われたことであったがとにかくエースの技は派手すぎるのだ。大勢の敵を一気になぎ倒すには向いている「火」も、いざ隠密行動となるとはっきり言って邪魔以外の何者でもなかった。忍とは闇を好み、月明かりすら嫌う。火は強ければ強いほど夜の闇を濃くし視界を遮るのだ。
だからエースは普段あまり使うことのないナイフに手をかける。彼はどうしても火拳、と称されるほど悪魔の実の能力ばかりが先行するのだが実際は肉弾戦も強い。むしろグランドラインに入ったばかりの頃は能力なしの体術だけでピンチを乗り切ってきたのだからその辺りから彼の体術というものを推察していただきたい。
グッと力を入れて那由多が地面を踏み込む。そのスピードを一体誰が見切ることができるのだろうか、まさにあっという間とはこのことだろう。
那由多は手にしたクナイを突きつけ、そして同時に突きつけられていた。
「イタチ!」
そこにいたのは那由多と同じ漆黒の髪と瞳を持つ男だった。顔に刻まれた皺からふけて見られることも多いのだが、うちはイタチはエースとほぼ同い年である。
「エース、見た目で騙されんなよ、おれらには変化の術ってもんがあんだぜ・・・つってもおれできねーけど。気ぃ抜くな」
那由多がそう言えばエースは再び構えをとった。海賊達は確かに強いがあいにくこの視覚というものに頼りすぎているところがあるだろう。勿論忍とて視覚に頼らないわけではないが見たままが真実とは限らない、という認識は明らかに欠けていた。那由多の中にはすでにクナイをイタチの首に突きつける直前に相手がイタチだということはわかっていたし、それがわかった時点でクナイを引く事だって充分に出来た。しかしそれをしなかったのは彼がサソリか小南の変化である可能性があったからだ。ついでに言えば那由多の場合極度に幻術が苦手なので幻術の可能性も無きにしも非ず。
「忍歌、戦陣」
那由多は声に出してはっきりとそう言った。
「忍び得て敵方よりも同士討の 用心するぞ大事なりけり」
「同士討も味方の下知によるぞかし 武者の印しをかけて定めよ」
「・・・なんだ?」
「合言葉って奴だ。つーことでイタチはイタチだな」
合言葉、というには少々長い気もするがイタチと那由多が言い終わると同時に、二人は首に突きつけていたクナイを下ろした。
「そっちは本物か?」
「本物本物。エースは別に合言葉なんていらねーもん。ほい、エース力抜けー」
那由多はそういうや否や手に持ったクナイをそのままエースの身体に向かって投げた。チャクラを性質変化として練りこんでいない、海賊風に言えば覇気を込められていないそれはロギアの能力者であるエースの身体をするりと通り抜けた。エースの身体に空いたクナイの穴はものの数秒で塞がり、それこそが合言葉以上にエースであることの印だろう。同じ能力を持つ悪魔の実はある時代において一つしか存在しないのだから、もしメラメラの実の能力者が生まれるとしたらそれはエースが死んだ後ということになる。
「全く便利なものだな」
「何が?あのさ那由多、お前急に投げるのやめてくんねェ?おれにも心の準備ってもんがあんだけど」
「わりーわりー今度から注意するわ」
「おれその台詞もう何回も聞いた」
エースの不機嫌そうな声にも関わらず那由多はからからと笑うとさっさとイタチの方に向き合ってしまう。
「で、どーよ」
「問題ない。罠の大半にナース以外のクルーが引っかかったがいい教訓だ」
「そうだなーさっきもエース引っかかったしなー」
「あんなの引っかからない方がおかしいだろ」
「罠があると印はつけておいただろう」
「暗くて見えないっつーの」
「そこにもあるぞ」
「のおおおおおおおッ!!!!」
イタチが忠告するのが先立ったかエースが落とし穴にはまるのが先だったかは微妙なところである。
暗い森の中でさらに影になっている穴の中からまるで穴そのものが怒っているかのように一度だけ火を噴くと、エースはかなり不機嫌な顔をして顔を出した。那由多は地面を転がって爆笑しむかつくことこの上ないのだが、イタチのように徹底的に無表情というのも穴に落ちた身としては恥ずかしいものがある、とエースは思いながら身体中についた泥を適当に手で払って立ち上がった。
「印ってどこにあんだよ!!」
「穴の周りに石が置いてあるだろう」
「・・・・・・・」
イタチの言うとおりだった。エースのはまった落とし穴の周囲には均等に同じ大きさの石が並べてあって、確かに自然の中ではこの上なく不自然に穴が浮かび上がっている。とはいえそんなもの後から教えられたから気付くものであり、普通こんなもの森の中で気付くわけもない。エースは今だ笑い続ける那由多の腹を思い切り蹴飛ばして落ちたテンガロンハットをかぶりなおした。
「さて、もう大分減っただろ。まだあと十二時間以上残ってんのか、結構めんどくせェな」
「ああ、そろそろ向こうも痺れを切らして本格化してくるぞ」
「げほっぐふっちょエース今お前マジで腹蹴っただろ!?くそ痛ェんだけど!!お前のブーツ凶器じゃねーか!!」
「那由多が悪ィんだろ、お前笑いす・・・・・・?」
「・・?どうしたエース?」
「いや・・・あれなんだ?」
突然言葉を止めたエースを不自然に思ったイタチが問えばエースは眼前に広がる森の暗がりの一点を指して逆に問い直した。那由多は今だげほげほとむせこみながら腹を押さえており、先ほどのエースの一撃が相当であったことを思わせる。那由多は本来体術武器専門なために相手の攻撃を受けることも慣れているのだが、爆笑している最中のあれはさすがに避けきることも受けきることもできなかったようだ。
「うえぇぇリバースしそう・・・」
「那由多」
「なーんだよ・・・・げ、」
その暗がりから現れたのは一匹の蝶だった。それだけなら特に何もない。この森の中には暗いとはいえ花が咲いていないわけではなかったし、むしろやけに臭いの強い花を咲かせる植物も多いくらいだ。事実那由多たちが移動している間にも木の上や足元に多くの花が群生していた。
しかしその蝶はひどく奇妙な姿をしていた。触覚や足がないというのもそうなのだが真っ白で、そしてまるで折り紙で作ったような_____
「に、ッッげろォォォォォ!!!!!」
「うわぁぁぁ!!!」
「全く不覚だな」
「お前の冷静さが気持ち悪い!」
那由多が叫ぶと同時に三人は全力で走り出した。蝶はパタパタとその場に留まっていたが、直に三人の周囲に何匹も何匹も目に留まるようになり、完全に囲まれていることを知る。
「エース!火柱!炎帝!!全部燃やせ!!」
「ああ!?んなことしたら小南怪我すんじゃ、」
「紙分身だ、問題ない!このままでは囲まれる!」
「もう囲まれてるし!よォしよく聞けエース!!全力火柱の後は三人バラバラに全力疾走だッ!お前絶対逃げない、なんて言うんじゃねーぞ!」
「はァ!?なんで__」
「馬鹿たれ。これは逃げるための訓練だ。逃げることに意味がある。ということでさっさと火柱を打ち上げろ」
「ったく__」
那由多の言葉に一瞬不満そうな表情を見せたエースもイタチの言葉には納得するところがあったらしい。まだ本体は駆けつけていないがすでに相当数の蝶に取り囲まれ逃げ道はほぼないといってよかった。
「炎 戒____」
足元を走る真っ赤な炎。エースはともかく那由多とイタチはそれだけでも十分に火傷要素満載なので即座に地面を蹴ると木の幹に着地した。あとはタイミングだ。下手をすれば那由多もイタチも火柱に巻き込まれ大火傷、ではすまないだろう。蝶はぴったりとエース、イタチ、那由多の三人それぞれに付随し、ぱたぱたとうっとうしいことこの上なかったが、この蝶自体はそれほど速い動きには反応できないのだ。とはいえ一度追尾されると微量ながらチャクラを感知するため、走って振り切ることは難しく一度見つかれば最早三人は小南の手のうちと言ってもよい。そしてその蝶を唯一振り切る方法が、今まさに実行しようとしていることだ。つまり那由多とイタチ、二人にぴったりとついてくる蝶を一度完全に燃やしてしまうのである。エースは自ら発火すれば良いが、残り二人はそうはいかないため、ぴりぴりとタイミングを見計らって気を尖らせていた。
ほぼ同じ高さの木の幹にチャクラで吸着していた二人は全くと言って良いほど同時に幹を蹴り、二人は空中で交差して弧を描くように地面に落ちていく。二人のスピードに完全についていけなかった蝶は一歩遅れて後を追い、そして先ほど那由多とイタチがエースの真上で交差したように二人を追っていた蝶もまた同じところで行き違う。
「"火柱"ァッ!!!!」
天をも焦がすほどの炎が立ち上がったのはそのときだ。高く、そして広範囲にわたる炎はエースに纏わりついていた蝶はもちろんのこと、那由多とイタチにくっついていたそれらもまとめて燃やしつくしやがてぱらぱらと燃えカスが落ちてくるが、その時に三人はすでにその場のどこにもいなかった。
「・・・やられたわ」
那由多たちが走り去ったその数分後、まさに入れ違いになる形でこの場にやってきたのは小南だった。
その場が真っ白になるほどの大量の蝶が一つに終結し一人の人間を形作るところは非常に興味深い光景だが、そこに現れた女の手にはサソリ特性チョコレートが握られており情緒もへったくれもない。
エースが火柱を立ち上げたそこは丸焦げだった。木々はあまりの火力に完全に炭化し、地面ですら真っ黒に、そして大きくえぐれている。ぽっかりと森の中に空いた空間にはこのジャングルには似合わない明るい日差しが差し込んできていた。
この場にもやがて新たな木々の芽が芽生え、そしてまた元のジャングルを何十年もかけて形成するのだろう。
舞い落ちてきた木の葉が地面に落ちたとき、すでに小南は消えていた。
森の中のエメラルドの泉の畔。顔を洗っていたデイダラは、突如視界の端に映った明るさに顔を上げる。
いつもの煙管を懐に仕舞ったイゾウは腰の刀に一瞬手をやるが、それが遠くで上がった火柱だとわかって笑った。
「おっ、なんだァ派手にやったじゃねェかエースの奴」
「見つかったな、うん。さァてこっからが本番だぜイゾウ!」
「へェそりゃ楽しみだ」
森の中でも高い木々が密集する樹冠にて。
身の軽いハルタは先ほど見つけた飛段と共に遠くに上がった火柱をじっと眺めていた。
「こっちに来るかな」
「さァな。おれァ頭わりーからこれからのことを考えんのは苦手なんだよ」
「ま、ここなら蝶は入って来れないし、花も臭いが強いから隠れてられると思うけど」
海岸線。
「悪いな長門」
「気にするな」
デイダラの作った罠にはまっていたジョズを助け出した長門は暗い森の中の様子を伺う。
「うーん・・・エースが火柱を立ち上げたってことは大方小南に見つかったってところか・・・よしジョズ。火柱の中心地に行くぞ」
「サソリと小南が寄ってくるんじゃないか」
「何、あれだけの火柱を立てて自分がここにいることをアピールしたんだ。まさかその場にはもういるまい。小南やサソリも同じことを考えるからむしろ中心地に行けばしばらくは安心だろう」
「なるほど、途中はちあわないといいがな」
「それが問題だ」
2010/11/22