「あー・・・・?」
どうした那由多、とエースが声をかける前に那由多は人混みに消えた。本当にするりと溶けるようにいなくなってエースは一瞬焦ったが、別に自分が困ることではないのだと思い出す。
那由多がこちらの世界(と彼らは呼ぶ)に来てから何週間たったのか計算していないのでわからないが、少なくとも那由多は随分と慣れ親しんだように感じる。サソリは正直表情が読み取れない上、彼がまともに甲板の上で日向ぼっこなりなんなりしている姿を全くといっていいほど見かけないため、エースは今だサソリがどんな人間なのかよくわからなかった。那由多曰く引きこもり、だそうだが、エースからすれば大抵サソリの隣に居る那由多も引きこもりと大差ない。せめて島についたときくらいは上陸しようと提案したが、結局その提案に乗ってきたのは那由多だけでサソリは相変わらず船の中だ。
それなら他のメンバーはと言うと彼らもまた結構勝手気ままに余生を送るつもりのようだ。イタチは声をかけずとも船が島につくとふらりとどこかへ消えてしまい、デイダラは芸術の出来具合によって外に出てくる日と出てこない日があるようだ。飛段は、誘ってもいいのだが彼の部屋に行くと何故かよくわからない宗教に勧誘されることが多く、その上那由多からもあまり近づくなとお達しを受けているためエースは多分サソリの次に飛段がわからない。
しばし人混みの間で立ち止まっていたエースも再び飯屋を探して歩き出す。那由多とてもう白ひげ海賊団のルールは理解している。何も自分が母親のように付きまとう必要は無いだろう。必要なことは唯一つ、出航前に、つまりログが溜まる前に船に戻っていればいいのだ。
エースが那由多を見つけたのはそれから三時間後のこと。ようやく腹いっぱい飯を食って、後はどこへ行くかと適当に思いをめぐらせていたところへ飛び込んできた騒ぎに、エースは思わず胸が高鳴った。暇というのはどうも性に合わないのがエースの、いや海賊の性なのか、その騒ぎがなんであれ首をつっこまずには居られないのだ。悪ィ、と適当に声をかけながらエースは人混みを縫ってひょいひょいと騒ぎの中心に近づいていく。
「おっかねぇな」
ひそ、と小さな声が聞こえて、振り向けばその連中はエースと反対側へ消えようとしていた。
「ちょっ、と待ったァ!」
引き止められた側としてはたまったものではないだろうが、エースとしては少々情報が欲しい。どうも聞こえてくる音から考えるとこの先では戦闘が起こっているらしい。エースは騒ぎに首を突っ込むのは好きだが、明らかに危険とわかっているところにむざむざと足を踏み入れるほど頭は悪くなかった。
「何があんだ?海軍か?」
自分で全く思いもしないことを口にしてみたのは気まぐれだ。(大体海軍がいるのだったら街の雰囲気が違うし、ここからだって軍艦は良く見えるだろう。お忍びで海軍が町を訪れるなど聞いたこともない。)
「おい離してくれよぉ兄ちゃん!なんか知らないが馬鹿強ェ女がここいらじゃちょいと有名な海賊の一味を伸しちまってんだよ!あんたも早く逃げた方がいいぜ!今この街の海軍は外海だから騒ぎはすぐには収まらねぇ」
「どーも。悪かったな」
エースがぱっと手を離すと男達はそそくさと今度こそ人混みに消えていった。気付けば先ほどまでわんさかいた野次馬が随分と減っていて、さっき言っていた男達の言葉が本当だったことにエースは気付いた。恐らく野次馬達も自分の身が危ないことにようやく気付いたのだ。
「失せなさい、邪魔よ」
人が少なくなったということは、当然その喧騒もそれなりに小さくなる。エースはようやく女の声を耳にして騒ぎの中心にたどり着いたことを知る。
円を描くように場所を空けた人々の真ん中、鍛え上げられた海を男をいとも容易く地面に叩きつけたのは、本当に女だった。美しい紫色の髪、かすかに彩られた唇と、化粧を施された目元。服装はここいらではやっているものではないが、ひどくその女に似合っていた。
一瞬、紙と同じ紫色の瞳に射抜かれた気がしてはっとしたが、女はすぐにエースから目を逸らした。背後から迫っていた男は気付かれていないと思っていたのだろう、女と目が会った瞬間驚いたような表情をして、膝から崩れ落ちる。お見事、と思わず拍手をしたくなるほどに流れるような見事な体術はどう考えてもその方面の訓練を受けているとしか考え付かなかった。そしてその体術は、ついこの間もどこかで見たことがあるような気がして、エースは女に声をかけようとしたとき野次馬が急速に遠のいて、何故かエースだけが女の前に放り出されるような格好になった。
「邪魔よ」
まさかの一言。いや、本当に。初対面の女にいきなり邪魔者扱いされる日が来ようとは思わなかったし、というかそもそも邪魔になるような位置にエースは踏み込んでいない。若干傷つきながらも身を引くと今度は全く誰か別のものにぶつかってエースの頭は混乱しっぱなしだ。
「おおお?」
「邪魔だ、小僧」
今日はやけに邪魔者扱いされる日だと思いながら、エースは後ろを振り向いてようやくいろんなことが繋がったのだった。倒れている海賊たちが腕に彫った刺青と同じマークを掲げたこの男こそが、今女が伸してしまった海賊達の親玉なのだろう。ちょうどその親玉と女が対峙するど真ん中に突っ立っていたエースは両者から邪魔以外の何者でもなかったらしい。
しかし女はともかく、同じ職業の人間に邪魔者扱いされるのはどうも癪に障る。というかおれを知らないとはいい度胸だと思ったとき、再び邪魔が入るのだから今日はとことんついていない日かもしれない。
「姐御!」
つい先ほど探していた声だ。思わず振り返ったその先には人混みのはるか頭上、五階建ての建物の頂上に那由多の姿をエースはようやく発見した。
「那由多!おまっ・・・勝手にどっかいきやがって・・・ようやく見つけたぞ!!」
「んあ?なんだエースもいたのか?」
「クォラ!!」
悪い悪いとばかりに軽く手を振った那由多は、屋上からぴょんと飛び降りるや否やそのまま女の下へと駆け寄った。
「姐御、無事だったんだな!ってか無事じゃねーな!姐御も死んだのか」
「那由多、あなた・・・」
女は少しだけ驚いたように目を見開く。先ほどまで一切表情の変化がなかったため、ほんの少しの変化がやけに大きく感じられた。
そして少し間を開けて、パンと小気味良い音が響いた。
「痴れ者」
思わず首をすくめたエースと、綺麗に平手打ちを喰らった那由多と。那由多は返す言葉もないとばかりに頬を引き攣らせていた。
「何のためにサソリがあなたを別の任務を言い渡したか全くわからないわ。二度と勝手な真似はしないでちょうだい」
「いや、おれもさ、あの、ほら、えっと、うん」
いつもは軽快な口調の那由多が口ごもるのをエースは始めてみた。サソリを前にしてもそんなことはなかったというのに。とはいえなんだか割り込み辛い雰囲気に、とりあえずエースは明らかな邪魔者である自分と隣の海賊の親玉を巻き込んで盛大な火柱を立ち上げたのだった。
「つーことは何だ、小南も那由多たちの仲間なのか?」
「ま、そういうこと。おれも姐御には随分世話になったから頭上がんねーんだよ」
「そんなこと言えるほど殊勝ならもう少し言うことを聞きなさい」
「最大限の努力はします」
まだ出会って間もない関係ではあるが、本当に珍しいと思いながらエースと、それから那由多と小南の三人はモビーディック号へと歩いていた。
那由多とサソリの関係はどうもわかりやすく言えば操り手と人形であり、そもそも那由多がサソリに逆らう理由は一切無い。逆らうならばそもそも那由多の存在意義は無く、那由多はサソリの意のままに動くことにこそサソリにとって生かしておく価値があるのだ。とはいえわざわざ敬語を使ったりするような間柄ではないことも確かで、那由多からサソリへの少々歪んだ尊敬の念はあるものの、それはあまり明確に表に現れることは無い。
一方で那由多と小南の関係はもっと純粋で、まるで子と母のような関係であった。那由多が暁に来た時、その齢はサソリの見立てで十かそこらである。母性本能が刺激されたのか、小南は暁の中で最も那由多に対し優しく穏やかな関係を築こうとし、那由多もまたそれに答えようとした。それは本当に一般家庭で見られるような母親から子供への一方的で無条件な愛である。(とはいえ小南自身がそのようなものを受けたことがないので、かなり歪んでいたように思えるのは事実だが。)那由多の時たま見せる人間らしさは恐らくサソリよりもこうした小南との触れ合いの中で見出したものなのだろう。だから那由多は成長した今でも小南には頭が上がらなかったし、サソリの次に彼女の命令を破る気にはならないのだった。
「まー・・・おれだって色々思うところがあったんだって。で、姐御はこれからどうすんの?リーダーも居るけど、白ひげの船に乗る?」
「・・・・さぁ、それは長門に会ってから決めるわ」
「ふぅん、だってさエース」
「いいんじゃねぇの」
次の航海から、白ひげ海賊団に新たに女性が加わったことは言うまでも無い。
2011/09/29