むかしむかし、あるところに
はつという名の女がいたそうな。大層な美人であったが、母を亡くしてからはとんと笑わなくなってしまい村の男衆もなかなか笑ってくれない
はつに愛想をつかしてほとんど関わらなくなってしまった。
はつの父は変な男が寄り付かなくてよいよい、と言いながらも老い先短い自分のことと母を亡くしてから笑わない
はつのことを大層心配して、まいにちまいにち、仕事帰りに
はつに良い夫が見つかりますようにと、末永くともにいてくれる者が見つかりますようにと神社に参拝したそうな。
さてそんな風に神社へお参りをすること千日。あるときふっと顔を上げると神社の境内の隅っこで白いものが動いている。まだ日も高いこともあって、恐ろしいという気持ちはなく、興味本位で近づいてみればなんと、それはそれは美しい丹頂鶴であった。真っ赤な頭の飾りと、真っ白な羽。足に怪我があるのか、地面にほんのすこぅし赤がにじんでいて、男は慌てて鶴を抱えると最後の一礼もそこそこに慌てて家へ帰ったのだった。
「
はつ!
はつ!いるか!」
「とうさま、どうなさいました」
男が家の戸をどんどんどん、と叩くと
はつが表に出てきてとうさまの抱えている鶴を見てあれまぁと驚いた声を出した。男は
はつと一緒になって鶴を家の中に抱え込むとなれない手つきで折れてしまった鶴の足を元に戻して添え木をつけてそれから家にあるめいっぱいの布を引っ張り出してきて巣のようなものをこさえると、その真ん中に鶴を寝かせたのだった。
きゅうきゅう、と小さく鳴く鶴はまだ年若く親についていけなかったのであろう。もうじき雪に閉ざされてしまうこの村の近くには親鶴の姿は見かけなかった。
はつととうさまは寒さと痛みですっかりと弱っていた鶴を懸命に看病した。
はつは笑わずとも心根は優しい女であったから、自分が寝る間も惜しんで、まるで母を求めるようにきゅうきゅうと鳴く鶴のそばに付き添って水を与え餌を与えた。
日に日に寒くなる一方で、家はあちらこちらがほころびて風が吹き込んでくる。薄っぺらい布団は寒くて寒くて、昼はとうさまは隣の村と村と歩いて商売をし、
はつはわらじを編んで、夜はとうさまと
はつと鶴の三人で集まって布団にもぐりこんで寝たそうな。
鶴は
はつの看病のおかげか、日に日に元気になっていき毎朝起きると
はつに元気に餌をねだるようになっていた。
はつはあいかわらず笑うことはなかったが、前よか口数も多くなり夜帰ってきたとうさまを迎える声も心なしか元気になっている様子であった。とうさまは、それを大層喜んで神社にお参りするたびに「今日は
はつが鶴のことを楽しそうに話してくれたのだ」と涙を流しながら神様に言うのであった。そして最後は「
はつのために鶴を遣わしてくれてありがとうございます」と締めくくるのであった。
そうして冬を超え、春になったある日、鶴はふいに姿を消してしもうた。とうさまはいつもどおり村に商いに出て、
はつが水を汲みに行っている間のことであった。雨戸の隙間から、春一番が吹き込んで一緒に飛んでいってしまったのかもしれんな、とまた心を沈ませてしまった
はつの肩をとうさまは抱えて慰めた。かわいそうなむすめはまたふさぎこんでほとんど言葉も話さなくなってしまった。
とうさまはまた大層心配したが、ある日村一番のお屋敷に呼ばれて山をいくつも越えて商いにいかなきゃあならなくなってしまったのだった。とうさまは、むすめが一人になってしまうことを心配したが商いを終えて帰ってきたら先一年は楽に過ごせるだろう金子をくれるというから断ることもできずむすめに留守をよくよく言い聞かせてから商いに行くことになったのだった。
「
はつ、
はつ、いいか誰かが来たら2日までは家に入れてもいい。だが3日目は決して家にいれちゃあいけないよ」
「はいとうさま」
はつはとうさまの言葉に神妙に頷いてとうさまを見送った。まだ雪が残る山道を越えていくとうさまは、すぐに木の陰に隠れて見えなくなってしまった。
さてな、一人きりで留守番をする
はつのもとに客があったのはとうさまが出かけたその日の夕暮れのことであった。
こんこんこん
「すまんが、開けてはくれないか」
こんな夕暮れに旅人であろうか、と首をかしげながら
はつが突っ張り棒を除けて戸を開くとそこには大層美しい一人の男が立っていた。
「もう春だと思っていたのだが、雪が降ってきてしまって困っていた。すまんが一晩泊めてはくれないか」
「寒かったでしょう、中へどうぞ」
外をみればなるほど男の言うとおりまた雪が降ってきている。ほんの少し芽吹きかけていた草の芽がまた雪に覆われてしまい、明日には男が通ってきた道も消えてしまうだろう。
男は雪の積もった真っ白な上着から雪を払うと、囲炉裏のそばへ座った。男は、頭からつま先まで真っ白な様相をしており、その手の指先までも美しい白に覆われていたのだった。囲炉裏の火がちろりちろりと揺れるたびに男の顔に影を作って、白い肌の男はまるで幽霊か何かのようにも見えた。
「君はここで一人で住んでいるのか」
「とうさまと一緒に住んでおります」
「とうさまはどうした?」
「しばらく遠くへ商いへ行っております」
「名前はなんていう?」
「
はつと申します」
「俺は鶴丸国永だ」
「鶴?」
「ああそうだ」
はつはひょいと首を傾げてからあの鶴は元気に仲間の元へ帰れたのかしら、と呟いたのだった。
さて男は丸一晩囲炉裏のそばに座って火を見ながら夜を明かしたようであった。
はつが次の日の朝早く目を覚ますと、まだ雪が降る外の道を男が歩いていくのが見えた。男が座っていたところには、鶴の羽が一枚残されていた。
そうしてまたたった一人で
はつは留守番をしていたのだが、また夜になると鶴丸国永と言う男が
はつの家に戻ってきたので
はつは大層驚いた。
こんこんこん、と戸を叩く音がして
はつが驚いて顔を上げると「鶴丸国永だ、すまんがまた一晩宿を貸してくれはしないか」と声がする。
はつが慌てて戸を開けば、昨晩よりもさらに雪を頭に乗せた鶴丸国永が笑っていた。
「すまんまた雪に閉じ込められてしまった」
鶴丸は笑ってそんなことを言うともう一度一晩泊めてはくれないか、と言った。
はつはどうぞ、といってまた昨夜と同じ席に案内すると鶴丸は囲炉裏の前にどっかりと腰を下ろしてふうと息をついた。
「とうさまが帰ってくるまでたった一人とは大変だなぁ」
「はい、でもとうさまはそう長くはせずに戻ってきますので」
「君は嫁にはいかないのか」
「私が嫁に行きましたらとうさまは一人になってしまいます」
「嫁入り先に面倒を見てもらうように頼めばいいだろう」
「こんな貧乏な娘を嫁にしていただけるだけでもありがたいと申しますに、それ以上は」
「かあさまはどうした」
「私が小さい頃に病気で死にました」
「兄弟はいないのか」
「はい」
鶴丸はそうかぁと呟いてから囲炉裏の中をかき混ぜる。ぐるり、ぐるりと火かき棒を動かすたびにぱちぱちぱちと火の粉が飛んで、時折ぱっと炭が赤く染まる。
「君のとうさまは君に良い人が見つかるようにと毎日毎日神社におまいりをしているぞ」
「でもとうさまが一人になってしまいます」
「なあに平気さ」
君はいい人だからなぁ、と鶴丸はぼんやりとぼやいてから囲炉裏に背を向けてごろりと横になった。
はつもまたそれをしばしぼんやりと見ていたが、囲炉裏の横にごろりと横になったのだった。次の日の朝、
はつが目を覚ますとやっぱり鶴丸はすでに家を出て行ってしまった後だった。
とうさまが出かけてしまってから三日目の夜のことだった。夜分遅くにこんこんこんと戸を叩く音がして、
はつがそっと扉に近づくと「すまんが、開けてはくれないか」と聞きなれた声がする。
「開けられません」
「なぜだ?」
「3日目には家に入れてはいけないととうさまが言っておりました」
「寒くて死んでしまいそうなんだ、開けてくれないか」
「開けられません」
「君がどうぞと言ってくれなきゃあ俺は家には入れないんだ」
鶴丸がひどく寂しそうに言うもので
はつは思わず突っ張り棒に手を伸ばしかけたが、とうさまが言っていたことを思い出して慌てて手を引っ込めた。
「すこぉし山を下ると村がありますよ」
「こんなに暗くちゃあもう足元も見えないんだ、開けてくれ」
「開けられません」
「
はつ、俺はこの冬に君に助けられた鶴だ。足に傷を負っているところを君と君のとうさまに助けられたんだ」
はつははっとして、戸に耳を当てた。
「俺はそのときの礼をしにやってきた。戸を開けてくれ」
あの鶴の羽のように真っ白な男であった。
はつはそのことを思い出して、もう一度鶴丸の姿を見たくなり戸を薄く薄く開いたのだが、鶴丸はその隙間から戸をこじ開けて
はつの腕をつかんで外に引きずりだしたのであった。
「ようやっと捕まえたぞ、さぁ三日目の契りだ。俺と一緒に行こうじゃあないか」
とうさまが長い商いから家に帰ってくると、家は空っぽであった。
はつ、
はつとさめざめと泣いてとうさまはその日から毎日毎日神社に大事な娘が帰ってきますように、とお参りするようになったという。だがむすめは帰ってくることはなかった。その代わりに、とうさまが神社にお参りするようになってから、毎夜毎夜鶴の羽と一緒に米俵やら綺麗な布地やらがとうさまの家の前に置かれていくようになったのだという。
とうさまはそれのおかげでもう遠くまで商いに行く必要がなくなって、静かにあの家で毎日を送ったのだという。
とうさまのむすめがいなくなってしまったあの夜、一羽の鶴が雪の中を飛んでいくのを見たのだ、と村の若人が口にした。あの娘は助けた鶴に嫁入りをして、どこかでとうさまのことを思っているのだと、皆口をそろえてとうさまを慰めるのだった。
2015.03.30 初出
2015.04.13 掲載
このお話はTwitterにてしろむ様(
沈む音)の呟かれていたネタをお借りして書いたものです。