冬木、炎上、召喚
 爆発と炎とそれから熱。それらが一挙に吹き荒れて、五百旗頭の体を包み込んだ。腹部に鈍い痛みが走って、意識を失ってそれからのことはは覚えていない。ただ、気づくと炎に取り囲まれた見知らぬ町にいたのだ。の困惑も当然だろう、だが、は痛みで回らない頭を必死で動かして、おそらく自分はレイシフトに成功してしまったのだ、という結論を生み出した。どこに飛ばされたのかわからないが、とにかく単独でレイシフトに成功した以上、ここは決して安全な場所ではないことは確かだった。
(血……腹に傷があるのか……)
 はふー、と息を吐いて激痛に顔をしかめた。手にはべっとりと血がこびりつき、今もなお出血が止まっていないことは、地面に広がっていく血だまりでよくわかる。
 どうにかしなければならなかった。カルデアとの連絡は取れず、現状もわからない。自分の身を守る者もない。
(英霊召喚……陣も呪文も覚えてる……できるかな)
 できるか、ではない。今ここでできることはそれしかなかった。はぐっと歯を食いしばって腹部の痛みに耐えながら、地面に自分の血で陣を描いていく。媒介はない。ここで召喚されるとすれば、自分に一番合った英霊となるだろう。だがその方が今のにはよかったかもしれない。
 陣を描き終わると、はなんどか息を吐いて、そっと呪文を口にした。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 呼吸をするたびに腹部から激痛が走った。もう長くない。英霊を召喚したらすぐにでもこの傷を何とかしなければならない。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
 最後の方はもはや投げやりであった。どんな英霊であれ来るならば来い。今となってはもう何でも構わない。できれば、治療が得意なサーヴァントであるといいけど、なんて思った自分を、は笑う。
 陣が光を帯びた。炎に照らされた空間の中で、召喚陣だけが異質な光に包まれていた。
 ごうと風が吹き荒れる。そして目を覆うほどの光と共に現れたのは__。
「セイバー、渡辺綱。特に言うことはない。鬼や魔性を斬るならば俺が適任だろ……う。マスター、だよな」
「そうよ初めまして」
「マスター、出血がひどい。すぐにでも治療をしなければ」
「それが見回してみるとわかると思うんだけど、治療に適した施設が見当たらなくてね」
 笑うと喉の奥からこみあげてくるものがあった。吐き出すとそれはどす黒く染まった血で、いよいよ時間がないらしい、とは覚悟する。
「サーヴァントだよね」
「ああそうだ、マスターだよな」
「こんなご対面で申し訳ないんだけど、ちょっと手伝ってもらえないかな」
 は困惑したような表情の綱ににっこりと笑いかけた。
「そこの燃えてる木を取ってほしい」
「構わないが、一体何を」
「この傷じゃ、本当にあともう少しで失血死するからね。焼いて。塞ぐ」
「無茶だマスター」
「マスターじゃなくて、でいいよ。なんかそっちの方がしっくりくる気がする」
「……時間がないんだな」
 綱は口をへの字に曲げて言った。それから綱は黙って立ち上がると、どこかの誰かの家の欠片に灯った炎を刀で斬って持ってきてくれた。パチパチと炎が弾ける。これなら、大丈夫だろうとは思いながら、あおむけに横たわった。そして服を持ち上げて腹部を晒す。
「ごめんセイバー。膝枕してくれない? 傷が見えない」
「二人の時は綱、で構わない。了承した」
「そう、綱。きちんと傷口が焼けるか見てて」
 綱はぐっと口を結んで小さく頷いた。はそれを見てにっこり笑うと、傷口を見ながら、炎を傷口に押し当てた。
 熱い、痛い、熱い、痛い。激痛と灼熱が交互に襲ってくる。想像以上の痛みだった。
「あああああああああああああ!んっんんん!」
 叫び声は燃える町に木霊した。敵性存在を呼び寄せてしまうかもしれないという可能性は考える余裕もなかった。は痛みのままに叫び、呻き、途中から舌を噛まぬようにと口に無造作に突っ込まれた綱の指を噛みしめて、傷口を焼く。
「はっ、はっ、はっ」
 荒い息が止まらなかったが、まだ背面が残っている。後ろはさすがに自分ではできないので綱に震える手で炎を渡した。
「ごめん、指、血が」
「構わない。俺がやったことだ。後ろを焼く。しっかり俺の指を噛みしめていろ」
 頷くしかなかった。
 綱はの思いに応えて、容赦なくその炎を傷口に押し当てた。再び激痛が走る。口の中の綱の指を思い切り噛みしめて、ぐらぐらする頭をなんとか現実に留めていると、不意に痛みが止んだ。
、終わったぞ」
「……ありがとう」
 は綱の言葉にほっとした。随分強く綱の指を噛んでしまったようだ。はっきりと歯型が残り血がにじんでいる。それに顔をしかめると、綱もそのことに気づいたのか、綱は自分の指についた傷口を自分の舌で舐めた。
に比べれば大したことはない。立てるか。叫び声を聞いて、どうやら何かが集まってきているらしい」
「立て……立てないかな」
「そうだな。すまなかった馬鹿なことを聞いた」
 はごめんね、と謝ると、綱は気にすることはないと言った。
 一応これで傷口はふさがったので、出血死する可能性は低くなった。あとは清潔な場所で治療を受ければ、今の魔術、科学であればきれいに治すことも可能であろう。
「綱」
「なんだ」
「ここを切り抜けて、なんとか他の人を探す」
「わかった、任せておけ」
 綱はのことを軽い動作で担ぐと、炎の海の中をふらふらと歩き始めた。あっちへ避けてこっちへ避けて、なかなか前進しないが、炎の中に突っ込むわけにもいかない。はエネミーの行動を読みながら、力の入らない足に無理やりにでも力を込めて炎の中を歩き続ける。目的地は、はっきりとしない。ただ、霊脈の通っている場所があれば、もしかしたらカルデアに連絡できるかもしれないという一筋の希望はあった。だが残念ながらこの町、冬木における霊脈の通った場所がどこかは知らなかったから、結局行く当てがないのと同じだった。
 ああ、目がかすんでくる。意識を保つために綱にひたすら話しかけてみたが、それでも抗いがたい眠気のようなものがを襲い続けていた。炎の熱がを遠巻きに焼いている。ぼんやりと低温やけどにならないければいいな、なんてことを考えながら、一つ、がれきを抜けた時だった。人の話し声がした。
 悲鳴と、それに応じる声。エネミーではない誰かがそこにいる。
、あとひと踏ん張りのようだ。耐えてくれ」
「わか、った」
 戦闘が始まっている。
「綱」
「しかしこの状態のを置いていくことは」
「もしあの人たちがいなくなったら希望もなくなる。綱、いけるでしょ」
「ああ、承知した」
 綱はをそっと炎から離れた場所に腰掛けさせると、腰の鬼切安綱を握りしめる。
「出陣する」
「頑張って」
 随分投げやりな言葉だと自身も思った。だがそれ以上の台詞は思いつかなかったのだ。
 
 綱は走り出して、安綱を抜き去った。鬼であればだれでも逃げ出す渡辺綱という人物。果たしてここのエネミーに意味があるかはわからなかったが、負ける気だけはしなかった。
「盾の少女、悪いが足場を借りるぞ」
 綱は大きく跳躍してマシュ・キリエライトの盾に着地すると、あっという間にエネミーとの距離を詰めた。
「!?」
 マシュが驚き口を大きく開ける。藤丸立香も、そして所長のオルガマリー・アニムスフィアも同じだった。
 エネミーは安綱の一刀で消し飛んだ。綱は落ち着いた表情でエネミーが消えていくのを見るとくるりと振り返って、三人の方を見る。
「あ、あなたは」
「サーヴァント・セイバー。五百旗頭をマスターとし召喚された。我が主は重篤な怪我を負っている。至急手当てが必要だ。あなた方は味方として判断してもいいのだろうか」
「待ちなさい、五百旗頭と言った?」
 白髪の美しい女性が前に出る。
「彼女も͡͡͡コフィンに入っていたはずよ、なぜレイシフトに成功しているの」
「それは我が主に聞いてくれ。俺はこの地で召喚されたサーヴァントだ。カルデア、という場所については知識だけはあるが現状を把握しているわけではない」
 綱の話し言葉は端的で、正確だった。白髪の女性、オルガマリー・アニムスフィアはその言葉にはっとすると、「どこ!?」と叫ぶ。
「どこ? とは?」
五百旗頭よ! 手当が必要なんでしょう? 少しばかり心得はあるし、今サーヴァントと契約できるマスターに死なれたら困るのよ」
「……こっちだ」
 綱はくるりと振り向いて歩き始めた。その後ろをオルガマリーが、そして藤丸立香とマシュ・キリエライトが続く。炎を避けて、壁にもたれかかるように静かにたたずんでいる女は死んでいるようにも見える。
「傷は」
「左腹部。貫通している。出血がひどいから焼いた」
「焼いた!? この状況で焼いたですって!?」
「ほかに方法がなかった。マスターの判断だ」
「……いいわ。五百旗頭、生きている?」
 オルガマリーはの傍にしゃがみ込むと、目の前で手をゆっくりと動かす。の視線がそれを追った。
「簡単な治癒を施します。あなたはサーヴァントを召喚できた貴重なマスターよ、ここで死なせるわけにはいかない」
「あ……う……」
「しっかり意識を保ちなさい……ひどいわね」
 傷口を見てオルガマリーは思わず腕で口を覆った。
 綱は鬼切安綱に手をかけたままオルガマリーのすることをじっと見つめている。
「所長、ですか」
「そうよ、まだしゃべる元気があるなら上等ね」
「しゃべってないと……意識が飛びそうなんですよ……セイバー」
「なんだ」
「またエネミーが集まってきてる……排除を」
「わかった。死ぬなよマスター」


2020.12.24 初出