学園都市ツェルニは、学生の集まる都市である。武芸科、錬金科、一般教養科など様々に分化はしているがその本業は学生、つまり新しい知識を学ぶことこそがツェルニに来る意味なのである。それは武芸科の生徒にとってもかわりなく、普段の勉強に加えて武芸のこととなると、文武両道をこなすのはなかなか難しく、武芸に偏りがちでどうしても勉学がおろそかになる生徒も少なくない。ツェルニにおいて敵う者はいないだろうとまで言われ、事実そうでもあるレイフォンはまさしく勉学がおろそかになる生徒の典型であった。
練武館にて、自然と話題に上るのはこの間の試験のことである。赤点を取ったら一週間後に追試。これはどんなに武芸でいい成績を残していても変わらないツェルニの規則であった。
ダルシェナがシャーニッドに話を振り、レイフォンに視線が行き苦虫を噛み潰したような表情をする。あ、こいつも人間なんだ、とナルキは少なからず思ったりもした。
そして場面は第五小隊の練武館に切り替わる。
ゴルネオの前で正座させられているのは、いつもゴルネオの肩に乗っているシャンテ・ライテと短期留学中の新人
イェルチェ
・ハーデンである。ゴルネオが二人を見る目は普段より厳しく、正座をさせられた二人は目をそらしている。
「それで、この点数はどういうことだ」
「あ、赤点じゃないわ」
「前より一点挙がったぜ!」
「言い訳をするな!!ツェルニに来ている以上、武芸だけで話をするわけにはいかん!文武両道を目指さないか!」
ゴルネオの一喝に残りの隊員がびくりと肩を震わせる。
「全く・・・・第五小隊の主戦力二人が赤点とぎりぎり未遂とは・・・・・まぁ
イェル
にとっては入って早々の試験だったということもあるが、それでもグレンダンの上級学校との成績を考慮されて配属になっているはずだ。赤点未遂と言うのは見逃せない」
そういうゴルネオ自身はばっちり上位二十名の中に名前を連ねている。まさに文武両道、そんなゴルネオの言葉に赤点と未遂が言い返せるはずがなかった。
「シャンテはまず追試だ。全く一体何度赤点をとったら気が済むんだ・・・・」
ゴルネオの悩みは彼らが一年生から続くものだ。野生的で体を動かすのは得意だが、勉学となるとどうも集中して座っていられないシャンテは、授業中突然窓から飛び出すことも多々あり、それを制するのがいつからかゴルネオの役目となっていた。小隊戦の成績はいい。ゴルネオとの連携もとれていて武芸に関して文句をつけることはないが、学力の成績となると話は違ってくるのである。
「ううっ・・・・大体私だって上級学校になんか進めないってお養父さまに進言したわ。それでも入れって言うから必死で試験受けてぎりぎりで受かったのよ・・・・・・リーリンがいてくれたから上級学校でも何とかなったのに、リーリンと学年が分かれちゃうし・・・・」
これでも必死にやったのよ!と言い訳をする
イェルチェ
は鞄の中からノートを取り出してゴルネオに投げる。
ゴルネオはツェルニの五年生、
イェルチェ
はグレンダンでは上級学校に通っていたが、ツェルニでは一年生の扱いになっている。本来ならゴルネオは先輩にあたるのだが、同じルッケンスの武門で修行をし、ゴルネオより早く技を習得していることもあって、兄弟弟子のような感覚があって会話はとてもフランクだった。ゴルネオもそのことを気にした風はなく、むしろ
イェルチェ
と対等に話せていること自体がグレンダンならばおかしいのだ、と以前別の隊員に漏らしていたことがある。グレンダンでは実力至上主義。強い者が上に立ち、弱き者戦えぬ者はそれに従うのが通例である。ゴルネオと
イェルチェ
が同じ武門で一騎打ちを行えば
イェルチェ
が勝つことは目に見えていた。何せ覚えている奥義の数が圧倒的に違いすぎるのである。逆に言えばそういった武芸に時間を割きすぎている節は否めない。
ゴルネオは投げつけられたノートを拾ってぱらぱらと見る。ゴルネオより汚い字がずらりとならんでいた。だが、授業を聞いて必死で写し、さらに自学を行っていたであろうことは、隅から隅まで書かれたノートが示している。
「努力は認めよう、だがここまでやって何故できない?」
「し、質問の意図がよくわからなくて」
「なー!何言ってるのかよくわかんねーもん!」
要するに授業の無いようそのままを聞いてくれればいいのだが、それをちょっとひねられると答えを出すのに時間がかかる、というわけであった。ゴルネオは二人の言葉にため息をつく他なかった。
なんにせよ、シャンテに勉強を教えることができるのはここにいる中ではゴルネオを置いて他にない。ゴルネオは
イェルチェ
に目を向けるとこういった。
「俺はこれから空き時間をすべてシャンテの追試対策に使う。小隊の訓練時間は変えない、が俺は訓練の半分までを担当する、残りは
イェル
お前が担当してくれないか」
「私が?でも私新人だし・・・・それに教えるのそんなに得意じゃないわ」
イェルチェ
は特に新人であることを気にしているのか身を縮める。だが小隊員の反応は違う。
イェルチェ
の実力に追いつけるならむしろ特訓をつけてほしいという声が上がって
イェルチェ
も否定できる空気ではなくなってしまった。
「難しいことは教えなくていい。基礎だけでいいんだ」
「ええ・・・・でもその基礎を教わったのがお養父さまだから・・・・・・ゴルはお養父さまが教えるのが得意に見える?」
「・・・・・・・」
イェルチェ
・ハーデンがリンテンス・サーヴォレイド・ハーデンの娘である、とツェルニで最初に気付いたのはゴルネオだった。レイフォンはそもそも一時期
イェルチェ
と共にリンテンスの元で鋼糸を習っている。故に彼女とリンテンスの養父・養女の関係は前々から知っているのである。
あの天剣授受者最強とも言われる男の娘、と最初は驚いたが、リンテンスと違って存外話しやすいことにさらに驚きもしたのだった。ついでに言えばリンテンスが教えるのが得意とはゴルネオも思ってはいない。もしも教えるのが得意もしくは教える気があるなら、鋼糸を使うハーデンという武門を設立していたとしてもグレンダンではおかしいことではないからである。つまりリンテンスは鋼糸を教える気がないのであった。
「・・・・・まぁ組み手でもなんでもいい。今日はもうこれからシャンテの試験対策に入るから、後は任せたぞ」
「はあい」
そろそろ正座した足もしびれてきている。
イェルチェ
はようやく立ち上がると伸びをして、それから「じゃあやりましょう」と行方を見守っていた小隊員に声をかけたのだった。
その日の深夜。
練武館のうち第五小隊が占有する部分にのみ明かりが灯っていた。そこにいるのはゴルネオと
イェルチェ
そしてサヴァリスである。
「じゃ
イェル
。前に言った通り疾風迅雷の型のぶつけ合いをやろうか。ゴルはそこで見ているといい。何れは覚えないといけない剄技であるわけだしね」
「はい」
イェルチェ
の表情はこれからの戦いに向かってすっかりと表情が抜け落ちているような感がある。小隊対抗試合でも見せないその表情に、ゴルネオにもまた緊張が走る。ぴりぴりとした殺気はどこか以前に感じたことがあるような気がした。
「はっ」
サヴァリスの掛け声が合図となって二人が同時に動く。同じ距離を保ったまま、下段から中段、そして上段の蹴り。その動作は二人ともほぼ同じ速度同じタイミングで行われていた。違いと言えば、サヴァリスの方がやや動きが荒っぽいという点だろうか。踊りと舞いの違いは上下運動かそれとも水平運動かによるものにで大雑把に区分される。それで分けるとするならばサヴァリスはまるで踊りのようで、
イェルチェ
はまるで舞いのようであった。事実疾風迅雷の型を教える際、サヴァリスは筋力の点でどうしても男性に劣る女性のために若干の改良を加えているので二人の動きが同じでも違うように見えるのは当然ともいえた。
蹴りと同時に風が舞う。練武館に二人の剄が満ちていくのがゴルネオにもはっきりとわかった。徐々に激しくなっていく動きに合わせて風は渦を巻き二人を取り巻きそして、疾風の刃となって放たれる。指先からは白銀の炎が燃えている。下半身は風に上半身は炎にと剄を化錬変化させているのである。丁度二人の中間地点で小爆発を繰り返していた。それは二人の実力が拮抗していることを意味する。
すでにゴルネオですら動きを追うのが難しいほどに型はすばやく鮮烈さをきわめていた。徐々に二人の動きがずれつつあるが、サヴァリスの動きに
イェルチェ
が必死で食いついていく。爆発は
イェルチェ
の方に傾きつつある。最初は拮抗していた二人の剄のバランスが徐々に崩れてきている証拠であった。
「くっ」
「いいね、同門同士こうして同じ技を使うのは初めてだ。僕についてきてくれる人がいなかったからね。楽しいよ
イェル
。君はどうかな」
「・・・・っ!」
これだけ動いておきながらまだ話す余裕があるサヴァリスに対し、
イェルチェ
の方はもう声を出すほどの余力はないようだった。ただ必死に覚えた型に忠実に体を動かしていく。サヴァリスの動きについていくように、サヴァリスの剄に負けないように。これは剄力の押し合いでもあるのだ。
イェルチェ
の剄量はおそらく天剣にも届くであろう。さらに鋼糸を使うという特徴から、全身から剄を放つことに長けてもいる。だがサヴァリスはその全てを上回る。
イェルチェ
の額に大粒の汗がきらめいた。
型は最終段階に入りつつある。ルッケンスの奥義である疾風迅雷の型とは、それだけで化錬変化した剄による攻撃にもなるが、同時に剄を練るという工程が含まれている。それは一番最後の剄技、単独で放つ場合には風烈剄と呼ばれる剄技を最大出力で行えるようにするためだ。
一瞬の静寂の後、練武館の中を暴風が吹き荒れた。風裂剄が同時に放たれ、そして衝突したのである。
「くぅっ」
ぶつかった場所は中心よりも
イェルチェ
側に若干ずれている。そのせいで余計に激しい衝撃を受けた
イェルチェ
は手で顔を覆って、活剄を高める。そうでもしなければ吹き飛ばされてしまいそうだった。
「ふぅん。よくついてきたね。途中で追いつかなくなるかと思ったけど」
風が止むと同時に
イェルチェ
は一瞬ふらついたが、即座に内力系活剄を高めてその場に留まった。
「ん、いいね。それになかなか面白かった。結局は押し合いになるのも興味深かったな。また別の型覚えたら体験させて、だから早く次の型覚えてよね」
やはりサヴァリスの口調は気軽だった。今の型にしてもアレだけの速度、武芸者から見ても何をしているのか一瞬わからなくなる、それほどの速度で動いていながら汗一つかいていない。彼にとっては準備運動程度の感覚なのだろう。
「じゃ次は
イェル
とゴル、二人同時に組み手といこうか。初めは錬金鋼はなしにしよう」
ほら、いつでもかかっておいで、と手を広げるサヴァリスに対し最初に動いたのは
イェルチェ
だった。練武館の床を蹴り、体をひねりながらの上段の蹴り、続いて下段。それぞれ手と足で受け止められると空中で一回転して、手刀に変える。ゴルネオもまた動いた、拳を払われれば膝を、膝を払われれば拳を繰り出しそしてサヴァリスに受け止められる。
「いい突きだ。だけど、連携が取れてないからほら、こうなる」
「なっ」
「っきゃあ」
サヴァリスが二人の攻撃を受け止めると同時に手を交差させたのだ。勢いあまった二人は正面から衝突し練武館に転がることになった。
「く、ははは」
どこか品のある笑いが練武館に響く。笑われた二人は何を、と再びサヴァリスに向かっていくが、相変わらず連携は取れていない。それも当然だろう。
イェルチェ
が第五小隊に入ったのはついこの間なのだから、ゴルネオとシャンテのような連携はどうしても不可能だ。だがほんの少し意識をするだけで、先ほどのように同時に受け止められてお互いをぶつけられるということはなくなった。
イェルチェ
は主に蹴りを、ゴルネオは主に拳でもってサヴァリスに向かう。単純に内力系活剄を行っただけでは、その技量に大きな差がない限り、女性は男性に力負けすることになる。これは根本的な体格の差であるゆえどうしようもない。
イェルチェ
もゴルネオと力比べをしても叶わないことは明らかだ。それがサヴァリスとなればなおのこと。だから拳よりも威力の出る蹴りを主に使うのである。上半身はバランスをとることに意識を向け、連続で繰り出される蹴り。ゴルネオの拳。それを全部捌いてなお攻撃する余裕がサヴァリスにはある。
「そら」
サヴァリスの拳を
イェルチェ
は両手を交差させさらに衝剄活剄まで用いて受け止めたが、受け止めきれずに上半身のバランスが崩れる。
「隙あり」
その瞬間に腹部にサヴァリスの蹴りが直撃した。
イェルチェ
の体は簡単に吹き飛ばされて、練武館の壁にぶつかる。衝剄を用いて防御をしていたためダメージはそこまでない。
「こっちもだ」
サヴァリスの手加減された拳がゴルネオの鼻を打つ。がん、と頭に直撃したダメージにゴルネオは一瞬意識が吹き飛びかけたが、内力系活剄により即座に体制を立て直して、零れ落ちた鼻血をぬぐった。
「そろそろ錬金鋼を使おうか。いや待てよ・・・・君たち二人は錬金鋼を使って、僕は錬金鋼なしで行こう。ちょっと試してみたいことがある」
サヴァリスは稽古をつけているのではなく自分がやりたいことを試しているのではないか?ゴルネオはサヴァリスがこうして稽古を付けに来るたびにそう思うことが多々あった。だが兄の言葉は決して慢心ではない、実力から出る言葉だ。錬金鋼を使ってもなお受けきる自信が彼にはあるのだろう。
錬金鋼を使うということは今度は化錬剄も使って来いということである。今度も先に動いたのは
イェルチェ
だった。前々からサヴァリスに稽古をつけてもらっている分、彼の切り替えの早さに慣れているのだろう。
外力系衝剄の変化、剛昇弾。
イェルチェ
の掲げた腕に剄が集まりそしてまっすぐにサヴァリスに向かって放たれる。彼女の動作を見た上でサヴァリスは動いた。
外力系承継の変化、剛昇弾。
イェルチェ
と全く同じ剄技だ。だが剄を練る速度、そしてそれを放つまでの速度は
イェルチェ
の半分にも満たず、二人の中央で衝突が起きる。また練武館に激しい風が吹き荒れた。
「少し弱い?やっぱり錬金鋼がないと威力が出ないかな」
つまりサヴァリスの剛昇弾はまだ本気ではないということなのだろう。
ゴルネオはこの兄の戦闘にたいする姿勢を見るたびにぞっとする。兄弟でありながら、兄は全く別の存在に見えて仕方がない。今も、錬金鋼なしのハンデをハンデとも思わず楽しんでいるのだ。
「
イェル
はまだ剄を練るのが十分じゃないな。まだ威力を上げられる。ゴルもほらこないならこっちからいくよ」
旋剄。
瞬間サヴァリスの姿が消えて、次の瞬間にはゴルネオの目の前にサヴァリスの顔があった。
「くっ」
サヴァリスの拳を錬金鋼で受ける。だと言うのにこの衝撃はなんなのだろう。重い衝撃に耐えながら、ゴルネオは次の一手を放つ隙を探す。だがそんな隙をサヴァリスが与えてくれるはずもなかった。
稽古は突然始まったのと同じように突然終った。
ゴルネオは未だにこの兄の考えについていけず、「じゃ終り」と言った瞬間がくんと肩が落ちたほどだ。
イェルチェ
はもう慣れたものなのか「ありがとうございました」と礼をしてからそのままその場にへたり込んだ。
「汚染獣戦ほどじゃないだろう?
イェル
だってもう汚染獣を何匹も殺してる癖に」
「サヴァリス様と戦う方がよっぽど恐ろしいです」
それは
イェルチェ
の素直な感想だった。
「まぁ僕も君が鋼糸を持っていたらもっと本気を出さないといけないし、ねぇ
イェル
。今度鋼糸使って相手をしてくれないかな。リンテンスさんが全然僕のこと相手にしてくれないからつまらないんだよね。鋼糸の威力は知ってるけど、実際に向き合うとどうなるか是非試してみたいんだけど」
サヴァリスはあくまで楽しそうにそういう。目の前でリンテンスの鋼糸がどれほど容易に汚染獣の硬い外皮を切り裂くのか、よく見ているであろうにこの台詞だ。そしてそれを心底望んでいるところが、この兄の恐ろしいところなのだとゴルネオは思うのだった。
「うう・・・・あんまりやりたくないです・・・・」
「いいじゃないか。鋼糸であれば君も本領発揮できるだろう。僕が教えてるのはあくまで生きるための選択肢を増やしてるだけにすぎないんだから」
そうだ。リンテンスがサヴァリスを師事するように言ったのも、グレンダンの上級学校に通わせたのもすべて
イェルチェ
が生きるための選択肢を増やすためだ。どこにいても、どんな場合でも、生き抜くこと。それをリンテンスは
イェルチェ
に教えようとしている。彼なりの親心であるのだろう。
「ま、でも本気になってくれないならつまらないしな。じゃあ僕はもう行くよ。じゃあね」
旋剄。練武館から一瞬でサヴァリスの気配が消えた。その瞬間、二人にのしかかっていた重圧もふっと消えてしまったような感覚に陥る。
「老成体なんかよりサヴァリス様のほうがずっと怖いわよぅ」
「・・・・・それはお前だから言える台詞だろうな」
ゴルネオは姉弟子の実力をかいま見ながらため息を吐いた。
20160927