グレンダンの夜も、他の都市と大して変わりはない。
大通りにはレストランや服飾店が並び、ウインドウは店内の明かりでキラキラと輝いている。一歩路地へ入れば今度は小さな居酒屋や、こじんまりとしたカフェが並んでいた。
イェルチェ
はそんなきらきらと輝くグレンダンの夜の町を歩く。今日は上級学院の授業が午後にあったほかは特に何もない日だった。サヴァリスも
イェルチェ
の前に姿を見せず、訓練はない日なのだろうと
イェルチェ
は納得して、夕飯の買い物をしながら家へ帰る途中だったのである。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、指を折って今日買うものを考える。そのせいでとん、と目の前に置かれた腕に気付くのに一瞬遅れが生じた。
「!」
思わず一歩下がったのは危うく差し出された腕にぶつかるところだったからだ。
「何か考え事に集中していたようだねお嬢さん」
駆けられた声は低く、男だとわかる。
イェルチェ
はそのまま男の顔を見て、一拍置いてから「トロイアット様、何をなさっていらっしゃるのですか」と言った。
「おっと!俺のことを知ってんのか!!こりゃやられたぜ!!戦闘以外で錬金鋼をもって女の前になんか出たことがねぇからなぁ、まさか俺の顔を知ってるとは、いやお嬢さんも武芸者か」
「ええ、はい、一般武芸者の域を出ない程度ではありますが」
トロイアットは
イェルチェ
の両腕の錬金鋼を見て言った。
イェルチェ
の両腕にはバングルが二つずつ、両足首に一つずつ身につけられている。細かな意匠が凝らされたそれは、一見するとただの飾りにしか見えないが、武芸者が見れば錬金鋼だとわかるものである。
イェルチェ
はもっとシンプルなものでもよかったのだが、父であるリンテンスがこれを用意したのだ。身に付けるのを否定する理由はどこにも無かったし、細かな意匠は美しく、
イェルチェ
自身も気に入っていた。
「ちょいと眼下に目をやれば白銀の髪を持つ美しいお嬢さんが歩いている、となったら声をかけなきゃ損だ。そしてお嬢さんのその美貌は都市いや世界の宝さ。本当ならここで口説きたいところだが、お互い武芸者ならもう少し静かなところへ移動するのも悪くないな」
トロイアットはウインクをして、それから
イェルチェ
の体を自然な動作で抱きかかえる。女性の扱いに相当慣れているのだろう。
イェルチェ
はたたらを踏むこともなく、トロイアットに抱かれて、そして次の瞬間には近くの建物の屋上にいた。
「ちょっと暗いが夜の空を眺めながら口説くのも悪くないもんだ、申し送れました。俺はトロイアット・ギャバネスト・フィランディン、今宵お嬢さんと一夜を共にしたく。お名前を伺っても?」
色の薄いサングラス、白いソフトハットを手に取ると、おなかの前に当てて大仰なお辞儀をする。長い黒髪が揺れて、夜の光を反射した。
「
イェルチェ
・ハーデンです」
イェルチェ
はそんなトロイアットにあまり驚くこともなく、自分の名を告げる。
「ハーデン?」
驚いた様子を見せたのはトロイアットのほうであった。
「リンテンス・ハーデンか?もしやして」
「ええ、養父ですが、父の名は確かにリンテンスです」
「あっはっはっは!!」
イェルチェ
が応えると同時にトロイアットは腹を抱えて笑い出した。ソフトハットを被りなおすと「まさかまさか」と繰り返しながら、自然な動作で
イェルチェ
の白銀の髪に触れる。
「リンテンスの旦那に娘がいるってのは天剣の間でも噂になってたが、お嬢さんがそうとは思わなかったぜ!!てっきり黒髪を想像してたもんでなぁ!!それにもっと仏頂面かと思えばそんなこともねぇ、なぁ笑って見せてくれないか」
トロイアットがどういう人物であるか、
イェルチェ
はあまり知らなかったが見た目ほど怖い人でも、父のようにお堅い人物でもなさそうだ、というのが印象だった。遠くからなら何度かトロイアットの戦闘も見たことがある。彼はサヴァリスとはまた異なる化錬剄の使い手であった。
笑ってくれといわれていきなり笑えるものでもないが、雰囲気を壊さない程度に少し笑みを作るとトロイアットは指を鳴らして「天使が舞い降りてみたいだ」と褒めるのだった。女性の扱いに随分と慣れていることは、先ほど抱きかかえられたときにも感じたが、実際にそういう人物らしい。饒舌な人物だった。そして快活で、女性を飽きさせない人物でもあった。
「
イェル
ちゃんには一度会ってみたかったから、光栄だぜ。リンテンスの旦那の娘なんてそうぞう信じられるもんでもないしな!!」
「お養父さまに子供がいることはそんなに不思議なことですか?」
「不思議というか天地がひっくり返ってもおかしくないんじゃねぇの?あの人嫌いが!レイフォンに鋼糸を教えてたってのもびっくりだったけどさらに娘がいるとなっちゃ、旦那に尋ねてもなんもも応えちゃくれないからな!」
「そうなんですか、天剣の方々と話しているお養父さまの姿があんまり想像できないもので・・・・」
「想像っつーかまぁほとんど口を挟まないはっはっは!」
イェルチェ
はいつの間にか、ビルの屋上のベンチに案内されて、座りながらトロイアットと話していた。いつそんな流れになったのかわからないくらい自然で、いつの間にか帰るタイミングを逸している。
(どうしよう)
トロイアットの話が面白くないわけではないのだが、今晩彼に付き合うという選択肢はない。そう
イェルチェ
が思っていたときだった。
「さて、俺としては弾なの娘さんを口説くというのはリスクがそれなりに高いような気がするんだが・・・・・・それ以前にお客さんの登場だ」
「お客さん」
はっとして顔を上げると見慣れた長い銀髪が揺れていた。
「どうもトロイアットさん」
「サヴァリス、いいところで現れるんじゃねぇよ」
「僕の弟子が困っていたようだったのでね、少し手助けが必要かと」
「はぁ?弟子?」
「ええ、一応これでもリンテンスさんに頼まれて化錬剄と格闘技の師匠という形になってるんですよ」
にっこりと笑みを浮べたサヴァリスにトロイアットは嘘だろ、という表情をしている。
「あなただって、ロンスマイア家の娘さんを弟子にしたそうじゃないですか。僕が同じことをしたらおかしいです?」
「おかしい。旦那に娘がいるレベルの珍事だぜ」
それは認めますが、とリンテンスの娘というところに関しては肯定をするサヴァリスは手を後ろに回したままだ。だがすでにその両手には天剣が復元されているのを、
イェルチェ
はちらりと見て気付いた。
「ま、折角の旦那の娘さんとのデートだったんだが邪魔が入ったんじゃあしょうがねぇ。また機会がありましたら是非一夜共に過ごしましょう、
イェルチェ
さん」
「は、ええ」
それはちょっと、と断言するのも失礼に思えたし、かといってトロイアットの言葉に乗ることも出来ないし、困ったな、という表情をするとサヴァリスがこちらを見て「もう帰っても平気ですよ」と言ったのだった。
「ええと、失礼します」
さっさと買い物をして帰ろう。
イェルチェ
はそう思いながら二人にお辞儀をしてから、旋剄でひょいとビルから飛び降りていった。
「さてとりあえず座れやサヴァの坊主」
「もうそんな歳じゃあありませんけどね」
「あと錬金鋼も元に戻せ」
「気付いてました?」
「そんだけ苛立ちと殺気むき出しじゃ気付かねぇ方が無理だろ」
あーあ男と夜をすごす趣味はねーんだけどなぁとぼやきながらソフトハットとサングラスを外したトロイアットは、夜のグレンダンを見下ろす。
「まぁこれが俺の繊細な弟子の件だったら口を挟むのはやめようと思っていたんだが。おおよそ状況は理解した」
「はあ?」
「いいか、男の嫉妬は醜いというが、事実その通りだ。なかなかものにできないからといって殺気丸出しで近づいても得られるもんなんかなんもない、というのが人生の先輩からの教えだ」
「五つしか違いませんけど」
「いや言い直そう、"女性経験豊富な"人生の先輩からの教えだ。お前絶対恋したことないだろ」
「ありませんね」
サヴァリスの回答は実にシンプル。トロイアットの言葉をあっさりと肯定する。
「故にお前は今自分の感情をもてあましている!」
トロイアットはそんなサヴァリスに追い討ちをかけるように言葉を重ねた。
「持てあましている・・・・・僕は存分に自分の力を発揮して戦う場があればそれで十分なんですが」
「何言ってんだお前恋愛は戦争だぞ、お前がたとえ女王陛下より強かろうと恋愛って戦争に勝ち残れるとは限らん」
「何を言っているのやら」
そろそろ会話を終らせてもいいだろうか、という雰囲気をサヴァリスはまとっていた。
これは重傷だとトロイアットは思う。サヴァリスは何故自分が殺気も苛立ちもトロイアットに対し隠さずここに来たのか、まったく理解していない。強いて言うなら弟子を守るのは師匠の務めでしょうぐらいの感覚でしかないのだ。
基本的に男に興味はないし、男の恋愛なんてどうでもいいが、トロイアットの直感は、このままでは
イェルチェ
がかわいそうなことになると言っているのだ。繰り返すが、男がどんなに鈍感だろうと失恋しようとこの上なくどうでもいい。だが女性が女性としてその性に従ってくれている、それがトロイアットにとっての救いであるならば、女性の恋は全力で後押ししたい。
「もう行きますよ」
「おう行ってしまえ。だが最後にこれだけ聞いていけ。今度また彼女に会うなら抱きしめてやれそれできっとわかる」
「・・・・・・」
サヴァリスは無言だった。
旋剄。
瞬間サヴァリスの姿がその場から消える。どこへ行ったのかは別に追いかける気もないトロイアットにもわからない。トロイアットは今日であった少女を思う。
「いやはや・・・・・まったく難しいのを相手にしちまったもんだ」
サヴァリスが
イェルチェ
と会ったのは、トロイアットとの会話から三日が過ぎた頃だった。その間、サヴァリスはトロイアットの言葉について考えなかったわけではない。だが結局結論は出ず、戦場にいられるのならばそれでいいと結論付け、師匠としての役目を果たすために
イェルチェ
の前に立つ。
サヴァリスと
イェルチェ
の訓練はそう激しいものではない。エアフィルター内ではそう長いこと激しい運動を
イェルチェ
が続けられないというのもあって、ルッケンスに伝わる格闘技の基礎、つまりは型を教えることが今はメインになっていた。
非常にゆっくりとした動作で、自分の真似をさせる。それだけ。体に型をしみこませる。それだけ。それさえできればあとは
イェルチェ
の剄量であれば、内力系活剄を利用して型の動きをそのままに速度を出すことは容易である。
この時点で型の習熟はある程度済んでいた。基礎の基礎となる型はそう数が多くないので、一度覚えたらあとは彼女自身の鍛錬によるほかない。型を見ながら、どこに剄がよどんでいるとか、重心がぶれているとか、それを微調整しながら完璧な型へと近づける。それが出来たら次は組み手。こちらも激しい動きではなく一般人でも目に見えるほど非常にゆっくりした動きでの組み手だ。こちらは攻撃に対し適切な型で受ける、そして衝剄を適切な場面で使うことを目的としている。
このような訓練はルッケンス家でもやったことはないが、訓練には一人ひとり適切なものがある。そもそも
イェルチェ
はすでに鋼糸の剄技を養父からほとんど受け継いでいるようなので、サヴァリスから教わっている格闘技も化錬剄もマスターすることが目標ではない。ただ少しずつ生きるための可能性を広げる手段なのである。
サヴァリスはすでに自分の体に染み付いた型を思いながら、目の前の少女を見る。型の覚えも早い。いくつか教えた化錬剄の剄技もそれなりに形になっている。ルッケンスの武門とは全く関係ないが、秘奥を教えてももしかすれば使いこなせるかもしれないとサヴァリスは思う。ルッケンスの奥義が外部へと洩れる心配など、サヴァリスの頭にはなかった。
「ん、今日はこのぐらいで」
サヴァリスの方から手を止めると、次いで
イェルチェ
も体を動かすのをやめた。
「ありがとうございました」
習慣になった礼を言う。
グレンダンの外縁部は誰もおらず、夜の暗さを点々と灯された街灯だけが明るくしている。だが武芸者には十分な明るさだ。訓練を始めた当初は、ルッケンスの道場を使おうかとも考えていたサヴァリスだが、天剣授受者になってから一切よりつかなかった家に顔を出すようなことをしたら絶対に当主がどうの、師範代がどうのとうるさいに決まっている。サヴァリスには後継者を育成するという気概はなく、ルッケンス家の当主の地位にも全く興味はなかった。ルッケンスは弟の五ルネオが引き継げばいい。そう思っていた。だから
イェルチェ
との訓練はあえてグレンダンの外縁部で行っているのである。
汗を飛ばして髪を解いた
イェルチェ
を観察しながら、サヴァリスは先日のトロイアットの言葉を思い出していた。
(今度また彼女に会うなら抱きしめてやれそれできっとわかる)
何がわかるというのだろうか。それがわからない、ゆえに試してみることにした。
声をかけることもなく、サヴァリスは立ち上がって
イェルチェ
のすぐそばまで行くと彼女の手を引く。以前の強姦まがい交わりとは違う。ただ抱きしめるだけ。こちらに傾いた彼女の体を受け止めて、両の手で抱きしめてみる。ふわりといい香りがした気がした。
「え?え?」
イェルチェ
の頬がみるみるうちに赤くなり、そして_____沸騰した頭はボンッという音がするかと思うほどに熱くなっていて、そのまま
イェルチェ
は意識を手放した。
「よーうサヴァリス。久しぶりだな」
「そうですね、天剣授受者同士会うこともすくないので、何の用です?」
「つれねぇなぁ、もっとこう会話を広げようって努力はないのか?」
「ないです。だってトロイアットさんのことだから会話を広げたとしても女性のことでしょう」
「正解だ!」
トロイアットは高いテンションを維持したままげらげらと笑ってサヴァリスの肩を叩く。
「で、この間の実行してみたか?」
この間、というのは抱きしめてみろ、ということだ。
「ああ、やってみました」
「どうだった?」
「顔を真っ赤にして倒れたので病院に投げ込んで、リンテンスさんにそう報告しました」
「なんでそうなる?」
がくり、と音でもしそうなほどにトロイアットが肩を落とす。
「お前
イェル
ちゃんの反応に何か感じるものはなかったのか?」
「いい匂いがしました」
「うーん・・・・いや、でもそれも成長か・・・・・・で、なんで旦那に報告しにいったんだ?」
「リンテンスさんが、存外
イェル
のことを大切にしてるみたいなんで、病院に投げ込んだっていったら本気で怒って僕と戦ってくれるかなって思ったんですけど、見当はずれでしたよ。門前払いされました、というかドアも開けてくれませんでした」
「お前は本当にどうしようもない戦闘狂だな」
「天剣授受者なんてそんなもんでしょう」
20160922