イェルチェ・ハーデンの本当の意味での初陣は彼女が14歳の頃で終っている。
 はるか上空より侵入した老成体一期の都市内部での殲滅、リンテンスの補助が多少あったとはいえ、本来ならそれでグレンダンの武芸者としては十分な実力を見せ付けたということになるだろう。だがあの時は緊急事態による即刻な判断名求められる中での戦闘だった。そのほとんどはリンテンス・サーヴォレイド・ハーデンの独断による戦闘であり、結局彼女の初陣としては認められなかったのであった。
 その結果が今日、この日である。
 グレンダンに向かって全速力で移動してくる対象は老成体一期。ヘビのように胴体をくねらせ、時折羽を使い浮上しながらそれはまっすぐにグレンダンに向かっていた。
 グレンダンでは武芸者の対汚染獣における初陣では後見人がいるのが慣わしであった。いくらグレンダンといえども、若い芽を潰し続けては新たな武芸者は育たない。故に、初の汚染獣という圧倒的脅威に対し、殲滅が不可能であった場合に、つまりは万が一の場合に後見人がいるのである。
「それを僕に指名するとは、リンテンスさんは何を考えているんですかね」
 そうぼやいたのはサヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスであった。
「リンテンスさんが後見人になればいいじゃないですか、仮にも父親なんですし」
(でもあなたもイェルチェ・ハーデンの師に当たることは確かでしょう?)
 蝶のようなものがふわりとサヴァリスの周囲に舞った。そこから聞こえる声は、念威操者の天剣授受者、デルボネ・キュアンテス・ミューラである。現天剣授受者の中で最高齢の彼女の念威は、歳による身体の衰弱に関わらず強力なものであった。
「僕が彼女の師になったのはリンテンスさんに押し付けられたようなものですよ。正直あまり興味がないですし」
(見ている限り格闘技の基礎と化錬剄の基礎を教えているだけですものね)
 グレンダンにいる限り、デルボネの情報網を逃れることは出来ない。それをサヴァリスは理解しながらも眉をひそめるのだった。
 本当ならば彼女の後見はもちろんのこと師という役目にも興味がないのだ。それは直接的にイェルチェ・ハーデンと言う人物に興味がないということに繋がってくる。
 イェルチェの鋼糸の術は、リンテンスのそれを受け継いだだけあって確かに驚異的だ。また剄量も天剣に匹敵するものがありこのまま順調に行けば天剣授受者となるかもしれない逸材であることは確かである。その一方で肺に病を抱えたイェルチェの戦闘持続時間は非常に短い。内力系活剄により臓器を鍛えているとはいえ、それでもサヴァリスの使うような格闘技や化錬剄のように体を激しく動かす戦闘では十分が最長であった。グレンダンの武芸者にはそれこそ三日三晩戦い続ける持続力も必要とされる。それが身体的事情でできないというのは、イェルチェにとっては大きな課題であった。それなのに何故リンテンスはイェルチェの師にサヴァリスを選んだのか。
 曰く「生きるため」
 体が動かせないのならば、リンテンスのように鋼糸を極める方が圧倒的に良い。あえて格闘技を学ぶ必要などどこにもないはずなのに、リンテンスはサヴァリスに格闘技を初めとした外力系衝剄の技を教授してもらうことに何らかの意味を感じているようなのであった。
(イェルチェ・ハーデン。いけますね)
「はい、デルボネ様」
 都市外戦用の薄いスーツに身を包みヘルメットを被ったイェルチェは、明瞭に応える。
(それでは出てください)
 その声とほぼ同時に、イェルチェは外延部より汚染された大地に降り立った。汚染獣との距離はそう遠くはない。ランドローラーを使う必要もなく、イェルチェは走って接近を試みる。
 万が一に備え、サヴァリスも都市外戦用の、特に天剣授受者専用のスーツをまとっている。通常、初陣には雄性体が当てられることが多いが、今回イェルチェに与えられた戦場は老成体一期であった。この戦闘で彼女が負傷する可能性は十分にあった。
(さてどうなることか)
 サヴァリスはヘルメットを抱えたまま、ついに汚染獣と接触したイェルチェを見ているのだった。



「レストレーション01、02」
 イェルチェが小さく呟くと、ソレにあわせて手の中にあった錬金鋼が何千本もの鋼糸へと姿を変えた。イェルチェはそれらを回転させながらくみ上げていく。
 恐怖がないわけではなかった。前の戦いでは、汚染獣を遠くから見下ろすようにしての戦闘だったから、汚染獣の恐怖と言う物にいまいち欠けた戦闘であることは確かだった。
 だが今回は前回とは違う。汚染獣は、目の前に現れた格好の餌をむさぼり喰らおうと迫ってくるのである。一瞬、体がぶるりと震えたが、それを内力系活剄へと意識を変化させることで押さえる。
 落ち着け、落ち着いて、それを組み上げる。
 線のパズルのように、イェルチェは汚染獣を取り囲むように鋼糸を組み上げ集中させ槍のように変化させていく。円錐よりもさらに鋭角に。きり、と絞られた鋼糸はさらにさらに鋭い槍となっていく。
 汚染獣が口を開いた。
 悲鳴のような耳鳴りのような地鳴りのような激しい音の一切を無視して、今まさにイェルチェに襲い掛からんとした汚染獣に向け、練り上げた槍を一気に打ち込んだ。
 繰弦曲・跳ね虫改
 かつてベヒモトと名付けられた汚染獣との先頭の際に養父であるリンテンスが用いたものと同じ、いやそれにさらに数を増したものが一気に汚染獣に襲い掛かった。
 口から、胴から、尻から、四方八方より放たれた槍は、汚染獣の体を地面に縫い付ける。そして放たれた剄の爆発と共に、槍は今度はその身を花開かせるように形状を変えていったのだった。汚染獣の体が一気に引き裂かれていく。硬い外皮は鋼糸に込められた剄の衝剄により爆破、破壊。やわらかい肉はブロックのように刻まれ、ボタボタと地面に落ちていく。だが、止めを刺すにはそれでは不十分であった。イェルチェの槍は、硬い外皮に邪魔されて、中枢を破壊するに至らなかったのである。
 イェルチェは即座に鋼糸を手元に戻し、もう一度槍を組み上げていく。
 そのときであった、破壊された肉片のブロックが、突如高熱を持ち爆散したのは。
「・・・・ッ!?」
 イェルチェは組み上げていた槍を即座に防御に回す。だが肉片の爆発と共に破壊され飛び散った岩体を防ぐには一歩間に合わず、こぶし大の石の塊が、あろうことかイェルチェのヘルメットに直撃する。
 ヘルメットは左即頭部を激しく打ちつけ破損、下から突き上げるような衝撃にヘルメットはイェルチェの頭からはずれ地面にたたきつけられた。
 それと同時に汚染物質がイェルチェの肌を、目を、焼き尽くしていくような激しい痛みに変わった。
 一瞬で喉の奥、そして肺まで入り込んだ汚染物質にイェルチェはその痛みに声にならない悲鳴を上げる。
 それを外縁部より見ていたサヴァリスはすでに動き出していた。
(現場到着まで、およそ2分、外縁部まで戻るまでに3分。彼女の肺が持つかの瀬戸際です)
「わかってますよ。エアフィルター内に連れ戻すことを最優先、その後外縁部で汚染獣の殲滅でいいですね」
(その必要はない)
「・・・・・リンテンスさん?」
 サヴァリスの最も的確かと思われる提案を否定したのは今まで完全に沈黙を守っていたリンテンスであった。そもそもどこにいるのかも定かではないが、この戦闘は見ていたらしい。
(肺が死ねば流石のグレンダンの医療でも武芸者としての復帰は難しくなりますよ)
 呼吸とは剄を支配することそのものである。呼吸が乱れれば剄が乱れる、剄が乱れれば呼吸も乱れる。そういうものなのだ。それゆえに肺が汚染物質により深刻な被害を受けることは、武芸者としての道を断たれるに等しい意味合いを持つ、たとえ、生き残ることが出来たとしても、だ。
 外力系衝剄の変化、剛昇弾。
 放たれた剄弾は今まさに立ち上がりイェルチェに襲いかかろうとした汚染獣に直撃し、汚染獣は再び地面に崩れ落ちる。
 その間にイェルチェが都市外戦装備を傷つけられながらもゆっくりと立ち上がった。
「・・・・・サヴァリス、様?」
「君を先に連れ帰るつもりだったんだけど君の親父殿に否定されてね、これはつまり君にここで死ねということなのかな?」
 サヴァリスは無慈悲な言葉をイェルチェに投げかけた。
「いえ」
 イェルチェの声は汚染物質によりしゃがれている。
「私の呼吸には問題ありません。外皮と臓器は汚染物質にやられると思いますが、肺だけは大丈夫です」
 サヴァリスにはその意味を理解することは出来なかった。
 すでに顔のあちこちが壊死を始めている。目を閉じているところから、眼球いや角膜を汚染物質にやられたのだろうことも簡単に推測できた。だが、彼女の殺気は死んでいない。
 このときサヴァリスは始めてイェルチェ・ハーデンという人物に興味を持った。
 それはこの汚染物質にさらされながらもなお、戦闘をやめない強い意志、などではない。彼女の殺気に背筋を震わせられたからだ。
(これは)
 生きる、というただ単純な意思。
 それは汚染獣の行動原理でもある。この過酷な環境の中で生きる。餌を見つければ、食うために移動する。食うとは即ち生きること。彼らは何も何らかの憎悪やその他の感情を持って都市を襲うわけではない。ただ生きるために襲うのだ。
 サヴァリスはイェルチェの殺気に生きるという意思そのものを感じたのであった。
 どの武芸者も汚染獣に対し、生き延びるという意思を持たぬわけではない。だがそれ以上に汚染獣に襲われれば家族が、仲間が死ぬ。それだけは許せない、すなわちある種の憎悪が殺気となって汚染獣へと向けられるのである。
 だがイェルチェはどうであろうか。彼女はただ自分が生きるために殺すのだ。人間のこんがらがった思いの全てを一掃して、生物の最も純粋な意思のみでこの戦場に立っている。
 サヴァリスはそのイェルチェの殺気に、汚染獣と向き合っているときの感覚を覚え背筋を振るわせたのだった。彼女は汚染獣なのか、否、そうではない。だが今ここで戦っているのは二匹の汚染獣であるように錯覚するほどに、イェルチェの意思はただただシンプルなものだったのである。
 イェルチェは目は見えない、が鋼糸が戦況を伝えてくる。念威操者ほど精密ではないが、巨大な汚染獣の状況をイェルチェに伝えるには十分なものだった。
 イェルチェは目を閉じたまま、鋼糸を再び槍状に変化させる。鋼糸の上を莫大な剄が走り、きらめいていた。
 自らの肉の自爆により体積を減らした汚染獣は、もがきながら再び立ち上がろうとする。
 そこに鋼糸の槍が襲い掛かる。
 繰弦曲・刺突
 それは純粋な槍の一撃であった。槍はその先端に剄を充満させ、汚染獣の体内にもぐりこみながら衝剄による爆発を繰り返し、今度こそその核へとたどり着き爆破させたのであった。
(汚染獣より熱の喪失および死亡を確認。早急に戻っておいでなさい)
 デルボネの念威端子がイェルチェとサヴァリスの耳元で継げた。
 それと同時にイェルチェの体がかしぐ。手に持っていた二つの錬金鋼はどちらも限界を迎えたのか、熱を発しながら崩壊していくところだった。
 サヴァリスはイェルチェの体を抱えると、グレンダンへと足を向けた。意識を失った武芸者は一般人とそう変わりない。全速力を出すわけに行かないのがもどかしいが、それでもなんとかグレンダンの真下へとたどり着くと、サヴァリスが跳躍するより早く、リンテンスの鋼糸が二人に巻きつき二人をグレンダンの外縁部へと持ち上げる。
 そこにはすでに医療班が集まっていた。
 サヴァリスの腕の中で小さく痙攣し血を吐いたイェルチェの顔の皮膚は多くのところで壊死が始まっており、崩れつつある。口内も、そして臓器もおそらくは似たような状況になっているだろう。だが呼吸だけはしていた。通常の武芸者、一般人問わず、汚染物質に五分も肺を晒せば、肺は壊死し呼吸は停止する。だが、今回はイェルチェが都市外戦用の装備の中で特に重要なヘルメットを失ってから八分が経過。通常ならもう呼吸は止まっていてもおかしくはない。
 サヴァリスはイェルチェを医療班に引き渡しながら、自分もヘルメットを脱ぐ。
 そしていつの間にやら外縁部へと来ていたリンテンスに問うのだった。
「どういうことです?武芸者の内力系活剄をもってしても汚染物質の影響からは逃れられませんよ。何故彼女は五分を越えても呼吸ができるんですか」
「・・・・・・・あれは肺が弱い」
「まぁ本人からも聞いたので知ってます」
 人嫌いのリンテンスの返事はそこまで期待していなかったのだが、どうやら今日の彼はサヴァリスの話に乗ってくれるらしい。
「体を動かすとなると五分から十分で過呼吸を引き起こす。病院で調べさせたら、その原因はエアフィルターにあるといわれた」
「エアフィルター?でも人はこれなしでは生きていけないはずでしょう」
「イェルの肺は汚染物質に適応しているそうだ。エアフィルターによる汚染物質を排除した空気は、イェルにとってはあまりにも清浄すぎて肺が耐えられない。その代り、汚染物質に晒されても呼吸が可能だ」
「・・・・・・・そんなことがあるんですか」
「俺の知るところではない」
 リンテンスが伝えたのは事実だけ。それが実際の現象としてあるのか、という議論に時間を費やす気はないようだった。
「皮膚や他の臓器は汚染物質に弱いことには変わりない」
「そうですか」
「・・・・イェルだが」
「ああ、構いませんよ。僕も今回の戦いで彼女に興味が出ました。格闘技と化錬剄、可能ならルッケンスの奥義も出来る限り伝えましょう」
 会話はそれだけだった。感謝も謝罪もなく、リンテンスは煙草に火をつけなおすと去っていく。この様子だと病院に見舞いにも行かないだろう。
(・・・・長く生きていると不思議なことにも出会うものですね)
「ええ、まぁ。まさか汚染物質に人が適応できるものだとは思っても見ませんでした」
 デルボネの嘆息にサヴァリスも応えた。
(それでは彼女の師匠を貴方が勤めるのですね。ふふ、貴方が十三歳で天剣授受者になったときは、貴方が誰かにものを教える日がくるなんて思ってもいませんでしたよ)
「僕も未だにそうですよ。でも、興味が生まれたのは事実なので。僕が飽きるまで付き合ってみることにします。それがいつまでかは、知りませんけど」
 サヴァリスの言葉に返事を返すものはいなかった。



20160919