「一言言うとしたら、なんて馬鹿なことをするんだ、といったところか」
「何の話?」
森の奥の屋敷は、随分と前に放棄されたもののようで、割れた窓より動物が入り込んだそこを勝手に
キーラが利用しているだけの話である。結界はいくつか用意したものの、ほとんどの部屋は手付かずのまま、暗い屋敷の中にいくつか明かりを灯してかろうじて工房の体裁を保っているだけの一室に落ち着いて、ようやっとマスターである
キーラと、サーヴァントであるアーチャは面と向き合ったのであった。
蝋燭の明かり一つでは心もとない明るさだが、千里をも見通すであろうアーラシュの目にとっては何の不満も無いようで、ほんの少しの暗がりをものともせずにまっすぐと
キーラを見つめていた。黒い瞳は精悍な顔に良く似合う、誠実な光を灯していた。
「なぜあそこで飛び出したんだ!肝を冷やしたなんてもんじゃあない、あんなことをせずとも__」
アーラシュが言及しているのは先ほどの対アサシン戦における
キーラの行動である。まさかあのような手段に出られるとは思っていなかったのか、さすがにあの表情は滑稽だったと告げようとも
キーラは思ったが、それをするとさらにこじれそうだったのでやめた。ここに遊びでいるわけではないのだ、
キーラにもそれなりの覚悟あっての行動であった。
「仕方ないじゃない。私は他の魔術師みたいにあいにくと優秀じゃないの。出来ることは体を張っての行動だけなんだもの」
「____ッ」
アーラシュが頭を振る。さて、あまりにも未熟な魔術師がマスターで呆れたのだろうか。それは、困ると
キーラは一瞬肝を冷やしたが、再度まっすぐこちらを見るアーラシュの目には、
キーラが未熟であることを攻めることも絶望することもないただ、自愛に満ちた色をしていたので
キーラは今度こそ本当に驚いた。
「他に術がないのならそう言えばいい。あんたが__この時においてまで身を張る必要なんてないだろう」
彼はただ単純に
キーラの身を案じただけであった。
キーラは確かにアーラシュの腕を信頼してその身を宙に放り出したが、それでもいつ何時何があるかわからない聖杯戦争の中、マスターが自らおとりになるなど危険極まりない。しかも、始まってまだ数時間のことなのである。アーラシュとていくつかの手段を持っていたのだから、他の魔術を使えないというのならばいくらでも策はあったのだから、わざわざその身を危険に晒す必要はないのだ、と言葉の端々に心配を乗せて告げたアーチャーに、
キーラはほんの少し胸の裡が温かくなるのを感じながらも、表情を改める。
「聖杯戦争において安全な場所なんてない。それに私は貴方を信頼して動いたの。貴方なら絶対に見捨てないでしょう」
ペルシャ神話の大英雄は、その一言に眉根を寄せてため息を吐いたものの、それ以上何も言及してくることはなかった。
ほんの少し埃臭いソファーにはまだ空きがあったから、ぽんぽんと座ることを促すように自分の隣を軽く叩くと、アーラシュはそれを否定することなくどっかりと腰を下ろす。
並べば筋骨逞しい青年であることがはっきりとわかる。軽装の鎧から除く二の腕についた筋肉は、無駄がない。二十代前半かもう少し若くも見えるその男性は、誠実な瞳をマスターである
キーラに向ける。
「・・・・・確認しよう、お前が、俺のマスターで間違いないんだな」
魔力のつながりはあるはずだから、サーヴァントがマスターを間違えるはずがないのに、きっと彼は対話を求めているのだ。誠実に面と向き合っての会話を求めている。マスターである
キーラはそれを否定することもいかようにでもできたが、今はそんなことをする必要はなかったし、なによりも彼の誠実なその黒い瞳を見て彼の願いを無下にすることは
キーラには不可能だった。
キーラは森羅万象を見透かすかと思うほどまっすぐなその瞳に、ほんの少し気圧されながら、「そうよ」と答えたのだった。
「
キーラよ。好きに呼んで。私は確かに貴方を召還した。だから間違いなく私は貴方のマスター。貴方は、ペルシャ神話の大英雄、アーラシュで間違いないのね?」
「よく名前を知っていたな・・・・。いかにも、俺の名はアーラシュ、神代最後の王・・・・になったんだな・・・・マヌーチェフル王に仕えた弓兵だ」
遠距離戦において他のサーヴァントに引けはとらんぞ、と言うアーラシュの言葉は決してはったりではないだろう。こちらを見るアーラシュの瞳にあるのは誠実さとそれから確かな自信である。彼の自信の強さに揺らぐように、蝋燭の炎が揺れた。
日本において、アーラシュという英雄の知名度はそう高いものではない。だがかつて己が放った一矢でもってペルシャとトゥルク両国の民を救った英雄のことを西アジアの人々は確かに覚えている。そのことを果たして本人が知っているのかはわからないが、
キーラは目の前にいる大英雄を見て、その落ち着いた振る舞いに改めて感嘆せざる得なかった。
褐色の肌に蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。目にかかるかかからないかの黒い髪とそして同じくらい黒い瞳。今も西アジアの人々の頭上にある夜の暗闇のように暗くて、そのいっぺんを切り取ればひどく恐ろしいものであるようにも思えるのに、幾千幾万の星が瞬いているように輝いているのだった。彼の瞳はきっと生前から何一つ変わってなどいやしないのだろう。自分の身が滅びると知っていながら、弓に番え矢を引いたとき、彼が何を思い考えていたのか、
キーラには当然知ることなどできなかった。だがそこに確かに存在しただろう覚悟とその覚悟の下に死んでいった人物を目の当たりにして、
キーラはほんの少しだけ足が竦むのだった。
「ああ、俺がマヌーチェフル王の時代から随分と経ったんだな」
人は何れ死ぬのだといわんばかりに、彼は悲しみではなく驚嘆とほんの少しの好奇心を含めた瞳でぐるりと屋敷の一室を見回した。
蝋燭の明かりが届かぬ部屋の端っこには、片付け切れなかった机や色んなものが置いてある。どうせ長くいるわけでもない、そしてこの屋敷の全てが必要なわけでもないからといくつかの部屋の一部分のみを適当に魔術工房に仕立て上げただけだったのだが、きっとアーチャークラスの目であれば、暗闇も見透かして、散らかった部屋の中が見えているだろう。ほんの少し失敗したと思った。せめて他の部屋にいらないものは移しておけばよかった、と冬木の中心街より少し外れた森の中の、古い屋敷のソファーに丸まって
キーラは思う。朝日は昇りつつあるも、森の奥にある屋敷に太陽の日差しが届くにはまだもう少し時間がかかるだろう。
くるりと部屋の中を見回すアーラシュの姿はまるで初めて旅に出た幼子のようでもある。この聖杯戦争にサーヴァントとして召還された時点で必要とされるありとあらゆる知識は、聖杯より与えられているはずだった。それゆえに彼らは千年の時を隔てて現界したとしても、自分たちの知る生活との差異に驚くことはない。当然アーラシュにも知識は付与されているはずだから、今この部屋にあるものは全て知っているはずなのだった。
だけれども彼は自分の目で見ることそのものを楽しんでいる様子であった。先ほど
キーラと面と向かって言葉を交わすことを望んだように、彼は自分の目で物を見ることを望んでいる。
「マスター」
「・・・・
キーラにしてくれない?その呼び方、ちょっと・・・・なんか・・・居心地悪い」
「お前がそれでいいなら、そうしよう。なら
キーラ」
アーラシュは
キーラの言葉に軽く方を竦めてから言葉を改める。
「何?」
「この聖杯戦争を駆け抜けるに当たって一つ聞きたいことがある」
「ええ」
先ほど部屋を見回していたのとは違う。アーラシュの目をまっすぐに向けられるといくばくか居心地が悪い、いや居心地が悪いのではなく、全部見透かされているような気がする。それこそ、今自らが召還を果たしたサーヴァントを前にして、ここまできた信念が揺らぎそうになっていることすらも含めて、あの黒い瞳が自分の心のうちを覗き込んでいる気がして
キーラはほんの少し目を落とした。
「
キーラは、聖杯に何を望む?」
沈黙が降りて、しばし時が止まる。この質問が何れ来ることはわかっていた。そしてそれに対する答えも
キーラは用意していたはずだったのだ。だが何故か今この段階になって、それを口に出すのがためらわれてしまう。アーラシュはじっと
キーラの答えを待っていて、
キーラはそのことをわかっていたからこそ、じっと顔を下に向けたままであった。
「・・・・私は」
この聖杯戦争において掛ける希望は確かにあった。だが、今の今まで覚悟と諦めとでなりたっていた
キーラの中身は、アーラシュに会ったことであっけなく崩れてしまった気がしたのだった。自分が持っていたのは、かの大英雄が持っていた覚悟と比べ物にもならないちっぽけな抜け殻でしかないのだと思った瞬間に、この聖杯戦争で掛けた希望を口にするのがひどく、怖くなった。
「・・・・ここで話す必要はない・・・」
強くはっきりと言い切ればよかったものを、自然と尻すぼみになった言葉に
キーラは唇を噛む。
「・・・・俺はあんたが何を聖杯に望もうが構わない。今の俺はサーヴァントで、あんたがマスターなんだ。だがマスターが何を望んでいるのかを知って居た方が目的の達成のためには___」
「それ以上言わないで!!!」
アーラシュの言葉にカっとなり、つい怒鳴り声を発して我に返った。つい先ほど召還したばかりのサーヴァント、形式的にはマスターとサーヴァントという主従の関係なのだから、マスターをどう思おうとサーヴァントは令呪がある限りマスターに逆らうことはできない。だがそれでも無意味に関係を悪化させたくはないと少なくとも
キーラは思っていたのだ。言ってしまえば赤の他人同士である相手に対して、突然怒鳴り声を上げるなどと、とほんの少し羞恥に頬を赤らめながらも、それでも自分がなぜ聖杯戦争に参加するのかを口に出すことができなかった。
アーラシュは
キーラが怒鳴ったことにほんの少し驚きながら、言葉を探している様子だった。
「
キーラに何があるのか、俺にはわからないんだが、」
怒らせてしまったという自覚があるのか、アーラシュはゆっくりと言葉を選んでいる。だがその瞳はまっすぐに
キーラを見つめていて今も
キーラの中にある何かをしっかりと捕らえているようであった。
「主がどのような願いを持とうと、それに対し臣下が口を出すことではない。ただ__」
「___令呪を持って命ずる__」
「!」
「・・・・二度と、その問いを口にしないで」
パチンと空気がかすかに震えた。
ゆっくりと窓の外が明るくなっていくのに、部屋の中は一瞬急激に温度が下がったようだった。
キーラの手から三画あったうちの一画の令呪が消失するのを、
キーラ自身あっけないものだと思う。
少し気まずくて
キーラはソファーの脇に佇んだまま、アーラシュから目をそらすと、意外なことにもアーラシュから返ってきたのは謝罪の言葉だった。
「・・・・お前にもそれなりの事情があるだろうに突っ込んだことを聞いて悪かった。令呪を使うってのはそんだけ追い詰められてるってことなんだろ。たとえ令呪の命令がなくてももう二度と俺から問うことはしない」
「・・・・・ごめん」
「いいんだ。マスターとサーヴァント、主従関係っつってもたった今始まった契約だしな。これからお互いを知っていけばいいさ。ただ__」
明朗なアーチャーの声が一瞬だけ止まって、
キーラは顔を上げた。
「・・・・これだけは言わせてくれ。俺のマスターになるんなら、その先にあるものがなんであれ善を成してくれ。___俺が言いたいのはそれだけだ」
口調を緩めて言うアーラシュの言葉はどこまでも優しく、しかし絶対的な力に満ち溢れていた。今ここで、
キーラに何も深く聞いてこないのは、必ずや
キーラが善を成してくれるだろうという信頼でもあるのだろう。
このサーヴァントは、この英雄は・・・・この人は、どこまでも強い人であるのだ、と
キーラは思う。そしてきっと何度人生を繰り返したところでこの人のようになれないのだろうと、
キーラは思った。
次
2015.09.12