天女の羽衣

 全ての始まりはあの日、あの瞬間だった。
 大姶良武丸はカルデアに霊子ダイブとマスターとしての適正ありとして召喚され所長の激励を受け、そして管制室のコフィンの中に静かに納まっていた。
 大姶良家は東洋、日本に本拠地を置く魔術師の家系であり、その歴史は平安にまで遡る。
 魔術師を定義するものはその身に刻まれた魔術回路と家系だ。家系とはすなわち守り続けた秘術(魔術)の塊そのものであり、魔術師の家系として歴史があればあるほど優秀かつ強い力を持つ魔術師であると見なされる。その歴史が千年にもなろうとする大姶良家は東洋の魔術師の中でもかなりの力を持っている。かつては鬼の血が混ざった妖の家系と呼ばれたこともあった。だが魔術の世界、特に時計塔と接点を持つようになってからは、東洋における魔術の家系の一つとして丁重なもてなしを受けている。
(それだけのものがこの血と歴史にはあるのだ)
 コフィンの中で来るべき霊子ダイブの瞬間を待ちながら武丸は考えていた。
 大姶良家の歴史も、カルデアの目的もよくよく知っていたが、武丸にとってはそれはさほど重要な事柄ではなかったのである。
(この血はかつて鈴鹿山を根城にした大嶽丸のもの。この血が待ち望んでいるのはサーヴァント鈴鹿御前の召還……)
 すっと目を閉じると眼前は暗闇となる。手に携えた刀は顕明連(けんみょうれん)、かつては大嶽丸が持っていた三明の剣のうちの一つ。その刀が残っているという時点で大姶良家がどれほど魔術、いやかつては陰陽術とも呼ばれたものに深く関わっているかがよくわかるだろう。大通連、小通連そして顕明連。これらの刀によって守られていた大嶽丸は鈴鹿御前に半ばだまされる形で刀を奪われ、そしてその首を討ち取られた。大姶良家はその際、大嶽丸が分御霊によって分裂し、人の血と交じり合った、その家系だという。つまり鈴鹿御前や坂上田村麻呂らと共に大嶽丸討伐に向かった家系であったのだろう。
 武丸は物心ついた頃からそんな夢を良く見てた。燃える山の中、大きな男と小柄な女、男は筋骨たくましく刀を携え鬼の側に立っている。そして女は、天女かと思うばかりの美しさ、才知に溢れた瞳はじいと大嶽丸と田村麻呂の最期を見守っている。だが何度思い出しても大嶽丸の血が混じっているはずなのに、自分を謀り殺そうとしたものたちに対して憎悪はひとかけらも混じっていなかった。
 そうだ、確かにあの時夢の中の嶽丸は鈴鹿御前に恋をして、そして大嶽丸も全く同じだったのだ。それが他の男に奪われようと、その美しさは陰ることなく、その才知もまた曇りなく三明の刀もまた静かに大嶽丸の最期を見守っている。そして大嶽丸の首が落ちる瞬間、武丸ははっと目を覚ますのだが、その瞬間、鈴鹿御前がどのような顔をしていたのか、いや鈴鹿御前がどのような風貌だったのか全てを忘れてしまっている。それでも血と体が覚えている。自分は、大嶽丸の子孫としてではなく純粋に大姶良武丸という存在が鈴鹿御前に恋をしていることを。
 そんな中カルデアに召喚されたときはまさに飛び上がらんばかりに喜んだ。どのような形であれ、マスターとしてサーヴァントを召還する絶好の機会が巡ってきたのだ。大姶良家に代々保管されてきた顕明連、これをもってすれば武丸が召還するサーヴァントは鈴鹿御前に間違いないだろう。
 武丸はカルデアに召喚され、カルデア所属のマスター候補となったその瞬間から所長に自らが召喚するサーヴァントについては継げてある。所長、オルガマリー・アニムスフィアやDr.ロマン、そしてあのダ・ヴィンチ……ちゃんは召喚は基本触媒を使わずに行う予定だったらしいが、大姶良家の歴史を鑑みて顕明連を触媒とすることに許可が下りた。これはおそらく大姶良家という魔術師の家系があまりにも古い歴史を持つからでもあったのだろう。だがどんな形であれそれは武丸にとっては絶好のチャンスだったのだ。武丸はそうして無事召還する予定のサーヴァントの選択を許された、ただしこれは他のマスター候補には秘密ではあったのだけれども。バレたところでどのみち大姶良家に口答えする者もいないだろう。
 緊張か、それとも、願い続けた相手に会える喜びか、武丸は様々な記憶が入り混じる脳内から自分を正しく見つめてコフィンの中で息を吐いた。狭いがさほど居心地は悪くない。シミュレーションで何度か搭乗したこともある。召還の術式もきちんと覚えている。大丈夫、大丈夫__そう言い聞かせてた時ふと刀が鳴いた。
(……?)
 刀が鳴いたとはまた奇妙な表現かもしれないが、少なくとも武丸にはそのように感じたのである。キィンと高い音のような、少女が泣く声のような、そんなものをなんとなく感じ取った武丸は瞑った目を今一度開いて、持っていた顕明連を顔の前まで持ってきた。狭いコフィンだからあまり体を大きく動かすことは出来ないのだが、手ぐらいは何とか動かせる。
(抜け、と言っているのか)
 なんとなくそう感じた武丸はゆっくりと刀を抜く。
『腕を所定の位置に収めてください』
 そんなアナウンスが流れたが武丸は無視して顕明連を抜いた。
 その瞬間、頭の中に飛び込んできたのは炎、真っ赤な炎と爆発と、コフィンの活動停止、そしてそのまま___自分は___武丸はそれがこれからわずか数秒後に起こることであるとなんとなしに理解し、次の瞬間には顕明連を鞘より抜き去り己を覆うコフィンを内側から切りつけた。魔術的な力も持つ顕明連、その切れ味は外部からの攻撃を守るために頑丈に作られたコフィンをあっけなく真っ二つにし、その瞬間頭に響いた爆発音、コフィンの緊急停止音を聞きながら武丸は床を転がり、コフィンの影で激しい爆発の瞬間を見た。連鎖する爆発はカルデアスをも巻き込み、管制室だけでない管理室からもまた悲鳴が響き一瞬全てが暗転する。
『ソムニア!!』
 スピーカーから響いたのはあの無機質なアナウンスではなく、このカルデアにおいてトリスメギストスとトレスサピエンテスという二つの霊子虚構演算装置を管理するアルキメデスというサーヴァントだ。サーヴァントではあるがカルデアの職員として所属しているアルキメデスが管理する相手、それは人型のコンピュータ、ソムニア・マーレ、別名トレスサピエンテス。一瞬電源が落ちたのはトリスメギストスとトレスサピエンテスがこの爆発によって何らかの影響を受けたからであろう。こんなこと自然発生的に起こるわけがない。誰かがこうなるように仕掛けたのだ。
(霊子虚構演算装置の停止……!!他のマスターは)
 そう武丸が考えた瞬間、爆発の第二波が襲って、今度こそ武丸は管制室の火中へと放り出されたのであった。床に叩きつけられ、燃え尽きた酸素を必死で肺に取り入れようと荒い呼吸を繰り返す。立ち上がろうとした、だがその足は大きな瓦礫の下に挟まれていた。
「嘘、だろ」
 痛みがじわじわと脳を占領してくる。痛い、俺の刀は、痛い、痛い、刀は、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
「あああああ!!!」
 更なる管制室の崩壊を予期するように、右手の顕明連が光を放つ。それに促されるままに武丸は大きく刀を振った。
 瓦礫はあっけなく顕明連に切り裂かれ、武丸の頭を潰そうとばかりに落ちてきた塊は真っ二つになって床に転がる。炎がゆっくりと武丸のほうへ近づいてきていた。
(死にたくない)
(まだ)
(まだ)
(この血が)
(俺が)
「鈴鹿御前に会っていないというのに、また、俺は待たないといけないのか!!」
 武丸は叫ぶ。誰にも届かないとわかっていながら。一瞬カルデアスが光った。あれは誰かがどこかへレイシフトする際の光、それではここには他にも生きているマスターがいたのか。だが足を動かすことが出来ない武丸には何もすることができなかった。できるなら、無事でいてくれと願う。そして同時にただ切に願う。
「まだ、死にたくない」
 カルデアのマスターとして活躍ができないこと、そんなものどうでもいい。
「まだ……!」
 まだ自分は成し遂げてないことがある。それを成し遂げられずに死ぬのだけは、絶対に
「いやだ!!」
 瓦礫に潰された足は折れただろうか。ならばいっそ切り落としてしまおうか。そう思ったときには体を捻り右手で己の左足を、瓦礫に潰された根元から叩ききっていた。
 頭も脊髄もそして神経も切り刻むような激痛が足から走ったが、そんなもの今は気にしている場合ではないと気力を高める。流れを、血の流れを固定し、死を遅らせろ。もしもまだここに生きている人間がいるのなら、武丸の力で助けることが出来る可能性は。
 武丸は顕明連にすがって立ち上がり、そしてずりずりとゆっくりと召還の陣が描かれた管制室の中央へと向かう。此処は仮の陣であり、本来なら霊子ダイブ後にサーヴァントを召還する手はずだった。だが万が一何かがあったときのために用意されたものは管制室に引かれた豪奢なマットの下に隠されていることを武丸は知っていた。
「鬼魅は降伏し、陰陽は和合すべし。素に血と鉄、礎に石と契約の大公。租には我らが鬼大嶽丸。降り立つ風には壁を、四方の門は閉じ、王冠より出で、王国にいたる三叉路は循環せよ」
 顕明連を陣の中心につきたてる。
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する。神勅明勅、天清地清。神君清君、不汚不濁。 鬼魅降伏、陰陽和合。急急如律令。____告げる、汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ、誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
 武丸は口から血が吹き出し喉が切れるのもかまわずに叫んだ。
 風が巻き上がり、燃え上がる炎の音が途切れる。崩れ落ちる瓦礫を武丸はただ見ることしか出来なかったが、その瓦礫の向こうに、立烏帽子、鮮やかな赤い衣が身を翻し、巨魁を切り崩す。降り注ぐ細かな残骸に体を打たれ倒れる瞬間、誰かに抱きとめられた。
「はいはーい!……ってなにこの惨状!?マスター!?ねぇマスターだよね!?ってそんな確認してる場合じゃないか、大通連!」
 刀は女の言葉に従ってぐるりと二人を取り巻くと水へと変化し床を舐める炎を消していく。
「ったくめちゃくちゃな召還じゃん!サーヴァントの召還はさ、もっとこう二人だけで秘密の隠れ家的なところで__……ねぇ、ねぇ大嶽丸ねぇあなたでしょ、私を召還したの」
「お、れ……は」
「大嶽丸じゃない、か。でもその顕明連……そっかそういうこと」
 女はそう静かに呟いてその場にすとんと座り込む。そして仰向けに、女の膝に寝かされた武丸はようやっとその顔を見たのだった。
「セイバーここに参上、ってね。顕明連を使って召還したって事は私のこと、召還するつもりだったワケでしょ、ね、マスター」
 夢で見ることの出来なかった顔。夢で何度見ても忘れてしまった顔、それでも今は武丸の目にはっきりと映っている美しいその顔は
「鈴鹿……御前」
「だいせーかい!私が来たからにはもう大丈夫、私に任せなさいって感じ?」
「他の__マスターが」
「いないよ、他にはね。ここの空間には私を召還したマスター以外誰もいない」
 だから、
 と鈴鹿の白い手が武丸の目を覆う。
「今は静かに寝てるべき。絶対に此処から生かして帰すから、今は寝てなさい」
 武丸の意識はそこまでだった。夢の中で何度も聞いた声。その言葉は厳しかったが、それでもう武丸ができることは何一つないのだと理解した。
 炎の熱を吹き飛ばし、濁流と変化した大通連は管制室の炎を飲み込んでいく。
「……そっか、あんた人に混じってまで……私のこと好きだったんだね」
 小さく呟いたその言葉はきっと誰にも届かなかった。
「大丈夫、今度はずっと側にいるから」
 
 管制室が開かれ、その参上から大姶良武丸と召還したサーヴァント鈴鹿御前が救出されたのはそれから一時間以上後のことだった。その間に鈴鹿御前の振るう大通連は全ての炎を沈め、ひんやりとした空気のみが管制室には残っていた。ロマニ・アーキマンが大姶良武丸を医務室に運んだ頃にはすでに元の左足は原型を留めておらず義足を用意することになったが、命に別状はないとのこと。
 この間に多くのものを失った。
 ありとあらゆるものが消滅した。
 だが、残された者たちがいたのだ。
 人理はいまだ残されている。
2018.06.05