なにものにもとられたくない鶴の話

鶴丸国永消失___このような表現は本来の意味合いから考えれば正しいが、現状を考えるとあまり良い表現とは言いがたい。今、なくなってしまったのは鶴丸国永という一振りの刀ではなく、鶴丸国永という一振りの刀が力を得て付喪神となったその人そのものなのだ。それ故に、正しく表現しようと思うのならば、ここでは鶴丸国永失踪とでもすべきだろう。





 宮野は、彼女の通う東都中央の高校より帰宅し、服装を整えてから彼女が力を与え付喪神として形を成さしめた刀剣たちの住まう場所へと足を運んだ。自宅である神社近く小さなアパートから刀剣たちの住まう場所までそう離れているわけではない。神社の裏手より人気のない道を通っていくつか角を曲がると、時を遡った過去の中にも用意されている、通称本丸と呼ばれる日本家屋が見えてくる。本丸、というのは過去に遡った際に戦の拠点となる場所であり、本来は日本の城の中核となる部分を示す。今ここにあるものもまた過去に用意されたものについても本丸と呼ぶのは少々語弊があるのだが、わかりやすい呼称であったためにすっかりと皆の間に浸透していた。
 宮野がその本丸に足を踏み入れると脇差を本体に持つ堀川国広が迎えに出る。年齢のみを考えれば宮野よりもはるかに年上の国広だったが、堀川国広をはじめとし、本丸の付喪神たちが形を成していることができるのはすべて宮野の力によるものであるために、皆宮野のことを「主(あるじ)」と呼ぶのであった。三日月宗近や石切丸など作られてからすでに相当の年月を経た刀剣たちは時たま宮野のことを名で呼ぶこともあるが、これはそもそも彼らが宮野の力を得ずとも付喪神として変化しかけているためである。
 宮野、齢十八、通常ならば進路に悩む時期であるが、彼女は半ば強制的に将来を決定されている身である。彼女は歴史修正主義者、と呼ばれるここ200年あまりの間に活発になった連中の歴史修正という活動を阻止するために、審神者として時の政府に仕えている。生活をはじめとした金銭的面倒をすべて政府がみてくれるため、雇われているといってもいいのだが残念ながら宮野に拒否権は形式上あるのみで、実質的には生涯この役割に殉じる以外に道はなかった。宮野自身、今のところそれを苦に感じることは少ないが、時たま自分のやっていることは正しいのだろうかと迷うことはある。
 歴史修正主義者とは、人ではない魑魅魍魎あやかしそして付喪神などから成る日本の歴史の変革者たちである。宮野がいる「今」を作り上げてきた「過去」を改変し、自分たちの望む新しい未来を作り上げようとしている。歴史修正主義者の多くは付喪神であり、その行動の根幹はそうであってほしくなかった事実を消し去ろうとしている。無念のうちに死を迎えた主に望む未来を見せようとするものも、かつての主の死を受け入れられぬものも想いの形はさまざまだが、これはある意味付喪神のゆがんでしまった想いの塊であるといえよう。
 付喪神というものは、人に使われる物が長い年月を経る間に人の想いを受けてやがて力を持ち人に姿を代えた存在だ。小判や使い古した傘に目玉やら足やらが生えた絵は昔から存在するが、あれらはまだ十分な力を持たないものたちの姿であり、さらに年月を経れば経るほど姿は人に似る。本体は物であるが、その化身とでも呼べばよいだろうか。ただの道具であった物が、長い年月と人の想いを受けた末、そのものだけで付喪神へと形を変えることを変化、と呼び一方で審神者と呼ばれる「眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技」を持つ者たちによって力を得形を変えたものを形成もしくは形を成すと呼び区別していた。前者はすでに神に近いものでありさらに年月を経るとたとえ本体が消失するようなことがあっても本質(人の姿)を失うことはない。だが後者は力を与えた審神者か物の本体が消失した場合にその本質を失うことになる。
 宮野を主と呼ぶ堀川国広の本体は、過去には土方歳三が太刀和泉守兼定とともに愛用したといわれる脇差であり、三日月宗近は天下五剣の中でも最も美しいとされる一振りで今では国宝に指定される存在である。最も年若い和泉の守兼定ですら五百歳近く、平安初期に作られた刀にいたってはゆうに千歳を超えるのであった。そんな物達に囲まれながら、宮野は時の政府の召喚に応じて過去へ遡り歴史修正主義者に立ち向かうのである。といっても実際に戦うのは刀剣たちであり、審神者本人は戦わないことがほとんどであるが。
 「あれ国広くん、五虎ちゃんは?」
 「えー、今日は国永さんの見張り当番だったと思うけど・・・・」
 宮野が本丸に着くと迎えた堀川国広、その後ろからついてきたのは短刀五虎退のいつもつれている白い仔虎であった。宮野はそれを国広の足越しに見て、たずねると国広からはそんな答えが返ってくる。五虎退はほとんどどこにでも五匹の虎をつれて移動しまた虎たちも必ず五虎退についていくため、虎が一匹で動き回っているというのは珍しい。国広が足元でじゃれつくとらを抱き上げると、首にリボンをつけている虎は猫のように体を丸めて国広の手の中から逃げ出そうとした。
 「鶴丸さんの・・・見張り当番」
 失敗した気がする、と宮野がつぶやく。国広もそこで何か思いあたるものがあったのか、ほんの少し引きつった笑みを浮かべた。
 「やられましたかね」
 「ううったぶん」
 「この虎濡れてるから、厠か風呂かな?」
 国広の言葉に頷いてから宮野は靴を半ば脱ぎ捨てて風呂場に走った。国広もまた虎を抱えたまま後を追う。途中すれ違った燭台切が走るな、と小言をよこすも、国広と抱えた虎を見て苦笑いする。本日鶴丸国永監視当番であった五虎退のことを考えたのであろう。要するに、皆考えることは同じなのだ。
 鶴丸国永は五条国永作、長さにして二尺五寸九分半、平安時代につくられた太刀である。鶴丸という号の由来は不明だが、一説には太刀拵に鶴が描かれていたからだとも言われ、真っ白なその姿は確かに日本を象徴する鳥タンチョウの白にも通じる。一見儚げにも見える男性であるが、その本性はいたずら好き、かつ他人を驚かせることを生きがいとしているような節があり、本丸に鶴丸がいるときはいつ何時何が仕掛けられているかわからずに心臓に悪いと評判であった。
 その鶴丸国永、いたずら好きであると同時に、暇をもてあますとなるとあっという間にどこかに消えてしまう脱走癖があった。
 付喪神は本体は物、鶴丸国永の場合平安時代に作られた太刀であるのだが、付喪神に成ると化生の者つまり妖怪やあやかしと呼ばれる類の者に近づくのである。審神者は付喪神を形として成さしめた本人であり、かつ審神者になる者は強い霊感を持つことが多いため付喪神をはっきりと認識することができる。しかし基本的には一般人には見えず、ただ物には触れられるということになるのである。霊感の強い人間には姿が見えることがあるが、必ずしも付喪神本来の形に見えるわけではなく、付喪神本来の姿と見るものが恐れているものと合わさって結果としては幽霊や妖怪と呼ばれるような恐ろしいものとしてあらわされることになった。
 ようするに付喪神単体でうろうろと動かれると色々と面倒ごとが付きまとうために、出来る限り付喪神である刀剣たちには勝手気ままに出歩いてほしくないのだ。刀剣達の大半は、外の世界にあまり強い興味がなく本丸に落ち着いている。短刀たちは気が向くと本丸の外に出て少しばかり遊びまわっていることもあるようだが、とにかく本丸の周囲にいてくれれば問題はなかった。つまるところ最大にして最悪の問題は鶴丸国永ただ一人であった。そうでなければわざわざ鶴丸の見張り当番などつけるはずがないのである。
 今の時間は誰も使っていない風呂場、暖簾をくぐり宮野と国広が脱衣所に駆け込むと心張り棒で入り口の閉じられた風呂場から五虎退の悲鳴が聞こえている。
 「出してください~!!誰か~!!」
 五虎退の声に混じって虎が壁をがりがりと引っかいては唸っていた。ここの風呂場は換気のための窓はあるものの、位置が高く五虎退では届かない。どんどんと扉を叩いているうちにずれてはまり込んだ心張り棒はちょっとやそっとのことでは外れず、国広と二人でうんうん唸ったものの結局どうにもならずに、国広が自身の脇差でばっさりと切り落としてなんとか事なきを得た。
 風呂場から出てきた五虎退は鶴丸さん逃がしちゃいましたぁと泣きながら謝ってそれから一匹だけ外においてけぼりにされてしまった虎を抱き上げる。
 「うう・・・・お風呂に入るっていうからついていったらそのまま中に押し込まれて出れなくなっちゃって・・・あるじ様がきてくれなかったらもう一生ここにいるかと・・・・」
 「大丈夫大丈夫」
 わぁと泣く五虎退を抱き上げて、この時間であると皆が集まっているだろう道場に連れて行く。
 この本丸にいる付喪神たちは皆、本体が刀であるため当然刀の扱いはよく心得ている。扱いだけでなく剣術にも優れているため何もこれから改めて剣道を学ぶわけではない。戦いの勘は使わなければ鈍るものである、それを常に最良の状態に・・・・・というのが本人達の言い分だが、実のところは体を動かしたいだけである。まさかまさかただ一人の一生よりもはるかに長い間戦場にいた刀たちが、人を斬るために生まれた刀たちが、どれほど間を置いても戦えなくなるはずがないのだ。
 道場に居る面子は大抵同じで、今日もまたそうだ。大倶利伽羅と同田貫正国が道場の中央で本体を手ににらみ合い、そのさらに奥では周囲と少し間を開けて岩融と蜻蛉切が長い得物を振るっていた。奥の二人は一応仮の得物、ということで木で出来た武器を振るっているが問題は中央の二人だ。
 ギリギリと金属がせめぎあい、力が拮抗するあまりに一度食い合ったら刀が動かない。そのまま押し合い気のぶつけ合いで数秒、大倶利伽羅が一瞬刀を引くと同田貫が右足を踏み込む。だが完全に振り斬ることかなわずに手を引いた。大倶利伽羅の鋭い小手狙いの軌道がほんの数センチのところでそれていった。
 「えぇい!大将がきたぞいい加減にやめとけ!」
 太刀同士の斬り合いにいい加減辟易していたのか、薬研藤四郎が声を張り上げる。大将、とは主のこと、つまりここでは宮野のことである。他の刀剣達は真剣での斬り合いに慣れているからいいものの、身体能力値はただの一般人に過ぎない宮野からすれば真剣で訓練と称した斬り合いをしていては、道場に踏み込むのも危うい。
 薬研の言葉でようやっと刀を納めた胴田貫と大倶利伽羅の二人を横目に、宮野と国広は一礼をして道場に入る。薬研に泣いている五虎退を預けて鶴丸の居場所を聞くと、彼は首をかしげる。代わりに縁側からひょっこりと三日月宗近が顔を出して神社の方へ行ったぞと口を挟んだ。
 「宗近さん見てたなら止めてくださいよ!」
 「はっはっは」
 宮野は思わず声を荒げたが、宗近は言い訳もせずに笑っただけだった。
 「怒鳴ると折角のかわいい顔が台無しになるぜ、大将。五虎退は俺っちが預かっておくから大将は鶴丸さんさがしにいってくれや」
 宮野は薬研の言葉にため息を吐いた。ちらりと宮野が国広を見ると国広は「僕今日夕餉の当番なんで」と言われてしまう。いまだ剣戟を響かせる岩融と蜻蛉切は勿論、宮野が入ってきたことで一旦は刀を納めた大倶利伽羅と同田貫正国は未だにらみ合い、宮野が出て行けば速攻先ほどの続きを始めるに違いない。味方はなしか、とばかりの二度目のため息を吐いて宮野は「じゃあ、行って来る」と口にして道場を出て行った。
 「行ってらっしゃーい」
 手を振る堀川国広の背後で、カチッと小さな音が響いて、続いて鋭い音が響く。すでに近距離で踏み込んでいる胴田貫も大倶利伽羅もこれは当分動かないだろう。薬研は無駄に大怪我をしないのなら、とでも諦めたのかぐずぐずと顔を鼻水と涙でぐちゃぐちゃにしている五虎退の顔を拭った。
 「しかし、堀川よ、今日の夕餉当番ではないだろう」
 「ばれました?」
 「今日は俺だな」
 なぁんだ目の前に居たのか、と国広はあまり悪びれることなく言って宗近に並んで縁側に座った。
 「暇であるならば宮野を手伝ってやればいいだろう」
 「だめですよ、宗近さん。鶴丸さんは大将に探しに行ってもらわにゃ」
 薬研は宗近の言葉に対してそんなことを言った。五虎退の顔を拭いたハンカチをポケットに押し込んで、からまだ乾ききっていない小さな虎を抱き上げて縁側の日の当たるところに連れて行く。
 「あの人、大将が探しに来るのを待ってるんだ。俺らがあの人を見つけりゃ次の日にはまた速攻でいなくなるが、大将が見つけてくれりゃしばらくは大人しくしてくれるんだ」
 「へぇそうなんですね。僕は主さんが見つけてくれたほうが機嫌がいいから毎回任せてるんだけど」
 「はっはっは、鶴丸は驚かすのが好きだからな」
 「宗近さんそれ理由になってませんよ」
 「いいんだ、いずれ宮野にもわかるだろう」





 「神社・・・の方・・・ってどこよ・・・!」
 宗近の言葉に最初何の違和感も覚えずに自分が住まう近くの神社を連想したのだが、考えてもみれば本丸の近くには非常に数多く神社がある。せめて南北東西方角だけでも聞いておけばよかったと思うも後の祭り。もう一度戻るのもわずらわしく、宮野は仕方なしに適当な方角へ歩き始めた。幸いにして時間は昼を過ぎ、小学生の下校時間に入っている。子供というものは存外霊感が強いもので、大人になれば見えなくなるものも、子供のうちは見えることが多い。
 真っ白な人を知らないか、とランドセルを背負った小学生に聞くこと三度、あっちですごく真っ白で刀を持った人が遊んでたと言われて宮野は脱力をする。その子にはお礼を言ってから、その公園に走ると案の定、鶴丸国永が自身の腰当たりにようやっと頭がたどり着く程度の子供達に混じって缶を蹴っている。小さな子供達ばかり彼の周りを囲んでわぁわぁとやっているが、もう少し背丈の大きな子供達はあまりにも目立つその白に目もくれなかった。もう、この年になると見えないのだ。自分の子供を迎えに来たのであろう親も、自分の子供が手を振り返す相手に、真っ白な着物を着た人間がいるなどと気付きもしない。
 今子供の中に入っても目立つだけだ、と宮野は鶴丸に話かけるのを諦めて、空いていたベンチに腰掛けた。神社に併設されるように作られた公園は、造形は勿論のこと、芝生は美しく囲いの中の池の水も澄んでおり美しい。広い公園の一角では子供が遊べるようにと遊具が設置され、そこを少し外れれば大人が散歩をするに似合う空間が広がっている。子供達の遊び場を少し離れて、鳥居をくぐるとその奥に神社の本殿に繋がる石段が続いていた。
 まだ小さな子供達の間に混じって缶蹴りに興じる姿はまさに子供そのものだった。本丸でも何事につけいたずらを考えては驚かせて楽しんでいるが、そのいたずらもどこか子供の考えたものに似ている。
 (千年近く歳をとっても子供なのだろうか)
 そうはいっても一番年若い和泉守兼定はいい大人で、少し周りが見えなくなるところもあるが子供には見えない。
 付喪神は基本的に年齢は関係ないというが、本当のところは誰も知らないのである。
 ふっと気付くと宮野には影が落ちていた。時計を見るとベンチに腰掛けたときよりも幾分針が進んでいて少しばかり寝ていたのだと宮野は驚いた。顔を上げると影の主は他でもない、鶴丸国永であった。白い髪が沈みつつある太陽に照らされてほんのりと赤く染まっている。
 「迎えか、主殿」
 「鶴丸さんがすぐにいなくなっちゃうんで」
 「あっははははそうむくれるなよ。それぐらいいいじゃないか。ちょっとした、ええとそうそうサプライズというやつだ」
 「違いますー迷惑っていうんですよー」
 宮野がむくれてそっぽを向くと、鶴丸は笑ってから宮野の隣に座る。そして何を思ったか、宮野の耳元に口を持っていくとそれはそれは大層そっくりな声音で「カァ」とからすの鳴きまねをしたのである。
 宮野は驚いてばっと立ち上がった。耳元に息を吹き込まれたからか、若干頬が赤い。
 「なっ、か・・・らすなわけないですよね」
 「驚いたか?いやぁすまんすまん。先ほど小僧に教わったんだ。あいつ鶏の鳴きまねもうまいんだが、どうも俺は鶏の方はうまくいかなくてな。俺のカラスはどうだ?」
 「似てるどころじゃないです、カラスかと思った」
 「よし今度はみんなの耳元でやってやろう」
 鶴丸国永はそれはもういい笑顔を浮べて、それから皆が驚く様子を思い浮かべたのだろう、満足げに目を細めた。
 「あんまり五虎をいじめないでくださいよ。鶴丸さんそれじゃもう帰り__」
 「いや?まだだな?宮野は俺を捕まえてないだろう」
 「はい?」
 宮野が素っ頓狂な声を出してぱっと鶴丸の方を見ると、宮野の隣に腰掛けていたはずの鶴丸はぱっと立ち上がって宮野から距離をとる。
 「宮野は俺を捕まえに来たわけだが、俺はまだ捕まってないぞ、そら捕まえてみろ」
 「ちょっ」
 「かくれおにというやつだ!教わった!」
 鶴丸は着物の裾をはためかせあっという間に公園の中を走っていく。その後ろを何人かの子供が追いかけて、宮野は唖然としたが、いい加減に帰らなければならない時間であると気付いて座っていたベンチからばっと立ち上がったのである。
 「ちょっと鶴丸さん!!」
 鶴丸国永はこう見えて太刀達の中では足が速い。不安定な砂利の地面をひょいひょいと飛び跳ねるように通り抜けていく。
 一度だけ宮野は遡った時代の先で戦に巻き込まれたことがあった。その時には傍に鶴丸もおり、彼は宮野を守るために騎乗していた馬から一瞬で飛び降り敵を薙いだのである。太刀は本来騎乗したままでの戦闘を想定して作られているために、太刀の多くはよく馬に乗る。鶴丸も例外ではないのだが、たとえ地に足をつけたところで、その機動力は馬に乗った状態にも劣らないのであった。
 敵の刀をかいくぐる白は美しい。返り血を浴びてなお「鶴のようだ」と笑ったことには心底驚かされた。
 宮野は一瞬遅れたものの、こうなってしまっては一度なんとかして捕まえないと鶴丸は帰ってくれないだろう。一度本丸に帰って誰かに手助けを求める間にまたどこかに消えられては面倒だしと、宮野は諦めて鶴丸を追って神社の石段を上り始めた。
 ここはそう大きな神社ではない。毎日のように訪れる人間は少ないが、それでもよく手入された本殿を造る木は磨き上げられ美しい。何度も磨かれたのであろう、手で触れれば柔らかな感触が伝わるほどであった。石段の中央部は何度も人が踏むせいでほんの少し削れるほどで、歴史は長い。
 宮野が石段を半分登ってぜぇぜぇと荒い息をついている間に、鶴丸と鶴丸を追っていた子供達はすでに最上段に上り詰めている。
 「どうした宮野、それでは俺を捕まえられんぞ、俺を驚かせてみろ」
 息が苦しくて返答ができず、しかし追わぬわけにもいかず、と宮野は酸欠で震える足を動かして石段を登る。最初に一気に駆け上がったせいで最後はほとんど歩きに近い速度だったが、一番上まで来れば、鶴丸が本殿の縁に腰掛けてこちらに手を振っているのが見えた。
 「鶴丸ッさん!そこっ・・・うごか・・・ないでくださいよ!」
 宮野が叫ぶと鶴丸は笑う。すでに日が翳り、木に覆われた神社は暗くなり始めている。鶴丸の白が一番はっきりと宮野の目に映っていた。
 仕方なしに走り始めた宮野と、この程度では息も切れない鶴丸。追いつけるはずもないが、半分追いかける振りをして少し休めば息も整う。宮野は神社の周りで鶴丸と追いかけっこをしながら、少しずつあえて距離を空け、それから立ち止まって逆の方向に本殿を回る。
 「そうりゃっ」
 「おおっと!」
 曲がり角で立ち止まって、鶴丸の足音が響いた瞬間に飛び出したものの、するりと避けられてしまった。それでも鶴丸の袖にほんの少し触れられた。触ったぞ、と主張すると鶴丸は存外あっけなく負けを認めたのである。
 「あっはっははは驚かされたぞ宮野。てっきりついてきてるかと思ったのに」
 俺が後ろから驚かしてやるつもりだったんだ、と案の定といったことを鶴丸が言って、宮野はふふんと鼻を鳴らす。
 「昔こうやってよく鬼ごっこで捕まえたんですから、タイミングよかったでしょ」
 「ああ驚かされた」
 「ああ・・・疲れた」
 宮野は神社の木で作られた階段に座り込んだ。鶴丸もまた隣に腰掛ける。
 石段の向うに夕日が沈もうとしている。
 「もう勘弁してくださいよ。大体鬼ごっこなんてして鶴丸さんに追いつけるわけないじゃないですか」
 「今日は悪くなかったぞ?また、やるか」
 「いーやーでーすー」
 宮野が心底嫌そうな表情をしてやれば、鶴丸は今日はもうやらんと言って笑った。
 「それってつまりまた今度はやるってことじゃあないですか!・・・・もうやめてくださいよ鶴丸さんなんでそんなに本丸を抜け出すのが好きなんですか・・・・」
 宮野はあきれたように、つかれきった口調で体を丸めて膝に頭を乗せる。はぁという露骨なため息を聞きながら鶴丸はうーんといいながら顎に手を当てた。
 「いやぁ、迎えには来て、欲しいと思うな」
 「はい?」
 宮野は顔を上げないまま、代わりに横を向いて鶴丸の横顔を見る。鶴丸は宮野の方は特に向くことなく、真正面を向いたまま言葉を続けた。いつもの通りに飄々とした口調ではあったものの、言葉はいつもよりもだいぶゆっくりとつむがれる。
 「墓を暴かれ、盗み出されて、死んでしまった主はもう決して迎えには来てくれぬ。刀の身ではあったが、それは少し寂しかった」
 死んでいるから主が変わって当然ではあるがな、と鶴丸は言った。
 付喪神は人に使われる物が形を成したもの、つまり使われなければ意味もないのだ。特に刀はもっとも自分を適切に使うものに敬服する。どうか手放さないでくれとも、願う。その想いが極端に強まるとヘタをすれば主を自分の手で呪い殺すような形にもなるが、大抵は主の守り刀として主の生涯に付き従い、最後には鶴丸国永のように共に墓の中で眠ることもあるのだ。
 鶴丸国永が主と共に墓に入るときに、それ以上の主はいらぬと思うほどに亡くなった主のことを思っていたのかもしれなかった。故に墓を暴かれたことに憤りも感じ、そしてしょうがないこととはいえ主に迎えられぬことを悲しくも思う。
 宮野はそう、と小さく呟くほかに出来ることもなく呟いたきり黙りこむ。
 「ひとところにいればまた誰かに盗まれるかもな」
 「・・・・今の鶴丸さんを盗める人が居ると思います?」
 「人生何があるかわからんぞ!何せ驚きの連続だ」
 「鶴丸さん、ほとんど神様みたいなもんじゃないですか、付喪神だし」
 「そこは気にするな」
 細かい、と背を叩かれた宮野は思いのほか強かったその手にげほげほとむせる。そうでなくても先ほどまで走り回ったのだ、まだ心臓が完全に落ち着いたとは言いがたかった。あーと声を出して、から宮野は立つ。
 「仕方ないですね迎えに来てあげます。だからあんまりたくさん逃げ出さないでください」
 「そうか?でもそれだと暇だ」
 「だーめーでーす帰りますよ。光忠くんに怒られ・・・・・どうしたの?」
 宮野はスカートをひっぱられた感覚を覚えてふっと下を見た。そこには先ほどまで鶴丸の隠れ鬼に参戦していた子供がいた。
 「君達ももう遅いから帰ろう?おうちは、」
 宮野がそこまで言って子供の頭に手を乗せたとき、ぞわりと寒気がする。
 これは人ではない、と宮野の感覚が告げて、それからああそうかと思った。ここいらはかつての戦争の際、大空襲によって一面を焼かれた場所だ。子供達は比較的身なり整った格好をしているが、それは生前最も自分が好きだった頃の格好を反映しているからであろう。今にも似ているが少しばかり古さを感じさせるブラウスを着た女の子が、宮野のスカートをもう一度引っ張る。
 「おねえちゃんかえっちゃうの?」
 「ごめんね、私は帰らないといけないから」
 「いやだぁ」
 「あそぼう」
 子供の霊というものは無邪気なものだが放置しておけば未練が仲間を呼び寄せる。
 宮野はなぜ気付かなかったのだろうと後悔した。審神者になる、「眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技」を持つ、ということは同時に物や霊に好かれやすく受け入れられやすい本質を持つということでもある。こういった不安定な霊には関わってはいけないというのは宮野もよく知っていたが、宮野はよくモノを視るために鶴丸を追い、周りの子供達に混じって公園で遊んでいた霊に気付けなかった。本当にただの子供であると思っていたのだ。
 「あそぼう」
 もう一度子供がそう言ったときにゾワリとしたものを感じて一歩離れようとするが、子供は宮野の手を掴んで話さない。子供とは思えぬ力に痛みを感じるほどになったとき、ひゅっと耳元で風が切った。
 「そこまでだ童。折角迎えに来てくれた主を連れて行かれちゃぁ困る。俺を迎えにくる主がいなくなるじゃあないか」
 本質は刀である付喪神、鶴丸国永を元とした刀剣達の刀は人も斬れるが化生の者も斬る。宮野の手を掴んだ子供は普通ならば決して感じないであろう冷たさを手に感じたのか宮野の手をぱっと離した。
 「もうしばしここで遊んでいろ。あともう数百年もすればやがて迎えが来るだろうさ。引き込めば引き込むほど、お前は地獄に落ちるぞ」
 宮野が掴まれた手を見るとそこはくっきりと子供の手形が残っていた。
 鶴丸が一歩前に出て、宮野と子供の間に立つ。太刀は抜いたまま、遠慮もなく子供につきつけ、鶴丸の言葉は容赦がない。だがそのぐらいでなければこの類のモノには聞こえない。
 子供はしばし鶴丸の後ろの宮野を見ていたが、やがてふっと石畳を走って消えてしまった。気付けば太陽が完全に沈んでいる。
 「やはり惹きつけるものだな」
 「それが・・・・私の・・・というか審神者の本質でもあるから・・・・」
 過去にこういったことがなかったわけではない。相当に危険なときもあった。
 「俺が居ない間に宮野が連れて行かれてしまっては困るなあ。俺の代わりにいなくなられても面白くない。仕方ない、もう少し本丸に留まるとするか」
 「ありがとうございます、そうしてください。迎えが欲しいときは先にどこに行くか教えてくださいね」
 「それは嫌だな、驚きがなくなる」
 鶴丸はあはははは、と笑って、すっかり暗くなってしまった境内を横切った。
 空には星がいくつか瞬いていて、向うの空には月が昇っている。
 「何してるんだ宮野?俺と一緒に帰らねば光忠が怒るんだろ?」
 「・・・・まぁこの時間だと普通に怒られますよ」
 「それも一興だな」
 

2015.02.06 公開