ほんのりと熱くなった体と、ぼやっとする頭のせいであの時何を考えてそんなことを口走ったのかは覚えていない。ただ私がほんの少しの酒で酔っているのに彼らはまるで酔った様子がなかったために腹立たしかったのだけは覚えていた。
 「なんれそんなによわないよ」
 「随分と酔いましたね」
 「なんだ大将酒に弱かったのか」
 すっと立ち上がった薬研が台所の水がめから水を持ってきてくれたのでそれを受け取るだけ受け取ったものの、すぐに鶴丸にとりあげられる。
 「俺の上でこぼすな」
 その日、酒を飲んでみようということになったのは、本当に偶然だった。その日は偶然下の村へ出たときにここ数日で野山をはじめ畑や人里を荒らす熊が出たということで騒ぎになり、仕方なしに兼定が一刀の下に切り伏せたのである。基本的に人とは関わるなというのが時の政府からのお達しであったため、本来ならこういった関わりも良いわけではないのだが目の前で人が死ぬのが気持ちのよいことであるはずがない。過去における刀剣たちの監督役は私であり、私が報告をしない限りは過去での出来事は政府もはかりしれないところであるため、私は許しを請う兼定に良しと告げた。酒はその礼だったのだ。そう量はないが、良いものだと教えてもらった。
 鶴丸に水を奪われたが、私とて別に水がどうしても飲みたいわけではない。だが奪われたという事実が何故か無性に悲しく感じられて、私は大きくため息を吐き鶴丸の膝の上でぶつくさと文句を言い始めた。とはいえろれつも回らぬ行動ははっきりせぬ手も震える人間に水を持たせればこぼすのは道理、畳にこぼせは畳が腐るし、鶴丸は薬研に水を返して後にしようと言う。私はやっぱりそれが不満に思えてぶつくさと言っていた。
 私は大した量を飲んだわけではない。そもそも皆に分けてしまえば精々酒の味を楽しむぐらいの量しか残らず、良い味だと皆で楽しんだあとは特にすることもない。ただ折角集まったのだし、と怪談話が始まったのは夏の夜であったからかもしれない。一番の怪談話など、刀が肉体を持って刀を持っていることだと誰かが言えば違いないと笑い声が上がる。あやかしも切れる彼らに今更怖いものなどないだろうに、それでもかつて刀であったころに聞き及んだ話を一つ一つ語っていくのは、ただ単純に話すのが面白いからなのかもしれなかった。
 まだ生暖かい空気が、開いた戸から流れこんできて、腕をまくっても熱い。虫の声がじりじりと鳴き、行灯の灯りと月明かりだけで怪談を語る。雰囲気は十分であったが、話される何もかも私とて怖いと感じるものではなかった。
 そもそも審神者というのはありとあらゆるモノに魅入られやすい。いや極端にいえば人ではないモノに魅入られやすい性質を持っている。それこそが審神者の本質であり、こうして付喪神の形を成すこともできるが同時に変なモノまでよく引き寄せてしまうのだ。幽霊やポルターガイストのような怪異は勿論のこと、一度社の前を通ったときにうっかりとそこの神様に魅入られてしまって夢にまで出てこられた日には本当に死ぬかと思った。あの時はあわやというところで、五虎退が気づいてその縁を切ってくれたのだが、そうでもしなければ私は布団の中で安らかに死んでいたのだと思う。
 「宮野も難儀なもん背負っちゅう」
 陸奥守吉行は五虎退の話を聞きながら若干顔を青くしてそんなことを言う。五虎退も少し目を逸らしながら本当に、と呟いていたのであの時私が魅入られたのは相当のものであったらしい。とはいえ酒に酔っているとその辺の記憶も曖昧で私はえへへと笑うほかなかった。
 その後も誰かが話し終われば誰かが持ってくる怪談話は尽きることがなく、長い間そんなことで時間を潰していた気がする。私もようやっと酔いがさめてきて今度は頭痛がしてくるものだから、痛い痛いとうずくまったままうめいていると鶴丸がようやく水をくれたのだった。
 「さぁてもう仕舞いにして寝るか」
 「今日の不寝番は僕なので後はやっておきますよ」
 「悪いな歌仙」
 薬研と一期一振が短刀たちをまとめて寝床へ連れて行く。すでに寝ている胴田貫は別に風邪も引くまいと、戸だけ閉めてやって掛け布団をやり、同じように半分寝かかっていた和泉守兼定は堀川国広がつつき起こしながら連れて行った。
 「宮野、そこじゃあ体を痛めるぜ」
 「頭が・・・・・痛い・・・・そして・・・ねむ・・・・」
 「主は本当に酒に弱いな」
 あきれたような歌仙の言葉が遠い。仕方ないというぼやきと共に鶴丸に抱え上げられたまでは覚えているのだが、寝所に着くまでの記憶はさっぱりない。はて、と思っているといつの間にか私の部屋にいて眠気もだいぶ来ていた私は鶴丸の裾をしっかりと掴んだまま布団にふらふらと歩く。
 「その誘いはちょっと豪快だなあ、宮野
 「鶴丸さんは・・・・なんで・・・・よわないの・・・・」
 「ああなんも聞いちゃいねぇか」
 あのときの私は頭がぼんやりと思考が全くまとまらなかったのだ。
 鶴丸は仕方なしに部屋まで入って私を寝かせようとしたわけだが、教えてくれるまで寝ないという私に最後にはため息を吐いた。
 「俺達はそもそも酒には酔わんもんだ」
 「・・・・」
 布団の上に座ったままふらふらとする私の体を、結局鶴丸は自分の方に寄せてそんなことを言う。
 「俺たちは人に見えるが人ではないからな。酒の味はわかっても酒では酔わない、そうだな強いて言うならば俺たちは血で酔う」
 私はその頃からようやっと頭がはっきりとしてきた。気付けば鶴丸に抱えこまれるような形になっていて、半分話を聞くどころではなかったのだが、鶴丸は私がまだ酔っているものと思ったのかあやすように頭を撫でた。
 「女子供の血を使って鍛え上げられた妖刀の話は知ってるか?アレは血に酔いすぎて戻れなくなった刀の末路だ。俺らも戦場で人を斬るたびに、人が酒に酔うように、酔う。刀によっちゃあひどくそれを拒むそうだが、それがなまくらってもんだ」
 「・・・・なまくら」
 「斬れる刀はまずその感覚を嫌っちゃいないぜ。俺も含めてな」
 あの感覚は主が葛藤をすることを除けば決して忌まわしいもんじゃない、と鶴丸は言う。
 「だから俺たちは人を斬るのに使われることを拒まないな。唯一あるとすれば、主がそれを嫌がれば俺たちにもそれが伝わるからある種の罪悪感として残る。結果積極的に人斬り辻斬りなんぞに参加はしないが、それでも戦場に出たがるわけだ」
 「血が、怖くはないんだ」
 「ないな」
 むしろ好ましいとさえ鶴丸は言った。そのときは私はぞっとして体が震えた。私は鶴丸の膝の上で、この白の衣装が返り血で赤く染まることを思ったのだ。彼は以前に白に赤で鶴のようだと言っていたが、それは単に血を疎ましく思いながらそれでも避けられないものをあえて明るく振舞うことで退けようとしていたのかと私は思っていた。だが彼らの性質はそうではなく、血は決して疎ましいものではなくむしろ上質な酒のように酔うというのならば、彼はあの血にいっそ高揚すら覚えていたのかもしれない。
 「宮野は俺が怖いか」
 「怖くは、」
 「ははは、震えていて何を言う」
 そのときには完全に私は酔いが冷めていた。
 「だがそうだな__俺たちが一番酔うのは__」
 投げ出されたままの私の手を、空いた鶴丸の手が取る。そしてそれをゆっくりと口元へ持っていきそっと口付けを落とす。
 「__この血だろうな」
 ひゅっと心臓をつかまれたような、背筋に寒いものが走り、私はぞっとして動けなくなる。抱きすくめられたまま見上げた鶴丸の横顔とその瞳がひどく冷たくて、その時本当に殺されるかと、私は思った。私の腰の辺りに鶴丸の太刀が触れる。まるで太刀の冷たさが直に体を冷やしているようだった。
 「驚いたか?」
 次の瞬間つかまれていた手首を離されて、口調も瞳もいつものものに戻って、私はごくりと唾を飲み込んだ。
 「ははは驚かせすぎたか?さすがに最後のは冗談だ。血に酔うのは間違いないが、かといってまさか主の血を見たいわけではないさ。でなけりゃ薬研藤四郎がその名を冠することもなかっただろうに」
 もう寝ろ、明日は頭が痛けりゃ水を飲むんだな、と鶴丸は言うと私を抱き上げて改めて布団の中に下ろした。そして特に声をかけることもなく部屋を出て行った鶴丸の足音が聞こえなくなってから、私は大きく息を吸い込んで吐き出した。
 (ああそうだ)
 私はこうした、時折に、彼らが人とは全くかけ離れたものであることを思い出す。私は人である故に、ほんの少しでも気を抜けば彼らの側に彼らの手によって引きずり込まれることをよくよく覚えておかなければならない。何も距離を置かなければいけないわけではないが、それでもあまり近くなりすぎればもう二度と戻ってくることはできないだろう。
 もう寝れる気がしなかったがそれでも私は先ほどの鶴丸の言葉と瞳を追い出すかのように、布団の中でぎゅっと目を瞑って丸まった。さっさと朝になってしまえとこれほど切に思った夜は、他になかったかもしれない。

2015.02.11 公開