夏の夜の戯れ

「夏は___夏は__ええっと夏は、夜」
 「つきのころはさらなり、やみもなお、ほたるの多く飛びちがいたる」

 夏の夜の本丸、薄い月明かりの下で、蛍が一匹二匹飛び交っている。蛍が水際に寄るたびに鯉が跳ねて、ぽちゃんと水音がする。平安時代のそれほどではないが、庭はそれなりに丁寧な造形になっている。
 所詮、宮野や付喪神である刀剣達が留まる本丸は戦の最中の一時の陣ではあるものの、物事には流れというものがあるのだ。勝機を掴むには気を張り詰めすぎてはならぬ、かといって緩めすぎてもいけない。常に心のありようはその時に応じて変化できるように、そのためには自然に身を任せて心もまた循環させなければならない。気を張る場があるならば、心落ち着く場も必要なのだ。付喪神たちは元は刀、だが今は審神者である宮野の力を持って人としての形を成している。形が人であれば心もまた人であり、何事かものを考え、感じ、そして何かを思って生きているのである。本丸はそんな彼らの安らげる場でなければならなかった。
 昼間の気温も下がりすごしやすい気温になった。だが部屋の中にこもってしまうとやはりまだ熱気があり、後一歩のところで目が覚めてしまった宮野は仕方なしに寝間着姿で縁側に出る。室内で火照った体も夜風に当たるとようやっと熱気から開放されたものの、今度はすっかりと目が覚めてしまう。
 本丸に時計はなかった。基本的に本丸は、それそのものが時代の改変に繋がらないようにとその時代に合わせてつくられている。時を知るのは日の昇り沈みのみで、それ以外に時間を縛られるようなこともない。宮野はふっと今何時であろうと考えたが、今は夜なのだ、と思い直した。
 そういえば、と宮野はふと枕草子の一説を口にした。過去何度も暗唱して覚えた中に今のような夜をうたったものがあった気がすると思ってのことだったが、あいにくと他の季節と交じり合ってはっきりとしない。そこにふっと続く言葉を告げられて、宮野は思わず飛び上がったのである。

 「おっどろいた・・・・鶴丸さんですか」
 「今回に限っていえば俺の方が驚かされたな。その格好で出歩くのはどうなんだ」

 鶴丸は宮野の寝間着を示して少し眉を寄せた。
 付喪神たちは過去より宮野の生きている時代まで主に連れ添っているためにおおよその時代の移り変わりを知っている。だが現代に近くなるにつれ、刀は主と共に常にある物ではなく、どこかにしまわれてしまう物となった。結果的に彼らの多くはかなり近代までの日本の生活の事情を知りながら、刀剣が身近でなくなってしまった最も新しい事情を知らないことが多い。博物館などに常設展示されていたならばいざ知らず、鶴丸国永は明治三十四年、仙台行幸の折に明治天皇へと当時の持ち主であった伊達家より献上されている。その後、そう高頻度で所謂俗世に触れたことがないために彼の知っている生活も宮野からすれば少しばかり古かった。

 「いやぁ・・・・私からしたら浴衣と大して代わりが・・・・・」
 「女の身でそれは感心しないな、体も冷える」

 この時代の寝間着といえばおおよそ下着姿に値する。宮野は夏祭りに浴衣を着る感覚と大差ないのだが、わざわざ羽織を渡されてしまえば袖を通さないわけにもいかなかった。先ほどまで鶴丸が使っていたものであれば当然、まだ体温が残っており袖を通すと夜風で冷えた体を温めてくれる。
 当の鶴丸はと言えば白い小袖にいつもの袴、裾は絞っていないためにゆったりと彼の足元を覆っていた。彼の生まれた時代であれば小袖は下着に値するがもう少し時代が下ると小袖も表着になる。そのために実はこうして小袖姿でうろついていると苦笑するのは平安生まれの刀たちであったりした。三日月宗近、石切丸、鶴丸国永や岩融それから今剣も、小袖姿で宮野がうろついていると何かにつけて羽織るものを持ってきてはあまり感心しないと言うのであった。いくらその後の時代を知っているとはいえ、やはり彼らが生まれた当時の風習というものは根強く彼らの中に残っているらしい。
 宮野は羽織のあわせを手繰り寄せて、少し背を丸めながら庭を見た。長く居れば確かに体も多少は冷える。もう火照った体も十分に冷えたので、寝ても構わなかったが折角飛ぶ蛍を見逃すのは惜しい。「今」にいるともうほとんど見かけない蛍が、池の周りをちらちらと飛び回り、虫がちりちりと鳴くのは確かに風情があるものだった。

 「その続きは?」
 「ん?ああ、枕草子?」

 宮野が座っている縁側に鶴丸もまた腰を下ろすと彼はそんなことを尋ねた。
 一度言葉が出てくると不思議なことに、先ほどまで混ざりに混ざった各季節の言葉がきちんとそれぞれの季節に当てはまる。宮野は思い出した枕草子第一段を静かに朗読した。


  春はあけぼの。
 やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


  夏は夜。
 月の頃はさらなり。
 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
 雨など降るもをかし。

  秋は夕暮れ。
 夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、
 二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
 まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。      
 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

  冬はつとめて。
 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、
 霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
 火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白い灰がちになりてわろし。


 「いなくなってしまった」

 蛍はすい、と何かに惹かれたように本丸の庭を出て行ってしまった。身を乗り出して追ってみても、生垣を超えた蛍はもう宮野の目には見えない。あるのは、本丸の裏の竹林の暗闇ばかりで、さすがにそこを追う気にはならなかった。

 「近くに水場があるからな、大方そっちへ移動したか」
 「そうなの?」

 宮野はあまり本丸から遠くへ行かないためにこの周辺の地理に明るくない。たまに誰かに付き添って里へ出ることもあるが、ここいらの風習をしらない宮野は一人では何もできない。金勘定も危ういので精々物見遊山といったところである。宮野が本丸に居る間の移動範囲は本丸とそれから本丸から出たほんの少し、街灯もなく人もほとんどいない場所は宮野にとっては少し恐ろしいところでもあった。

 「行ってみるか?あそこは水が綺麗だからきっとたくさんいるさ」
 「ほんと?」

 一人では心細いし、夜はなおさらだ。宮野は鶴丸の問いかけに顔を輝かせた。

 「ははは、驚いたな。そんなに外に行ってみたいのならば誰かに言えばいいだろう」
 「うーん・・・・私の勝手でそんなことを言うのもあれかと・・・」
 「やれやれ、俺たちが形を成すのは主あってのものだ。その主が行きたいというのならば皆こぞって供もするさ」

 なんだか悪い気がするんだよなぁ、とそれでも宮野は渋り鶴丸は笑った。
 夜も更けぬうちに行こう、と先に立ち上がった鶴丸は宮野の腕を掴んで立ち上がらせる。誰に会うわけでもないからとそのままの格好で履物を用意し、庭へ出た。

 「なんだどこか行くのかい」
 「おや見つかってしまったな。蛍だ、宮野が見たいらしい」
 「ああそういえば竹林を超えた先に小川があったね」

 ようやっと今寝床に向かうところであったのか、歌仙は少しばかり眠そうにしながら言った。長引いた戦よりようやっと帰ってきたばかり、怪我はないものの疲労はさすがにあるのだろう。

 「ちょうどいい、歌仙も行こう」
 「ええっ!?」

 宮野は思わず声を上げたが、歌仙はむしろそちらの方が気に障ったようだった。僕がいると何か不都合でも?と問われてしまえば宮野に返す言葉はない。決して歌仙が邪魔であるというわけではなく、純粋に疲れた彼を気遣ってのことであったので、不本意だとばかりに宮野は頬を膨らませる。歌仙はわかっているとばかりに笑ってから、少しだけ準備をしてくるといって部屋に戻った。
 歌仙が再び表に出てくるまでわずか数分、一応外に出ることを不寝番に伝えてきたといいそれから歌仙は鶴丸に羽織を渡す。

 「僕のだからもしかしたら大きさに不具合があるかもしれないが」
 「おっとこりゃすまんな」

 歌仙は一応外に出るのだからときちんと準備をしてくるあたりが彼らしい。鶴丸はその当たりあまり気にしないのか、付喪神の本体である太刀を持ったそのままの姿で出ようとしていた。歌仙から借りた羽織は幾分鶴丸には大きいようであったが、彼はあまり気にしてもいないようだった。
 羽織を着る間太刀を預かった宮野は、見た目よりもずっと重いそれをしげしげと眺める。鞘についた細かな傷、鍔は造られた当初の光沢が失われるほどに、長い年月を経ている。こんなものをいつも腰にぶら下げていて重くはないのか、というのが素直な宮野の感想であった。

 「本体だから重さは感じたことはないなぁ」

 宮野から太刀を受け取った鶴丸は自分でもそれをしげしげと眺めながらそんなことを言った。
 全体的に薄い色合いの太刀、灰色の鞘と金の装飾、鍔はこれといって模様もなく簡易な拵えであった。金属部分は何度も磨かれたために、細かな傷がついて鈍い光沢を放っている。

 「歌仙さんも?」
 「そうだね、僕も重みはあまり。慣れてしまっているから」

 そんなものか、と宮野は思う。
 二人に挟まれながら、歌仙の持つ明かり一つで竹林の中に踏み入ればそこは本当に暗闇であった。
 本丸の裏に広がる孟宗竹の林はほとんど手付かずのままに残っているかなり古い群であった。ここらの竹が最後に花を咲かせたのはいつか知らないが、それでもまだ当分は残っているだろうと歌仙は言う。家屋を侵害しない限りは無理に切り倒すこともしない。葉が落ちればそれを集めて燃やし、時折竹を切り倒して生活の糧とする。夏は日を覆って涼しく、冬は風をさえぎるので竹林の中に用意された本丸は古い日本の生活に慣れない宮野でも、かなり楽ではあった。周囲に民家はなく、何か必要であればふもとまで降りないといけないのが面倒ではあるが、それ以上の面倒ごとに民間人を巻き込まずにすむならそれに越したことはないのだ。
 月は出ているはずだが、竹の葉が覆い隠してしまって足元にまで明かりはほとんど届かない。一寸先も闇のような状況は宮野には少しばかり珍しく目の前にすいと手を出してみた。

 「どうした?何かあったのかい」
 「ううん、見えなくなるかなと思って」
 「明かりを消してみようか」
 「それは勘弁してください」

 歌仙の申し出を丁重に断って、宮野は歌仙に近づく。明かりが少しでも離れると闇の中に取り残されそうで少し怖くあった。
 さぁあああああ、と風が吹くたびに笹の葉がなる。かさかさかさ、と踏みしめるたびに足元で枝が折れ枯れた葉が音を立てる。振り返ってみても竹林の外、小道のところの月明かりが竹の間からかすかに見えるばかりで、本丸の姿はもうほとんど視認できず、宮野はもう帰り道もわからない。少しばかり怖くなって、歌仙の裾をつかめば彼は少し笑った。

 「主が明かりを持てばいい。そうすれば怖くないだろう」

 歌仙は提灯をついと宮野に渡す。提灯の中で不安定に明かりが揺れていたが、その明かりを見ていると暗がりばかりを見つめているよか幾分安心することができた。

 「歌仙は夜目が効くか」
 「それなりにってところですかね。夜戦でもなんとか」
 「そうか俺はだめだな、本当に一寸先も闇といったところだ」

 元より夜戦が得意ではない鶴丸は目を細めて、先ほどの宮野と同じように手を前に突き出した。鶴丸の衣装は白くよく光を反射するから、今は見えるものの、一度明かりが落ちてしまえば彼も闇の中に溶け込んでしまうだろう。明かりを落とすなよ、と脅かし混じりに言われればいくぶん緊張して宮野の手も震えた。

 「あっははは冗談だ、明かりなんて消えたらまたつければいいだけの話さ」
 「さてもう抜けますよ、もう明かりが見えている」

 ふっと宮野の前を横切ったのは淡い緑の光、あっと声を上げて指差してもそこはすでに闇だが、さらに奥の竹林を抜けた先にはもっと多くの蛍が飛び交っていた。
 竹林は緩やかな傾斜の頂上で終っている。短い草が一面に生えた傾斜は落ちた竹の葉に覆われて、川岸までそれが続いている。小さな小川はところどころに瀬があり流れがありくぼみがあり、緩やかな流れに張り出した丈の長い草には蛍が張り付いて光を放っていた。
 竹林を抜けてしまえばそこそこに月明かりで物が見える。

 「主」

 歌仙が宮野の手から提灯を受け取ると、宮野はすぐに竹の間を出て、小川のすぐそばにまで走っていった。
 宮野が近づくとそれだけでぱっと蛍が散り、宮野はそれにさっと手を伸ばす。

 「あー」
 「損ねたな」

 同じように鶴丸がぱっと手を動かせば、彼の中には二匹の蛍が捉えられていた。指の隙間から覗くと暗闇の中で二匹が弱く強くとお尻の部分を光らせている。

 「すごい」
 「動きの一歩先で捕まえるんだ、追っても無理さ」
 「鶴丸さんはいつも相手の一歩先で驚かしますからね、得意なんですよ」

 そういいながら歌仙も同じように蛍を捕まえようと軽く手を合わせるが中身は空、純粋に鶴丸が上手であるようだった。
 歌仙は明かりを傾斜の一部、土の露出しているところにおいてきていた。土で支えを作って倒れないようにし、かつ、周りの落ち葉を払って燃え移らないようにしておけば風も強くないから問題はない。明かりが遠くに離れると自然、宮野たちの目に映るものは蛍と月明かりだけになる。闇につつまれた黒い山並みと、ほんの少し先だけしか見えない世界が恐ろしくもありまた静かで心地よくもあった。
 宮野は普段あまり本丸を出ない分こういう風景も珍しい。宮野の知る「今」では決して見られぬものであり、誰に会わなくてもいい、ただこうして道を歩いて小川に沿って何かを探すのですらも面白いと感じるのだ。
 欲を言うならば、宮野もこうして外を出歩いてみたい。何も戦場に行きたいというのではない、ただ本丸から離れた見たことのない風景を見てみたいとは思うのだ。ただそれにはこの世界は少しばかり宮野にとっては危険でどうしても一人では歩かせられないのが現実なのである。それだけ宮野のような力を持つものは、歴史の改変者だけでなくさまざまなものに狙われやすい。
 宮野は審神者、つまりまだ長い年月をかけて付喪神となるはずの物に力を与えて、かりそめの形ではあるが付喪神の形を成すのである。者にも物にもそれぞれ想いというものがあり、それらは年月を経ることで神に形を変えていく。宮野の傍に居る多くの刀剣達は、まだ年月が十分でなく、当分の間は刀として存在するはずの物たちが大半であった。彼らは長い年月の間に少しずつ人の想いを受けそれを力として得て最後に付喪神に変化するのだ。それに対し宮野は触れ名を呼ぶことで付喪神としての形を成すことが出来る。それが宮野の力であり審神者の持つ技というものなのだ。宮野がそれを自分の意思として行使している分には問題ないが、この世界には宮野を人でないモノの世界へと引きずりこもうとするものもいる。
 宮野の知る「今」においてあやかしや魑魅魍魎、神と言ったものは基本的には目に見えないものでありかつほとんどの場合力を持たないものである。それはなぜなら、そこに住む人が信じないからである。先に付喪神は人の想いを受けて力となすと記したが、つまり人がそのものに何も感じなければ力はなくなる。どうように多くのあやかしや魑魅魍魎といった類のものは人のさまざまな想いから外され、結果として消滅する。日本家屋の守り神の座敷童子は姿を消して、天狗はただの面でしかなくなった。信じる者が救われるのであれば、信じないものは消え行くのみ、故に宮野の「今」においてある一定の地域がそうしたあやかしなどのたまり場となるのであった。
 その一方で、宮野からすれば過去にあたる今の時代は、情報の普及は人の足により運ばれ、隔絶された空間で口にされるのは科学的な知識ではなく人々の頭の中から生まれたさまざまな神や化けものたちである。彼らは物に命が宿ると信じる、故に物には確かに命が宿る。暗い夜道で人の足元にまとわり着く奇怪がおり、底知れぬ深い沼には得体の知れない主が存在しているのだ。
 宮野が「今」にいるのならば、そういった怪奇の集まる場所に近づきさえしなければどうにでもなる。しかし過去に居る以上はひとたび表に出れば、どこで何が待ち受けているのかがわからない。それこそこの竹林の中にも。遠くにちらりと見える鬼火は鶴丸にも歌仙にも気付かぬところでふっと消える。ここはそういう世界であり、宮野はいつ何時人でないものの世界に引きずり込まれて食われるかわからない。宮野もそれをわかっているからこそ、表に出たいと勝手に外へ行くわけにはいかないのである。
 歌仙が笹を折って小さな笹舟を作ると、そこに鶴丸が蛍をひっくり返して乗せた。蛍が逃げぬ間に船を水の上に浮べると、小さな灯篭流しのようであった。
 
 「宮野ほれ」
 「なに?」
 「あー遅かったな、飛んでいった」
 「あー」

 蛍が笹舟に乗っていたのはほんの少しの間だけであった。ぱっと、翅を広げて光を放ちながら水面際の植物に掴まる。植物がほんの少し揺れて何匹かが代わりにとびだっていった。
 宮野が飽きもせずに蛍を眺めて小川で遊ぶのを、鶴丸も歌仙もやはり飽きることも急かすこともなく眺めていた。宮の自身もそうであるが、鶴丸や歌仙にとっても遠くから自分ではない自分のような、さまざまな意識が交じり合った状態でこうして蛍を眺め小川で遊んだことはある。ただこうして自分だけの感覚を有して蛍と戯れ夜の暗闇に目を凝らしそして小川の音を聞くのは初めてで、それは彼らにとっても興味深い事柄なのかもしれなかった。


2015.02.18