あづさゆみ

山すそにぽつねんと建てられた神社は、建てられてからすでに百余年たっていた。人の移り変わりと共に、だんだんと人の来なくなったそこにはかつて祀られていた神すらもいなくなり、ただ古くなり朽ち行く形が残るばかりであったのである。それを拾い上げたのが、この神社が建てられてより未来にあたる二千と百余年に樹立した幕府であった。
 江戸時代を持って終焉を迎えたかつての幕府は武家政権を意味する。だが新規に設立された幕府が意味するところは政権の交代や変貌ではない。幕府はそのような名称を与えられているだけで、大きなくくりを見れば政府というものの中に存在する一つの組織であった。和暦__年。初島が政府より命を受け、審神者となった前年に樹立した幕府は政治に直接関わるのではなく、歴史の中に踏み込む武人の組織である。
 事の始まりは、神道における神々の変化があるのだが、政府がこれらの問題を正確に認識したのは、奇妙な時間の空隙を歴史文書の各所で認識するところから始まる。観測されたのは歴史の変貌と歴史修正主義者の登場。日本国を取りまとめる政府にとっては少々突飛かつ理解に困る話であったが、同時にこれらの存在は捨て置けない事態を招こうとしていた。
 日本の八百万の神々を見渡すと、歴史修正主義者は古くより存在した人の意識の塊であった。時には怨念とも呪詛とも呼ばれたある種の人の負の思考もしくは荒魂と呼ばれるものが、昨今になり強く顕在するようになり歴史修正主義者とまで名を持つようになったのである。その原因の根幹には、文明の発展による自然や霊魂への意識の薄れ、また地域という概念が消失し、より大きな集合体の中で人々がつながるようになり地元で大切に守られてきた様々な祭り事の衰退があるとされる。それまで様々な意識のつながりによりなだめられてきた荒魂が噴出し、それらが求めるままに力を振るい始めたのが歴史修正主義者の存在であった。
 日本国政府はこの事態を受け、かつての武人政権になぞらえた幕府を設立し、対歴史修正主義者の集団とした。彼らはいまだ神霊に深くなじみを持つ者たちで構成され、その多くはもはやほとんどの日本国国民が見ることがなくなった「魄を持たぬ存在」を目にすることができる者たちである。
 我々は魂魄と骨から成る。骨、とは体の軸であった。魄、とは身を作る肉であり、そして魂がこの骨と魄を繋ぐ。魄を持たぬというものは存在の基盤と成る軸と魂を持ちながらも、輪廻転生の世界に直接触れていないため我々が目にする実体として現れない存在である。いわば神や魑魅魍魎、化生の者、死者の魂といったものがこれに当たる。骨は軸、つまるところ寄り代であったり、思想であったりと様々で、我々が体のうちに持つ白い硬い物質とは意味合いが異なるものであった。
 開いた襖から山を眺め、山すそに沈み行く日を見ながら、一口の刀剣の付喪神である鶴丸国永は人の身で感じる感覚に耳を済ませていた。音を理解し、色を見ることは、彼が肉を持つ前から行ってきたことだが、風の音や水のせせらぎ、そして糸を紡ぐ音が肉を持つとこれほど心地よいものであるとはこの本丸に顕現するまで知る由もないことであった。夏場の水の冷たさ、冬の炭火の暖かさ、これらをもっと感じてみたいと思う欲を持ち逃れられなくなるほどに、身体の持つ感覚は美しいものであった。かつては肉を持たない付喪神であった彼らは「自分のものである」という認識を持てども、「欲しい」と感じることはなかったのである。
 膝の上で眠る体温に手を沿わせ、さて、そろそろ起こさねばと思うと、自然の感覚の中に溶けきっていた思考が輪郭を取り戻していく。
 「主よ」
 小さくかけた声に、膝の上で眠っていたが身じろいでそれからしばらくし、ゆっくりと頭を持ち上げて小さくあくびをする。いまだぼうっと意識が定まらないのか、すぐにまた船でもこぎそうなの頬をぺちぺちと叩いてやれば、ぱちぱちと瞬き、それから橙に染まった部屋の中を見、ようやっとしゃんと背筋を正した。
 「寝すぎた」
 「いや何、まだ出陣まで一刻はあるぞ」
 鶴丸の言葉にはしばしきょとんとしていたが、それからはぁとため息を吐いてのろのろと自室の箪笥まで這うといくつか引き出しを開けて中身の様々なものを引きずりだしていく。
 色とりどりの華飾りは、近くにある祭事で依頼されたものであった。それから、作りかけのお守りがいくつか、まだ中身を詰めていないのか、布の袋だけが幾重にも折り重なって畳の上に落ちた。
 「こっちじゃなかった」
 は小さく呟くともう一つ隣の引き出しを開いて、形のできたお守りを取り出したのであった。
 初島、という人間は審神者であるが、取立て霊力が強いわけではなかった。魄を持たない者たちを見ることができたものの、それらに干渉するほど強い力はない。式神を扱えるかといわれるとやはりそうでもなく、祓うことができるのかといわれればやはり違う。
 対歴史修正主義者組織として樹立した幕府は、彼らに対し付喪神の力を借りることにしたのである。物に宿りし神は数多いるが、その中でも戦に出ることができるのは刀剣の神々をはじめとするいわゆる武器に宿った付喪神たちである。彼らは刀身を骨とし、魂を持っていた。すでに作られて千余年経つ本体を動かすわけには行かないので、彼らの本体に似せて作った寄り代を骨とし、分霊をその寄り代に降ろし、式神と同じような術を持って魄を用意すれば、ただの魑魅魍魎と異なり神格の高い彼らは自ら魂魄の形を作ることができる。この分霊には交霊が必要となるため、幕府は通常であれば視えないものを視、言葉を交わすことができる者たちを審神者として選抜していったのである。どのように視えないものを視る者たちを選ぶのか、といえば当然一般人には根拠も理解もできないわけだから多くの場合は神社の跡取りやその関係者が選ばれていったのであった。
 は、父が神主、祖母が巫女であり生まれてこの方神道と長い付き合いがあった故に選ばれたのであった。視えはしてもそれらに干渉できるほど強い力は持っていないであったが、は縁を切るのが苦手であった。
 袖振り合うも他生の縁と言うが、一度結んだ縁が切れない。彼女と関わった者たちはみな、常々奇妙な縁で結ばれており、が通った小学校、中学校の友人たちは今だ付き合いがあり、また皆様々な形で関係を持ち続けている。人だけならば良い、の場合うっかり霊魂とも縁を結んでしまうとなかなか切ることが難しいため、幼少期より様々な問題に悩まされることもしばしばであった。
 そんなわけで、切ることを得意とする刀剣の付喪神との縁ができることはにとってはありがたいことで、かつ幕府から見ても本人が望まずとも交霊術に長けたは大変ありがたい存在であったのである。
 幕府より審神者としての召還があったのが、が齢十六の頃。それから丸一年経ち、この本丸に顕現することになった刀剣は四十近くに上る。
 その中で、近侍である鶴丸国永は、もっともに近い位置にいる付喪神であった。
 平安の刀工、五条国永によって打たれたこの太刀は、千年経ってもなおその美しさを失わず、鶴の羽の白さを顕現したようなましろな着物に身を包み、時に戦場で血に染まって帰還する。その儚げな外見とは裏腹に、天真爛漫な内面は刀剣そのものの美しさ同様、人を惹きつけるものに違いなかった。
 夕暮れ色に染まった衣に身を包み立ち上がった彼は、がお守りを探すために放り出したいくつかのものをもう一度引き出しの中にしまわせてから手を差し伸べれば、はその手をとって立ち上がった。
 山の端っこに本の少しだけ顔を除かせるばかりとなった太陽を背に、暗くなり灯籠に灯りの灯された庭を通って鳥居に向かう。
 この神社は今でこそ手入れを受けて立派な趣となってはいるが、政府が目をかける前は大層ひどい有り様であった。半ば神社の復興事業のように丁寧に手入れをして、らが住み込みようになって半年もするとちらほらと神社を訪れる人が増えてくる。近隣の村人であったりはたまた偶然立ち寄った旅人であったり、彼らは立派な朱塗りの鳥居をくぐって、本殿に何が奉られているのか特に訪ねることもなく、お参りをしていく。
 そんな人々の足も途絶えた、夕暮れ時、鳥居の前に集まっているのは、この本丸に顕現している十数口の刀剣の付喪神である。皆各々武装し、あるものは馬にまたがりまたあるものは、静かに会話をしている。暗闇よりと鶴丸が現れれば皆ぴたりと口をつぐんで、二人が口を開くのを待った。
 「……遠征第一部隊は、先日話した通り鎌倉へ向かいます。隊長は平野藤四郎、事前に通告した通りの時刻で門を開きます。何かあった場合はこの矢を午の方角に放つこと」
 の言葉に平野が前に進み出、両手で矢を受けとると「了解いたしました」と一言口にした。今回の出陣は遠征であるため、戦地へとはせ参じるわけではないのだが、震えているのは平野の手よりもの方であった。
 「主様、ご安心ください。今回の遠征、そう危険なことは」
 「・・・・」
 出陣先は全て政府からの指示である。歴史修正主義者がどのタイミングで現れるのか、をには知る由もないしさらにいえば政府がどのようにして歴史修正主義者の移動や出現を予見するのかはわからなかった。出陣先についてが思い悩んだところで、どうなるわけでもなし。そんなことに気を揉んでもしょうがないことはとて承知の上だが、ついつい弱音が零れてしまうのをとめることができないのであった。
 だが今回ばかりは出陣前にそれだけはしまいと腹に決めていた。気をつけて、と二つの部隊が鳥居の向うに消えるまで手を振って、それから振り返ってから、ため息をついた。
 「・・・・君は毎回出陣前には憂鬱そうな顔をしているな」
 「戦というものが私にはわからないから、どうしようもないことはわかる、んだけども」
 なんというか、毎朝おはようって言う人がいなくなるかもしれないって思うと辛い、と足元を見たまま言葉を続ける。
 日は完全に沈み、真っ暗な空には月が浮かんでいる。灯篭の明かりがゆらゆらと揺れて、星の小さな明かりまでは見ることが難しかったが、今日はたくさんの星が夜空でちらちらと輝いているだろう。鶴丸は少しばかり空の星明かりを見透かすように、上を見上げ目を細めるのだった。
 「俺たちは所詮といっちゃあなんだが分霊だからな。折れたところで君が気にする必要もない」
 「人にはその感覚はないんじゃないかな」
 この本丸に顕現している刀剣の付喪神は、所謂本体とそこに宿る魂から新たな依代に魂を分けたものに過ぎないのはもよく知っていることだった。分霊とは魂を切り分けることではなく、そのままそっくり新たな模倣を作り出すことである。依代に宿った新たな魂は、本体が分霊によって分けられるまで持っていた記憶を保持し、そして依代の刀が折れたときには本体の魂に戻っていくのである。
 かつては、本体を持って戦に出陣し、人の手をてんてんと渡り歩いてきた刀も、近世には日本国の重要な財として大切に保管されている。それを、歴史を守るためといえども容易には持ち出すことができるはずもなかった。何せ、彼ら自身が重要な歴史を握っているのだから、それがこれから先の未来に伝えられることなく消え去ることが許されるはずがないのである。
 それゆえに編み出された方法が依代の作成と分霊であるのだが、ただの人であるにとっては折れても元の場に戻るのみ、という考え方が頭では理解すれど心がそれを拒絶する。にとっては今目の前にいる鶴丸国永が全てなのである。たとえ何度同じ刀剣を打ち直すことができたとしても、それは決してにとって同じ鶴丸国永ではないのだった。
 体が冷える、と背を押されて鳥居に背を向け屋敷に帰る。いびつな石の畳が重ねられた足元を見ながら、ぽつりぽつりとそんなことを語ったに、鶴丸は口元に薄く笑みを浮べるのだった。それは、彼の儚げな見た目に似つかわしい、大層美しい笑みであった。
 「そうか、君には俺たちがそう見えるのか」
 だから死なないでね、と告げれば、鶴丸国永はただ「了解した」とだけ口にして、ちらちらとまだ明かりのともっている屋敷の中へを招き入れるのだった。
 
 




2015.07.08