閉じ込められて

長曾我部元親の側室を巡る話は前述した通りだが、寛容な元親も正室であるライラックが元親に何も言わずに鶴姫と安芸へと向かったことについては許しがたいと考えたようであった。安芸より帰還する船に乗り、船長室でライラックと向き合った元親はむっすりと押し黙ったままライラックと目を合わせない。
 ライラックとて悪かったとは思っている。ただ、それでもこの世界で頼れる人は少なく、そのうちの一人が元親なのだから、元親がどこかへ言ってしまうのではないかという不安があったこと、それと元就に漏らしたことそして鶴姫に感づかれたこと、これらは確かに繋がっているが、気づけば一気に流されるように安芸にて留まる暇もなかったのだ、と言い訳をしたいところだった。
 だが常ならば気さくに話しかけてくる元親がこっちも水にむっすりと押し黙ったままなのだから言い訳のしようもない。それに言い訳をしたところで、異なる死生観、異なる生活観を持つ元親と早々簡単にお互いを理解するのは難しい。ライラックにとって結婚は唯一であっても戦国時代では異なる。お家という物の存在が薄まったライラックとお家に縛り付けられた元親では相手を思う気持ちもまた違う。
 要するにライラックには元親から愛されているという確信がどうしても薄かったのだ。正室に迎えたい、妻になってくれと言われたことは嬉しかった。だが側室を迎え子供が出来たら自分のことはカラクリに詳しいだけの他人になってしまうのではないか。頼るものがないライラックにとってはそれは不安を煽り、それを一人抱えていられないほどに心が荒れ狂う。
 自分は元親のことが好きだ。毛利元就も前田慶治も伊達政宗も良い人であるとは思う。だが好きであるかといわれたら違う。自分は元親のことが好きなのだ、だがそれを言ってどうしなるというのか。子供を産めぬ身で正室になど……という声がないわけではなかった。それをライラックは知っているからこそ、余計に耐え切れなかったのである。
 ため息を吐くことも出来ずしんと静まり返った部屋の中。波が船に叩きつけられては割れる音だけが響いている。
 そんな空気を割って最初に話出したのは元親の方だった。
「……今回のことについてだな。毛利に言われた」
「……?」
「生きてきた世界が違うのに、こっちの都合で勝手に身分を定めても困惑を招くだろうってな」
「それは」
「ああ、そうだ毛利が言いたいのはこの時代じゃあ妻が複数居るのは別におかしなことじゃあねぇ。だがあんたの世界じゃ違うんだろう」
「……家、ってものの概念が薄いから。そりゃ代々子に受け継がせるようなところもないわけじゃない、けど苗字なんてほとんど意味を持ってない、から」
 だから、自分ひとりを見てくれないのが寂しかった、と続けるかライラックは迷った。そんなこと言えば元親の負担になるのではないかと思ったからだ。
「俺ぁな。今回のことであんたに裏切られたのかと思ったんだ。誰にも何も言わずにいきなりいなくなって、毛利の野郎から手紙が届いて、こっちは散々心配したってのに安芸にいるだと?どんだけ……心配したと思ってる」
 最後の言葉は消え入るようにぼそりと呟かれた。
 ライラックの瞳にじわりと涙が浮かぶ。
「俺も悪かったと思う。毛利に散々怒られたしな。だがあんたもこれからはこんなことはやめてくれ、誰にも言わずにどっかいくな、そしたら俺はあんたが裏切ったと思わなきゃいけなくなる、それだけはしたくない。あんたはもう俺の妻なんだ、天の君、鬼の君だと何度も言われただろう。普通はそうなったらふらふら歩き回るなんてことはしねぇもんだ。だから逆に居なくなれば裏切りを疑われる」
「……」
ライラック
 その時始めて元親がライラックのほうをじっと見つめた。手招きされるままに近寄ると元親の大きな体にぎゅっと抱きしめられて、ライラックも思わず抱きしめ返す。つんと鼻の奥が痛くなった。どれほどこうしたかっただろう、我慢して我慢して、本当は愛していると、抱きしめて欲しかった。
 しばらくライラックを抱きしめていた元親はゆるゆると力を緩めて、ライラックを膝の上に座らせた。元親ほど身長のないライラックは膝の上に座ると、ちょうど肩口に頭がくる。そのままゆったりと頭を寄せて元親の手を握り締めた。
「……ごめん、なさい」
「おう」
「……私にはね、元親しかいないの」
「……」
「……鶴姫さんも元就さんもみんなここに生きてる人だから、慕う人がいる、落ち着ける場所がある。でも私には元親の側しかないの」
「そうか……そうだな」
「だから__」
「いい、言わなくていい。俺も悪かった」
「……」
 元親が言葉をさえぎったのでライラックはそこで言葉をやめた。
 波に揺られて元親に抱きしめられて、ようやっと今までの不安がどこかに拭い取られていくような気がした。
 元親はライラックの胸の辺りに手を当てて、心音を確かめているようだった。
「…………今回のことは城でも大騒ぎだったんだ。あんたには悪いが今回ばっかりはちぃとばかしおしおきを受けてもらわにゃならねぇ」
「……痛いのは嫌だな……」
「安心しなそんなんじゃねぇさ。ちょいと城から出られないだけだ」



 ライラックがつれてこられたのは長曾我部元親率いる長曾我部軍の拠点でもある岡豊城、その天守に作られた一室だった。座敷牢のように窓にも入り口にも木の枠がはめ込まれてそうそう抜け出せないようになっている。
「わぁ、私が前に言ったこと全部採用してあるね」
「そりゃあまた逃げられちゃ困るからな」
「うん、これは私も道具がないと抜け出せない」
「ここは奥だからな。あんたにはしばらくここで過ごしてもらうぜ」
「それが罰?」
「おう、それで俺の相手をしてもらう」
「相手?」
 きょとんと首をかしげたライラックに、元親は笑って体を引き寄せると、その唇に口付けを落とした。驚いたライラックが思わず目を瞑るとからからといつもの豪快な笑い声がライラックを包む。
「えっと、それって」
「おうよ、少なくとも七日はここにいてもらうが、百夜通いでもした方がいいか?」
「うう、ううん、七日で、お願い、します」
「そうだろうと思ったぜ。暇がありゃ来てやるし欲しいもんがあれば言え、出来る限り準備してやる。ここで七日間ってのは正室としてきちんと役目を果たしてますよってのを他の連中に見せ付けることだからな。頼むからここから逃げ出そうなんてやめてくれ」
「うん、元親が来てくれるなら逃げ出さない」
「そうか、ならしっかり通わねぇと今度こそ毛利の野郎にとられちまうな?」
「えっ?」
「なんでもねぇこっちの話だ。まぁとりあえず何か欲しいものはあるか?」
 白の一番高いところから見る景色は、格子がなければさぞ見晴らしが良かっただろう。さすがに外からは逃げないと思いながらライラックは元親と、元親が収める土地を眺める。美しい海と美しい緑が広がっている、良い場所であった。
「……そういえばこの地方は雨が少ないじゃない、でも台風が来るとかなり大荒れになって大変なところ」
「ん?まぁそうか?」
「うん、色んな影響でね。だから貯水池とか橋とか、それから土砂崩れの置きそうなところとか、こうやって天気がいい日の間に備えておかないといけない。空気も水も流れていくものだけど、兵糧は流れちゃこまるでしょう?」
「そうだな」
「だから地図が欲しいわ、できるだけ正確な地図、それから南蛮の書物でも地図が手に入ったら渡して欲しいの、それから紙ね。元親が居ない間は天災に備えるための準備をするわ」
「そうかい、わかったあとで持ってこさせる。南蛮のってのはちょいと難しいが、まぁ独眼竜にでも聞いてみるさ。……しかしそれをやるだけの体力が残ってりゃいいがな」
「?」
「いやこっちの話だ。じゃあしばらく大人しくしておけよライラック
「うん」




 ライラックが元親の言葉を正しく理解したのは、その晩のことであった。
 昔から今までの地形図を重ねて、災害のある場所を調べて、なるべく災害に強い家や橋の設計をしていく。これは長曾我部軍の補給路にもなるだろうと予想できる場所は特に念入りにだ。そんなこんなに熱中していればいつの間にか夜が近づいていて、早々に食事を済ませたライラックはそろそろ寝ようとしていた、そんな時に元親はライラックのところを訪れたのである。
「……今日はもう来ないのかと思った」
 でもちょうどよかったと文机から今日ずっと検討していた地図を引きずり出そうとするとその手を引かれそのまま布団の上へと連れて行かれる。
「明日見てやる」
「ええっそんな」
「それよりもあんた、正室として役目を果たすってどういうことかわかってんのか」
 ライラックはしばらくのあいだきょとんと、地図に手を伸ばした姿勢で元親を見た。元親はいつもの武装ではなく着流しに緩く帯を結んでいる。眼帯は外されて左目を潰した大きな傷がちらちらと揺れる明りで影になっていた。
「ええっと、え、あ」
 元親の言うことにようやっと気づいたライラックは顔を真っ赤に染めた。
「そ、そういうこと!?」
「そうさ、それ以外にねぇだろう?」
「ま、待って」
「待たねぇ。どんだけ俺が待たせられたと思ってるんだ」
「は、や、ちょっ、んっ」
 元親に押し倒されて口付けをされてしまえばもうライラックに逃げ道はない。深く求めるように元親の舌がライラックの中に入って絡み合う。逃げようとした体は押さえ込まれて、首筋から体の線をなぞられ、帯を緩められればもう抵抗のしようもなかった。
「は、あっ、ん」
「俺が来たら濡れてるぐらいにはなってもらわねぇとなぁ?」
「そ、そんなの、や」
「俺の妻になるって言ったその時から断る権利なんざぁねぇだろうよ」



20200914