サンクチュアリ・トラップ 2
ティナリは水の中に半身を浸して、草陰を歩く人の影を見る。
本来ならサンクチュアリに立ち入ったことを認識した時点で注意する義務があるが、今回に限っては教令院からその義務を免除されていた。
ティナリはちらりと頭上を見上げたが、蒼月の目立つ赤い髪も青い翼も緑の中に隠れてどこにも見つからなかった。恐らく蒼月もティナリの姿を発見できないだろう。ティナリの深い緑色は雨林の地面に溜まる水の暗い色によく溶け込んでしまう。逆に蒼月がなぜ発見できないのかはちょっと謎だ。あんなに目立つ色をしているのに、とティナリは思った。
マラカイト・サンクチュアリへやってきたラプターの爪はおよそ十五人。男も女も混じっている様子だった。彼らは大きな荷車を引いており、その荷車には空っぽのランタンのような器がたくさん積まれている。採集したスターリ・スカイをあの中に一本ずつ入れて売るのだろう。スターリ・スカイは環境の変化に非常に敏感なため、手で摘んでそのまま雨林から持ち出してはすぐに枯れてしまうのだ。あの器には環境を維持する何かしらの仕掛けがあるとみてもいいだろう。
(つまり)
ティナリは考える。ラプターの爪のメンバー構成を簡単に聞いた限りでは、ラプターの爪にはそういった小道具を用意できる器用な人員は確認できなかった。ラプターの爪の首領が学問に通じているのかもしくはラプターの爪を支援する後援団体がいるのか。ティナリは後者であると考える。スターリ・スカイは確かに高額取引されるが、取引の現場に持ち出すまでにも様々な手続きを踏まなければならない。特に密猟によって得られたものはオルモス港でマハマトラに目をつけられるだろう。これだけの量の器とスターリ・スカイの形態的な特徴が非常に特異であることを考えれば、マハマトラの目を掠めて売りさばくことができるとは到底思えなかった。
(誰だ? まさかドリー? いやドリーは確かにモラに目がないけれどここまで危険な取引には応じないはずだ。ドリーはマハマトラの気配や取引の危険度を正確に理解した上で手を引くタイミングを知っている。ドリーはおそらくこの取引には関わっていない)
その後もティナリは何人かのオルモス港の商人たちを思い浮かべたが、誰も該当するようには思えなかった。
(今考えても仕方ない、か)
ティナリはラプターの爪を捕まえたその先のことについてつい思考がいってしまうことをあえて脳内で言葉にすることで遮り前方を注視する。今、今回の密猟に関わっている最後の一人が、マラカイト・サンクチュアリと通常区画を区切るとある植物をまたぎ越してその先の密林の中へ消えて行った。ティナリはそれを追いかけるためにゆっくりと水中から出て行く。
がさりと頭上で音がして、ティナリがそちらをちらりと見たが、どうやら瞑彩鳥が飛び去ったようだ。人が立ち入ったことでマラカイト・サンクチュアリが震え出した。それを感知したらしい。そう、震え出したのだ。それは決して比喩ではない。
そもそもなぜマラカイト・サンクチュアリが一般に公開されていない秘密の保護区となっているのかと言えば、先に上げた通り非常に希少価値の高い植物の宝庫であることがまず一つ。そしてもう一つが恐ろしく獰猛な植物がこの地に潜んでいるという理由だ。
マラカイト・サンクチュアリはスメールの雨林の中でも特に巨木の葉に日光を吸い取られ、地面は薄暗い一地帯を示している。
ここらは昔から行方不明者が出るため、サンクチュアリとして指定される前から多くのレンジャーや冒険者、商人、旅人が立ち入りを避けてきた場所である。大人たちはここを「お化けが出て悪い子供たちを食べてしまうよ」と子供たちに脅して立ち入りを禁じている。冒険者たちも口伝にて「ここは冒険の行きつく果てになる何もない場所だ」と知っている。商人や旅人はそもそも目的がないから入らない。その上でアムリタ学院はここにマラカイト・サンクチュアリを指定した。
そもそも日の光を十分に得られない植物はどうやって生きているのか? 一部は陰性植物という日陰でも光がわずかにあればそれで光合成と呼吸のバランスがとれる植物がいる。そしてその他には立ち入った動物を捕食する食虫植物を超えた植物が生息している。彼らは安易に立ち入った小動物を捕食しているのだ。
マラカイト・サンクチュアリは人間にとっても恐ろしい植物が密集している地区となっている。これらの情報はアムリタ学院に所属する場合全ての学生が知るところとなるだろう。しかしそれ以外には危険を度外視した上で密猟に及ぶ犯罪者が増えることを危惧し、あえてスメールに昔から伝わる伝承を強調する形で立ち入りを制限している。とはいえいずれはマラカイト・サンクチュアリのことも公開する日は来るだろうとティナリは思っている。冒険者たちは教令院の賢者たちが想像する以上に好奇心旺盛でそして危険以上に新たな世界へ踏み込むことを好むのだ。
ティナリの耳は植物たちの震えをかなり精密に聞き取っている。緻密に計算されたかのような葉序(植物の茎につく葉の並び方)は植物がわずかに震えるだけで葉と葉がこすれあい小さな音を出している。その震えは同じ種の植物に伝播し、今やマラカイト・サンクチュアリ全体が震えているようだ。
ティナリの耳にはこれらの植物の震えは警告のように聞こえている。それ故にマラカイト・サンクチュアリに足を踏み入れるたびにティナリは体が震えた。ティナリの本能がここへ入ることの危険性を強く示唆しているのだ。しかしそれを理性で閉じ込めてティナリはマラカイト・サンクチュアリの地図を思い浮かべる。
(大丈夫、足を踏む場所を間違えなければ大丈夫)
ティナリは自分に言い聞かせてラプターの爪のメンバーを追ってマラカイト・サンクチュアリの中を進んでいく。できればスターリ・スカイを採集する直前に彼らを密猟の罪で縛り上げたいところだ。とはいえそう簡単にはいかないだろうとも思っている。
しばらくの間ラプターの爪は草をかきわけ進んでいく。ティナリは彼らに気付かれないよう弓は構えたまま草の中に潜むように進んでいた。
彼らを直接捕まえるのは蒼月の役割である。法器を武器としながら近接攻撃を最も得意とする蒼月は相手がナイフを持っていたとしてもそう簡単には怯まない。それでも蒼月に危険が及ぶのならばティナリの矢がそれを阻止する。狩人の弓はこの深い森の中であっても狙いを違えることはないだろう。
「おい」
前方のラプターの爪の誰か一人が声をあげた。ティナリは一瞬自分かもしくは蒼月の存在がばれたかと思いさらに深く草木の中に身を隠したが、どうやらそうではない様子だ。
「見つけたぞ! これだ、これがスターリ・スカイだ。いいな、ゆっくり慎重に摘み取れ。スターリ・スカイは環境変化に弱いとあいつが言っていただろう。どの部分を鋏で切ればいいかわかっているな? 摘み取ったらすぐに器に入れて蓋をしろ」
主導者らしき男が声をあげてついてきていた他のメンバーに指示をする。どうやらティナリと蒼月の尾行には気づいていない様子だった。これだけ雨林の奥深くに来ているのだ、自分たち以外がこの場にいることを想像もしていないのかもしれなかった。
女がスターリ・スカイに手をかける。そしてもう片方の手に持った鋏を茎に沿えて今まさにスターリ・スカイを摘み取ろうとした瞬間、遥か頭上の枝の上に待機していた蒼月は飛び降りる。そしてスターリ・スカイを踏みつぶさないように着地すると女の手を蹴って鋏を草むらの向こうへ弾き飛ばすと「止まりなさい!」と声を張り上げる。
「ガンダルヴァー村のレンジャー、蒼月よ。貴方たちは『ラプターの爪』で間違いないわね? ここは教令院が指定するサンクチュアリで立ち入りは禁止されています。それだけなら注意喚起で終わりますが、その植物を採集する行為は密猟です。現在その植物の採集許可は誰にもおりていません。貴方たちは密猟の現行犯で三十人団に身柄を引き渡します、全員大人しく__」
蒼月は即座に後ろへ飛びのく。蒼月の手の中で輝く法器が赤く燃え上がると蒼月の面前に炎の壁を作るが、飛んできたソレは炎の壁を突き破って蒼月の頬に傷をつけた。
「密猟だってことはわかっている。ここがサンクチュアリってこともな。その上で俺たちはここへきている。意味はわかるだろ?」
先ほどメンバーに声をかけていた主導者の男が一歩前に出た。男の右手には片手剣が握られており、そしてその首には水の神の目が青く光っている。
三十人団から渡された情報の中に、神の目の持ち主がいるとは書かれていなかった。恐らくこの男は神の目を誰の目にもつかない場所で使い、その目撃者を確実に消してきたのだろう。男は蒼月の神の目が炎であることを確認して「はっ」と息を吐くように笑った。
蒼月はほんの少しの焦りも動揺も表情に出さないように、ただ頬の傷から垂れた血を拭って血が止まったことを確認してから「悪いことだとわかっているのね。ただの忠告ですまないことが残念だわ」と煽るように口にする。
蒼月が法器を構え、男が片手剣を持ち上げた。
通常元素間における反応は、どの元素が付着しているかによって対象に与えるダメージが異なってくる。例えば炎と水の場合、この二つの元素間で起きる反応を「蒸発」と呼ぶが、水元素が付着しているところへ炎元素を当てるよりも、炎元素が付着しているところへ水元素を当てる方がダメージが大きくなるのだ。これらは燃え盛る炎を水で消火する場合と溜まった水を完全に蒸散させる場合を考えればわかりやすいかもしれない。
蒼月は法器を主に扱うが、法器という遠距離攻撃を得意とする武器の中であえて近接攻撃を挑むタイプの戦闘を行う。足技を主体とした炎元素の付着は、草地もしくは水辺の多いスメール地域では燃焼や蒸発を引き起こす。特に蒼月の引き起こすこれらの元素反応は非常に高いダメージを与えることができるため蒼月は普段は非常に有利に戦闘を進めることができると言ってもいい。しかし同時に燃焼や蒸発はその場の環境を壊すことにも繋がりかねない。スメールに数多く分布するトライステート生物を枯れさせてしまったり、また燃えた草地は数日で回復することはない。
男は蒼月がこの場で激しい炎元素の攻撃をしてこないということを理解しているようだった。確かにこのサンクチュアリ内で蒼月が存分に力を発揮すればサンクチュアリそのものが大炎上するだろう。スメールの雨林は常に湿り気を帯びているようなものなので炎は大きく広がり続けることはないだろうがそれでも環境に対するダメージは大きい。
蒼月は男の片手剣を直接体に受けることがないようステップを踏みながら、男だけに炎元素が付着できるよう法器の攻撃範囲を極めて狭めて近接戦を挑む。一方で男は遠慮することなく広範囲に水を撒きながら周囲の草木が切り倒されるのも構わず踏み込んでくる。
地面と水平に刀が走る。蒼月は身を引くことなくあえて男の手元に飛び込んだ。そして片手剣を握る手を蹴り上げようとするが、男は地面を蹴ってバク転するようにかわす。その際に剣が地面に垂直に移動し蒼月の腕を狙ったが、蒼月は法器を直にぶつけて剣を交わした。男の全くぶれることのない体幹と視線の移動は法器をぶつけることでわずかに揺らいだ蒼月を見逃さない。男は着地と同時に少し膝を曲げて蒼月に突進する。蒼月がそれを避けるには跳躍が最も効率的だった。
蒼月の体がふわりと持ち上がる。男はしかして蒼月のその行動を読んでいたようであった。攻撃を仕掛けたのは男ではなく男の背後にいた他のラプトルの爪のメンバーだ。彼らは蒼月の位置が絶対に男と被らない空中へ飛び出したところで一斉にクロスボウの引き金を引いた。
それらを蒼月に避ける術はない、と男は確信したのだろう。口元に笑みを浮かべている。しかしそれは蒼月も同じだ。
クロスボウから放たれた計六本の矢は、全く違う方向から放たれた一本の矢と追撃する五本の蔵蘊の花矢がそれらを全て撃ち落したのだ。ティナリの草元素を纏った一矢である。
「あそこだ!」
蒼月はクロスボウによる狙い撃ちが恐れる必要がなくなった。とすれば次に来るのは真下にいる男への攻撃だ。男は即座に身を翻してティナリがいると思われる方へ矢を放つよう指示し、同時に自身は地面を転がって蒼月の落下による攻撃を避ける。両手の筋力だけで体を地面から起こすと足を踏ん張り蒼月の方へ一気に突進する。蒼月は再び空中へ避けた。クロスボウが蒼月を狙うが、すでに移動を終えたティナリの重撃がクロスボウを全て叩き落していく。ティナリは常に草木の間を移動しその深い緑色からラプターの爪のメンバーはティナリの居所を見つけることが出来ず無暗に矢を消費していく。
しかしそれでも徐々に追い詰められているのはティナリと蒼月であった。隠し玉であったティナリが矢を放ったこと、その矢の纏う草元素と追撃する特殊な花矢の特徴から蒼月を補助しているのは一人であると考えるに至るは易い。
男の素早い片手剣の連撃は常に蒼月を上空へと回避させるように動いている。ティナリは移動しながら蒼月を狙うクロスボウを叩き落さねばならず、蒼月も落下攻撃をしながらも徐々に回避に専念する動きが多くなる。敵の数を減らせず、かつ敵は計十二のクロスボウを所持している。六人ずつが交代に蒼月を狙うためティナリの移動と新たな狙撃地点を選ぶ時間も徐々に削られ、ついにはクロスボウの一本がティナリの居所を完全に見抜いた。ティナリもまた矢を回避するために跳躍しその姿を現す。
「見つけたぞ!」
ラプターの一人が叫んで一斉にクロスボウが向けられる。蒼月はその瞬間今まで一切広げていなかった風の翼を広げた。その途端蒼月の空中での動きは格段に素早くなる。青い片翼が草木の間を流れるわずかな風を掴んで蒼月の体を前方に傾け、蒼月は飛び出したティナリとクロスボウの矢の間に入る。蒼月の手から炎の壁が飛び出した。コスト削減のため草木を削って作られることが多いクロスボウの矢は一重の炎の矢を辛うじて貫通したが、さらにもう一重に重ねられた炎の壁に燃え、炭となって地面に落ちた。
ティナリが地面に着地する。着地の瞬間を狙った男の片手剣を頭上から思い切り踏みつけるように落ちて来た蒼月の足が思い切り地面へと叩きつける。そのまま蒼月は体を回転させて男の顎を蹴ろうとするが、男は即座に片手剣を手前に引き、自らの体も後ろへ引いた。先ほど地面から起き上がるときにも予想できたが、男の身体能力はラプターの他のメンバーと比べても群を抜いているようだ。
「たった二人で来るとはレンジャーも人手不足か? どちらも神の目を持っているらしいが、草元素と水元素が反応すればどうなるかわかっているだろう。あいにくと草原核の爆発を食らってやるほど俺たち優しくはない」
「君ほど戦闘に長けた人が悪事に手を染めるのは残念だよ。はじまりはただ生き延びるためだったとしても、今の君たちは徒党を組んで犯罪を犯しているだけだ。それは見逃せない」
「勝手に言え」
男は自分たちの正当性を主張するわけでもなくまた自分たちが哀れな存在だと主張するわけでもなくティナリの言葉をただ切り落とした。
ラプターの爪と名乗るエルマイト旅団の末端は今まで何度も三十人団や他のレンジャーによって捕まっている。しかし今まで彼らの中核に至る人員を捕まえられたことはない。また末端の連中は中核の顔を見たこともないと言うばかりで人相書きすら作られたことがないのが現状だ。男は狡猾で戦闘に長けており同時に自分のことを何も言わぬ用心深さもある。男がティナリの言葉を切り落とした背景には男の性格もあるのだろうが、同時にラプターの爪の真意や目的を測らせないという意味も大きいのだと考えられる。
男がティナリと蒼月を指さす。
「行け」
男の言葉はただ一言であった。
20230211 サイト掲載
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