死域は発見されるたびに速やかに神の目の所持者によって排除される必要がある。しかしそうしてレンジャーがひとつひとつ死域を排除している間にも死域は小さな腫瘍を拡大しまた新たな死域を作り出すのだ。まるでイタチごっこのような永遠に終わらない、森の病変の対処療法にレンジャーたちもまた精神的に疲労しきっているのも事実であった。
死域の腫瘍が確認された、と連絡を受けてティナリと蒼月はすぐさま家を飛び出し現場へ向かった。
夜の森は昼の森とは全く違う風景で、圧倒するような暗闇がある。ティナリの目は星明かり程度の光でもあればある程度夜を見通すことができるが、蒼月はそうはいかない。元々が鴆という鳥でありフクロウのように夜を見通す目はもっていない。そのため蒼月は教令院の学生時代から夜の実験・観察のためにわざわざフォンテーヌから取り寄せた特殊な眼鏡を持っている。学生の研究の合間に仕事を掛け持ちしてなんとか手に入れたそうだ。それはもう古い型になり、今ではもっと性能の良い新しい型ができているというが蒼月は長きにわたり使用しているその暗視鏡を手入れして丁寧に使っている。蒼月曰く古い型は修理のためにパーツの取り外しが容易であることが良いそうだ。
アビディアの森を始めスメールの森林地帯は地面がぬかるんでいることが多く、整備されていない未知を進もうとすることはレンジャーにとっても非常に困難である。このためティナリも蒼月も主に枝から枝へ風の翼を使って飛び移っていくことが多かった。勿論木々は鬱蒼と枝葉を茂らせているためこちらも容易な道ではない。しかし慣れてくれば一目見ただけでどの枝ならば十分に自分たちの体重を支えることができ、一方でどの枝は簡単に折れてしまうだろうことは予測がつくようになる。とはいえ毎日見ているから慣れている、という慢心に心を傾けるのはは危険だった。森は常に変わらないように見えてその変化は圧倒的に早いのだ。植物は動かないように見えて常に変動している。それらを加味した上で、夜の森の移動は常に慎重にならなければならなかった。
「ストップ」
まだ死域も腫瘍も見えてこないが、ティナリの言葉に蒼月は即座に動きを止めた。蒼月には聞こえない音をティナリは聞き分けている。はるか昔は生き物がほとんどいない砂漠で何よりも早く音を拾うために大きくなった耳は、森の中でも活躍する。砂漠とは違う音に溢れている森の中で、ティナリが何を聞き取ったのかわからないが蒼月はティナリの聞く耳に全幅の信頼を寄せていた。
蒼月とティナリは巨木の幹にぴたりと身を寄せた。
「ウェルプかな……足音がしなくて、でも小さな唸り声が聞こえる。じりじりと空気が焦げる様な焼ける様な……」
「それじゃあ私が先に行くわ。援護してティナリ」
「わかった。狙撃のポイントを探すよ、あと二分待って」
蒼月はティナリの言葉に頷いて跳躍する。
森を吹き抜ける風はいつも気ままだ。木々を揺らし葉を揺らし流れては消えていく。そのわずかな風を蒼月の翼が受け取って蒼月の体を森よりも高くへ持ち上げた。森の中よりも暗視鏡がよく仕事をする。月明かりを受けて蒼月の目にはようやっと死域の腫瘍が生み出すわずかな赤い光を見ることが出来た。
蒼月は音を立てないようにしながら風に乗って真上まで行く。あと三十秒、ティナリは狙撃のポイントを見つけただろうか。蒼月の目も耳もティナリが今どこに潜んでいるのかは感知できない。しかしティナリがあと二分と言ったのでそれを信じるしかなかった。
蒼月の体内時計がちょうど二分の鐘を鳴らす。蒼月は大きく息を吸ってそれから意識を灼熱の炎に集中した。蒼月の燃える様な赤い髪の毛が本物の炎になる。蒼月はそのまま翼をたたんで落下する。
まるで隕石のようだ。炎が空気を焼き切り、爆発的な熱が周囲に浸透していく。高所からの落下により蒼月の炎は徐々に赤から青へと変化していく。
もっと、もっと高い熱をと蒼月が思えば思うほど蒼月が纏う青い炎はその色の深みを増していった。
ウェルプが落下してくる蒼月に気付いた時にはすでに蒼月は彼らの真上にいた。真っ青な炎が地面に着弾する。死域の腫瘍とウェルプの徘徊によりすでに周囲の植物は死にかけていた。
蒼月は着地すると同時に周囲に爆発をもたらした。ウェルプが遠吠えのような悲鳴を上げて炎を避けようとするが広がる炎に巻き込まれる。ウェルプはぐるりと渦を巻いて姿を消した。そしてわずかな間の後蒼月の背後に現れその爪を振り上げる。
爪を砕いたのは一本の矢だ。暗闇から突如現れた矢はウェルプの爪を砕き、ウェルプに纏わりつく炎と交わって燃焼反応を引き起こす。ティナリの草元素を纏った矢である。一本がウェルプの爪を砕いたが、その矢はそこで終わらなかった。草元素は四つに分裂するとさらにウェルプへ追撃をもたらす。死域の腫瘍に引き寄せられた三匹のウェルプは悲鳴をあげた。
「草木の怒りを知りなさい!」
蒼月が足で地面を踏み鳴らすと蒼月を中心に大きく炎の円が広がった。円陣の中では小さな赤い鳥がふわりと飛飛び立ち消えていく。さらにそこへティナリの識果榴弾が投げ込まれウェルプたちは引き起こされる炎の熱と草の幻惑によって完全に蒼月の姿を見失ったのだった。蒼月は翼を広げて跳躍する。そして炎を纏って着地すると円陣の中で炎元素が爆発した。爆炎がウェルプたちを焼いて、蒼月が再び跳躍し、円陣が爆発する。ティナリの草元素による攻撃が蒼月の攻撃と相まって燃焼反応を起こし続けついにウェルプたちは境の中へ消えて行った。
わずかな草地がもうもうと煙を上げながら燃えている。蒼月の神の目は炎であるためどうしても草木を燃やしてしまう。しかし炎がもたらすものは死域がもたらすものとは全く違うのだ、とティナリは蒼月に語ったことがある。
「燃えつきた灰は地面に還り、また新たな植物を育てる。死域はただ一帯を殺す。たとえ死域を排除しても何も残らない。植物はおそらく人が考えているよりもはるかに強い生き物だ。気にするなとは言わないよ。でも蒼月が炎の神の目を得た理由はきっとあるはずだ」
蒼月はティナリの言葉を思い出しながら、ここにまた新たな生命が宿ることを静かに祈った。
死域は無事に除去された。一度目のウェルプの襲撃を退けてから再度ウェルプが襲撃を仕掛けてきたが、それらをなんとかかいくぐり死域の腫瘍は消え去った。しかしこの場所がかつてのような緑に包まれるのはティナリと蒼月が死んでからさらに先のことかもしれない。そのことは二人の心をひどく痛めたがどうしようもないことの一つでもあった。
森は異様な静けさに包まれていた。虫一匹、鳥一羽鳴くことがなく、木々を揺らす動物たちも死域を恐れて身を潜めているようである。しかしティナリと蒼月が死域を排除したことで森に少しずつ生き物の気配が戻ってきているようである。
死域を排除した後にやることは数多くある。そのうちの一つが死域によって破壊された生態系の補助であった。
死域の発生により植物は枯れ、動物はその場を去っていく。しかし近場で巣を作っていた動物がいた場合親が逃げても子が逃げ出せず残されることがあるのだ。死域の排除が速やかに行われれば、もしかすると親が戻ってくることもあるが、多くの場合死域の発生により親は巣を捨ててしまう。
レンジャーたちは森の動物がどこに巣を作っているかという知識を共有している。これによりいちはやく見捨てられた巣を探し場合によっては雛を保護するのだ。自然の中での食物連鎖にレンジャーは基本的に関わらないが、死域は自然とは程遠いナニカである。保護できる動物がいる場合は一時的にレンジャーたちが共同で保護しまた自然に還すという仕事を行っている。
ティナリと蒼月はこの一帯で生息しているはずのヨガンイの巣を一つずつ確認して回った。ヨガンイとはフクロウの一種で特にこのスメールの雨林で見かけることが多い鳥だ。雨林によく足を運ぶ人ならば、夜になると独特な鳴き声で輪唱しているヨガンイの群れに遭遇することもあるだろう。ヨガンイはまとまって巣を作り、一つの共同体となって雛を育て上げる。ヨガンイの歌は群れごとに異なるため、聞く人が聞けばどの場所に生息しているヨガンイかすぐにわかるそうだ。
「ちょっとごめんね」
ヨガンイは高い木のうろに巣を作る。蒼月が暗視鏡をかけて木のうろを覗くと、中にいた三話の雛が大きな目をくりくりさせながら蒼月の方を見た。巣の状態は至って健康でありまた雛たちも衰弱している様子はない。ヨガンイの合唱が聞こえないため親鳥が近くにいない様子ではあるが、この状態では放棄された巣であるかはわからなかった。
その時である。突然蒼月の髪の毛を思い切り掴んで引っ張るものが現れて蒼月は小さく悲鳴を上げた。鋭い爪が頭皮をひっかき髪の毛を絡めて持ち上げようとする。それと同時に視界に大きな翼が飛び込んできてそれがばさばさと蒼月の顔を打つ。蒼月は両手で顔を守りながら慌てて枝から枝へ跳躍し巣から離れると大人のヨガンイたちが巣の周りを飛んでいる。
どうやら死域の発見・排除までが速やかに行われたため親たちは一時的に巣を離れ遠くから観察するという選択肢を変えて巣を守ることにしたらしい。巣を覗き込んでいた蒼月はまさに巣を襲う敵であるとみなされたのであろう。
ティナリが向こうの枝で声を殺して笑っている。蒼月はぐちゃぐちゃにかき乱された髪の毛を整えながらむすっとした表情でティナリを睨む。とはいえもう少しきちんと周囲を観察していれば、夜の闇に隠れてヨガンイたちが少し離れた枝にとまっていることがわかっただろう。蒼月は少し焦りすぎた、と思いながらじっとこちらを睨みつけてくるヨガンイたちの視線から逃げるようにより高い枝に飛び移って行った。ティナリも蒼月に続いて高い枝に移動する。
ここいらで一番高い木はまだまだ伸びる予感をさせる。しかし根元の方が死域に浸食されていたため次の嵐を無事に過ごせるかはわからない。死域の影響はあまりも大きすぎる。
まだ小さな芽しか出ていない細い枝の上に蒼月が腰掛けるとティナリも隣に座った。ティナリは蒼月よりももっと幹寄りの太さのある枝の上だ。
「もう髪の毛がめちゃくちゃ」
「すごかったよ。一斉にヨガンイが飛んできてユエにとびかかったんだ。でも正直僕も危なかった。すぐ下に巣がもう一つあったからね」
「ヨガンイの爪は鋭いからあとで消毒しておいた方がいいよ。傷は?」
「大丈夫、頭皮が少しひりつくけど、肌はそんなに」
ふと暗い森に光が差した。死域を恐れるように雲に隠れていた満月が空に現れたのだ。暗い森が急に明るくなって蒼月は目を細める。暗視鏡を外してケースに入れるとウェストポーチの中にしまった。
ヨガンイたちが合唱を始める。
ホッホーホッホーホゥホゥホゥホーホッホーホッホー……
繰り返される独特なリズムが重なっていきやがて大合唱になると、森の虫や他の動物たちも動き出したようだ。夜の森は様々な音に満ちている。蒼月の耳ではティナリと同じ音を聞くことはできない。しかしこうして月と共に見降ろせば、それはきっとティナリと同じものを見ていることになるのだろう。
「月も、森も、綺麗ね」
「うん、そうだね」
20220913 サイト掲載
20221212 加筆修正
こちらの作品は2022年9月24日に開催されました【夢境2ワンドロワンライ】企画に投稿したものになります。使用お題は「月」になります。