「でもオルモス港か。初めて行ったときはびっくりしたなぁ。元々僕の家族も、ほら耳がいいからスメールシティにはあんまり長く滞在することは少ないんだ。特に家で研究ができるならわざわざ教令院に行かないことも多くてね。僕はたまに行く買い物やグランドバザールの雰囲気が大好きだった。だからオルモス港の雰囲気もすごく気に入ったんだ」
ティナリはそう懐かしそうに言いながら笑った。
「セノは他の国に行ったことある?」
「いや、俺は……ないな。あまり興味がなかったのもそうだが行く時間がなかった」
「そっか。まぁそうだよね。僕も昔は他国の植物にも興味があったけど、いざレンジャーになったらここのことだけで手いっぱいだって感じるようになった。でもやっぱりいつか行ってみたいな。違う国の違う雰囲気もそうだけどやっぱりそこに生えている植物は気になるよ」
「ねぇそういえば璃月には有名な法律家がいるって聞いたわ」
「法律家?」
ふと思い出したように蒼月が口にすると、セノはそれに興味を持ったようだった。
「ええ。私はねいつか璃月に行ってみたいの。私を知っている人はいないと思うし、私も知らない国だけどでも私のルーツはそこにあるならいつかね」
蒼月はそう語る。
鴆、という羽に毒を持つ伝説の鳥がいるという。それは大昔、まだ璃月が璃月という名前でなかった頃からその土地に住んでいたそうだが、その詳細はたった一枚の壁画とわずかな文書にしか残っていないそうだ。璃月の歴史や遺跡を研究する学者たちは鴆という伝説は存在するのに、その存在がなぜこれほどまでに消されているのかが不思議でしょうがないという。
蒼月はその鴆の子孫だ。それが判明したのは羽に毒を持つという性質と、壁画に描かれた羽の特徴が蒼月と一致するからだという。これを発見したのはティナリの母であり、今では他の学者たちも蒼月が鴆であると認めている。そのため今でも様々な実験協力や鴆について話を聞きたいと学者たちから手紙が届くが蒼月はそのほとんどを断っている。
「だって私は私のことを知っているわけじゃないしね」
蒼月には生みの両親の記憶も、そして自分が幼い頃璃月で生活していたという記憶もほとんどないのだ。
「だからこそいつか璃月に行って自分で調べてみたいし、可能なら他に璃月に住んでいる鴆の子孫がいるか知りたいの」
「だが……その青い翼を見れば誰しもわかるんじゃないか? まさか鴆の子孫が一人しかいないということはないだろう」
セノは少し不思議そうに言う。
蒼月の背中には風の翼よりも大きな青い翼が生えている。しかしそれは左だけで、右はない。
「ああこれね。なんとなく……というのかな不思議な感覚があるんだけどこの翼ってしまったりすることができるのよ。私の今の状態って半分化けてるみたいな状態で、両方翼がきちんと揃っていたら鳥の姿になることもできるし人の姿になることもできる……多分。だからもし鴆の子孫がいたとしても皆普通の人と同じにしか見えないと思うなぁ」
「複雑だな」
「そりゃあ、ただの鳥じゃないですから」
蒼月は悪戯が成功した時のように楽しそうに笑う。とはいえそのことに確信があるわけではないのだ。蒼月は幼い頃から自覚する奇妙な力があることに気付いていた。それは翼を動かす力に似ていて同時に自分の体の中のどこからも放出できない気持ちの悪い感覚だった。それについて推測と確信のようなものを得たのは璃月には仙獣や仙人と呼ばれる人の姿も動物の姿も取ることがある特殊な人たちの存在があることを知ってからだった。
「ま、なんにせよ私はオルモス港でティナリと出会った。それ以上のことはきっとないの」
* * *
オルモス港は璃月港と比べればはるかに活気がある。しかしそれは璃月港の整えられた環境から生まれる安定と安全が保障された故の落ち着きとは違い、半ば無法地帯に足を踏み入れているが故の活気であった。雰囲気はどこか祭りの最中に似ているが教令院が本拠地とするスメールシティから遠いのをいいことに、裏取引も多く何も知らない観光客が生き生きとした雰囲気を楽しむのは決してお勧めできないだろう。それならば璃月港をゆっくり観光する方がはるかにマシだ。
ティナリの両親は研究に使う様々なサンプルをオルモス港で手に入れることが多いため二人ともオルモス港の歩き方には慣れていた。ようやっと歩けるようになってあちらこちらに興味津々のティナリであったが、絶対に母のそばを離れないということを約束し初めてのオルモス港へ足を踏み入れた。
船の上では興奮していたせいで気づかなかったが、ティナリが改めてオルモス港の石畳を踏むとその時にここはとてつもない音に支配された空間なのだということに気付く。人が人を呼び込む声、大勢の足音、料理器具が互いに鳴らす金属音、そしてその他の何であるかもわからないほど多くの音。ティナリは頭がくらくらするほどの人の声を聞いて母にしがみ付いた。普段はスメールシティから少し離れた家で静かに暮らしているのでここまでの人混みに足を踏み入れた経験がほとんどないのだ。音を選別することができず頭が割れるかと思うほどの耳鳴りにティナリはうめき声をあげる。
元々ティナリの一族は耳がいい。はるか昔砂漠で生活をしていた時は遠くの物音を聞ける大きな耳は生活の様々な面で役に立った。しかしその後雨林にやってきて人の中で生活するようになってからは耳の良さに悩まされることも多くなったという。
母は足元ですっかり縮こまってしまったティナリの頭を撫でると小さな小瓶を取り出した。そして道の真ん中から少し外れてしゃがみ込むとティナリの耳の中にそのオイルを数滴垂らしたのだった。しばらく丸まっていたティナリだったが、そのうちに全体の音が妙にぼやけたように感じてゆっくりと顔を上げた。母はにっこりと笑っている。
「聞こえる?」
「うん」
「ちょっとだけぼんやりとしているでしょう」
「うん」
母の声も少し靄がかかっているような奇妙な声に聞こえた。
「これはね人が多いところでずっと研究をしないといけないようなときに使うの。人が使う耳栓は私たちの耳には合わないから、素論派の知り合いと相談して作ってもらったものなのよ。近くである程度の大きさの音なら聞こえるけど、遠くの音がぼんやりとするの。しばらくはこれを使おうね。でももしティナリがお母さんのそばから離れちゃったらティナリにはお母さんの声が聞こえなくなるから、絶対にお母さんから離れちゃだめよ」
「うん」
ティナリは少しだけ耳の違和感を感じながらも音の洪水が収まったおかげで少し元気になった。元気になると今度は周りのものが気になってくる。あちらで売っているハッラの実は庭に植わっているものよりもはるかに赤く見えた。通りすがりの人が抱えたザイトゥン桃の箱の中の桃は薄ピンク色のものから溶ける様な赤のものまで様々だ。屋台に掛けられた雨除けの布は様々な模様が描かれている。それは植物を模したものでもあったし、動物を模したものでもあった。一方でティナリには全くわからない不思議な模様のものもたくさんある。
母に手を引かれながらティナリは周囲の様々なものに目を奪われていた。鮮やかな絨毯、賑やかな客を呼び込む人の声、そしてゆっくりと港へ入ってくる大きな船。
船はティナリがオルモス港へやってくるまでに乗っていた小さなものとは比較にならないほど大きかった。しかしオルモス港を飲み込むように生えている大樹はその船よりもはるかに大きいのだ。小さな小さなティナリには世界はとても大きく果てがないように思えるのだった。
その日はオルモス港の宿に入るとティナリはすっかりと疲れてしまって夕食もそこそこにすぐにベッドに入って寝入ってしまった。父は少しだけティナリの顔を見に帰ってきたがまたすぐに出かけてしまった、と翌朝母から聞いた。今回は船旅なので持ち帰ることのできる荷物も多い。そのため父としては研究に使う、なかなか購入に踏み切れなかった様々な道具もまとめて買うつもりらしい。そのためオルモス港滞在中は父にはなかなか会えないようだった。
母とティナリは次の日からオルモス港の端から端まで探検して回った。人々が集まって様々な物を交換するのも、また船から信じられないほどたくさんの荷物が降ろされてくるのも、桟橋から覗く海は深い色をしていて底がどこにあるのかわからないのも、何もかもがティナリには楽しかった。無尽蔵とも思える子供の体力と好奇心についていく母も今思えば研究で散々あちこち歩き回ったために体力がついていたのだろう。母はティナリの「あっちに行きたい」に基本的には「いいよ」と返してくれる。しかし時々「あっちはだめよ」と言われた。幼いティナリにはその時なぜダメと言われたのかわからなかったが、それはきっと大人になればわかることだ。オルモス港は璃月港より危険も多い。
二日ほどかけてオルモス港をたっぷりと探検したあとはティナリと母は邪魔にならないような桟橋や転がされている荷物に腰掛けて入ってくる船や人によって動かされる荷物を眺めて色々な話をした。
母が驚いたのはわずか数日にしてティナリが入ってくる船の木の微妙な色や木目や付着する生物の違いから明確に船を見分けていたことである。勿論スネージナヤの船が璃月とスメールを回ってから母国に帰るということもある。なのであの船が一つ前にどこの港に居たのかという問いに対しては積み荷を見なければなかなかわからない。しかしあの船の母国はどこなのかについてティナリは違いをはっきりと見分けていた。試しに母が港に入ってきた船員に話を聞くとティナリの目は確かであることがわかったためさらに驚いた。
母はティナリが本で養ってきた様々な知識がすでに生活の中に息づいていることを知り、たくさんのことを話して聞かせた。例えば荷物の積み方や梱包の仕方についてだ。重たい化石を船で運ぶときにどうやって包むのか、その時に包むものは何がいいのか、積み荷の箱の作り方はどうしているのか、一つ一つ話をするとティナリは目を輝かせて母に尋ねる。あの布はなんで同じ布なのに色が違うの、あの木箱は二種類の木から作られてるけどなんで、上のザイトゥン桃は明るい色をしているのに下から取り出したザイトゥン桃は濃い色をしているどっちが甘いの……ティナリの質問は四方八方に飛んでいく。時には母ですら言葉に詰まることがあった。そんな時近くで話を聞いていた教令院の学生が答えてくれたこともある。学生はティナリの視点に驚きながら話をして最後には自分もとても良い勉強になった、と笑った。近々発表があるため飛んでくるであろう質問について頭を悩ませていたらしい学生に母とティナリは頑張ってと応援すると学生は手を振りながら去って行った。
いつの間にか桟橋の母とティナリはオルモス港のちょっとした名物になっていた。ティナリの質問が鋭いのもそうだが、それに答える母の知識と説明が分かりやすかったのだ。いつの間にか学生が集まり学生自身もティナリの母に質問を投げかけたり、教令院で学んだことはないがわかりやすくて面白いと釣りをしながら二人の会話を聞きに来る漁師もいた。
学生は答えてくれたお礼にととてもきれいな鉱石をティナリにくれた。璃月では装飾品に使ったりするということだった。璃月出身の彼女には見慣れたものだが夜泊石は暗くて静かな夜に光るらしい。ティナリの手には少し大きすぎたが、光へ向ける方角によって透き通るような青の色が変わる様がティナリはいたく気に入ってそれを大切にリュックサックの中に詰め込んだ。
漁師は話が面白かったと言って魚をその場でさばいてくれた。使い古したナイフを片手にあっという間に骨を取り除いて身を切り出すといつも持っているという秘伝の香辛料で軽く味付けをしてティナリと母に渡してくれた。ティナリにはまだ刺身と香辛料の美味しさを理解することは難しかったが、母は今まで食べた中で一番美味しいと言っていた。ティナリは香辛料が鼻に入ってくしゃみを連発した。
そのようにしてティナリとティナリの母はまさに小さな商人となっていた。知識と物々交換で様々なものを貰った。勿論ティナリもティナリの母もただ話をしているだけなので特に物を請求したわけではなかったが話が面白かったと言ってティナリに色々な物をくれたのだ。璃月の人はよく石をくれた。モンドの人は吟遊詩人の使うライアーの使い方を教えてくれた。稲妻の人は触るとぴりぴりする桜という植物の枝を見せてくれた。枝は非常に貴重な物なのであげることはできないが、と言ってその人は代わりに花びらを一枚ティナリにくれた。それは枝についていた今にも零れ落ちそうな花びらだった。ティナリは色々な人がなぜティナリと母にお礼を言うのか、何か物をくれるのか、そういったことは何一つとして理解していない。しかしその人たちがしてくれる話は面白くティナリはすっかりオルモス港が気に入ったのだった。
20220912 サイト掲載
20221211 加筆修正