セノの追及についに観念した二人は教令院時代のあれやこれやを口にしたが、それはまたいずれ別の形で記述することにしよう。
今では反省と笑い話になったそれらを語り終えた三人の話題は再び幼い頃のものに戻って行った。そういえばセノの幼い頃はどんな感じだったのか、教令院で出会ったために聞いたことがなかった二人はセノが幼い頃の話を聞く。よく砂漠へ出入りしていたことや砂漠の植物には興味があること、雨林もよく歩き回ったが砂漠の方が落ち着くなどと言う話をする中で、セノは自分の育て親については特に言及しなかった。ティナリと蒼月もセノが話さないもしくは話したくないことについて追及するつもりはない。なぜなら今日は楽しい宴席なのだから。
「話は戻るが……ティナリと蒼月は結局どこで出会ったんだ。蒼月がティナリの両親に引き取られた件については資料を読んだことがある」
「あの時のことって資料になってるの?」
「バフルシャーに関することだからな。関連する資料に挟まっていた。しかしあまり詳しいことは知らない……話したくないことなら別にいい」
ティナリと蒼月は一瞬視線を合わせたが蒼月は「別に私は気にしないかな」と言った。
「正直なところあまり覚えてないの。船に乗ってスメールまで来たらしいって聞いているけど、はっきりとした記憶があるのはティナリの家の庭で遊んでることとか、あとは私に尻尾や耳がないことについて泣いていることとか……ティナリと一緒のことしか覚えてないのよ。そういえば私と出会ったときのことをティナリは覚えてる?」
「うん、よく覚えてるよ。結構な騒動だったしね。あの時はまさか僕もユエが僕の家に来るとは思っていもいなかったけど。そもそもの始まりは僕の家族がオルモス港へ出かけたときの話なんだ」
ティナリはそう言って蒼月との出会いについて話始めた。
* * *
ティナリが三歳になる頃、庭の植物は完全に庭に根付き、植生は深く複雑に変化しつつあった。ティナリはそれらの植物と共に育ち、自らの足腰がしっかりとして来たことも相まってティナリの活動はさらに活発になっていった。
その一つが狭くなりつつある庭からの脱走だったが、ティナリが三歳の誕生日を迎えてから三ヵ月の間に計数十回に及ぶ脱走は今のところ全て失敗に終わっていた。ティナリの両親はかつての子供の好奇心の強さを甘く見たことを反省し、ティナリの足腰がしっかりとしてくるころには彼が必ずや庭から脱走を試みるであろうと予測した。ティナリは当然脱走をしようとした。思わぬところから木によじ登り、思っていたよりもずっと頑丈な花弁に上り、柵に張り巡らされた網が千切れないようにツタと網を同時に使うことを覚え、庭を超えた世界に飛び出そうとしたのだった。
ティナリの両親はこれらの行動を大きく阻害してしまうことはティナリの好奇心の芽を潰すことであると考え、無理に制限をしようとはしなかった。ティナリが外の世界に興味があるならば、と両親はなるべく時間を作って家の外へティナリを連れ出し庭にはない植物に触れさせ、ティナリが満足するまで何時間も外での時間に付き合った。庭にはない水場で遊ばせることもあった。水場にはティナリの見たことがない植物もあり、ティナリは半身を水につけたまま熱心にスケッチを行った。その途中で鉛筆を取り落とし探すために水に頭から突っ込んで危うく溺れかけたところを両親はしっかりと助け出している。まだ目を瞑ることを覚えていなかったティナリは目に水が入って大泣きした。その後寄生虫などがいないかビマリスタンで検査をしたことは言うまでもない。
しかしティナリがどんなに外へ出たいと言ってもその希望に応えられないときは必ずある。例えば夕食を作っている時、父が研究のためしばらく出張に出かけて母しか在宅していない時、大雨で外へ出るのが危険な時……様々な理由でティナリは外へ出ることができなかった。そんな時ティナリは自ら脱走を試みたのである。
しかし両親も負けてはいられない。両親はティナリを安全に捕獲する罠を制作したのだ。ティナリの両親は子供に関する本を読みこみ、動物を安全に捉える罠の作り方を学習し、手製の罠を庭のありとあらゆるところに仕掛けた。両親は時に子供と同じ目線になるよう地面に横たわって何時間も木を眺め、ティナリが脱走に使うだろうとっかかりをきれいに切除し、時にはネットの罠を仕掛け徹底的にティナリの脱走と戦い続けた。ティナリは見事に罠にかかり何度となく泣きわめきながら捕獲ネットの中で暴れているところを両親に確保された。その後のティナリは実に不満そうであったが、それでも脱走して怪我をするよりはずっといい。その代わりに上記の通り、両親はティナリの外出希望にできる限り付き添いそしてティナリの好奇心を満たすための様々な催しを家で開催した。
* * *
セノはそんなティナリの話が少し意外だったようだ。
「意外と……子供らしいな」
「なにそれ」
ティナリはセノの言葉に笑う。
「僕だって子供だった頃は当然あるよ。昔は神の目だって高いところに上りたいなぁとかそんな理由であったらいいななんて思ってたし」
「小さい頃から研究所にかじりついていたのかと思っていた」
「あー、そうだね。そういうのも好きだった。わかるようなわからないようなそういう本を読める範囲でたくさん読んでたりもした。でも僕は外で植物や動物の観察をするのも好きだったんだ。だから外へ行きたかったし、庭以上の場所も知りたかった。父さんや母さんが僕をオルモス港へ連れて行こうって話をしたのは僕の興味がどんどん広がっていったからかもね」
* * *
さてティナリが三歳の誕生日を迎えてから半年ほど経ったある日のことだった。
夏の盛りとなったスメールでは日に関わらず降る雨と強い日差しで湿度の高い空気が地表付近に漂い籠る熱気に汗も出ず、結果ビマリスタンは朝から夜まで大勢の熱中症患者で溢れていた。スメールは基本的に稲妻や璃月ほど季節感がある国ではない。どちらかと言えば年中日差しが強く蒸し暑さが立ち込めている。雨林にいると木の影が多くあまり熱を感じないこともあるが、とにかく強い日光の差し込む国だ。夏と言うのはあくまでテイワット全土で表現される季節でありスメールにも一応そういった時期は訪れる。だがそれはどちらかといえば雨季や乾季といった言葉にされることが多いかもしれない。
そんな中ティナリの父はとあるサンプルを得るためにオルモス港へしばらく滞在することとなったのだ。これまでも出張で父と母のどちらかが家を開けることは頻繁にあった。出張先は主に調査用のサンプルをとるためにレンジャーに同行してもらうような子供には危険な場所であり、ティナリを連れていくことは難しかったのだが、今回はオルモス港ということで家族揃って出かけるのはどうかという提案が父からなされたのだ。
オルモス港は治安が良く子供が安心して遊べる場所というわけではない。しかしスメールシティとはまた違った多くの植物や人の活動に溢れている。オルモス港で活動するときには必ず母が同行する、一人では絶対に歩き回らないといった約束事を決めた上でティナリは初めて実家を離れて幼いティナリにとって知らない場所へ行くことが決まったのである。
ティナリは大変に興奮し、外出する前夜は持っていく荷物を何度も何度も確認した上で、その日は早くにベッドに入って頑張って眠ろうとした。しかし遠足前の子供がそう簡単に寝付けるはずがない。ティナリは結局朝の三時頃まで寝ることが出来ず、その後急に来た眠気にすとんと眠りに落ち朝は母にゆすり起こされて眠い目をこすりながら大切なものをたくさん詰めたリュックサックを背負って出かけた。午前中は頑張っていたが結局船に乗るあたりから眠気が増してティナリは初めての船旅の初日を寝て過ごしたということになる。夜に起きたティナリは船の上なのに外がほとんど何も見えないことに泣き喚いた。
そんな悔しいこともありつつ二日目以降は船上での冒険やスメールシティとはまた違う風景を存分に楽しみティナリは元気に船の上を駆け回った。
* * *
「オルモス港へ行くのは僕の初めての遠出だったんだ。だからよく覚えている。ユエと出会うきっかけになったっていうのも理由の一つだけどね。船に乗って川を下るなんて、今じゃしょっちゅうだからなんとも思わなくなったけど、あの時は海に近づくにつれて変わっていく植生がすごく気になったな」
ティナリは懐かしそうに思い出しながらそんなことを言った。
* * *
スメールシティからオルモス港までは陸路か水路を選ぶことになる。陸路にはエルマイト旅団の一部悪質な連中が旅人や商人を狙っていたり、他にも雨上がりには多数のキノコンが道をふさいでいることもある。
あいにくとティナリの両親はどちらも神の目の所持者ではなかった。二人はどう頑張ってもティナリの安全を守ることは難しいと考え、少し値は張るもののより安全な船でのルートを選んだのだ。勿論船ならば完全に安全を確保できるということはない。そもそも完全や絶対という言葉を両親は使わない。常に予期せぬことは起こりうるため、絶対という言葉を安易に使うべきではないというのが両親の学者としてのある種当然の思考であった。
船は様々な対策をしているということを踏まえかなり前から十分に選びに選び、より良い船長のいる船を最終的には選択した。往復の乗船代に加え船の護衛に払う代金もあるので通常よりも幾分高くはなったが、幼いティナリの安全を考えれば当然のこととして両親はこの出費に納得した。
* * *
「今は僕が安全を守る側でもあるからね。陸路と水路については色々考えることはあるなぁ」
ティナリはため息とともにそのようなことを口にした。ガンダルヴァー村にも時々商人や旅人から救援を求連絡が入ることがある。その中にはキノコンが道を塞いでしまって通ることができないという陳情もある。観察する限りキノコンたちはじっと道を通る者を観察しているだけもしくはふわふわと飛んでいるだけのように見えるが、それでも彼らが現時点で魔物に分類されていることは間違いない。
「そうね。やっぱり雨上がりのキノコンの大量発生はいつになっても商人や旅人にとっての問題ね。戦う手段がない人たちにとってはキノコンだってただそれだけで脅威だもの」
「彼らの生態や行動については単なる植物学や動物学の観点からでは説明できないことも多い。学派を超えた研究チームが必要だろうね。歴史的な観点、元素学的な観点、勿論動植物や菌類としての観点も必要だ。難しい問題だよ」
「その件に関してなら」
ふとセノは思い出したように言った。
「生論派の賢者からはすでに同じ提案が出されている。研究チームのリーダーにお前を推薦したいと」
「ええ? そんな話は初めて聞いた」
「手紙を出したと聞いている。すでに伝わっているものと思っていたが……」
セノはおかしいなと首を傾げるとティナリは「明日確認するよ」と言った。
「今日はしない。絶対しない。僕は紅茶きのこを飲むって決めているんだからね」
「ええ好きなだけ飲んで」
「そうしろ。全部飲め」
「ユエもセノもこの味嫌いだった?」
ティナリに聞かれて二人は一瞬言葉に詰まった。嫌い、というのも難しい。好きか嫌いかの二択であれば嫌いなのだが、今はそれ以上にたくさんの選択肢があるはずだ。
「いや、そうだな、ちょっと癖がある。俺の口には合わない」
「私もアカツキワイナリーのワインが口に合う」
「ふぅん」
ティナリはちょっと面白くなさそうに言う。彼のキノコ好きはすでにガンダルヴァー村のレンジャーたちも皆よく知っているが、とにかくキノコそのものの味にこだわるのでティナリのキノコ料理は生のキノコを食べている感覚に近かった。ティナリ曰くそれが美味しいとのことだが、蒼月とセノはキノコにもう少し味が欲しいと思っている。レンジャー長のいちおしはそう簡単にはスメールに広がりそうにはない。
20220907 サイト掲載
20221211 加筆修正