「マチィ、これ付き合わない?」
 仕事終わりに特にすることもなくぼけっとしているあたしに、ミランダが声をかけたのは多分その時あたししかアジトに残っていなかったからだ。あたし達が流星街を出てすぐのころに作ったそこは、ちょっとした思い入れがある一方色んなものが足りていない。流星街から出たばっかりの頃はこれでも十分だったのだけれど、世間一般の生活を知り快適なソファーや温かい部屋の中を知ってからは何も好き好んでただのコンクリートの塊や、窓もドアもない寒い空間にずっといようなんて思わないのだ。そういった整っていない場が我慢できなくなった、というわけではなく純粋に別の場所があるならばそっちを選ぶというだけ。この場しかないならば誰も文句を言わずにここへ留まるだろう。
 あたしがその時その場に留まっていたのは、ちょっとだけお腹が重くて動くのが面倒だったのと、わりと昔からこのアジトが気に入っているからである。わざわざ移動しなくても、と思ってそのまましばらく留まっていれば盗んだものを愛でている団長を除いて皆どこかへ行ってしまった。
 適当に打ち付けた窓ガラス代わりのベニヤ板ががたがたと揺れた。ミシッとひびが入り、古くなった釘もろとも吹っ飛んで、破片が床に散らばった。元より古い建物であるためごみが増えた程度のことであるが、と、それでも毎回出入り口の概念が間違っているとしか思えないミランダが窓から入ってくるのを疎ましげに見る。
 「あんたいい加減ドアから入ってきな」
 「気にしない気にしない」
 「あたしが気にするんだよ」
 ミランダはあたしの言葉をへらっと笑ってかわして、かわりとばかりにあたしの手の中に紙切れを押し込む。新聞の間にでも挟まっていそうな、つるりとした綺麗なその紙は華やかな文字が並んでいた。
 読み書きは苦手、ではない。だがクロロやシャルナークのように小難しい文字列を追って理解するのは面倒だと感じるし、そういった意味では得意とも言いがたい分野だ。こういった新聞の折込広告は文字があちらこちらに散乱してしまって、小難しい文章とはまた別の意味で中身を掴み取りにくい。ほんの少しの間広告を見つめて、あたしはそれがこの近くの有名なカフェでフルーツをふんだんに使ったお菓子のバイキングの広告であると理解した。
 「あんた、甘いもの好きだっけ」
 「辛いもんよりは」
 ミランダはあたしが座っている穴の空いたソファーの背に乗って足を揺らしながら答えた。古くなったソファーはミランダが足を動かすたびにきしんで、嫌な音を立てている。埃が積もった一部を適当な布で拭いて使っているものだから、動くたびに別の場所の埃が舞う。
 「ちょっと」
 「んんー、んで?どう行く?シャルも行くって」
 「へぇ、あいつも甘いもん好きなの?」
 「クロロに押し付けられた仕事のせいで糖分不足だそうで」
 あたしは思わずくっと笑い声を漏らした。シャルナークは普段そんな気などないようみ見せておきながら甘いものが好きだし、その度にミランダを誘っていた。今回も別段そこまで甘いものを好きでないミランダが誘ってきた段階でなんとなくそんな気がしていたが案の定である。
 「・・・・いいよ、いつ?」
 「今から」
 予約が必要なんじゃないの、という問いは愚問だったそうだ。まぁメンバーにシャルナークがいる時点でそのあたりはどうとでもしてくれるのだろう。たとえそれが五分後に、ということであってもシャルナークが準備できなかったためしなどほとんどない。
 あたしは着替えてくるから、と待ち合わせの場所だけを確認してミランダを先に送り出した。ミランダがなぜ窓から毎回出て行きたがるのかは知らないが、最近では皆窓を割られる前に学習したらしい。毎回どこに行ってもミランダが入ってきそうな窓は必ず鍵が空いている。おかげで窓を割られることは少なくなったのだが、誰か彼女に本来の出入り口がどこか教えてあげないのだろうか、とあたしは人事のように思うわけだ。
 戸締りなどほとんど関係ないような部屋であたしは置いてあった古い服に袖を通す。多少埃臭い。仕方なしにこれもまた古い香水を適当にばら撒いた。これでちょっとは気にならなくなっただろうか、と思って鼻を近づけると微妙な気がする。他に着るものもないので、袖の短いそのパーカーに手を通しズボンに履き替えて表に出た。
 もうここいらは夏になりかけている。ジャポンのような梅雨がなく、ほとんど春の暖かな気候が長らく続いた後に急激に気温が上がるのがこの地域の特徴だった。満開の花壇、桜は花が散りすでに夏に向けて青々とした葉を茂らせている。
 あたしは詳しくもない町の中を、何度かだけ通った記憶を頼りに待ち合わせの場所に向かった。
 日は明るく、風はやわらかく。当然出かける人も多い。男も女も大人も子供も誰かと親しげに会話をしながら、もしくは一人で、もしくは集団で通りを抜けていく。
 唐突に手を引かれて振り向くとシャルナークでもミランダでもなかった。髪の色はミランダと似た赤銅に近い色であったものの、顔の作りも何もかもどことも彼女に似ていない。掴まれる前になぜ気づかなかったのか、と露骨に舌打ちをすると男はほんの少し笑って「どこへ行くのか」とたずねた。
 「どこか」
 あたしは当然のように男の手を振り払う。
 「待ってよ、暇なら俺たちとお茶しない?」
 わかりやすい誘いの文句だった。あたしはそんな男どもに興味はなかったが、続いた言葉がちょうどこれから行こうと思っていた場所だったものだからほんの少し、表情を動かしてしまう。多分男にもその変化はわかりやすかったのだろう。男がまたにこっと笑った。
 華やかなお菓子とフルーツの名前を並べる男は、気づけば二人になっていた。決して行き先を邪魔するわけではないが、通行人に見えないように上手いこと体で隠しつつ掴んだ手は離さない。周りから見れば中のよい友人とでも見えるのだろう。
 春になれば虫やら花やらといったものとあわせてこういう馬鹿が増えるのだ、とどこかで聞いたような言葉を思い出してあたしはため息をついた。そしてそれとほぼ同時に人ごみの向うにちらりとシャルナークの金髪とミランダの赤い髪を見つけた。若干幼い容貌を持ちながらもその身長と非常に綺麗に流れる金色の髪を持つシャルナークは、大抵どこにいても目立つ。旅団の仕事のときこそ、一番目立たない役割に徹するものの、こうして私服で町に出ればクロロと同じように目を惹くタイプの人間だった。
 あたしはすいっと糸と針を飛ばす。それは人の間を通ってシャルナークの肘にぶつかったのだろう。彼が一瞬下を向いて、それから針を見つけ糸をたどる。彼の緑色の瞳があたしを見た。その後ろからひょっこりとミランダも顔を覗かせる。
 (手伝え)
 (マチ人気じゃん!!)
 (関係ないだろ)
 人ごみを通して唇だけで罵声を浴びせればミランダは腹を抱えて笑っていた。シャルナークも顔を背けているものの肩が震えている。これだから、腹が立つ。あたしはついにきっと男達を睨み返して、放せと冷たく言った。少なくともあたしは冷たく言い切ったつもりだったが、馬鹿な男達には殺気のない言葉では意味を理解できないらしい。殺す気にもなれない、だがあたしが本気で振り払おうと思えば多分相手の男達がただではすまないのが現状だ。
 「おっけー!そこまでそこまで!」
 「ミランダ」
 「ごめんごめんマチがわりと問題起こさないようにしてるのが面白くってさーあははははいお兄ちゃん穴が開くのはお腹と頭とどっちがいい?」
 「そうそう予約の時間に遅れちゃうんだよ、ごめんねお兄さん」
 あたしはもともと目つきが悪いから多少睨んだぐらいじゃ睨んでいるのかもよくわからないといわれる始末だ。だがいつもにこやかにしているシャルナークやミランダはほんの少し目を細めるだけでも随分と印象が変わる。普段がにこやかな分、殺気がなくとも不機嫌さが明瞭に表情に表れてしまうのだ。それはそれで面倒だが、少なくとも男達はあっさりと離れていった。シャルナークの表情にも増して効いたのはミランダの銃だろう。銃の携帯が許されている国は存外多い。今あたし達がいるところもそうで、銃の所持自体は決して違法ではなかった、が勿論ミランダは携行許可証も持っていないし明らかに違法だ。だがそんなことは男達にわかるはずもなく、ポケット越しに突きつけられた硬い何かにさっさと退散してくれたらしい。
 「じゃーんコインでしたー」
 ミランダが足早に去っていく男達に舌を突き出しながらポケットの中から取り出したのはただのコイン。丸いその感触をぐいと押し付けたら布越しでは男達には銃と区別できなかったのであろう。だがミランダが銃を所持しているのは確かだし、本当の意味で助かったのはあの男達の方だ。これでも引きが悪かったら、今日はちょっと路地裏が血で臭くなったのかもしれないのだから。
 「笑ってないでさっさと助けな」
 「ごめんって、それよりも予約の時間があるし行こう」
 シャルナークの言葉に笑いながらミランダが頷いて、あたしも仕方なくその場は納めることにした。どうせ口達者なシャルナーク相手では勝てないし、ミランダは鼻から取り合ってもくれないだろう。何せ今にいたっても「マチの表情が面白かった」などとほざく始末だ。全くもって腹立たしい。
 そこから先はシャルナークがいるせいか、それとも誰かが声をかけるよりも早くミランダがふらふらと動いてしまうせいか、何の問題もなく今人気の店までたどり着いた。基本予約、いくつか当日用の席もあるらしく店の前には長い行列ができている。昼の時間も終わりどこかで休憩を、と考える時間だからだろう。並んでいるのは圧倒的に女性が多く、皆いっせいにシャルナークに視線を向けて、それからあたしとミランダを見て顔をそらす。
 「わかりやすいな」
 「そうだね」
 シャルナークはあたしとミランダの言葉に笑った。別にこの程度で気を害するようなもんでもない、ただ事実として口にしただけである。
 予約をしているから、と一番前の女性客に断って店の中に入る。どうやら女性客の名前を借りての予約らしくミランダの名前はジェニー、だそうだ。
 ほんの少し予約の確認をしたあとあたし達はすぐに席に通された。角っこの席になったのは偶然なようで、席に着くとバイキングの簡単な説明を受けて終わり。
 春と夏の境目のようなほんの少し強い日差しが入ってくる店内は明るく、そして今が旬のフルーツの甘酸っぱい香りで満ちていた。机の上に並べられた甘いケーキやクッキー、マカロンの間に時々サラダが混じっている。甘いものに飽きたら・・・という配慮なのだろうか。あたしは適当に甘すぎないだろうベリー系の菓子を皿にとって席に戻る。
 「ってかマチ、なんか埃くさい・・・いや・・・」
 「わかるかい」
 「うーんなんか変な匂いが・・・・」
 「マチ適当に香水振りまいただろ、強すぎるよ」
 シャルナークはそのあたりも詳しいのか、今度からはこうしろと言ってくる。ミランダはまるきり興味がないらしく、やはりあたしと同じベリー系のケーキをぺろりと平らげていた。
 「あっこのイチゴすっぱい」
 「オレの!」
 「ざまぁ」
 シャルナークが何かしゃべっている間に、ミランダはさっと彼のケーキに乗っていたイチゴを掠め取ったわけだ。手癖の悪さに関しては、旅団の中でもミランダはかなり上位に入る。昔は体が小さく力任せではどうともならなかったからなのか、相手の気のそれた瞬間に狙うのが非常にうまいのだ。ケーキの形を崩さずによくイチゴにフォークをさせたものだ、と思いながらあたしも脇の甘くなったシャルナークからもう一個イチゴをいただいておいた。

2015.01.18