ヨゴトノリトのパラドクス

夏祭り

「夏祭りに行こう」
 曜次の提案はいつだって唐突で、そして何かしらトラブルを連れてくる。何、トラブルと言うが、それも全て曜次のせいと言い切るのは酷なもので、彼の刀が呼んでしまうので仕方ない部分が多いのだった。
「俺、外部のお祭りとか行ったことないんだ。花火見たい、屋台巡りたい」
 さらっとそういうと、曜次はさっさと傑の部屋から退出して変わりに荷物を持って、どん、と傑のベッドの上に鎮座した。一緒に行くというまでてこでも動かぬぞ、とばかりの表情に傑は呆れと諦めを持って両手を挙げ「わかったよ」と言うのだった。
 悟と硝子は今、任務でいない。必然動けるのは傑だけだ。曜次のお守をすると考えると、それだけでなかなかに面倒なことが起きる予感しかしなかったが、彼一人で生かせるのも少し戸惑われたので共に行くことにしたのだった。

 全寮制の呪術高専では、外出の際は届出を出して許可をもらわないといけない。曜次は任務以外で外出したことがないというので、傑が寮長に外出する旨を伝え、帰宅時間まできっちり書類に書いてそれからようやっと門の外に出ることができる。無論、それら一切の書類仕事を無視して外出することが出来ないわけではない。だがばれたときの面倒を考えれば書類一枚書いて外出できるのならそれに越したことはなかった。
 早く行こう早く行こうとうきうきわくわくしながら傑を急かす曜次の腹を小突いて黙らせて、書類を書き終えると、ついでに自転車の貸し出し表にチェックを入れる。
「なぁなぁどうやっていくの?」
「だと思った」
 行きたいという割りに行く方法を知らなかったりするのが曜次だ。深窓のお嬢様、ではないが、同い年の人間にほとんど触れることなく、また義務教育を家庭で済ませた彼は、あまり物を知らない。寮生になってから自分で洗濯や料理をしたらしく、そういう意味で言えば彼はお坊ちゃまだ。それもとびきりの。しかしながらそれは人間が呪霊を上回るために、剣術を極るのに必要な時間であったとも言えよう。義務教育も里で過ごした日々も曜次にとってそれは己の術を研鑽するために必要であったという他ない。事実刀を持たせれば曜次の右に出るものはいないというほどなのだから、天野家が曜次に施した教育は、正しかったといってもいいのかもしれない。その尻拭いをさせられているのが傑、なので彼に限って言えば文句の一つも言ってもいいかもしれないが。
「俺自転車乗れないよ?」
 けろりと言った曜次に「だろうね」とあっさりと答える。曜次には誰もが出来ることが出来ないことが多い。自転車もそう。
 ほとんど使われないために寮の裏でさびてきぃきぃと嫌な音が鳴る自転車を引っつかむと、蔦があちらこちらに巻きついている。傑はそれら全てを丁寧に取り去ってから、門の前でそわそわと待っている曜次の元へ行く。傑が前の席に、曜次は後ろの座席に。
「乗りなよ、さすがに徒歩で行くのもあれだろ」
「わーい」
 曜次はさも楽しげに、自転車に飛び乗ると、ぐらぐらと左右に揺れた。バランスをとるのは上手いらしく全く落ちる気配がない。
「足、ホイールに巻き込まれるヘマはするなよ」
 傑に一言注意され「はいっ!」と威勢のいい返事をした曜次はとても楽しそうだった。
 傑が前の席に座って、こぎ始める。初めは重たく感じたが、こぎ始めて勢いに乗ってしまえばどうということはない。曜次はさほど重くない。むしろ刀の方が重いくらいだ。
 ぎぃこ ぎぃこ ぎぃこ
 きしむ自転車はしばらく油も挿してないのだろう、耳障りな金属音が響くが後ろに座って傑の服を掴んでいる曜次はあまり気にならないようだった。
「なぁなぁどこまで行けば花火見れるのかな」
「さぁてね、とりあえず山を降りないとどうしようもないだろうね」
 そういって傑はブレーキをほとんどかけずに、山を下り始めた。呪術高専は人里離れた山の上にあるため、景色はなかなか悪くないが、俗物的なものが排除されているため、生徒にとって面白みはあまりないといってもいいだろう。とはいえ呪術師は常に引っ張りだこである。特に二級術師の曜次などはひっきりなしに任務に借り出されている。それだけ呪いというものは多いのだ。
 曜次を後ろに乗せた自転車は、山道をさーーっと降りていく。もうじき夕方になろうとする赤い空、生暖かい風が二人に吹き付ける。
 一瞬ぐらりと自転車が揺れて、傑はあわててバランスを取り直した。
「おい曜次! 君立ち上がるならそういってくれ!」
「ごめんごめん」
 後ろの座席にただ座っていることに飽きたらしい曜次は、ぴょんと勢いをつけて立ち上がったのだ。山を下りながら、曜次は夕陽に向かって大きく手を振る。ああ、何と楽しいのだろうか。けらけらと笑う曜次に対し、傑の方は若干ゆがみのある自転車のバランスを取るのに必死だ。
「あっあれ!」
曜次うごっく」
「わあああ!」
 ぐらりと自転車が、ガードレール側に大きく傾いたのは、曜次が祭りの気配を察して指差してぴょんと自転車の後ろで飛び跳ねたときだった。自転車の後部座席に乗っておきながら飛び跳ねるとは、並ではない。確かに剣術は並ではないが、ついでに言えば常識も並ではなかった。二人の乗った自転車はそのままガードレールに激突した。まず曜次がぽーんとはじき出され、継いでガードレールで首を真っ二つにされそうになった傑が、慌てて自転車から転げ落ちる。その途中で思い切り飛び出した曜次の手を握ると、振り子のように曜次は大きくふれて、そのままコンクリートの壁に叩きつけられた。
「あいたっ!」
 あの勢いで叩きつけられて痛いですむならよっぽどましだ。
「もう自転車は! 君が運転しろ!」
「乗ったことないもん」
「今教えてやる!」
 曜次が運転するのが安全なのか、それとも後ろに座らせておくのが安全なのか、傑にはもうなにもわからなかったが、これ以上何かされても面倒だとばかりに、自転車の前に座らせると、ブレーキの存在も教えずにそのまま坂道に送り出した。
「待って! 待ってこれどうやって止まるの!?」
「止まらないから上手くバランスとって!」
 傑の怒鳴り声に「わーー!」という曜次の悲鳴が重なる。それでも元々バランス感覚はよいのだ、曜次はすぐに自転車に乗る感覚を覚えたらしいが、ブレーキを知らないためそのままヘアピンカーブに突入し、ぎりぎりまで体を傾けてなんとかカーブを乗り越える。傑は、ヘアピンカーブに曜次が指しかかったのを見ると、ショートカットとばかりにガードレールを超えて、ぴょんと飛び降りた。
 ガシャン、と大きく自転車が跳ねる。一瞬前輪が浮いて曜次が悲鳴を上げた。傑が、真上から曜次の運転する自転車の後部に飛び降りたのだ。
「馬鹿なの!?」
「君の方がよっぽど馬鹿だよ」
 ここまでくるといっそすがすがしいほどに曜次は馬鹿だったし、それが滑稽で面白かった。
「ハンドルについてる、そう、それそれブレーキだから」
「これがブレーキね、かけていい?」
「ゆっくりね」
 トップヘビーになるとどうしてもバランスが崩れてしまい勝ちなので、傑は飛び乗ったあとはしゃがんで曜次の服を掴んだまま極力体の動きを曜次に任せていた。ゆっくりとブレーキを引く曜次、自転車は急な坂道であったが徐々に勢いを失って、そして完全に止まった時、自転車の止め方をよく知らない曜次がぐらりと傾いて傑は一緒に自転車から転げ落ちた。
 あはは、と笑う曜次は顔面を思い切りアスファルトに強打しておきながら楽しそうだった。傑はそんな風に曜次が笑うから、曜次に引っ張られるようにして笑う。馬鹿みたいなことだが、それがこんなにも面白く感じることがあるとは思ってもいなかった。
「もう一回!」
「ブレーキを引いたら片足で立つんだ。それから坂道じゃなくなったらペダルをこがないと勢いがなくなるからな」
 今度は傑は曜次に丁寧に自転車の乗り方を教えると、曜次はふんふん言いながらよく傑の話を聞いていた。勉強を教えるときでさえここまでよく人の話を聞くことはないだろう。そんな曜次に少し呆れながら、でもそれがどこか楽しくて、もう一度自転車を走らせて、転がってそうしているうちにあっという間に日は落ちてしまった。
 真っ暗な中、自転車の灯を頼りに一番近くの町に下りると、ひゅるるるるという音と共にどぉんと体に響く低音が空の上で響き渡った。
「わぁでっかい」
「花火、見たことないの」
「山向こうで上がっているのは見たことあるよ。でもこんぐらい」
 曜次は指で十円玉ぐらいの大きさを作ってそこから目を覗かせる。
「ここ真下かなぁ」
「違うと思うよ、大体川とか水のあるところで打ち上げるから。でもとても近いね」
「うん近いなぁ」
「お祭り、行かなくていいのかい」
「行く、でももう少し花火見る」
 暗くなった夜道で、灯りはほとんどなく、等間隔で空に打ちあがる花火だけが二人を照らしていた。
 しばらくの間傑と曜次の二人は、誰も居ない道路のガードレールによりかかって花火が上がっては消えていくのを見つめていた。傑の真っ黒な瞳の中に鮮やかな花火が咲くのは美しかった。途中で花火ではなく傑の顔を見ていることがばれて、ふいとよそを向かれたが、それでも夜空に打ちあがる花火と同じ位美しいものだと曜次は思う。
「花火はいいね、大きく見えるのも、音も全部綺麗だ」
 ぽつりと呟いた曜次は親指と人差し指をあわせて四角を作ると、まるでカメラで撮影でもするかのように、夜空に掲げた。
「傑、早くお祭りに行こう、皆帰っちゃうよ」
「そうだね、お祭りは人がいた方が楽しい」
 傑はよいしょとガードレールから腰を離すと、再び自転車にまたがった。
「どうせ道わからないんだろ。調べてきたから後ろに乗って」
「さっすが傑!」
 ぴょんと軽快な動きで自転車に飛び乗ると「もっと! 静かに!」と曜次は傑に怒られた。
 その後はただひたすら暗い山道を自転車で駆け下りて、そのまま町に入ると、鍵が元々ついていない自転車を草むらの中に放り込んで、二人で屋台の間を特に当てもなく歩いていった。
「たくさんあるねぇ」
「そうだね」
「傑はこういうところ来たことある?」
「いや、ないよ。私も私で人付き合いが悪かったから、友人らしい友人もいなかったし、声をかけられることもなかった。君が声をかけなければ行きたいとも思わなかったんじゃないかな」
「傑は淡白だなぁ」
「君ほどじゃないと思うけれど」
 そういう傑の横顔はいつもより楽しそうに、少なくとも曜次にはそう見えた。
「色んなのが集まっているねぇ」
「ああそうだね」
 盆も近い夏の祭りだ。呪霊に限らず人ならざるものが人に混じって闊歩している。
 曜次たちは呪術師であるから、呪霊は祓う。だが呪霊というものの定義は人によって曖昧で、人ならざるものは全て呪霊であると見なすことも、呪霊のほかに人間とは関わりを持たない魑魅魍魎や神霊の類が存在すると見なすこともある。天野家はどちらかといえば後者にまつわる存在だ。そうでなければ呪霊をわざわざ付喪神とは呼ばないだろう。ただ、どんなあり方にせよ、人でないものが人に干渉しようとするとき、必ず人の側に何かしらの問題が起きてしまう。そういった意味で呪術師以外の人間にとって、人以外のものは等しく危険であるといってもいいだろう。仮に天野曜次が大したことはないと見逃した魑魅魍魎も、只人にとっては脅威になりかねない。そういう意味では人ならざるものは全て祓ってしまうのがよいのかもしれない。
 傑も悟も硝子も、そして曜次もそのあたりの細かな見分け方について、深く考えたことがあるわけではなかった。そも呪霊以外のものはそもそも人と関わらないことも多いため、姿を見せないことが多い。神霊なんてものは精々神社に踏み込んだ時に姿を現す程度で、それ以外でふらふらと出歩くことはないのだ。魑魅魍魎悪鬼羅刹の類も呪霊と呼ぶかは、人とどれだけ接触する可能性があるかという区分になるのだろう。
「傑は呪霊は祓うべきだと思う?」
「……どういう意味で?」
「うーん難しいな。例えば俺は刀の付喪神と一緒に居る存在だ。呪霊と呼ばれるけど、俺の家では付喪神を呪霊とは呼ばないんだ。付喪神は付喪神、百年たてば勝手に物に宿るもの。刀だけじゃなく他の様々なものにも同じことが言える。俺たちは古物商が扱っているようなものに付喪神がついていても無視することが多い」
「なるほど、そういう意味か。そうだね私は祓ってしまうべき、とは思っているのかもしれないね。何せ私には付喪神と呪霊との違いがいまいちわからない。式神と呪霊、並んで歩いていたらどちらも祓うと思うよ」
「そうか見分けがつかないのか」
「どちらも呪力……神霊に関しては別の言い方が必要なのかもしれないが、ともかく呪力が満ちている以上私や呪術師以外の人間にとっては危険な存在だ。近づいて来ないものをわざわざ追うことはしないが、目の前に居れば祓うだろう」
 曜次は傑の言葉に納得したような、納得しかねるようなといった様子で首をかしげて「そういうこともあるんだな」とだけ言葉を添えた。
「納得いかない?」
「いや納得するもなにも、呪術師は本来そういうものなのかなって」
「そういうもの」
天野家が少し特殊なんだよ、付喪神を使役するという意味で」
「ふぅん」
 それきりとんと黙りこんだ傑の瞳には、もう祭りの灯りは映っていなかった。話題を間違えたかなと曜次は首をかしげ、それからすぐにそのことを忘れて傑の服の裾を引っ張った。
「傑! ほら一番大きいのが上がるって」
「え、あ、ほんとだ」
 深く考え込んでいた傑がぱっと顔を上げると、そこには大きな花火が蕾を開いたところだった。花火を打ち上げている場所と近いのだろう。花開くとほとんど同時にどぉんという臓腑の奥底に響く音が大気を振るわせた。
「実のところは俺はどっちでもいいんだ。俺はそういうのに実はあんまり関心がないから」
「ふぅん」
「傑はいっぱい悩むのかもしれないけど、俺には影鷹丸しかいないから、影鷹丸がよしといえばそれでいいんだ」
「君は」
 再び舞い上がった花火の音に傑の声はかき消された。
 夏ももうすぐ終わる。しかし終わったらまた次の夏がくる。
「なぁ今度はさ、悟と硝子も一緒に連れてこよう、な」

 笑った少年の顔はどこまでも晴れやかだった。
2019.01.08