ヨゴトノリトのパラドクス

番外編 きさらぎ駅壱

森の中は月の明かりがうっすらと漏れることを除いて、ほとんど光がなかった。真っ暗な木々の間から闇が迫ってくる気がする。そんな暗闇の中で、激しく動くものが二つ。一つは幼い少年だ。彼は四つん這いになって四足の獣のように森の中を自在に走り回っている。目には赤い炎が灯り、一目で彼が正気でないことがわかるだろう。手足は草木ですり切れぼろぼろになり血がにじんでいる。はた目からは何が彼を突き動かしているのかはわからないだろうが、もう一つの動く影は、少年の中にいるものを正確につかんでいた。
「だからさぁ、俺は少年を無傷で返すって約束してるの。もう手足切り傷だらけじゃん、無傷じゃないじゃん、でもこれって俺のせい?」
 刀を握った、髪の長い青年だった。すらりと長い痩躯は木々の間にあっても闇の中にあってもまるで臆することなく時折月明かりにきらめく太刀を振り回していた。
 手の中でくるくると回転させながら、少年の攻撃をいなしていく。少年は先ほどから一つ覚えのように爪を鋭くとがらせて青年・天野曜次の首を狙っていた。だがその爪が曜次の首を、いや体に触れたことは一度もなく、少年とそれに乗り移った存在は明らかな焦りが見えた。
「そのままじゃ勝てないよ。自分が強いのにわざわざ自分より弱い器に入ってもしょうがないでしょ。それとも俺が少年相手だったら油断すると思った? 残念、どうしてもお前が出てこないって言うなら少年事斬る」
 その瞬間、曜次の瞳には剣呑な光が宿る。わずかな月明かりの中にあっても、ぎらりと輝いた黒曜石のような瞳に、少年の中に入った存在は恐怖を覚えたのか、じり、じりと後退を始める。曜次は一歩足を前に出す。シャー、と少年が悲鳴を上げるように叫んだ。
 ブー、ブー、ブーと曜次の尻のポケットに入ったスマホが鳴ったのはそんな時だった。
 曜次は少年から目を離さないようにしながら、刀を持っていない空いた手で、スマホをポケットから取り出すと、軽くタップして電話に出る。
「はい、こちら、深夜の曜次。普通は寝てるのでこんな時間に連絡しないでくださーい」
『いや、君は起きていると思ったよ。だって任務だと悟から聞いていたからね』
「なんだ傑か」
『着信が誰からかぐらい確認したらどうだい』
「検討しておく。で、何?」
『任務の連絡だよ』
「俺今任務中なのに!?」
 曜次は山によく響く声で、叫んだ。少年がびくりと肩を震わせる。
『残念ながらね。それで現在の首尾はどうだい』
「最悪。呪霊が少年に取りついて暴れてる。さっさと倒さないといけないんだけど少年の器が弱すぎて俺の一撃で死にそうだから今山の中を逃げ回ってるところ、あ、いや俺が追い回してるんだっけな」
『そうか、それは面倒な時に電話をしたね。ならそのまま追い回しているといい』
「なんで?」
『少年の体力が尽きれば自然動けなくなる。そしたら呪霊は嫌でも出てくるよ。近くに人はいないんだろう?』
「うん」
『なら次に取り付く人間は君しかいない。少年から出て君を狙うその瞬間で勝負をつけろ。君ならできるだろ』
「まぁね」
『それじゃあ詳細はまた今度にするよおやすみ』
「おやす……いや俺寝れねぇんだって!」
 ぷつ……と静かになってしまったスマホに怒鳴ったが、すでに通話が切れたスマホからは何も反応は返ってこなかった。曜次は「はぁ~」と一つ大きくため息をつくと、スマホを尻ポケットに押し込む。曜次の履いているズボンは、オーダーメイドで作ったものだから体にぴったりとフィットしている。おかげで多少動いたぐらいでは、尻ポケットからスマホが落ちる心配はなかった。
「よし、それじゃあ追いかけっこを続けよう」
 呪霊にはあまり知性がない。故に、受肉する器としてあまりにも弱い少年を選んでしまったのだが、人間の器に入れば攻撃されないだろう、ということを考えるだけの知性はあった。それが厄介だった。
 曜次は刀を普段とは逆に、つまり峰の部分を下にして片手で構える。
 足元は朽ちた葉や木の枝が転がっており、あまりいい足場とは言えなかったが、この程度では曜次を止めることはできなかった。
 曜次が踏み込む。枯れ葉がぶわっと舞い散り、はらはらと地面へ落ちていく。枯れ葉が地面に触れるよりも早く曜次の刀は少年の首にかかっていた。呪霊は身動きすら叶わなかった。曜次はごく弱い力で少年の首元を打つ。この程度ならあざも残らないだろうと計算して打たれた一撃に少年は転がってそしてそのまま沈黙した。気絶したのだ。まだ未発達の筋肉は曜次の一撃を受けるには十分ではなかったということだ。これが大人であれば、曜次もあざが残る程度に打ち込まなくてはならなかっただろう。不幸中の幸いというやつであろうか。
「さ、少年の方はこれで終いだ。出てこいよ」
 曜次は煽るようにくいくいと指で宙をかいた。
 少年の体はしばし沈黙していたが、その口からずるりと何かが出てくる。最初は人間の腕のようなもの、続いて眼球がいくつも連なってブドウのようになった気持ちの悪いもの、そして人間の足が出てきてそれは立ち上がった。よくよく見ると足の根本には人間と同じ歯の生えた気味の悪い口がぱくぱくと開いては閉じを繰り返していた。
「それが本体か?」
【そ、ソッ、ソソソそれがァほんタイか? か? か?】
 呪霊は曜次の言葉を繰り返す。意思疎通はとてもじゃないができそうにない。倒れた少年の方は、ぴくりとも動かないが、よくよく耳を澄ませばすー、すーという一定のリズムで呼吸音が聞こえてくる。手足は切り傷だらけだが、問題はないだろう。
「それじゃあ終いにしよう」
【そソソそれジャ?】
 呪霊の言葉はそれが最後だった。呪霊は曜次が踏み込んだこともわからなかっただろう。縮地によって呪霊の懐に飛び込んだ曜次は、目にも見えない速さで、刀を振るう。眼球の一つ一つを切り裂き、腕と足を切り落とし、口の中に刀を突き立てれば、哀れ呪霊はそのままどう、と大きな音を立てて山の斜面に崩れ落ちるほかなかった。ざらざらと、呪霊は端から消えていく。それと同時に呪霊の気配もなくなっていく。
「ふー」
 曜次は刀の鞘に触れたまま、ふかふかとした枯れ葉の山に座り込んだ。呪霊を恐れて森の動物たちはそっと息をひそめている。静けさに支配された森の中、曜次はある種異様な存在だった。雲に隠れていた月明かりが曜次の足元に光を落とす。曜次はしばらくそうして月光をその身に浴びていたが、億劫そうに立ち上がると、斜面に転がっている少年の下へと歩を進めた。
「おーい」
 声をかけながらゆさゆさとゆする。気絶しているとはいえ、一時的に呪霊が体内に入っていたゆえのダメージが大きい。曜次の一撃は少年を昏倒させるとどめとなったが、あざも残らない一撃だ。体へのダメージはほぼない。肉体の中に呪霊が潜んでいたことも、本体である呪霊を倒したことで、問題はなくなったはずだ。あとはゆっくりどこかで休ませれば、少年はすぐにでも元気に走り回れるようになるだろう。
 曜次は頭をかいて、少年の体を抱き上げた。軽い。刀よりも軽いのではないか、ふと曜次は思う。少年がこれほど軽いのはろくに物を食べていないのではないだろうか。初めはそんな疑念だった。だが気になり始めるとどうしてもそれが頭から離れなくなって、曜次はそっと少年の衣を脱がせる。すると出てくるわ出てくるわ、明らかに体罰を受けた跡が山のように出てきた。そのほとんどは治りかけていたが、まだ新しいのもある。曜次はしばし考えたあと、「あーもう!」と叫んで、尻ポケットからスマホを取り出す。そして最新の着信履歴を選ぶと、タップして電話をかけた。
 プルルルル、プルルルル、プルルルル
 コールは三回だった。眠そうな声が電話越しに聞こえてくる。
『なんだい曜次。君、任務中じゃなかったっけ』
「いやそうなんだけどさ、ちょっとまた嫌なもんを見つけちゃってどうしたらいいかな~って」
『なんだい』
 曜次は簡単に先ほどの任務について説明する。任務は簡単だった、山中の村に潜む呪霊を祓うということで、送り出されたわけだが、呪霊は三級にも満たない、だが少年に憑依した。少年に憑依したのは呪霊の知性が足りなかったからだ、と曜次は思ったが、傑からの返答は曜次が予想していたのとは全く別の答えだった。
『……おそらくその少年は霊的な障害を受けやすい性質なんだろう』
「……どういうこと?」
『つまり呪霊が憑依しやすいってわけだ。君の話を聞く限り、その村で呪霊が発生したのは偶然とは考えにくい。今までも何度も呪霊は発生していたのだろう。その度に、少年のような呪霊が憑依しやすい体質の人間に憑依させて、まとめて殺していたんじゃないか?』
「でも村長の話じゃ傷つけずに助けてくれってことだったぜ?」
『本来なら少年ごと殺す予定だったが、予定外の呪術師が来た。もしかしたら少年は一度で死ぬはずだったが、術師、つまりは君のことだけど、君がきたことで、少年は二度使えるかもしれない可能性が出たってことだよ』
「……んー難しい。もっと簡単に話して」
『つまり一度目の憑依は君に中の呪霊を殺させておいて、次にまた呪霊が出たときに少年をもう一度使おうって話しさ』
「うわっ胸糞悪」
『閉鎖空間における人間の憎悪がどこに向くかは君もよく知っているだろう?』
「うーん、どうしたらいい?」
『少年が憑依されやすい体質なら、呪術高専に保護を求めた方がいいと思うね。私から連絡しておく、曜次、君、京都と東京どっちが近い?』
「んー、京都」
『じゃあ京都まで少年を連れてってくれ、事前に私が連絡しておくから、ああそうだ、迎えも寄越すように言っておくよ』
「頼むぜ。場所は、えーっとわかんないや。近場の町に出たらまた連絡する」
『わかった』
 それきり電話は切れて静かになった。いまだ森の暗闇は晴れずとも、やるべきことははっきりとした、曜次は刀を腰に佩いて、少年を背負うと、村へ続く獣道とは反対側に進み始める。およそ一時間、暗い山を徒歩で降りるとようやっと下の方に町の明かりが見えてきた。つづら折りになった道路は誰も通っていない。誰かいたらヒッチハイクでもしようかと思っていたのだが、残念ながら町まで歩く羽目になりそうだ。少年は今もこんこんと眠っており、起きる気配はなかった。起きて騒がれるのも面倒なので、今はこのままでいいかと思うと、曜次は舗装された道路を下って行く。
 さすがに少年を背負う手が疲労を覚え始めたころになって、曜次はようやっと町の入り口にたどり着いたのだった。日は山の端からわずかに顔を出しており、ときおりチカッと曜次の目を焼いた。
 曜次はそそくさと駅前のホテルに向かう。少年と刀を持っていると何を言われるかわからないため、ホテルの入り口に植えられた木々の間に少年を隠して、刀は刀袋にしまって、チェックインだけ済ませる。そしてまず部屋に入ると早速窓を開けて、下までの距離を測る。三階の部屋をあてがわれたので、飛び降りても、まぁ問題はないだろう。そう判断して曜次は窓からひょいと飛び降りた。着地し誰もいないことを確認してから少年を背負い、刀を構えて垂直に飛ぶ。縮地は本来平地で最も効果を発揮する体術の一つであったが、垂直は平面を向きの異なる平地、と捉えればまっすぐに飛び上がることも不可能ではない。特に三階程度の距離なら、曜次の縮地は上るのにも十分な効果を発揮する。
 曜次は窓枠に足をかけて、中に入ると今度はきっちりと窓を閉めた。そしていまだ目を覚まさない少年をベッドに寝かせると、曜次は先にシャワー室へと入ったのだった。
 秋風がほんのり冷たくなり始めた頃、山の中に一晩いた体は冷え切っている。そんな体を温めるように、熱めに設定したシャワーを全身に浴びるとようやっと生きた心地がした。夜の任務も、寒いところでの任務も慣れたものだが、任務明けに浴びるシャワーは気持ちがいいことに変わりはなかった。
 曜次は部屋の暖房を入れて、寝ている少年の着物を脱がすと風呂場に運ぶ。傷は手足の切り傷が真新しいだけだが、清潔にしなければそこから膿む可能性がある。手足から土を落としながらお湯で洗っていると、ゆさゆさとゆられて少年はようやく目覚めたらしい。そしてその瞬間、曜次の耳がどうにかなるのではないかと思うほどの絶叫を発した。耳がキーン、となって頭がくらくらする。この攻撃は予知していなかったと耳を抑えた曜次は思いながら、少年の方を向くと、いない。どこにいったと思って探せばなんのことはない、風呂桶の中に入り込んで隅っこでぶるぶると震えていた。
「おいで」
 曜次はできる限り優しいと思われる声音で少年を呼ぶ。だが少年は答えない。
「別に叩いたりしないよ、もうあそこにも戻らなくていいし。体洗おうぜ。臭い」
「……お前、誰」
 少年が初めて喋った。喋れることに少し驚いた曜次はにこっと笑って「お前を助けたやつ」とだけ答えた。
「体を洗ってきれいにしよう、それからのことはそれから考える。おっけー?」
 少年は、敵意はないと判断したのか、はたまたこれ以上抵抗すればまた叩かれると思ったのか、ゆっくりと立ち上がって曜次の方へ来る。曜次は軽すぎる少年の体を持ち上げて、風呂桶から出すと、シャワーで少年の体を洗ってやる。初めは少しばかり抵抗を見せた少年だが、しばらくするとしんと静まり返ってしまい、曜次は思わず何度か生きているか確認をとることになった。
 風呂が終わったら次は食事だ。非常食は持っているが、ホテルに来てまで非常食を食べたいとは思わない。ホテルで何か適当なものを注文する。注文したものが届くまでの間に、曜次は傑に連絡して、どこの町のどこのホテルにいるか正確な位置を伝えた。傑からの返信は早かった。十二時にそちらのホテルに向かわせると返信があった。
 ルームサービスで届いた食事はあまり豪華とは言えなかったが、少年には十分すぎるものだったらしい。がつがつと大急ぎで食事を口に運ぶ彼を眺めながら曜次はのんびりとサンドイッチをかじった。少年は曜次の分まで手を伸ばしたが、曜次は特に止めることはしなかった。サンドイッチを食べ終わると、曜次はベッドに横になって時間を確認する。時刻は朝の六時半。高専の迎えが来るまで半日はある。ならしばらく寝ておくか、とも思ったが、少年を一人にするのは心配だった。曜次はため息を吐くと、寝るのを諦めて、ベッドに腰掛ける。特に何をするわけでもないが、部屋をくんくんと嗅いで回る少年をただ眺めて時間を潰した。少年が逃げ出したりしなければそれで構わない。少年はしばらくの間部屋を嗅ぎまわっていたが、そのうちベッドが一番気に入ったのか、ベッドに丸くなった。曜次が手を出さないとわかったのか、それとも疲労が勝ったのか、少年は再び眠ってしまった。
 少年を監視するだけで特にこれと言ってなにをするわけでもなく、五時間半が経過した。そろそろ高専からの迎えが着いているころだ。曜次は少年の体をゆすった。少年は悲鳴を上げてベッドから転がり落ちた。少年の瞳には深い恐怖が刻まれていたが、相手が曜次とわかって少しばかり安心したらしい。風呂場で聞かせてくれたあの甲高い悲鳴を上げることなく、おずおずと曜次が差し出した手をとった。
 そうして曜次と少年はホテルを出た。ホテルを出ると目の前に黒塗りの車と黒いスーツの男性が立っている。
「天野特級術師ですね」
「うん、そう。俺とこの子、京都校までよろしく」
「夏油特級術師より承っております、後部座席へどうぞ」
 曜次は車の扉を開けると、中に入るよう少年に促す。そして曜次も中に入ると、今度こそしっかり寝てやろうと曜次は体を窓に寄りかからせた。
「あっ鍵かけておいて。この子逃げ出すかもしれないから」
「わかりました」

 曜次と少年が京都校に着いたのは、丸半日が経過したころだった。空はすでにとっぷりと暗くなり、月がゆっくりと登り始めている。太陽は当の昔の山の向こうに消えて、ぽつぽつと点いた明かりが足元を静かに照らしている。
「傑!」
 京都校の入り口で待っていたのは、ほかでもない夏油傑本人だった。曜次は少年と手をつないでいなければ飛びついたところだったが、あいにくと少年の手は離せない。
「その子が電話で言ってた?」
「そう。ふぅん……やあ、初めまして。私の名前は夏油傑だ。君は?」
 傑はしゃがみ込んで少年と目線を合わせるとにこやかに話しかけた。敵意も何もない一言に少年も感じ入るところがあったのだろう、「ない」とだけ答えた。
「そうか、少し困ったね。とりあえず君はもうあの村に戻らなくていい」
「……叩かない?」
「うん、叩かない」
「…………怒らない?」
「怒らないよ」
 少年の心をほぐすように傑は話を続けていく。なるほど、そうすればいいのかと曜次は思ったが、曜次には到底傑と同じ真似はできる気がしなかった。
 それからしばらくの間傑と少年は話をして、曜次といたときよりもずっと元気になった少年は、京都校の人に連れられてどこかへ行ってしまった。
「ふー」
 曜次は肩が凝ったとばかりに両腕を大きく回す。慣れない子守をやったせいだろう、全身が凝り固まってしまっているようだ。
「お疲れ様、ちょっとした災難だったね」
「まぁね。あの子どうすんの?」
「まぁ高専で預かることになるかな。まだはっきりしないけど呪霊が見えるなら窓になることもできるし、術式があれば高専に入学することになるかもしれない。でもまぁ義務教育を卒業するまでは、少年が自立できるよう高専がサポートするよ」
「ふぅん」
「君が連絡してくれたおかげで助けられたんだ。もう少し誇ればいい」
「誇るって言ってもなぁ。手続きしたのは傑だろ。俺は何していいかわからなかったし」
「見つけることが一番難しいんだよ、曜次。さてそれじゃあ早速次の任務の話をする?」
「やだ」
 びしっと断った曜次に傑はからからと笑った。
「まず寝る。ふかふかのベッドで寝る」
「それじゃあ任務の話は明日以降にしよう」
「そんなに急ぎじゃないの?」
「急ぎではあるけどね、君が寝不足で足手まといになるのは困るからさ」
「寝不足でも足手まといにはならねぇよ」
「睡眠不足をなめてはいけないよ」
 にっこりと笑いながら傑は言った。
 だがなんにせよ何よりも睡眠が必要なのは曜次だった。深夜の山の中での戦闘から、ここまで、車の中でしか寝ていない。それでも呪霊と戦うことはできたが、完全なコンディションである方がいいことは確かだ。傑と曜次は高専の敷地に足を踏み入れて、来客者用の宿舎へと足を向けた。もう傑が手続きを済ませているらしい。さすがだ、と褒める言葉も出ずに、曜次はベッドに横たわるとすとんと眠りに落ちたのだった。
 曜次が目を覚ましたのはそれから丸々十二時間以上経過したころだった。太陽はすっかり昇りきり、朝日が眩く、カーテンを閉めなかった曜次の部屋を照らしている。大きく伸びをして曜次は刀を担いで表に出る。傑はそれを待っていたかのように廊下に立っていた。
「早いな」
「そうでもないさ。十分休めた?」
「うん、ばっちり」
「じゃあ朝食でもいただきながら任務の話をしよう」
「はーい」
 大きなあくびをしながら、曜次は答える。お行儀が悪いぞ、と傑にたしなめられて「ごめんごめん」と謝ると、ぐうとお腹が鳴った。体は素直だ。曜次は傑の後について寮の共同の食堂に向かうと、そこで簡単な朝食を注文して、受け取ると、適当なところに座って、朝食をもりもりと食べ始めた。人の少ない学校だが、実は来客者は結構な頻度である。そのため食堂は常に火が灯っており、誰が来ても迎える準備は万端になっているのだ。
 曜次はパンをちぎりながら、「それで」と話を始める。
「任務って?」
「ああ、今回の任務は『きさらぎ駅』だ」

20201206