ヨゴトノリトのパラドクス

番外編 美々子と菜々子の授業参観

 授業参観(じゅぎょうさんかん)とは学校で行われている授業の一環であり、生徒の保護者も教室に入り生徒の授業を見ることができる。(Wikipedia)

「ほーう、つまり美々子と菜々子の授業を受けているのを見ることができるってこと?」
「まぁ簡単に言うとそうなるね」
「ふぅん、行かないとなんかまずかったりするの?」
「授業参観後に保護者だけの集まりもあったりするから、そこで家庭での様子を聞いたりするところもあるそうだよ、それを考えると行っておいた方がいいかな」
「じゃあ行こうぜ」
 曜次はばっと立ち上がる。
「俺も傑も美々子と菜々子が学校でちゃんとやれてるか心配だったろ、なら行くしかないじゃん」
「そうだね、この日付だと、ええっと」
 傑はバッグの中からスケジュール帳を取り出して予定を調べ始める。美々子と菜々子は勝手に進んでいく話に初めのうちこそあたふたとしていたが、傑と曜次が来てくれるという実感が徐々に湧いてきたらしい。二人で耳を寄せ合って口を寄せ合ってこそこそくすくすと話をしている。二人とも頬が紅潮して嬉しそうだった。
「うん、授業はなんとかなりそうだ。曜次はどうせ暇なんだろう」
「任務がなければね、あったとしても断るけど」
「任務をさぼるのは感心しないけど今回は美々子と菜々子が優先だから仕方ないかな」
 傑は曜次の言葉を聞いて肩を竦めたが怒るようなことはなかった。
 そこからはとんとん拍子に物事が進んでいった。特に曜次は授業参観に相応しい対応ができるようみっちり傑にしごかれた。きょろきょろ周りを見回さない、何かあっても基本黙っている、主体は児童、刀はできる限り音も立てないようにする、静かに立っている、など今更な内容でもあるが、あいにくと曜次は小学校に行ったことがないため、これらを基礎からたたき込む必要があったのだ。傑はその間にもふさわしいスーツを用意したりとせわしなく準備を進めていた。曜次は常にスーツだったが、呪霊と戦うのにもスーツで赴くためよれよれだったのだ。このため、曜次はスーツを新調することになったのは言うまでもない。
 そうして授業参観当日となる。美々子と菜々子はちょっぴりだけおしゃれな服に身を包んで、曜次と傑と共に通学路を歩く。美々子と菜々子は通学路のあれそれを一つ一つ丁寧に説明してくれるので曜次と傑はそれをうんうん、と頷きながら歩いていった。そんなことをやっていたせいでうっかり遅刻寸前になったのだが、曜次が美々子と菜々子を脇に抱えて走ったので、ぎりぎり遅刻にはならなかった。
 町の中にありながら、広い校庭を持つその小学校はコの字型をしていた。ちょうどコのへこんだところに昇降口があり、ばいばーいと手を振りながら美々子と菜々子が学校へ吸い込まれていく。授業参観の時間にはまだ早いので、傑と曜次は外で待機しているわけだが、同じように外で待機している親もちらほらと見受けられた。
 折角だし校庭でも見て周ろうということになり、傑と曜次の二人は連れ添って、校庭をぐるりと歩いて回った。四年生が世話をしているという鳥小屋は、チャボが何匹か入っており、生みたての卵が巣の中にころんと転がっている。近づくと餌をもらえると思ったのか、チャボが近づいてきて、網をちょんちょんとくちばしでつついた。
「へーえ、四年生が世話ってことは美々子と菜々子の学年だよな」
「そうだね、なかなか可愛いじゃないか」
「俺も昔鳥の世話やったな」
「へぇなんでだい?」
「電話線ひいてないから連絡手段が鷹なんだよね、うちの里」
 そう言うと傑はあっはっは、と笑った。
「このご時世に連絡手段が鷹だなんて初めて聞いたよ」
「俺も外に出てびっくりだよ、上を見ても鷹一匹飛んでないんだからさ」
「伝書鳩はよく聞くけど、君のところは鷹なんだな」
「あっ鳩も使うぜ。あと梟なんかも使う。その時々に応じてって感じだな」
 曜次の育った環境は複雑だ。一般家庭とは離れた環境で過ごした曜次と話していると、本人は気づいていない新しい知見がかいま見れて面白い。傑と曜次はその後も学校の設備についてやいのやいのと話をしながら校庭を眺めていく。
「おっ」
「どうした?」
「ほら、すぐるあのイチョウの木の下」
「……ああ」
 曜次が指さすと傑も見えたらしい。
 まだ青々とした葉をつけているイチョウの大木の下、地面から浮き出した根っこの隙間に挟まるようにして狩衣らしき衣装の少女か、はたまた少年かがしゃがみ込んでいる。しばらく傑と曜次が見ていると、少年は顔を上げて、『見えるの?』と聞いてきた。
「見えるぜ」
 曜次はそう言いながら近づいていく。
 その存在は呪霊に近い、だが本質は呪霊から一歩神霊に近づいたイチョウの木の精霊と言うところだろう。呪霊と精霊の違いは、人の負の感情から生まれたか、その他の感情から生まれたかによって区分される。ただの植物は通常愛でられて育っていく。その過程に負の感情が割り込む隙間はなく、美しい感情を注がれて育ったものは呪霊ではなく精霊と呼び分けている。といってもだ、呪霊と精霊の間に明確な区分があるわけではなく、あくまでざっくりとした呼び分けとなる。
 曜次と傑はイチョウの木の精霊のそばまで近づくと、その小さな頭を撫でた。
『触れるんだ』
「まぁな。ずっとここにいるのか?」
『うん、気づいたらここにいた。僕の居場所はここだよ』
「そうか、良い木だ」
 曜次がそういうと、少年はくすぐったそうにくすくすと笑って、イチョウの木の中に入って消えてしまった。
「長いこと大切に扱われてきたんだろうね。学校の守り神のような存在だ」
 とんとん、と傑は木の幹を叩く。木の幹は曜次と傑が手をつないでようやっと囲えるか囲えないかというほどに太い。何度も折れた枝、その度に新しい芽がでる。サルノコシカケがにょっきりと生え、全身でその歴史を物語っているようだった。
「さて、お次はなにかな?」
「おっと百葉箱があるぞ」
「ホントだ、これは中に何か入っているかな」
 冗談はよしてくれ、と笑いあいながら傑と曜次は百葉箱に近づき、ぱっと開いてそしてそのまま閉じた。
「嘘だろなんであんなのがここに保管されてるんだよ」
「こんなところまで仕事か……嫌になる」
「コトリバコか……封印はまだなんとかなりそうだけど放っておくわけにはいかないよなぁ……」
 コトリバコ、呪術の全盛期より現代に近い頃に作られた忌み物で、特に女子供に害をなす。その出生に関してはここでは省くが、とにかく学校にあっていいものではない。
「ちょっと高専に連絡してみるよ。もし破壊していいならそのまま破壊する」
「でも傑、あんまり時間ないぜ」
 曜次はちらりと時計を見て言う。授業が始まるまであと十分もない。気づけば校庭にちらほら見られた親と思しき人たちはいつの間にかいなくなっており、校庭は閑散としていた。子供が遊んでいれば賑やかな場所だが、人がいないと途端に物寂し気な雰囲気を纏うようになる。
「ああっもう、こういう時に限って電話にでないんだ」
 傑の電話口から呼び出し音が鳴っているが、一向に出る気配はない。最終的に留守電になって、傑はくそっとあまり言わない悪態をつきながら電源を切った。
「どうする? 斬ってみるか?」
 曜次の提案に傑は思考する。
「……いや今はやめておこう」
「なんで?」
「今は人が多いだろう? 君の刀で斬ったのならおそらくは何もないと思うが、万が一暴走した時にどうなるかわからない。特に今回はコトリバコで、下手に取り扱えば子供が犠牲になる可能性がある。それなら学校から児童が帰ったあと、夜にでもこっそり忍び込むなり、別の術師にお願いするなりした方が安全だろう」
「なるほどね」
 傑の言葉に同意した曜次は、刀袋から引き出しかけていた刀をしまいなおして、ぎゅっと紐で縛って肩にかけた。
「じゃあ俺たちも授業参観に行きますか」
「そうだね、遅刻するのも気まずいだろう。行こうか」

 校舎の中は、授業中であるというのに普段よりもにぎやかだ。児童たちがこそこそと喋る声、普段よりも声を張り上げてはきはきと喋る教師の声、それから複数の児童の授業を見に来ているため、頻繁に出入りする親。
 美々子と菜々子はクラスが違ったので、美々子のクラスに傑が、菜々子のクラスに曜次が行くことになった。曜次は四年三組を探しながらぐるぐると歩いて回る。そしてようやっと教室を見つけたころには、授業は半分ほど終わっていた。そろそろっと扉を開いて中の様子を伺う。児童たちが机に座ってそわそわしながら、教師の質問に答えていた。いつもより手を上げる頻度が多いのも、児童たちが親に頑張っているところ見せたいゆえだろう。そんな児童たちの中に菜々子の後姿を見つける。菜々子はちらちらと後ろを気にしていたが、戸口に曜次がいるのを見つけるとぱあっと顔を明るくした。
 曜次は人ひとり入れる分ぐらい扉を開くと、中に体を滑り込ませる。入り口付近にいた父兄が遠慮して少しだけ場所を開けてくれたのがありがたい。曜次は軽く礼をする。
 曜次が入った瞬間教室はざわついた。曜次がまだ若いからだろう。あのお父さん誰? お兄さんじゃない? と児童たちもひそひそと話が止まない。
 しわ一つないスラックス、新しくしたおかげでぴかぴかの革靴。ワイシャツもピシッとアイロンが書けられ、ネクタイピンにもこだわった。それなりの出費だったが。特級として任務を受けている曜次にとってはさほどの痛手でもない。曜次は菜々子がこちらを向いているのを見てにこっと笑ってひらひらと手を振った。すると菜々子の隣の席の子が「あの人菜々子ちゃんのお父さんなの?」と尋ねる。菜々子は少し恥ずかしそうに「親戚のお兄さん」と答えた。そういう風に答えなさいと傑が事前に言っていたのだ。そのことをきちんと覚えているようだった。
 曜次の登場に俄かに騒然となった教室だったが、教師の「静かに、静かになさい」という声でひそひそ声は小さくなって、やがて止んだ。教師も曜次のことが気になるようだったが、今は授業中であるとばかりにこほんと咳を一つして黒板に向き合う。
 授業は滞りなく進んでいた。教師の質問にも、児童たちは卒なく答え、親もそんな様子を見て満足そうだ。皆、気合が入っているため、これが普段の授業であるとは誰も思っていないだろう。だが自分の子供たちがしっかりと発表し褒められている姿を見るのは親にとっては嬉しい限りだ。菜々子も先生に指されて少し小声ながらも答えると、「よくできましたね奈々子ちゃん」と褒められ、嬉しそうな表情をしていた。
 そんななんでもない日常の様子を曜次は興味深げに眺めている。傑からあまりきょろきょろするなと事前に言われていたため、教室中を見回したい気持ちをぐっと抑えて、授業に集中する。曜次にとっては授業も新鮮だった。こうして多くの学友に囲まれて授業を受け、休み時間は流行りものの話題に花を咲かせまたは校庭に出て同じ年の子供たちと遊ぶのはどれほど楽しいことなのだろうか。曜次はそれを知らなかった。里には大勢の子供がいたが、当主となるべく育てられた曜次は他の子供たちと遊ぶことはほとんどなかった。また剣術の稽古に関してもそうである。そして曜次はそれに何の不満も疑問も抱いていなかったのである。自分は天野家の当主となる、そのためには力が必要だ、学ぶべきものは普通の子供たちとは違うのが当然のことだった。だからなおのことこれだけの子供たちが集まっている空間というものが物珍しく感じられるのである。自分は授業に参加する側ではないが、面白いなぁ、楽しいなぁと思いながらにこにこと授業を眺めていた。それにより勘違いが発生してしまったのだがそれはまた別の話。
 授業は順調に進み、あと五分で終了のチャイムが鳴る、と言う時だった。突然ズズゥンと大きな地震が校舎を揺らす。だが日本の児童だ、地震の一つや二つでそう簡単に動揺するほど甘くはない。教師の指示に従って机の下に頭を隠し、防災頭巾に手をかける。自身は一度だけでなく二度、三度と続く。ここでおかしいと曜次は気づく。これはただの地震ではない。教師も同じことに気づいたようだった。だが児童たちはまだ地震だと思っている。そう思わせておいた方が都合がいいので教師は「地震が収まるまで静かにしているように」とだけ告げる。だが、そんな中で窓際にいた一人の児童が悲鳴を上げる。
 曜次はぱっとそちらを見た。そこにはぎょろりと大きな目玉が教室の中を覗いていたのだ。
 曜次が跳躍する。わずか一度の跳躍で、三人の児童を飛び越えて、悲鳴を上げた児童の机に着地した曜次を保護者と教師はあっけにとられた表情で見ていた。曜次はそんな視線を一切気にせずに刀袋から刀を引っ張り出すと、窓を開けることなくガラス越しに目玉に刀を突きたてた。
 ギィィィィアアアアアア
 甲高い悲鳴がこだまする。ここまで呪霊に近づかれると児童のほとんどは目視できるようになっているらしい、そこここで悲鳴が上がった。また保護者の中にも見える人が出始めており、そちらからも悲鳴が上がる。他の教室も似たようなものだと壁越しに感じる。教室内はパニックになりかけていた。扉に飛びついた児童が、開かない扉に悲鳴を上げながら蹴り飛ばす。だが扉についている窓からまた目玉が覗き、児童とその保護者はじりじりと教室の真ん中に集まっていく。だれが引き金になって、教室が完全な恐慌状態になるか、それは時間の問題だった。
 曜次は思い切って教壇に上る。そして指笛でピー! と甲高い音を教室に響き渡らせると、恐怖でパニック寸前の児童と保護者そして教師の目が曜次の方を向いた。
「俺は霊媒師だ! あの目玉が見えただろう! あれは悪い物だ、だがこの教室に俺がいる限り絶対に入れさせない! だから俺の指示に従ってほしい!」
 刀、というものが持つ力なのだろうか。蛍光灯にギラリと輝く日本刀が、先ほど目玉を貫いて、そしてその目玉が崩壊していったのを見たせいか、教室の中の児童も保護者も教師も、皆ぴたりと静かになった。
 正直なところ、こういう場でどのような演説をすればいいのか曜次にはわからなかった。だが、ここで一番まずいのはパニックだろうと想像して、なんとか言葉をひねり出してみたのだ。傑ならもっと気の利いたことを言うだろう。だが傑はここにいない。曜次が何とかするしかない。
 呪霊と相対しているときとはまた違った緊張感に包まれる。曜次はウエストポーチの中からお札を取り出す。そして刀を掲げて大きな声で叫んだ。
「これから窓と扉に一時的な封印の札を貼っていく! これがあればしばらくの間はこの教室内は安全だ。俺はこの元凶を何とかしに行くから、絶対に教室から出ないでくれ」
 そこまで一息に言い切って、曜次は深呼吸をした。こんなことなら呪霊の相手をしていた方がずっとましだ。傑は大丈夫かな、傑なら大丈夫だよなと心に言い聞かせて、教壇からぽんっと飛び降りると、窓の一枚一枚にお札を貼っていく。札に書かれた文字は悪霊退散と似たような内容だ。曜次はあいにくのところこの札に何が書かれているのか知らないかった。今まで使う機会もなかったので関心がなかったのだ。こんなことならしっかり話を切いておくべきだったなぁと思いながら教室のすべての窓に貼り終えると、くるりと教室の中央に集まった人の方を向く。
「俺、これから、この元凶を退治しに行くから、俺が教室を出たらお札貼ってくれ、できるな菜々子」
 菜々子の頭をくしゃりと撫でながら言うと、菜々子は深く頷いた。
「曜次」
「ん?」
「私もついていっちゃだめ?」
「んー、今回はだめだ。菜々子には教室の人を守ってもらいたい」
 そう言うと菜々子は頷いてお札をぎゅっと握りしめる。それじゃあ任せる、曜次はそういうと教室を出てた。出た瞬間、空間が変容し、廊下は生々しい肉塊に覆われた異界と化していた。後ろを振り返っても教室の扉はもう見えない。扉があったと思われる場所を触ってもぶよぶよとした肉の弾力が伝わってくるだけで、扉にはたどり着けなかった。
「曜次!」
 曜次は声の方にぱっと顔を向ける。そこにいたのは傑だ。間違いなく傑だった。
「これどういうこと? てっきり学校が覆われてるんだと思ったんだけど、もう校舎内にまで呪霊が入り込んでる、っていうか、もう呪霊の腹の中って感じがする」
「ああ、教室にいた教師も児童も保護者も全員、窓の外の呪霊が見えていた。もしすでに校舎そのものが取り込まれてるとなれば、これだけの一般人が呪霊が見えるというのもおかしな話ではない。死が、近いんだ、私たち以外の教室では児童も保護者もこの肉塊に食われたとみて間違いないだろう」
「助けられるかな?」
「呪霊が現れてからまだ時間があまりたってない急げば、おそらく」
 傑の額には汗がにじんでいた。
「すでに探査用の呪霊を放った。祓われれたらそこが中心とみて間違いないだろう」
「傑って呪霊の位置までわかるんだっけ」
「おおよそは」
「わかった、じゃあ一旦校舎から出よう。ここにいちゃなにもできない」
「ああ」
 曜次の言葉に傑は頷く。曜次は教室があった方とは逆側の壁に向き直ると刀を構えた。
 一呼吸の間に十、二十と切りつける。肉片は脈動し勢いよく血を吹き出して曜次と傑の二人を汚した。呪霊の血も呪力が混じっているので一般人なら触れただけで失神するが、傑と曜次は多少は耐性がある。
 肉塊が肉片となってぼたぼたと落ちてくる。そうすると肉の隙間に校舎の壁か見えた。だがあっという間に肉塊は増殖し壁を覆ってしまう。
「しつこいな、なら再生するより速く切り刻んでやるよ」
 曜次はぐっと腰を落とし刀を右手に握りこんで、ひゅっ、と振った。肉片や血が飛び散るのも構わず曜次は斬り進む。剣速はさらに速くなり肉塊の増殖が追いつかなくなると、曜次の刀は壁にたどり着いた。
「傑! 捕まれ!」
「っ!」
 曜次に差し出された手を傑はつかむ。その瞬間ごう、と耳元で風がざわめいて傑は気づけば校舎の外、校庭に転がっていた。そばには曜次が立っている。
「抜け出せたのか?」
「たぶん。校庭は普通だ、けど」
 校舎はひどい有様であった。巨大な肉塊が校舎全体に張り付いてどくん、どくんと脈打っている。それはあまりにも巨大で凶悪な呪霊だ。
「! 私の呪霊がやられたな」
「場所は?」
「三階付近、屋上付近、それから……一階かな」
「核がいくつもあるのか……これはとてもじゃないがすぐには祓えないぞ」
「全員が生きた状態で助け出すには人数が足りないね。呪霊の核は動き回っているようだ、仮に動きに法則があっても、それを見つけるまでに中の人が食われてしまう」
「頭が一つなら切ってしまいだが、その頭がどこにあるかわからんしなぁ。どうする? 傑」
 曜次は肉片と血でまみれた刀をワイシャツで拭いながら傑にたずねた。
「時間があればなんとでもなるんだけどね、今は時間がない。となったらできることは一つだと思う」
「方法、あんの?」
「ああ、祓うんじゃなくて、封印する」
「ふういん?」
 曜次は首を傾げた。
「古く、より強いものの中に取り込ませて一時的に封印するんだ。四方封印なら、印釘を持っているからすぐにできる。ただどこに封印するかだけど」
『それはきっと僕の中だね』
 突然後ろに声と気配が現れて傑と曜次はばっと振り返る。そこにいたのは、授業参観の前に校庭を見て回っていたとき、見つけたイチョウの木の精霊だった。
『僕はこの学校の守り神だった。僕のうろの中に封印すればいい。しばらくの間は保つと思うよ』
「下手すれば、君は呪霊に飲み込まれるけれど、それでもいいのか」
 傑がたずねると、少年はくすっと笑って言った。
『仮に共倒れになるとしても、ここを守ることができるのならそれでいい』
 イチョウの木の呪霊、いや精霊はすでに覚悟を決めているようだった。傑はしばらくの間少年を見つめていたが、ふー、と息を吐いて「わかった」と言う。
「曜次はこの釘を学校の四方に刺してきてくれ、私はその間に四方封印の陣を描く。封印先はこのイチョウの木だ」
 曜次は神妙な顔つきで頷いた。
「あまり時間がない急ぐぞ」
 傑の言葉と同時に曜次は駆け出す。傑は適当な木の枝を手に取るとイチョウの木を中心に陣を描き始めた。校舎からイチョウの木までの道をつくり、イチョウの木のうろには事前に封印の札を大量に貼り付けておく。
「よし、こっちはこれでいいだろう。あとは曜次が……」
「終わった! 学校を取り囲む感じでいいんだよな!」
「ああ、それじゃあ始めようか。曜次はそっちに、そうそうその辺に立って」
 傑の指示に従って所定の場所に立つと傑はしゃがみこんで陣に軽く手で触れる。
「四方の門は閉じ、我は門の前に佇む」
『火に照らされ水に生かされ土に立ち木と共に生きる』
「ここに告げる、我は四門の守護者なり、再び開け! そして門は閉ざされる!」
 はじめの変化は微量なものだった。校舎に張り付きどくんどくんと、校舎と一体となって脈打っていた肉塊がじわりとイチョウの木の方に引きずられる。その力は徐々に強くなり、最後には大風を伴って肉塊を引きずり込み始めた。
 空間全体に木霊するように呪霊の悲鳴が響きわたる。傑も曜次も思わず耳を閉じて目をつむり呪霊の悲鳴から逃れようとした。体の中をつんざくような悲鳴はやがてぱたりと止む。校舎を取り囲んでいた肉塊はきれいに消え失せ、それと同時にイチョウの木の少年もまた姿を消していた。

 その後は学校中大騒ぎであった。本来なら見えないものが見え、曜次と傑が居なかった教室では児童も保護者も教師も意識を失っており、何もないのに体調の不良を訴える。呪霊に触れたためであるのだが、もちろんそんなことを言っても実物を見た者でなければ信じられない。ニュースで幾度も取り上げられ、結構な騒ぎになった。
 そしてその騒ぎのもう一つの中心は、校庭の古いイチョウの木が突然台風でもないのにぽっきりと根元から折れてしまったことであった。人の居ない夜に折れたらしくけが人はいなかったが、なぜ折れたのかは専門家にもわからないという。その真相を知っているのは傑と曜次だけだ。
「きっと、呪霊の力が強すぎたんだな」
 小学校と呪術高専のちょうど間にあるカフェで、四人で席に座ってからんと氷を鳴らす。
「呪霊を逃がすくらいなら共倒れになることを選んだんだきっと」
 学校を見守り続けたイチョウの木はなくなってしまった。あそこまで大きく立派な木が再び学校の守り神になるにはまた長い時間がかかるだろう。
「でもね曜次」
「ん?」
「あのイチョウ、新しい芽が出てるんだよ、たくさん」
「へぇ」
 もしかするとあの少年が戻ってくる日は存外近いかもしれない。そんなことを思いながら、曜次は空っぽになったプラスチックのカップを揺らしたのだった。


20210128