昨年の交流会を振り返る時期が来た。夏の日差しも和らぎ、時折やってくる台風に外出を制限されながら日々は過ぎていく。
この一年の間に悟は特級に昇格していた。悟の特級上りは色々と要因はあるのだが、無下限術式の完全覚醒が大きいだろう。だが特級と言うのは呪術界における外れた位置づけでもある。扱いに困る術師を特級という特別枠に入れてコントロールしよう、というのが目的で、特級に上がったこと自体はあまり素直に喜べるようなものではないのだった。だが、その実力が認められたことは確かである。傑と
曜次は悟の特級上がりを素直に祝おうということで、わざわざ高専を抜け出して美味しいと評判のケーキ屋さんでケーキを買ってきてささやかなお祝いを催したのであった。
さて、今年もまた姉妹校交流会の時期が近付いてきたのだが、悟は特級に上がったことにより、交流会の参加を禁止されることになった。あまりにも強すぎて交流会が成り立たなくなってしまうというのが理由である。そしてそのとばっちりを受けたのは
曜次と傑だった。二人も昨年の交流会から、悟と同等の力を持っているとされ、交流会への参加を禁止されたのだ。一級術師が参加してはいけないという制限はない。だが力のバランスがあまりにも東京校に偏っているのは不公平だという声があったのも事実だ。
曜次も傑も交流会に率先して参加したいというタイプではなかったので、夜蛾から今年の交流会について説明があっても喜びもしなかったしかといって悲しむこともなかった。その代わり傑に別の任務が下った。
「傑だけ?」
悟と硝子のいない教室はいつにもましてがらんと寂し気だ。生徒の半数がいない、と考えると寂しさの理由もわかってくるが元が四人なので、二人減ったところでさして大きな違いはない。
曜次は不満げに声を上げる。元々生徒一人の任務に反対の声を上げていた傑と
曜次である。いくら傑が一級とはいえ、経験は圧倒的に足りていない。灰原の時のような事故が起きないとも限らないと言えば夜蛾はため息をついた。
「仕方ないだろう、
曜次の次の任務も決まっているのだから」
「でも重なってないじゃん、傑の任務俺もついていく」
「そうするとスケジュール的にきついのはお前だぞ」
「別に一晩寝ないぐらいなんてことない」
「……はぁ。わかった、ついていってもいい。ただし問題を起こすなよ」
「やった!」
曜次は傑に飛びついた。傑はやれやれという表情をしているが、
曜次との任務が嫌なわけではないので、ため息を一つ吐きながらもまんざらではない表情をしていた。
「でも君が私の任務についてくるということは、逆に君の任務に私もついていくということになるけどいいね、
曜次」
「いいよ」
けろっとした表情で
曜次は了承する。もう一度大きなため息を夜蛾は吐いたが、特に否定はしなかった。それを肯定と受け取った
曜次と傑は本日中に高専を発つために荷物の準備を始める。とはいえ、夏の時期はひっきりなしに近方から遠方まで任務が目白押しだ。大体の荷物はまとまっていて、変えるとするなら使った下着やタオルぐらいなもので、あとはそのまま、財布や携帯をポケットにねじ込んだらいつでも出発できる準備は整っている。五分もかからず荷物をまとめ終えた二人は、補助監督の待つ第五東門に向かう。大仰な門は有名なデザイナーが作ったもので、歴史的価値は相当なものだという。だがそのデザイナーは自ら生み出した呪霊によって死んだ。そのため価値があっても表向きには出せないのである。そういった、表に出せないものが呪術高専には山のように保管されている。校舎や宿舎は耐震性の問題から比較的最近作り替えられているが、歴史的建造物は探せばいくらでも出てくるだろう。そのすべてに人払いの結界が張られているため、一般人が呪術高専の価値に気づくことはない。
傑と
曜次は補助監督の車に乗って静かに出発した。ほとんど振動を感じさせない車に乗ると
曜次はいつも眠くなるのだが、傑はそうでもないらしい。補助監督から手渡された資料を熱心に読み込んでいた。
「村人の失踪……山狩りの調査によればもう十名以上か……」
「村の規模は?」
「五十名いるかいないかってところだね。過疎化して老人ばかりだ、まぁこういう村だから外界との接触もほとんどない。子供が産まれても役所に申請しない場合があるから、実際はもう少し多いのかもしれないけれど」
「ふぅん」
「閉鎖的な村だよ。環境だけなら君のところの里と似てるんじゃないか?」
「んー……ま、そうだね」
「そういえば君のところの村は子供が産まれたときとかどうしてるんたい? 役所に申請するにも住所は正確な場所を教えるわけにはいかないだろう?」
「んー、うちの里は個人所有の山があってね、そこに仮初めの村を作ってるんだ。そこは過疎化した村って設定で地図にも載ってる、だから誰でもこれる。その村を管理する担当がいて、定期的に村の状況を更新したりしてるんだよ。俺の住所とか生まれはその村ってことになってる」
「へぇ、さすがに規模が違うな」
「神経質になってるんだよ扱うものが扱うものだけに」
なるはどね、と傑は頷いた。そして再び資料に目を落とす。
「これ以上放置はできない、が、根本的な環境を変化させないとまた呪霊が産まれる気がするな。こういう閉鎖的な村は特に」
「だろうね」
排他的な村はよそ者を受け付けない、しかし村人も人間である以上負の感情は必ず産まれてくる。そのような場合に何がその負の感情の受け皿になるのか? 簡単である、村で産まれる異質な存在が、そのはけ口となるのだ。行方不明の事件やごく普通の事故、様々な問題は全て異質な存在のせいであるとすることで、心の平穏を守るのである。
傑の心は資料を見つめながらどんどんと沈んでいく。この村に行けば必ず人間の、非術師の負の側面を見ることになる。自分はそれに耐えられるだろうかと自問自答する。
傑はちらりと
曜次の方を見た。
曜次はちょうど大きな欠伸をしたところで、目に涙がたまっている。それを拭うと傑の視線に気づいた
曜次が「何?」と声をかけてきた。
「いや……」
これは傑の心の問題だ。
曜次に言うべきか傑は躊躇していた。自分の心の問題に
曜次を引き込んでいいものか、それは自分で結論を出さなければいけないものなのではないかという気持ちが傑の口を重くするのだ。
「……傑さぁ」
「なんだい」
傑は努めて明るい声音を意識した。自分の中の結論の出ていない負の感情を悟られないように、迷いがあると悟られないように、あえて明るい口調で
曜次に応じたのだった。
曜次はそんな傑をじっと見つめていたが「やっぱなんでもない」と自分から話を終わらせた。そして
曜次はふいと窓の外に視界をやったまま傑の方を見ようとしなかった。
傑にはそれがありがたかった。結論の出ていない問題に
曜次を巻き込んではいけないという気持ちが強かったからだ。もし、
曜次が踏み込んで話を聞こうとすれば傑は耐えきれずに自分の心をさらけ出してしまうかもしれない。そして
曜次を迷わせてしまうかもしれない。そんなことは許されない、と傑は思っている。それが傑の悪い癖であるという自覚は本人にはなかった。
雨が降ってきた。ぽつりぽつりと始めは小さかった雨粒はやがて大きくなり、車のワイパーが滴り落ちる水を弾き飛ばす。なんとも湿気った始まりだなと傑は思う。できることなら現地につく頃には止んでくれているといいんだけど、と思うのだった。
補助監督の車を乗り継いで八時間ほど走っただろうか。体はすっかりこわぱり、座り続けた尻は痛くて早く立ち上がって足を延ばしたかった。それは傑や
曜次だけでなく補助監督も同じようで、ようやっと長い運転から解放されると、補助監督もまた大きく伸びをしていた。
ここは任務先である村の山の麓の宿屋である。すでに時刻は六時を回っており、これから呪霊退治に向かうのは危険だろうということで、宿を取ることになったのだ。
昔は宿場町として栄えていたようだが、交通インフラの整った現代ではほとんど活用されなくなり、すっかり古びた宿が一軒残っているばかりである。お世辞にも外観がきれいであるとは言い難い宿だったが、掃除は行き届いているらしく埃で困ることはなかった。
薄い布団に体を滑り込ませて体を横にすると、移動してただけだというのに疲労がどっと押し寄せてきた。知らぬ間に緊張していたのだろうか、傑も
曜次もあっという間に眠気が押し寄せてきてコトンと眠りに落ちのだった。
次の日は、昨晩の眠気と疲労が嘘のようになくなって二人とも朝早く起きると荷物を整理し早速現地へ向かうことにした。任務先の村までは、獣道のような山道を上っていかなければならず、なかなか苦労したが、村に近づくにつれ道も整理されたものになってきたため、急な山道で下草に足を取られながら進む、なんてことにはならずにすんだ。人の気配がしてくると、傑も
曜次もほっとする。地図が古いものだったから午前中の間にたどり着けるか不安だったのだ。
村はまるで昔にタイムトリップでもしたかのように現代から切り離されていた。木造の平屋が連なり、周囲に畑がある。貧相な農具が壁に立てかけてあり、家の前に張り巡らされた手製と思われるロープに着物がかかっている。
時刻は午前中の十時、八時に宿を出たので約二時間の間山をさまよっていたことになる。暗くなると帰り道が心配だ、早めに片づけてしまおうということで、二人は村で一番大きな建物にまっすぐにむかった。
村人たちはあまり好意的であるとは言えなかった。扉越しに傑と
曜次を監視している気配がある。だがそちらを向くと、少しばかり開いていた扉をぴしゃりと閉めてしまい積極的に話をしようとは思えない態度だった。だがこのような反応にはそれなりに慣れている。それに別に村人と積極的に交流がしたいわけでもない。傑と
曜次は任務さえこなせればそれで十分なのでさっさと村長のところへ行くと、今回の村人失踪騒動の話を聞いたのだった。
村長曰く、初めての失踪事件は半年前だったという。村人が服だけを残して蒸発するようにいなくなり、その日を境に月に一人二人と蒸発したのだそうだ。昨日も一人行方不明者が出ており、このままでは村が立ちゆかなくなってしまう、なんとかしてくれ、と頼む村長の目は明らかに部外者である傑と
曜次のことをよく思っていなかった。問題が解決しない以上外部に頼むしかないが嫌々、といったところだ。傑と
曜次はすぐに捜査を始めると約束し、立ち上がろうとしたとき村長はぼそりと「本当は原因はわかってるんですよ」と呟いたのだった。
「どういうことですか?」
「……そちらが満足のいくまで調べたらお話ししますよ」
村長はそう言ったきりとんと黙り込んでしまったので傑も
曜次もそれ以上の話を聞くことはできなかった。なんとなく嫌な雰囲気のまま傑と
曜次は村長の家を出て村中の捜査を始める。その間にも村人たちは傑と
曜次の方を見てぼそぼそと何かを話してはさっと散っていく。正直な話気分はあまりよくなかった。だがこれも仕事だと割り切って呪霊の残穢を探していく。
一時間ほど村を歩き回っただろうか。呪霊の残穢は色濃く村中に残っていた。そのおかげで追跡はさほど難しくなく、二人はあっという間に呪霊を追いつめるとさほど苦労することもなく祓ってしまいとなった。そしたらさっさと終わったことを報告してこんな陰気な村から帰ってしまおうと二人で話していたときだった。
「ちょっと」
今まで話しかけてこようとしなかった村人がどのように心変わりしたのか突然二人に声をかけてきたのである。傑と
曜次はお互いに顔を見合わせてから、「なんでしょう」と言葉を丁寧に選んで答えた。
「見てほしいものがあってですね」
ぼそぼそと方言混じりで話す村人の言葉は聞き取りにくい。ただ、ついてきて欲しいと言っていることはわかったので、二人は村人について行くことにしたのだった。
村はずれの掘っ建て小屋に案内されて中に入る。そこにあったのは人間の醜悪さを濃縮したような、現代ではとても考えられない光景だった。
小屋とは裏腹に頑丈に作られた木の牢の中に子供が二人閉じこめられている。明らかに暴行を受けた後があり、糞尿は垂れ流しで悪臭を放っていた。
「今回の騒動のことで来たんでしょう? 原因はこの二人ですよ、産まれたときから変な術を使って村人を惑わしてきたんです。早く殺してください」
ここへ案内した女と男は交互にこの子供たちがいかに悪い存在かを吶々と語る。そして早く殺して欲しいと何度も口にするのだった。
傑は沈黙したままだった。子供は明らかに術式を持った術師だ。呪力が薄く二人の体を取り巻いていることが目を凝らせばすぐにわかる。だが村人にはそんな話は通用しない。
どろりと薄暗いものが傑の胸に溜まっていく気がした。非術師は守らなければいけない存在だ、だが現状は守るべき非術師によって術師は迫害を受けている。この二人の子供が何をしたというのだ? 我々術師が常に戦っている理由はなんだ?
傑はゆっくりと手を上げる。黒い影がじわりと滲んだ。そしてその手を握り込もうとしたとき、ぱしっと傑の手を取る者があった。
「
曜次」
「俺がやるよ」
「
曜次、しかし」
「傑は見てて、何もしなくていい。お二人さんこの子供の処分は俺たちに任せてもらっていいですかね」
「
曜次」
「いいからいいから」
曜次はそう言いながら、刀を抜く。子供はヒッと小さく声を上げて壁際に寄り体を縮こまらせた。小屋の外から漏れる明かりに刀がきらめいた。気づけば木でできた牢は細切れになり、
曜次が屈めば中に入れるだけの隙間ができている。
「二人ともおいで」
曜次は牢の中の二人に優しく笑いかけた。刀は鞘に収め、他に武器となるようなものは持っていないよと示すように両手を上げる。その動作に敵意がないと見たのか、はたまた別の理由か、二人の子供はわっと泣き始めた。
曜次は糞尿を気にする様子もなく牢の中に足を踏み入れると二人を抱き上げて牢の外に出る。
「この子たちは我々で何とかします。それじゃ皆さんさようなら」
曜次は子供二人を抱えたまま呆然としている二人の横を通り抜けて外に出ると、未だ暗がりにいる傑に「帰ろう」と声をかけるのだった。
傑はどうすべきか一瞬迷った。今ここで村人を皆殺しにしてしまいたいというひどく暗い欲求が自分の中に産まれてることをはっきりと理解したのだ。だが、
曜次はそうは思っていないようだった。
曜次に手を止められたとき、傑はほんの少しほっとしていた。自分を止めてくれる人がいるという事実に安堵を覚えたのだ。
傑は
曜次に促されるまま小屋を出て、
曜次と傑の二人分の荷物を抱えて、村を通り抜ける。
曜次が子供を二人抱えていることに、村人は皆驚いたようだが、傑がそちらを見ると皆さっと視線を逸らして家の中に入っていってしまうのだった。
「さて、帰り道は、どこだっけ、傑」
「あ、ああ、こっちだ」
曜次はいつもの
曜次だった。その変化のなさに救われる。
「
曜次、一人預かるよ」
傑は状況を飲み下して、ぐっと足を踏ん張ると、できる限りいつもと同じ語調で
曜次に話しかけた。
曜次は嬉しそうに笑って。黒髪の女の子を傑に渡した。
「もう大丈夫だからね、君たちはもう二度とあそこに戻る必要はないんだ」
「……ほんとう……?」
消え入りそうな声で女の子が呟いた。そして傑にひしっと抱き着く。
「山を下りようそしたらきれいにしてあげるからね」
女の子は長いこと風呂にも入れてもらえていないのだろう、ひどい悪臭がする。だがそんなもの気にならないほどに傑は怒っていたし悲しんでもいた。
女の子をしっかりと抱えて、山を下りる。上るより時間がかかったのは、片手がふさがっておりバランスをとるのが難しかったからだ。それでも夕方の六時になる前には山の麓の旅籠にたどり着くことができて、
曜次と傑は早速女将に風呂の準備をお願いしたのだった。二人だけで風呂に入れるかと尋ねると、大丈夫だというので、傑は風呂の前で待つことにした。その間に
曜次が女将に子供服がないか尋ねている。どうやら女将の子供が使っていた古い着物が残っていたようで、それを言い値で買うと、二人、美々子と菜々子のどろどろに汚れた洋服をビニール袋に詰め込んで代わりの洋服を置いておいた。あとは、自分でできると言っていたから自分たちの好きにやらせようと
曜次は女風呂を出て、傑の隣に座り込んだ。
傑と
曜次は沈黙したまま、シャワーの音が途切れるのを待つ。ガラガラと引き戸を開ける音、そっと忍ばせた足音、そしてなるべく音を立てないよう着替える二人の様子を耳で聞いて様子を探る。よほどひどい目にあっていたのだろう、音を立てればひどいことになると思っていることがすぐにわかる動作だった。それからは大変だった。旅籠ではさすがに幼いとはいえ男女同室はどうかということで別の部屋をとったのだが、美々子と菜々子は極端に他者を恐怖しており、まずベッドで寝るという行為そのものを拒否したのだ。
曜次はこういうときに諭したり根気よく会話を続けることは苦手だった。早々に諦めて自分が布団の中に入って「あったかいぞ、おいで」なんてことをしてみたのだが、部屋の隅に固まってしまった二人はがんとして動こうとしなかった。
傑はそんな二人を見て、ちょっと距離を置きながらずっと話しかけていた。
「もう怖がるものはなにもないよ、美々子と菜々子は何が怖いんだい」
美々子と菜々子、という名前を聞きだしたのも傑だった。傑は話が上手い、元来傑が持っている優しさもあって人と打ち解けやすい性質がある。そのおかげで美々子と菜々子も少しだけ心を開いたのだ。
「……おとなのひと」
美々子が小さく呟いてきゅっと体を丸めた。傑はあぐらをかいて座って「私も大人の人かな」と呟いている。それからふと思いついたように自分の影に手を当てた。影の中から出てきたのは蠅頭だった。二匹の蠅頭はよくよく見れば愛嬌があるようにも見えなくもない。くりっくりっと首をかしげるように動かす蠅頭は美々子と菜々子にとっては人間よりも身近な存在だったらしく、表情がぱっと変わる。傑はその表情の変化を見て、さらに呪霊を出す。そうして気づけば低級の呪霊が列車のように連なって部屋の中をぐるぐると歩き始めた。
「美々子も菜々子も見えるんだろう? 私も見える。
曜次も見える。私たちは同じところにいるんだ。だからもう何も怖くない。大人に怒られたり閉じ込められたりすることはもうないんだよ」
「……ほんとう……?」
「本当さ、私もあそこで寝そべっている
曜次も、君たちを殴ったりなんか絶対にしない」
だからおいで、と手を伸ばすとついに我慢の堰が切れたのか、美々子と菜々子はわっと一気に泣き出した。今まで必死に我慢してたのだろう、それが全部溢れてしまったように、わんわんと泣く美々子と菜々子を傑は近づいて抱きしめてやる。呪霊列車は今もぐるぐると部屋の中を回っている。
曜次が列車をつつくと、呪霊は嫌そうに体をよじった。
そうして長い時間をかけて二人と対話をした傑は、なんとか二人を布団に寝かせるという行為に成功した。二人は突かれていたのだろう布団に入って落ち着けるとわかるとすとんと寝入ってしまい、あとは静かなものだった。傑と
曜次はそっと足音を忍ばせて、部屋を出ると、自分たちの荷物を置いてある部屋に戻ってようやっと一息つく。
だが傑はそれで終わりではないようだった。
美々子と菜々子を寝かしつけていた時の表情とは打って変わって厳しい表情を浮かべている傑は部屋を出ようとする。その手を掴んだのは
曜次だ。
「傑、そろそろ、何があったか話してよ」
「……」
傑はとんと黙っている。
「傑が何かに悩んでるのは知ってる。それをずっと一人で抱えてるのも知ってる。でもきっとそれはよくないことだと思う。だから傑には何があったのか、話してほしい。それがたとえ結論を出せてないことだったとしても。それが親友ってやつじゃないの?」
曜次の言葉に傑はずきりと胸が痛む。ずっと隠していた。いや、悩んでいた。自分の出す結論を探していた。九十九由基には勢い話してしまったが、それを軽率な行いだと自分では思っていた。だからこそ余計に
曜次の言葉が心に刺さる。
「……私は迷っているんだ。私たちの力は非術師を守るためにあるものだと思っていた。でも美々子と菜々子を見て、
曜次が行方不明になったあの時の事件を思って、灰原の件を知って、私の中で非術師の価値が揺らいでいるんだ」
本当に救うべき存在なのか? とずっと問いかけていると傑は言う。
「私は今日結論を出そうと思った。美々子と菜々子を見て非術師を許せないという気持ちで私は、結論を出そうと思った」
「傑」
「……」
「俺はさ、救いたい人全員を救うなんて無理だと思ってる。でも傑じゃないと救えない人間は絶対にいるんだとも思っている。俺はそれを見てほしい。傑にしか救えない人間を見てほしい」
「そんな人、本当にいると思うのかい」
「俺だよ。俺は傑がいないと嫌だ。傑と一緒にいたい。俺は傑がいて救われたんだ。何もない空っぽの人間だった俺が人並みに成れたのは傑がずっと一緒にいて、俺のことを諦めないで一緒にいてくれたからだ。だから傑は自分の価値をそんなに下げないでほしい」
曜次は真剣だった。それまでずっと
曜次に背を向けていた傑はそこでようやっと
曜次の方を向く。
「そうなのか?」
「そうだよ。傑は人のことばっかり。助けられる人間なんて限られてるんだ。その中には術師もいるし、非術師もいる。どっちもいてどっちも大切だ。全ては救えない。それは仕方のないことだ。今回のことだって、村人はもう救いようがないよ。あんな奴ら俺は救いたくもない、でも美々子と菜々子を救えた。それはきっと俺と傑にしかできないことだった。だから行かないで傑」
最後は懇願のような祈りだった。
曜次の両目から涙があふれてつーっと頬を伝いすり切れた畳に涙の粒が落ちる。
「でも結局全部俺のエゴなんだ。俺のエゴで傑に消えてほしくない」
曜次が泣くのを見るのは初めてのことだった。傑はしばらくの間じっと考え込んでいたが、その場に座り込んで
曜次の手を取る。
「そうだね、私は少し極端なのかもしれない。私は村人が許せない。術師を迫害し、殺そうとする村人が何よりも許せなかった。呪霊も見えない癖に、その責任だけを目に見える人間に押し付ける醜態が何よりも許せなかった。……私の道にあるのは術師の屍の山なんじゃないかと、ずっと思っていた。術師を救わなければならないと、そのためには非術師を殺さなければならないとずっと揺らいでいた心がここで固まったんだ。でも」
でも、と傑は言葉を続ける。
「私はきっと今
曜次に救われたんだ。誰か一人でも私のことを必要としてくれる人がいると言ってくれた。大丈夫だ私はどこにもいかない。私は私ができる限りのことをしようと思う。そうして出来上がる世界に、一緒に来てくれるかい、
曜次」
「うん、必ず一緒に行く」
曜次は涙を腕で拭う。
傑はずっと抱えていた荷を背中から降ろすことができた、そんな気がした。本当は誰かに全部話して止めてほしかったのかもしれない。たとえそれがエゴでも、一人でも傑を必要としてくれる人間がいて、その人が止めてくれたらいいと心の奥底で思っていたのかもしれない。
傑と
曜次はその後、他愛もない話をして眠りについた。
深い深い眠りの中で、共に笑う夢を見る。
20201004