ヨゴトノリトのパラドクス

交流会漆

 十二時に開始しわずか十五分で決着となった団体戦は東京校の圧勝という形で終わった。短い時間の中であったものの、両者それぞれ奮闘し、それが十五分の結果に結びついたのだ。負けた側の京都校もできる限りのことはした、と切り替え、両者の気がかりは次の日の個人戦にすでに移り変わっていた。
「明日は個人戦か……みんな不安はないか」
「ない。お……僕の圧勝、終わり」
「五条は、まぁ。団体戦よくしのいだしな……」
「私もそれほど不安はないですね、建物の中という限定的な環境でしたが、二人相手どれたのはいい成果だったと思います。相手も恐らくこちらの術式を踏まえて個人戦の準備をしていると思うので、こちらも京都校の把握できる限りの術式の情報交換をするのがいいのかと」
「まぁ、そうだな。五条、天野、夏油の三人がそれぞれ京都校とぶつかっているからな」
 傑の言葉に楢原幸二は納得して首を縦に振ると、作戦室の片隅に追いやられていたホワイトボードを引っ張り出した。今日の朝の段階の団体戦の作戦がまだ残ったままだ。楢原は簡易なフィールドマップを消すと、その代わりにそこに京都校の名前をつらつらと書き連ねた。かすれたマジックペンが長いことこの部屋が使われていなかったことを示している。その割には部屋は綺麗に生理整頓されていたので京都校のメンバーの誰かが掃除をしておいてくれたのだろう。恐らく今年の勝者は東京校となる。楢原には確信に満ちたものがあった。となれば来年の交流会は東京校で行われることになるが、果たして五条・天野・夏油・家入の四人に、部屋を掃除するような配慮ができるか、楢原は少し心配であった。個々人が強いことは楢原も認めるところだが、その性格ともなると、自由奔放という言葉が誰にもぴったり合うような面子ばかりで、配慮の面で不安が残る。まぁまだ来年もいるし、顔だけはだそうかな、と楢原は思いながらホワイトボードをばん、と叩いた。
「注目」
 作戦室にいる全身の視線が楢原とホワイトボードに集まった。
「団体戦で得た情報を共有して個人戦を有利に進めたい。ということで今回京都校とぶつかった者は?」
 楢原が促すと悟、傑、曜次の三人が手を上げた。
「オッケー、五条が三浦と安土、夏油が稲葉と日置、そして天野は吉里吉里と縣だな。幸運にもこっちはあっちの全員の術式を把握できたが向こうは三人分……と去年出てる俺の術式以外知らないって状況だ。この状況は有利に使うべきだと思う。天野もこれならいいだろ?」
「まぁ。一方的に俺が情報喋るのはフェアじゃないけど、団体戦でわかっているぐらいの情報なら」
 曜次はひらひらと手を振りながら言う。
「よし、それじゃあ一つ一つ情報を開いて、個人戦に備えよう。まずは夏油から」
「はい、私が当たったのは稲葉豪と日置香代です。日置香代はカメラを持っていました。カメラで撮影された呪霊が祓われましたが、人間にどう作用するかわかりません。続いて稲葉豪ですが、こちらは右目に一級の呪霊を飼っています。何度でも出し入れ可能なようです。こちらも一級呪霊で対抗しましたが、呪霊を出されると勝ち目が薄いでしょう」
 悟と曜次でもない限り、と暗に含めるように傑が言う。楢原はホワイトボードに書き足した。
「次、五条」
「安土京子が破魔の瞳、もう一人が鏡に映ったものに対して攻撃できる何らかの術式。鏡の方はさっさと倒しちゃったから詳細がわからないんだよね。安土京子の破魔の瞳があったから無下限で防げるかわからないけど、身体能力自体はそんなに高くないから問題ないと思う。むしろ問題は安土京子かな。遠距離は破魔の矢で完封するし、近距離もいける」
「やっぱり厄介だよなぁ、安土京子……」
「はい! 僕も今朝相手をしてもらったのですが、高専の型を全部覚えてるらしくて全然歯が立ちませんでした!」
 ぴしっと背筋を正して元気よく言う灰原に楢原は苦笑する。
「全員当たらないことを願おうか、じゃあ最後、天野
「吉里吉里風理は風雷仙術。風と雷を操る。どっちも完璧なコントロールができてないから、特に雷なんかはどこに落ちるかわかんないけど、避雷針になるものがない場所だと多分やばい。風の方も遠距離からがんがんしかけてくるから、開始と同時に近づいて近距離戦に持ち込むのがベスト。で縣啓介の方は石積みの結界を作る術師。ほとんど戦闘に関わってこなかったから、硝子と同じタイプなんじゃないかな~」
「よし、これで全員分出たな。気になるところは詳しい天野に聞いて、各自対策を。もし対策で困ったことがあるなら俺が相談に乗るから」
 楢原はこんこん、とホワイトボードの板面を叩いて言った。
 九月に入ってだいぶ涼しくなったとはいえ、風の通りにくい建物の中はまだ蒸し暑さを感じる。硝子が早々にそれに気づいて、窓を開けると幾分涼しい風が、頭を悩ませている生徒たちに涼をもたらした。
「夏油さん夏油さん」
「何だい灰原」
「夏油さんだったら、安土さん相手にどう戦いますか?」
「難しい質問だね。彼女には私の出す呪霊はほとんど効かないだろう。ただ一級以上の呪霊ならば多少時間を稼げるかもしれないから、一応一級以上を数体用意している。一級の呪霊と緩急つけて近接戦に持ち込めれば、勝てるんじゃないかなと思うよ」
「さすが夏油さん!」
曜次や悟はもう少し上手くやるさ」
 少し笑って傑が言うと、灰原は「夏油さんだって十分にすごいです!」と言うのだった。
「灰原、君に勝算は?」
「うーん僕は安土さんとしか戦ったことがないので話を聞いてもイメージがあんまりわかなくて。団体戦でも呪霊には遭遇しましたけど結局京都校のメンバーとは誰とも会わなかったので」
「そうか、まぁでも気負わずにやればいいと思う。勝っても負けてもきっと得るものは大きいからね」
「はいっ!」
 曜次はそんな二人の会話を見ながら、うつらうつらとしていた。吉里吉里風理とはそれなりに戦ったが、別段疲弊しきるほどのものではなかった。それに相手が誰であろうと、自分の縮地の方が早いという自負もあった。驕りもしないが、自分を下に見ることもない。曜次はよくよく自分の実力というものを知っている。
 曜次はくあっと一つ大きなあくびをする。傑に咎められたがあまり気にすることなくそっと目を閉じた。他のメンバーがわいわいと何事か話し合っている声が耳に心地よかった。それらは雑音からBGMのようになって曜次を眠りに誘う。そうして曜次はことんと眠りに落ちたのだった。
 曜次が次に起きたのは、夕日が作戦室の中に差し込む時分であった。作戦室はがらんとしていて、書き込まれたホワイトボードだけがさきほどまでここに人がいたことを証明しているようだった。
曜次
 曜次の名前を呼ぶ声がある。曜次は驚いてそちらを見ると傑が立っていた。
「傑、ずっとここにいたの?」
「いや? そろそろ起きてくるころだと思って迎えにきたのさ」
「ふぅん」
 曜次は腰の刀を確認して立ち上がる。大きく伸びをすると固い床の上で寝ていた体がほぐされていく。
「緊張してる?」
 立ち上がりながら曜次は傑に聞いた。
「緊張か……いやあまり」
「意外だな。傑はあんまり呪術師同士で戦ったことなかっただろ」
「ああ、まぁ……」
 傑の口調は歯切れが悪い。曜次は下から傑を覗いてどうした? と尋ねた。
「いや、そういえば一度あったなと思って」
「一度? 俺の知らない任務?」
「そう。曜次がいなかった任務」
「それって星漿体のやつ?」
「……」
 傑は完全に沈黙した。
「俺嫌なこと聞いた?」
「……いや、曜次がいたらもしかしたら違う結果になっていたかもしれないなと思っただけだよ、気にしないでくれ」
「ふぅん」
 曜次とて今の一言で納得したわけではなかったが、さすがにそれ以上のことを聞きだすのは野暮だと思った。少なくともその程度には曜次も成長していたので、その話はそれきり打ち切りとなった。
 沈黙のまま夕日が差し込む校舎を歩いていく。
「……曜次の部屋はここだっけ」
「ここだけど傑の部屋行く」
「そう、なんで、と聞いてもいいかな」
「だって傑なんか悩んでるだろ、一人にしたくないなって」
「……よくわかったね」
 傑は一瞬曜次の横顔を見たが、すぐに前を向いてそんなことを言った。まるで他人事のような言いぶりに曜次はむっと唇を突き出して「だって」と言う。
「何かに悩んでるときは誰かに話すと良いんだってばあちゃんもじいちゃんも言ってたし、傑は一人で思い悩むタイプだろ。そういうのはよくないってばあちゃんとじいちゃんが言ってた」
「君、の言葉じゃないところが君らしいね」
 傑は話の核心を誤魔化すように言うのだった。
「少しだけ話をすると、確かに私は迷っている。でもまだそれを口に出す段階ではないとも思っている。いずれ時が来たら話すよ、まだ話しても結論はでない気がするんだ」
「ふぅん、じゃ傑の部屋でスマブラやろ。俺の部屋に誰かが残していったの見つけたんだ」
「それなら曜次の部屋でやった方が早いんじゃないかな」
「俺の部屋テレビはないんだよ。傑の部屋には残ってるだろ?」
「ああ、そういえば」
 傑は手を打つ。じゃ、決まり、と曜次は言うとあっという間に廊下を駆け抜けて二階の、宿舎へと駆け上がってしまった。この分では急がなければ曜次が傑の部屋の前で傑の到着を待つことになるだろう。折角だし悟も誘うか、と傑は携帯を鳴らす。ワンコールで出た、ということは悟もそれなりに暇していたらしい。個人戦の前日に何をしているんだ、と言われそうだがバレなければ問題ない。しいて問題があるとすれば、傑の借りている部屋は楢原の隣であるということだ。大騒ぎをすれば大目玉を食らうだろう。だがそれも悪くはない。悟はすぐに「行く」と返事を返してきた。これはますます早く部屋に戻らなければならない。ちなみにこの後傑の部屋に集まった三人だが、コントローラーが一つしかないことに気づいて、交代でコントローラーを持つ羽目になったのは別の話。

 交流会三日目。個人戦の当日は、台風の襲来も懸念されたが、実際にはからりと晴れた良き日となった。
 東京校・京都校ともに全員が集まった場所は、広い京都校のほぼ中央に位置する場所であった。京都校では基本的に生活・勉学のための区域は少し西に寄っている。なので少しばかり木立を歩いて開けた場所に出たと思ったら、そこが個人戦の会場だった。
「うーん遮蔽物なし!」
 曜次は土俵のように少し土が盛られたフィールドを見て頷く。
「こりゃ風理の独壇場だな」
「というと風雷仙術の」
「そう、雷落とされたら一発アウトだろ」
「でも君なら勝てるんじゃないか?」
「まぁね、負けるつもりはないよ」
 傑の言葉に曜次はにやっと笑った。曜次は腰にぶら下げた刀に手を置きぽんぽんと叩いた。
 少し遅れてやってきた夜蛾と今よりもずっと若い楽巌寺は片腕で持てるほどの小さな箱を二つ持ってきて、東京校と京都校のメンバーがなんとなくまとまっている、その中央に立って箱を前に突き出した。
「これより東京校・京都校それぞれくじを引いてもらう。同じ色のついた相手が個人戦の相手となる。なお家入硝子と縣啓介は個人戦は免除されているので、東京校は一人空くじがある。運も実力のうちということで、空くじを引いた生徒は残念ながら個人戦はなしだ」
 夜蛾の言葉にそれぞれ頷くと、それじゃあさっさとくじを引こうということになる。京都校はじゃんけんで順番を決めるようだったが、東京校は曜次と悟が真っ先にくじを引きに行った。
「青!」
「……青」
 曜次が高らかに読み上げると、その脇で稲葉豪が眉をひそめていた。
「赤」
「げっ……赤だ」
 悟が読み上げると三浦純也が心底嫌そうな顔をした。それから先もみな順番にくじを引いていく。結局空くじを引いたのは灰原で、ひどくご不満であったようだが、彼にはまだ二年三年があることを考えれば、妥当な結果になったと言えよう。
 そんな具合で全員がくじを引き終えた結果は次のとおりである。
 一、京都校 稲葉豪 対 東京校 天野曜次
 二、京都校 吉里吉里風理 対 東京校 楢原幸二
 三、京都校 三浦純也 対 東京校 五条悟
 四、京都校 安土京子 対 東京校 夏油傑
 五、京都校 日置香代 対 東京校 七海健人
 それぞれ色は番号に対応しており、戦う順番も上記の通りだ。
「それでは個人戦を開始する。団体戦の時も言ったと思うが、相手を再起不能にしたりしないように。あくまでこれは交流会であり、今後同僚として共に呪術師をやっていく仲間との親睦を深めることが目的であることを忘れないように」
 少々堅苦しい夜蛾からの一言にはーい、と力のない声が呼応する。一番手の曜次は緊張した様子もなく平然と立っていた。
天野さんってこういうの慣れてるんですか?」
 こそっと夏油傑の袖を引いたのは灰原だ。残念ながら今回は空くじを引いてしまったため個人戦には出場できないが、来年があるとあまり気にするのをやめて切り替えたようだった。こそっとしゃべりかけられたので、自然傑も声を落として灰原に応じる。
「慣れている、というのはそうだろうね。天野家は呪術師の一族だし、稽古で呪術師を相手にするのは日常だったようだから、人でも呪霊でも曜次が臆するところは見たことがないね」
「夏油さんもあまり緊張してないように見えます」
「私は、……任務で何度か経験があるからね」
「夏油さんはすごいんだなぁ」
 そんなにきれいなものじゃないよ、と傑は思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。それを飲み下すのは、呪霊を飲み込むのよりもはるかに難しく、胸が痛んだ気がした。
「私は__」
 言葉が途切れる。灰原は頭に疑問符を浮かべて傑を見つめていたが、個人戦開始の合図があるとパッとそちらを向いた。視線がなくなったことに安堵しながら傑も舞台へと視線を向ける。そこではすでに曜次が刀の柄に手をかけているところだった。
「呪霊出す間くらい待ってやるよ、豪」
「はっ、お前相手に呪霊だしたら切ってしまいだろう、出さねーよ。夏油傑のときはあっちが何かに集中してたからいけると思っただけで、一級相手に一級呪霊出すわけないだろ」
 豪の言葉を受けて曜次は肩をすくめた。
「でもそれじゃあ豪に勝ち目ないけど」
「ほんっとむかつくわな、俺だって呪霊頼りってわけじゃないんだよ」
「おっ呪具、使えるの?」
「交流会に向けて必死扱いたんだよ」
 稲葉豪は、右目に飼っている呪霊を全く出す気配はなかった。曜次からすれば、呪霊を出してくれた方が楽しかったかも、と思っていたので拍子はずれだったが、豪がベルトの後ろに挟んだ脇差しを見せて曜次の目の色が変わる。
 太陽の光を受けて刃紋が輝くその脇差は、天野家が京都校に納めたものだ、名を「秋水」。それそのものが二級呪具であり、呪いに触れると爆発するという特殊な能力を持っている。
「いいねぇ秋水! でもそれだけじゃ俺には届かねぇ」
 曜次が地面を蹴る。縮地がくる、と豪は認識したが、曜次の縮地は豪が思っているよりもずっと速かった。気づけば曜次は豪の目の前にいて、豪は反射的に刀を体の前に持ってくるが、ふくらが曜次の影鷹丸にかすっただけで、完全に防御することは叶わなかった。
 もともと殺す気で切りかかったわけではないのだろう。豪の傷は浅い。額から左半身にかけてざっくりと斬れているが、額からの出血が多いだけで、曜次の刀は皮膚一枚を切り裂いただけにすぎなかった。
 傷口がじくじくと痛んだが、動けないわけじゃない。それに前に呪霊と遭遇した時の方がよっぽど痛かった。秋水を持つ右腕はまだ無事だ。豪は倒れそうになる体を必死で押さえて、ぐっと地面を踏みしめると、秋水を体の前に構えた。
 豪が踏み込む。大きく振った脇差はまっすぐに曜次の首を狙っていたが、目に見えるほど遅い攻撃が曜次に当たるはずがなかった。曜次は刀を立てて秋水を防ぎ、そのまま斜めに倒すことで、秋水の力を利用して豪の態勢を崩さんとするが、それよりも速く豪は一歩引いて脇差を構えなおした。
 次は突きだった。
 そもそも今は脇差の間合いだ。曜次の太刀よりも深く踏み込んでいるため太刀は振り回せないはずなのに、なぜか曜次は豪の脇差を防ぐ。曜次が手の中で器用に刀を回転させているのを見たが、確認できたのはそれだけだ。
 豪はまっすぐに首を狙ったが、やはりこれも防がれてしまった。あろうことか刃で止められたのだ。
「くそっ」
「遅い遅い」
 曜次は笑っているが、目だけは凪いだ海のように不気味な静けさを湛えている。恐怖が豪の背筋を駆け上がり、反射的に身を後ろに引いたが、曜次の刀はその速度をやすやすと凌駕した。
 ばつんという音と共に、頑丈にできているはずの制服が切り裂かれる。ボタンがはじかれて場外へと転がっていった。豪の額から血がだらだらと零れ落ち、残っている左目が開くのを邪魔する。またしても皮一枚掠めただけだが、豪は皮一枚で避けたのではなく曜次がそうしたのだとようやく理解した。初めの斬撃も、斬ろうと思えば秋水ごと斬ることができたのだ。それをしなかったのは曜次との圧倒的な力の差を明瞭にするためであったのだろう。曜次は初めから余裕しかなかったのだ。
 豪は口の中にまで入ってくる血をぺっと吐き出して額の血をぬぐった。すぐに落ちてくるが応急処置だ。豪はもう一度無謀にも曜次に向かって駆け出す。曜次は中段に刀を構えぴくりとも動かなかった。
 一瞬曜次が刀を下げた。誘いだと豪はわかったがそれでものらなければいけなかった。刹那、豪が秋水を振り下ろすよりも早く、そう曜次は刀を下げているのにもかかわらず振り下ろす豪よりも早く刀を真上に持ち上げ振り下ろした。
 今度の痛みは斬撃によるものではない、衝撃だった。峰打ちをされたのだと気づいたのは豪が目を覚ましてからでそれまでは本当に何をされたのかすらわからなかったのだ。豪は曜次の一撃で完全に意識を失い土俵の上に倒れ伏す。曜次は刀の血を払うようにぱっと刀を振って、鞘に納めた。
 稲葉豪の気絶によって豪対曜次の試合は終了した。土俵を下りたところで傑と悟とハイタッチして軽い勝利に酔いしれる。
「超調子いいじゃん」
「まぁね」
 悟の言葉に曜次は軽く返した。曜次と交代するように土俵に上がったのは東京校唯一の三年、楢原幸二だ。楢原はそれなりに緊張しているのか、足取りが少し硬かったが、先輩としての立場を見せるためかしゃんと背筋を正してフィールドに立つ。
「俺は吉里吉里風理。もう術式は知ってるんだろう」
「まぁね」
「こっちもあんたの術式は知ってる」
「そりゃどうも」
 開始の合図が入ったのはまさにそんな会話の最中だった。
 楢原は腰に佩いた脇差を抜くと先手必勝とばかりに吉里吉里風理に詰め寄った。だが、土俵の半分もいかないうちに風理の起こした風にさえぎられて足を止められてしまう。土俵は半径が十メートルほどだ、お互い五メートルほど距離を開けての開始となるが、楢原が距離を詰めれば当然風理は距離を詰めさせないように下がる。その間に一度でも扇を振ればもう誰にも風理には近づけないだろう。
 威力を抑えた風の刃がざくざくと楢原の体を刻んだ。曜次ほどの縮地がなければそもそも近づくことすら難しいのが風理の風雷仙術だ。来年の交流会では確実に主力となってくることが予想される風理、一方今年で最後の交流会であるからなんとか名を残したい楢原、だが実力の差は気持ちだけでは変わらない。優秀な術式を持っていれば有利だ、もちろんすべてが術式で決まるわけではないが、ないよりある方がいい。中途半端に術式を使えるのが一番気の毒なのかもしれなかった。
 楢原は多少呪具が使えるとはいえ曜次のように極めているわけではない。メインは庚申呪術であるので対象と接触しなければならないのだが、風理は当然のことながら楢原を一切近づけさせなかった。
 土俵の上をごうごうと風が吹き荒れる。曜次は硝子の斜め前に立って風理の飛ばした風の飛沫に刀を差し込む。的確に、適切に、風理の技は強いが、風の刃は見切ってしまえばなんということはない。ただその見切るというのが難しいという話であって、五条悟や天野曜次にとって、風理の風はさほど恐ろしいものではなかった。
「幸二さん、ミンチになるんじゃね」
「恐ろしいことを言うなよ」
 風理はあえて力を抑えている。本気でやれば楢原の体など木っ端みじんにできるのだろう。事実団体戦で曜次と当たった時は、威力を抑えてはいなかった。風理の風雷仙術でコントロールが難しいというのは、風の刃がどこに飛ぶかわからないという点である。技の大小はそれなりに制御できるので、今も楢原を殺さない程度に抑えている。ただ広範囲にわたる風の刃は半径十メートルの土俵を超えて吹き荒れた。曜次の仕事はその風の刃から硝子を守ることだ。
 楢原は善戦したと言ってもよいだろう。だが残念ながら決着がつく前に試合終了の合図がなった。全身細かい傷だらけになった楢原は「あー! くそっ!」とまだ叫ぶ元気は残っているようだが、その元気を試合にぶつけられなかったのは悔しいのだろう。楢原は今年で交流会が最後であるのでなおさらだ。風理も最後まで決められなかったのは遺憾であるらしいが、速攻で勝負を決められないというのも含めての実力だ。悔しそうな表情で土俵を下りた風理は三浦純也の肩をぽんと叩いた。
 次の試合は三浦純也と五条悟であったが、勝敗はすでに見えていると言っても過言ではない。三浦純也は一対一で五条悟と戦うことに、緊張しており、ぽんと肩を叩かれてひやっと飛び上がった。
「緊張しすぎだろ」
「だって五条悟相手だぞ、何秒で俺が負けるかっていう賭けができるレベルだろ」
「大丈夫だって、おれは五秒に賭けてる」
「血も涙もねぇのか」
 風理に殴り掛かった純也だったが、当然のように避けられる。それでも風理とのやり取りで多少緊張は抜けたらしくため息を吐いて純也は土俵へと上がったのだった。
 さて三浦純也と五条悟の勝敗だが、これは本当に一瞬で決着がついてしまった。なぜなら悟が領域を展開したためである。
 同じく悟の領域・無量空処にしてやられた安土京子はほんの少し眉をひそめる。悟が領域を展開していた時間はそう長いものではなかった。無量空処の中に長時間いると本当に人間として壊れてしまうというのと、悟自身も呪力消費が激しいために長時間展開していられないというのが理由だ。純也が領域の中にいたのは、一秒にも満たない時間だが、純也が意識を完全に失うには十分な時間であった。領域の解除と共に純也の体が崩れ落ちる。教師が慌てて駆け寄るが、外傷はなく、本人は意識を失っているだけなのですぐさま土俵から降ろされた。一か月かそこらは感覚が狂うかもしれないが、なに、そう大きな問題にはならないだろう。そう考えると無量空処を経験していながら、特に支障をきたさなかった安土京子の実力が余計に際立つというものである。彼女の場合、無量空処に飲み込まれる前にとっさに呪力で全身を覆ったため、無量空処の効果が中和されなんとか意識を保っていられたのだ。もしゼロコンマ一秒でも呪力操作が遅ければ、京子も交流会の間目を覚まさなかったかもしれない。
 土俵から降りた悟は傑と曜次とハイタッチをする。
「領域展開とかやるぅ」
「まぁね」
「いつそんな隠し玉を準備していたんだい?」
「ん~夏休みの間かな。試したのは昨日の団体戦が初めて。できるかなって思ったらできたわ」
「天才というやつだろうね」
 傑は悟の言い草に苦笑しながら言った。
「次、オマエじゃん。相手安土京子だろ、策はあんの?」
「まぁ多少は考えているけど、どうだろうね。あまり作戦を固めすぎて柔軟に動けなくなるのも問題だろうし」
「そうだな、傑なら平気だろ」
「誉め言葉と受け取っておくよ」
 傑は少しだけ笑って土俵に上がった。曜次はそんな傑にほんの少しの違和感を覚える。曜次の知っている傑はそんな笑い方をしない人だった。ぱっと見は感情が希薄に見えるが、その実傑はよく笑うしよく怒る人だ。ただそれを理性でコントロールする部分が多いから、感情が希薄に見える。傑は曜次よりもずっと感情がある人だった。そんな傑の自嘲するような笑みは見たことがない。曜次は一抹の不安を感じながらも、行ってらっしゃいと土俵に上がる傑のことを見送るほかにできることはなかった。
 土俵に上がった夏油傑と安土京子は、五メートルほど距離を開けて向き合う。試合開始前のピリッとした空気がその場を支配し、安土京子はそっと矢筒に手をかけた。傑もじり、と片足を下げる。
 開始、の合図とともに京子は一瞬で矢を抜き傑に向かって放った。しかしそれよりも傑が呪霊を出す方が早い。傑の体を覆い隠してしまうほど大きなミミズのような呪霊は、京子の矢を受けて体が欠けたが、その程度では祓うまではいかなかった。京子は目隠しの布をとって祓おうとするが、その巨体の影に隠れて傑がすぐ近くまで近づいていたことに気づくのに一歩遅れをとった。
 傑の拳が京子の手の中に吸い込まれるように収まった。ぎりぎりで弓と目隠しを捨てた京子は、傑の拳を受け止めたもののその勢いまでは殺せず二三歩後退する。それを追いかける傑の拳は、すべて京子の手に止められた。
「高専の型じゃ勝ち目はないですよ、夏油くん」
「そうですね、なら変えます」
 ひゅっと傑は片足を前に出して京子の足を払う。がくんと姿勢が崩れた京子の腹をめがけて拳を振り上げるが、京子も負けてはいない。払われた片足とは逆の足を軸に、体を回転させて、拳を避けつつ、重たい蹴りを放つ。傑がそれを腕で受けたのを見て、腕ごと跳ね上げるように足を絡ませつつ、拳で傑のすねを狙った。
 目隠しをとった京子の瞳はとても美しい色をしていた。だがその瞳は五条悟の六眼のような特殊性があるわけではない。
 京子も傑も一歩も引かない肉弾戦が続く。高専で習う体術の型を完全に習得している京子は侮れない相手であった。破魔の瞳に見つめられているため呪霊を出すことができない傑は、幼少期から指導を受けていた古武道と高専の体術の型を組み合わせて、突飛さを狙う。それに対応できるのだから、高専で習う体術の型もなかなかどうして捨てたものではない。
 このままでは決着がつかず引き分けになるのは時間の問題だった。それを早々に悟った傑は右半身を引いて、右手を体で隠す。その動作に京子は呪霊が来ると身構えたが、その呪霊は傑の右手ではなく傑の影から、つまり真下から現れたのだ。一瞬そちらに意識を持っていかれた京子の顎と首にぴたりと傑の拳があたる。殴る意思のない拳だが、急所に当てられたそれに、安土京子は素直に負けを認めたのだった。
「降参よ、さすがね夏油君」
「そう言いながらしっかりと足元の呪霊を祓っているところは呪術師の鏡ですね」
「あら、ありがとう」
 傑の言葉をそのまま受け止めて、京子はころころと鈴を転がすように笑うのだった。京子が負けを認めたため、勝負は傑の勝ちとなった。二人はそのまま距離を取り、お互いに一礼をして土俵を下りる。今までで一番接戦した勝負であったと言えるだろう。京子もどことなく満足そうな表情を浮かべている。負けたのにそのような表情を浮かべていると言うことはそれだけ満足のいく試合であったということだろう。傑はほんの少し照れくさそうにしながら曜次と悟とハイタッチをするのだった。
 今の段階で勝負は東京校が前五戦中三戦を勝ち取っている。これで今年の勝者は完全に東京校と決まったわけだが、だからといって最後の試合で気を抜いて良いわけではない。
 試合の最後は京都校の二年日置香代と東京校の一年七海健人であった。両者ともに土俵に上がるが、この時点ですでに香代の腰が引けているのが丸わかりである。もともと術式を見ても、香代は一対一で真正面から戦うのに向いていない。どちらかと言えば隠れて隙を狙うかもしくは誰かと一緒に組むことで実力を発揮するタイプである。ごりごりの接近戦タイプである七海とはどう考えても相性が悪かった。
「うう、降参したい」
 香代は完全に及び腰であった。カメラを構えるが手が震えている。七海は落ち着いて鉈のような形状の武器を手に持つ。包帯がまかれたそれは刃物の形を成していなかったが、七海の術式には刃がついていようがいまいが関係ない。
 開始の合図とともに七海は前に出た。大きく鉈を振りかぶって術式を使うことなく香代の持っているカメラを叩き割る。香代はその動きを読み切れずに思わずカメラから手を放して両手を顔の前に持ってきてかばうように体を引いた。香代の手を離れたカメラが無惨な形になって地面に転がる。ばらばらになった部品が土俵に散らばり、ポラロイドカメラのフィルムがひらひらと宙を舞う。それで十分だろう。七海はそれ以上深追いせずに立ち止まったが、その立ち姿だけでも十分な威力があった。
「こ、降参」
 香代は恐る恐るといった様子で両手を上げた。それを審判の教員が認めて、勝負は東京校の勝ちとなる。
 土俵から降りた七海に灰原が飛びついたが、それをさっと避けて七海はあくまで冷静さを保っていた。
 勝敗は決した。東京校が四勝、京都校が一引き分けという形で終了した個人戦。東京校の圧勝という形で終わった団体戦。激動の二日間は、東京校の勝利という形で終了したのだった。
 交流会終了後、一日だけ特別講師による特別講演があり、それを全員で受講し、交流会は完全に終了となる。交流会が始まる前より打ち解けた雰囲気でそれぞれ別れの挨拶をかわす。そして東京校のメンバーは、また長い距離を移動して新幹線に乗り込んだのだった。
 
20200921
20200922