ヨゴトノリトのパラドクス

交流会肆

 夏の間にもうもうと栄えた草花が悟の足を鈍らせた。枝葉が体にまとわりつき邪魔なことこの上ない。この団体戦のフィールドは長いこと使われていなかったのだろう。しかしそれも当然のことである。京都校も東京校も生徒の数に対して圧倒的に敷地面積が広い。管理をする術師の数も限られているので、主に授業で使われる場所以外は必然的に放置されることになる。その結果がこれだ。雑草の繁殖力が圧倒的に高い日本では放置された空間はあっという間に草まみれになってしまう。緑が美しいと言えば聞こえはいいが管理の不行き届きだというのが本当のところだろう。
 スタートの合図とともに東京校のメンバーはバラバラに散った。おおよそどのように移動するかはマップで確認しているので、移動範囲が重なることはないだろう。そして当然のことながら京都校側もそれぞれの思惑を持って動き出している。
 五条悟の役割は、京都校でもっとも厄介な術式を持つ安土京子を止めることだ。破魔の瞳、見たものの術式を無効化してしまう瞳を持つ安土京子は京都校でもっとも厄介な存在だ。まだ若く経験の足らない学生たちは、戦うときも自然と術式頼りになりがちである。その術式を無効化されてしまえば、勝負はついたといってもいい。加えて安土京子は近接戦も遠距離戦も得意としている。東京校だけでなく呪術界全体を見たとしても最強と名高い五条悟が安土京子とぶつかるのは必然だった。また長らく安土家に生まれてこなかった破魔の瞳は、奇しくも、五条家の六眼の誕生と重なった。どちらがより強いか、優秀かは御三家と呪術界の興味の的でもあった。
 五条悟はまっすぐに京都校のスタート地点と思われる場所に向かいながら、結界式「見(ケン)」を発動した。「見えざるものを見るとして、見まうきものを見んとする、開け、ここに第三の目はあり」の呪言とともに発動するこの結界は結界の範囲内に入ったものを検知するものだが、結界の範囲が狭いこと、また識別能力が非常に低く呪霊と人の見わけもつかないこと、そして結界に入ると入った側も結界を認識できてしまうことから多くの術師はあまり好んでこの結界を使おうとはしなかった。悟があえてこの結界を使ったのは、呪霊でも人でも近くに来たものを感知できればそれでよい、という大雑把な認知で構わないという理由からだ。悟は目がいい自信はあった。だがこの森の中では木々の暗闇に隠れて見落とす可能性を否定できない。見の索敵範囲は半径約十メートル、この中に何かが入ってくればそれで構わなかった。
 この団体戦における東京校の勝利の条件は、呪霊操術による人海戦術ができる夏油傑の設けた時間、十五分という時間をしっかりと稼ぐことだ。十五分守りきればあとは傑の呪霊によるフィールド全体のローラー作戦で、フィールドに放たれた呪霊を一網打尽にできる。逆に京都校の勝利条件を考える。京都校には術式がわからないメンバーもいるため、勝利条件はいろいろと考察の余地はあるが、その中の一つは安土京子による東京校の全滅だ。東京校のメンバーもまだ学生故、術式を無効化されてしまうと不利になるメンバーの方が多い。例外はもともと術式を使用しない天野曜次だが、彼は遠距離戦があまり得意ではない。破魔の瞳と合わせて使用される破魔矢に狙われれば防御一辺倒にならざる得ないだろう。そしてなにより天野曜次には家入硝子を守るという重要な役割がある。なので五条悟は何としても安土京子とすれ違うわけにはいかなかった。
 木々がうっそうと生い茂る森の中は、光が地面まで届かず暗く、木々が影を落としているところも多い。高専の制服はその影に紛れてしまう。
 悟の体にピリッとした電流のようなものが走る。一瞬の緊張、「見」が何かを検知した。九時の方向に何かが入り込んだ。そちらをむくと、黒色のスカートの端が木々の間にひらりと揺れた。それと同時に木々の間から矢がまっすぐに悟を目指して飛んでくる。距離にして七メートル程度だが、木の幹が邪魔をする森の中で、一瞬の隙をついて矢を放つのは相当な訓練の賜であることがわかる。そして同時に、悟は見つけた相手が安土京子であると確信した。
「術式反転__」
 悟は安土京子に向かって指を向ける。本来なら術式順転も術式反転も目視で相手を狙うことができる。それでもあえて指差し確認を行うのは、まだ目視による攻撃が不安定だからだ。
 だが悟の術式は途中でふいに途切れ、赫が発動されることはなかった。指先に収束した力はふわりと霧散して何も残らない。ふわりと指先から力が抜けていくような奇妙な感覚だけが手元に残った。
「!? 破魔の瞳か!」
 森の中では見られているのか、見られていないのかもわからない。術式頼りの防御は無効化される。となれば、あとは接近戦を狙うしかない。この視界の悪い中で弓矢を持つ相手に遠距離戦は圧倒的に不利だ。術式を無効化されるのならなおさらのことである。
 やっぱり曜次の方が向いてたんじゃないかな、と余計なことを考えながら、悟は木の影に入って息を整える。
 ふいに悟の頬をかすめて矢が飛んできた。矢の飛んでくる方向から死角になる位置を選んだつもりだったが、悟同様向こうも常に動いているので、死角は永遠に死角ではいられない。
 悟は矢をぎりぎりのところでよけて地面を転がる。少し湿った地面の水分を学生服が吸って気持ちが悪い。だがそんな文句を言っている暇はない。
 ちらりちらりと服の端が木々の合間に見える。本体はしっかりと隠れたまま、しかし術式が無効化されていることからこちらを見ていることは確かだった。悟よりも早く悟のことを見つけたのだろう。現状は悟に圧倒的に不利、何とかしなければ防御一辺倒のまま倒されかねない。悟はもう一度矢を避けるために転がった。転がった勢いのまま、悟は少し開けた場所に出た。木々の冠が開け、少し窪地になったその場所は、あまり広くはなかったが森の中にいるよりずっと視界は開けている。破魔矢は破魔の瞳と同じ効果を持つ、つまり術式を無効化されるため、視認してから避けなければならなかったが、この開けた空間であれば多少傷を負っても致命傷は避けることができるだろう。今はそれで十分だ。悟はくぼ地の真ん中でじっと動かない。無下限呪術の範囲を広げ、無効化されるその瞬間を狙っている。
 緊張が森の中を支配する。
 制服の黒によって木々の合間の暗闇に溶け込むように隠れた安土京子と三浦純也の二人は、五条悟がどう動くか待っていた。
「完全に待ちの構えかしら」
「多分……術式無効化が無下限呪術にも十分効果を発揮するとしたら、カウンターを狙うんじゃないでしょうか。五条悟の結界・見の対策に蠅頭を少し撒きましたから、五条悟の結界はもう意味がない。なら来る方角を確認して、確実に安土先輩の姿をとらえたいんじゃない、でしょうか」
「そうねその可能性が一番高いわね、それじゃあもう少しどこから飛んでくるかわからない矢の脅威に怯えてもらおうかしら」
「はい」
 三浦純也は神妙な顔つきで頷く。三浦も六眼と無下限呪術を併せ持った現・最強の術師五条悟が怖いのだ。自分の術式・鏡像謄写術に自信がないわけではなかったが、無下限呪術相手にどこまで戦えるのかわからない。術師同士で戦うというのも初めての経験であるため、その緊張は一層強く三浦の体を縛り付けた。
 そんな三浦を見て、安土京子はくすりと笑う。
「大丈夫、三浦君。五条悟も人間よ」
「は、い」
 そんなことを言えるのは安土京子もまた並みではない術式の持ち主だからだろうと、三浦は思っても口に出さなかった。
 京子は弓を引き絞る。そしてひょうという音と共に矢を放つ、その瞬間五条悟と目が合った。
 悟は矢を素手で掴むと、ぎゅっと握りしめて折る。それとほぼ同時に「蒼」によって京子と純也の二人を自分の方へ引き寄せた。蒼は、京子の破魔の瞳に中和されて途中でゆるゆると引き寄せる力を失っていったが、くぼ地に二人を引きずり出すことができたので十分だろう。
 悟は緊張から上がった息を整えながら尋ねる。
「安土京子ってあんた?」
「ええそうですよ、五条君。会うのは初めてですね。私は御三家の術師ではないからあなたのことは噂だけ聞いてました」
「御託はいいからさっさとやろうよ。別に話し合いにきたわけじゃないだろ」
 悟は煽るように京子に言う。京子はくすくすと笑った。純也は緊張のあまり今にも胃がひっくり返りそうだったが、京都校の代表という手前、そんな無様な姿は見せられないと、くらくらする頭を必死になだめて鏡を構えてまっすぐ立つ。
「あら、気が早いのね、でもそうね、のんびりしてても何も変わらないもの、始めましょう」
 京子は昨日つけていた目隠しをしていなかった。長い布のようなそれは、弓にくくりつけられており、なんらかの意味を持つものだということがわかる。例えば強すぎる破魔の瞳を封じるものだとか。目を閉じていた京子はすっと目を開く。瞳は赤紫色に輝いており瞳孔がどこにあるのかわからなかった。その瞳に見つめられた瞬間、悟は自身の周りを覆う無下限の境界がゆるゆると中和されることに気づく。そのことに意識を向けたせいで、京子のほかにもう一人術師がいるという事実に対応が遅れた。
 三浦純也は鏡を五条悟に向けた。鏡の中の五条悟は小さいが、確かに全身が映っている。純也は懐からナイフを取り出して、鏡に映った悟の腹のあたりを撫でた。その瞬間、ぶつ、という音と共に、悟の服と腹部に細い切れ込みが入る。つー、と血が垂れてズボンに吸い込まれていった。深い傷ではない、だが本来なら届かないはずの傷に悟は頭を回す。そしていくつかの結論を得る。一つ、傷を作ったのは京子の術式ではない。一つ、もう一人の男が危険。
 純也がもう一度ナイフで鏡面を撫でる前に、悟は術式順転で純也を引き寄せる。その力は途中で中和されるが、純也を悟の手元まで引き寄せるには十分だった。術式無効化の力は恐ろしいが、今はまだ無下限呪術の方は強い。故に、無効化には多少時間がかかり、即座に無下限呪術を中和できるわけではないと分かったのは、吉報だった。
「純也君!」
 京子が叫ぶが、すでに純也は悟の目の前にいる。純也の体が邪魔になって京子の破魔の瞳が効果を示せない。
「くそっ! なんだこれ!」
「その鏡が媒体?」
 悟がにやりと笑う。
 純也は鏡を構えたままナイフを鏡面に当てようとするがそれよりも早く悟のこぶしが鏡を割った。
「一人だったらなんてことないけど、二人だと面倒だからちょっと眠ってて」
 術式反転、次の瞬間純也の体ははじけ飛び、そのまま木に激突した。純也は小さくうめくとそのままがくりと意識を失ったようだ。
「強いのね、五条君」
「そりゃあんたもだろ。話には聞いてたけど本当に術式無効化できるんだな」
「ええ、でも残念ながら瞬きをしたら初めにもどっちゃうの、目が乾燥しちゃうわ」
「それって術式の開示?」
「そうよ、でもね、片目ずつの瞬きなら問題ないのよ」
 京子はさっと純也の下へ行くと、脈が安定していること、ただ意識を失っているだけであることを確認した。
「なにそれ、そんな器用なことでできんの?」
 悟はくつくつと喉の奥で笑いながら言う。
「器用なのは五条君の方でしょう」
 京子は弓を構える。悟は無下限での防御を完全に解かれている以上肉弾戦に持ち込みたいが、京子の弓がそうやすやすと近づかせてくれない。だが弓矢はもうどこから来るかわかっている。追尾する矢でもなし、来る方向来るタイミングがわかっているなら、五条悟にとってそう怖い物ではなかった。
 京子は距離を保ちつつ、しっかりと悟を見据えて、片目ずつ瞬きを吸うという器用なことをしながら弓矢で悟を狙う。
「急所は外すわ」
「そりゃどーも」
 ひゅんと森の中に空を切る音がする。
 まっすぐに飛んでくる矢を避けながら手ではじいて悟は次の矢を警戒する。
 事前の情報では完全に無下限呪術を無効化されると思っていたので、無下限の中和には時間がかかるというのは悟にとってはいい知らせであることは確かだった。破魔矢はどうしようもないが、威力も勢いも鋭いものではない。矢はまっすぐに飛んでくるため、よく見ていれば避けられるが、京子もそれを見越して悟が避ける先に矢を放つ。悟は多少武器も扱えるようにしておくべきだったかと思いつつ、矢を避け、前々から試してみたかったことを試すことにする。
 指を組む、その動作に京子がピクリと反応した。
 
 領域展開 無量空処
 
 ぶわりと悟を中心に空間が広がった。京子を飲み込んだ領域はあまり大きいものではない。だが京子を捕縛するには十分な威力があり、京子は完全に動きを封じられた。領域そのものはまだ完璧ではない。しかし、考えていたことのほとんどは繁栄できており、あとは訓練でなんとかなるだろうと悟は思う。最大の問題は傑が人海戦術を始めるまでこれを展開し続けられるかどうかだ。予想以上の呪力消費に足から力が抜けそうだったがぐっと力を込めて息を吐いた。
 傑の呪霊解放まで、残り約三分。

20200922