ヨゴトノリトのパラドクス

交流会参

 翌日はあっという間にやってきた。よく晴れた秋の空はどこまでも高く高く続いており、そこにいくつか綿雲がぽつりぽつりと浮かんで上空の風に流されてどこかへ消えていく。
 団体戦の開始は正午ちょうどだ。
 六時に目が覚めた曜次は、明るくなったとはいえ、まだ夜のひんやりとした空気が残る中、割り当てられた部屋からそっと外に出ると部屋にカギをかけて、京都校の中をぷらぷらと歩き回った。東京校ほど慣れ親しんだ空間ではないが、それなりに頻繁に訪れているためどこに何があるかくらいは大体把握している。校庭までは、そこの角を曲がればいいはずだ。そう思いながら角を曲がるとビンゴ、きれいに手入れのされた校庭が広々としていた。曜次は校庭の中央までてくてくと歩いていき、中央で跪坐の姿勢をとる。そして目をつむり、雑念を追い出し、そっと刀の鞘に手をかけた。そして静かに目を開き、曜次は一瞬のうちに刀を抜いて鞘に納めた。斬るものがあるわけではない。ただ、動きの確認だ。曜次の毎朝の訓練である。天野家には長い年月の間、天野家が剣術の家として生み出した無数の型が存在する。それらは曜次天野家の剣士によって受け継がれ、時に変化しつつ積み重ねられてきた天野家の財産だ。天野家に存在するすべての型を覚えれば、斬れぬ敵はないと言うが、その真偽のほどは謎である。全ての型を確認するには三時間ほどかかるため、東京校にいるときはもっと早く起きて型を一つ一つ確認する。そのせいで授業中眠くなるのだが、本人はあまり気にしていなかった。曜次にとって刀は一心同体、両面宿儺を斬ることこそが、天野曜次という代々受け継がれてきた名前の悲願であり、授業などはやがてやってくるだろう両面宿儺との戦いへの通過点にすぎないのだ。
 曜次はふー、と息を吐いて、再び跪坐の姿勢になるとまた目をつむって刀の鞘に手をかけた。十秒、二十秒、曜次はぴくりともしない。三十秒、四十秒、曜次の姿勢は崩れることなく美しいままだ。五十秒、一分。無心になった曜次に近づくものがある。
「わっ!」
 曜次が鞘から刀を抜いて真後ろに切りかかったのはまさにその時であった。曜次の後ろにいたのは灰原雄だった。刀を首筋に突き付けられ、灰原は両手を挙げて降参のポーズをとっている。
「雄」
「すみません、ちょっと緊張して早く起きたら天野さんがいたんで、驚かそうと思って」
「俺が刀を止めなかったらお前死んでたぞ」
「すみませんでした」
 あはは、と頭をかいて笑う灰原はあっけらかんとしている。今まさに殺されそうになった人物にはとても思えなかった。よっぽど肝の据わった人物なのか、はたまた極端な楽天家か。後者かな、と曜次は思いながら刀を鞘に納めて立ち上がった。
「最初から見てたんですけど、すごいですね! 一番最初の抜刀、ほとんど見えなかったです」
「抜刀したってわかったんだろ? 十分だ」
「そうでしょうか」
「ああ、本来なら抜刀したことさえ気づかせないのが理想だ。俺もまだまだだなぁ」
「そんなことないですよ天野さん! 実践だったら僕斬られてたってことじゃないですか」
「雄は楽観的だなぁ」
「はいっ! ありがとうございます!」
「うーんあんまり褒めてない」
「はいっ!」
 灰原は威勢よく返事をする。曜次が言っている意味を理解していないのか、はたまた理解した上で、それを上回る楽観視の持ち主なのか。曜次にはどちらかさっぱり見当がつかない。
「まぁいいや。雄は何しに来たの? 本当に俺のこと脅かしにきたわけ?」
「えへへ」
「本当に驚かしに来ただけ!?」
「はいっ!」
 悟の自由奔放さとはまた違う灰原に曜次はいつの間にか完全に彼のペースに持ち込まれていることに気づいて頭を振った。
「本当は京都校の人がいたら、手合わせ願おうかと思って……でも団体戦直前じゃあんまり相手にしてもらえないかな」
「ああ、雄は京都校に来たことないのか?」
「今日が始めてです!」
 灰原はピシッと背筋を正して答えた。
「じゃあ紹介してやるよ。もう起きてるやつもいるだろ」
 曜次は気軽にそんなことを言うと、ポケットから携帯を取り出してアドレス帳をさらさらとめくっていった。プルルルル、プルルルルという小さな呼び出し音のあと、曜次は何事か話し始める。「ああ、うん、後輩がちょっと。相手してくれます? 俺じゃあんまり意味ないんで。ええ、まぁ体術だけでいいです、あっ、はいありがとうございます」一通り何事か話し終わると曜次は灰原の方を向いて「いいってさ」と携帯を振った。
「誰ですか?」
「それは来てのお楽しみ~それまでは俺が相手してやるよ。ほら体術だろ。そういや灰原の術式って何?」
「内緒です!」
「わーおこんなにはきはきと断られたの初めて」
天野さんは術式公開してますよね? 僕は味方でも術式公開しちゃうと不利になるので」
「なるほどね。俺はまぁ、そうだな。人に知られても特に問題ない術式だからな」
 曜次は構えながら言う。
「ほらよ、サプライズゲストがくるまで俺が相手してやるよ」
「ありがとうございますっ!」
 そう言って灰原も構える。
 これは高専に入ると教えられる体術の一つだ。複数の型があり、それを初めはお互いゆっくりとしたペースで確認しながら徐々に速度を上げていく。悟と曜次は呪術師の家系故、独自の型を覚えているため、二人とも高専で教わる型を得意とはしていなかった。一番これを得意としているのは傑だ。傑は合気道や古武道を習っていたことがあるらしく、飲み込みも早く気づけば悟と曜次はあっという間に追い抜かれていた。もともと高専の体術は合気道や古武道の流れを汲んでいる、というのは傑の言で、それで覚えが早かったといつだか曜次は聞いたことがある。今では傑と型の稽古をすると曜次も悟もついていくので精いっぱいだ。特に曜次は徒手空拳を得意とはしていなかったので、刀を使わない型は余計に疲れる気がした。
 灰原も高専に入ってもう半年あまり、型は習っているので、まずは確認の意味も込めてゆっくりと体を動かしていく。まずは腕、それを内側から払って、次は足、腕で受け取めると同時に自分も足を振り上げる。灰原が受け止めたのを確認して、今度は突きをゆっくりとまっすぐに突き出す。灰原はそれを掌で受け止めて、同じように突きをまっすぐに伸ばした。
 一つの型を終えるのに五分余り。主に使う型は三十程度だが、実際には百以上に別れており、様々な状況に対応できるようになっているらしい。らしいというのも、曜次が覚えているのはせいぜい四十程度でそれ以上は覚えていなかった。灰原は、聞けば五十は覚えているという。今回は主に使うだろう型に絞って、三十分あまり続けていると、まだ柔らかな日差しだというのに二人とも汗がにじんでくる。五つ目が終わったところで、曜次が手を挙げる。いったん休憩にしようという合図だ。まだ速度を出していないので二人ともさほど息は上がっていないが、曜次は特に久々に型の稽古をしたせいで、体の節々が悲鳴を上げていた。曜次がその場に座り込むと、灰原も近寄ってきて曜次の隣に座る。
 パチパチパチ、と拍手が校庭に響いたのはその時だ。二人が顔を上げると、そこには長い髪をお姫様カットにした女性が一人立っていた。長い髪をひとくくりにして、ちょっとおしゃれなジャージに身を包んだ彼女は、安土京子。今回の交流会の有望株の一人だった。彼女の術式の特性上、特殊な布で目隠しをした京子は、ジャージが似合わない。昨日の制服の方がずっと似合っていた。
「きれいな型ね、天野君、灰原君」
「おはようございます、京子さん」
「えっ天野さんが電話かけてたのって安土さんだったんですか!?」
「そうだよ。お互い呪術師の家系だから、高専に入る前からの知り合いだし」
「へぇ~……」
 感心したように灰原が息を漏らすと、京子はくすくすと笑った。
「そんな大したことじゃないのよ? ほらでも呪術師同士の交流は重要だから。天野君とは自然付き合いが長くなっただけ。それで、朝早くから呼び出した理由は何かしら?」
「ああ、うん、後輩の相手してほしくて」
「それだけ? ふふっ、天野君って本当に自由ね」
 京子は口元を隠してくすくすと笑った。
「よろしくお願いしますっ!」
「よろしく、灰原君。でも確かにそうね。団体戦の前に相手の動きを知れるのはいい機会かもしれないわ。個人戦もあることだし、高専の型でいいかしら」
「はいっ! 僕それ以外知らないので」
「あら、呪術師の家系じゃないのね。道理で調べても出てこないわけだわ」
「京子さん、まさか東京校のメンバーの情報全部調べてたんすか」
「当然、情報は武器よ、天野君」
「いやー俺は新しい相手と戦う方が楽しいかな」
 曜次はその場にどすんと座り込んで刀を撫でながら言う。
天野君は、そうね、そうかもしれないわね。ということは京都校の情報はほとんどなにも調べてないのかしら」
「いやー傑あたりが調べてると思いますよ」
「夏油君、彼も一般家庭の出だったかしら」
「そうそう、でも万全を期すやつだから調べられることはきっちり調べてくると思いますよ」
 曜次はからからと笑いながら言う。京子はそんな曜次につられて笑った。
「折角の時間がもったいないわね。さぁ灰原君やりましょうか」
「はいっお願いします!」
「礼儀正しい子なのね。京都校も東京校も教える型は同じよ、それじゃ一の型から十の型までをはじめはゆっくり、徐々に早くしていきましょう」
 お願いします、と灰原は深々と頭を下げる。
 京子が言った通り、灰原と京子は初めはゆっくりと体を動かしていく。それを徐々に徐々に早めて、最終的には目で追えないほどの速度に持っていくのがこの稽古の神髄だ。とはいえ灰原は型を習ってまだ半年、目で追えないほどの速度には灰原の体が追い付かないので、速くするといっても限界がある。京子はその限界を見極めるのが得意だった。
「京子さんって型全部覚えてるんですか」
「ええ、一応ね。でも後半の型は自信ないわ」
 灰原は京子のように口をはさむほど余裕がない。ぜぇはぁと荒い息を繰り返しながら、京子の動きについていくのに必死だ。一方の京子はぼんやりと二人の型稽古を見ている曜次を話をする程度に余裕がある。
 時刻は十時になろうとしていた。遠くで柱時計がボーンボーンと時刻を告げている。京子はそれを聞いて、すっと手を上げ稽古の終わりを告げる。
「あっ、ありっありがとうございましたっ!」
 膝に両手をついて震える声で一息に吐き出した灰原はそのまま校庭にごろんと横になった。土がつくぞ、という曜次の言葉を無視して荒い呼吸を繰り返している。
「灰原君、とっても上手だったわ。あとはそうね、体力と鋭さが欲しいわね」
「はい」
 灰原は空を仰いだまま答える。いつの間にか随分高いところまで登ってきた太陽が、校庭を明るく照らし出している。まだぬるい風がひゅうと吹いて、灰原と京子の汗をとばした。京子は乱れたところが一つもなく、まだ余裕があり、曜次にもやるか、と声をかけたが曜次は断った。
「団体戦まであと二時間だから遠慮しておきます」
「そうね、私たちも作戦の最終確認をしないといけないし、それじゃあまた団体戦で会いましょう」
 京子はそう言うと、校庭に転がっている二人に「ごめんあそばせ」と軽く挨拶をして去っていった。灰原とあれだけの型稽古をしたというのに疲れた様子はまるで見えない。
「いやーさすが京都校最強って言われるだけあるね。これ悟押し負けるんじゃん?」
「ふー……個人戦ではぶつかりたくないなぁ」
 ようやく息が整ってきた灰原は上半身を起こして、半そでのシャツについた砂をぱっぱと払う。曜次はけらけらと笑いながら一緒に土埃を払ってやった。
「個人戦はくじ引きらしいからな。誰と当たるかわからない分楽しみじゃん?」
天野さんは刀があるからそんなこと言えるんですよ。あー悔しいなもっと頑張らないと」
「ほどほどになー。何事もほどほどがいいんだよ。三年の京子さんと一年の雄じゃ、経験に差があるのは当然なんだから、むしろあそこまで型を自分のものにしてるんだから誉めてあげてもいいんじゃないか」
「そうですか? 僕負けず嫌いなんですよ」
「そりゃ大変だ」
 曜次はからからと笑って立ち上がる。そして座り込んでいる灰原に手を差し出した。
「ほら、そろそろ傑が怒りだすころだ。作戦会議ができないってな」
「わっ夏油さんに怒られたくない」
「俺もだ。行こうぜ」
 灰原の手をぎゅっと握って立ち上がらせると、灰原は一瞬ふらついたが、すぐにしゃんと立つ。二人でのんびりと校庭を横切っていると、宿泊棟の窓が一つ開いてこちらに大きく手を振っているのが見えた。
「あっ傑だ」
 おおい、と手を振り返すと、明らかに怒った様子で手を振っているので、こりゃぁ間に合わなかったなぁと曜次と灰原は笑うしかなかった。
「遅い、何をしてたんだ曜次、灰原」
「ちょっと京子さんと手合わせを」
「十時に最終作戦会議をすると言っただろう、二年がこれでは下級生に示しがつかないぞ」
「ごめんごめんって。でもほとんどこの間の繰り返しだろ? もう変更する要素もないし」
「まぁそうだが」
「じゃあそんなにかりかりするなって。あっ緊張してる?」
「いや緊張はしてないな」
 傑は首をかしげながら言った。前髪が揺れる。その前髪を曜次の視線が追う。
 傑はいつもの通りぴしっと制服を着こなし、口をはさむところがないほど完璧だ。それに対し灰原と曜次は汗と土埃にまみれて見るに堪えない。傑ははぁ、と大きくため息をついてから、先にシャワーに入ってこいと二人をシャワー室に放り込んだのだった。
 京都校・東京校ともに宿泊設備はあれど風呂はない。泊まり込みの教員になると風呂付の部屋が与えられるようだが、学生は基本的にシャワーで我慢する必要があった。シャワー室に入ると二人は手早くシャワーを浴びる。曜次は髪を乾かすのに時間がかかるかと思いきや、自然乾燥派であった。首にタオルをかけて高い位置でお団子に結んで、あとは放置だ。その横で灰原がドライヤーを使って髪の毛を乾かしている。
天野さん意外と適当ですね!」
「雄は意外と口が悪いな」
「そうですか?」
「いや天然だな」
「そうでしょうか?」
「うんそうだ、俺が言うんだから間違いない。ほらさっさと乾かせ、俺も手伝ってやろう」
「わぁありがとうございます!」
 二つのドライヤーに双方向から風を吹き付けられて、灰原の髪の毛が舞い上がる。わー、と言っている間にあっという間に乾燥した髪の毛を軽く整えて二人は東京校の控室に向かったのだった。
「遅いぞ二人とも」
「雄の髪を乾かしてました」
 悪びれる様子もなく言う曜次に傑はあきれたが、曜次のマイペースは今に始まったことではない。団体戦に遅刻していないのだからいいだろうということで、二人はお咎めもなく控室の端っこに座った。
「最終作戦会議ということだが、基本的には機能確認したことと内容に変更はない。ただ夏油が呪霊に指示をするのにフィールドの西にある建物を使うそうだ。灰原は西側、七海は東を中心に回ってくれ。相手の術師を見つけた場合の対処は各々に任せる」
「倒してもいいってこと?」
「場合によりけりだ。相手が二人組だった場合は逃げて呪霊祓いに集中してもよし、相手の足を止めるのもよし、その場その場で各自の判断を優先する。どうしても判断に迷った場合は俺に連絡しろ」
 全員の連絡先はわかっているな? と楢原が確認する。曜次も含めて全員が携帯を確認し全員の連絡先が入っていることを確認して、作戦会議は終了した。
 時刻は十一時半。そろそろ団体戦のフィールドに移動する必要があった。各々武器を持つ者は武器を構え、素手のものはポケットに手を突っ込み、スタート地点に移動する。東京校がやや西より、京都校がやや東よりの広場がスタートとなっている。楢原も含め皆やる気は十分だ。
 十二時五分前、スピーカーからガガッと掠れた音が響く。
『あーあーマイクのテスト中……東京校の夜蛾正道だ。今回の交流会は普段関わりの少ない京都校と東京校の親密度を上げると同時に、共に呪霊を祓う術師として仲間意識をはぐくむものである。術師同士戦っても問題はないが、致命傷や後遺症が残るような戦い方は控えるように。あくまでこれは交流会であることを忘れず競り合ってほしい、以上、交流会団体戦開始!』
 夜蛾の合図とともに東京校・京都校ともに一斉に動き出す。
「それじゃあピッタリ十五分後に」
 傑はそう言って軽く手を挙げてその場から去る。
「俺と硝子はフィールドの端っこに行くよ。何かあったら携帯で連絡して」
 曜次はそう言って硝子と共に木々の間に姿を消す。
「灰原・七海・俺は呪霊を祓いに行くぞ、京都校と遭遇した場合には戦う・戦わないは任意とする」
「承知しました」
「はいっ! 了解です!」
「そして五条、頼むぞ安土を止める役」
「はーい」
 悟はあまりやる気を感じさせない声で了承した。
「今年の交流会勝つぞ! 散れ!」
 楢原の合図が始まりの合図だった。
 東京校・京都校それぞれの思惑を持って、姉妹校交流会団体戦が始まった。
 
 20200721