ヨゴトノリトのパラドクス

小学校

傑と曜次は可哀想なほどに震えている少女の手をぎゅっと握った。傑は大丈夫だというようにノリコの顔を見てにっこりと笑った。曜次はそんな傑を見て器用だなぁと思う。そういった愛想笑いはしたことがない。呪霊絡みとなれば自分の身を第一にしなければ生きて戻ることもかなわないかもしれない。だが傑の中でその優先順位は異なるようだ。傑にとっては、今生きている人を助けるのが一番なのだろう。呪術とは弱い人たちを守るために使うんだ、といつかどこかけ傑からそんなことを聞いた気がする。両面宿儺を倒すためだけに生まれた曜次とは真逆の考えだ。曜次からすれば、助けれれば助けるが、それで両面宿儺を倒す可能性が低くなるなら切り捨てもする。そこに罪悪感はなく、ただ幼少期から埋め込まれた使命感のみがある。
  だが傑が助けるというのだから、助けようと曜次は思った。愛想笑いはできないが、いつもように笑うことはできる。それでキエが安心するのかわからなかったが、曜次は傑をまねてにっこりと笑ってみた。手をつないで伝わってくる緊張感がほんの少し和らいだ気がする。傑はすごいな、こんなことを簡単にしてしまうのだから、と曜次は思った。
「しっかり捕まって、同時に手を離す。いい? そしたら俺たちはあれの腹の中に入るけど、そうしたら先に食われた奴とあわせて助けるから。手を離すのは同時だ、いいね」
 傑は少女の目を見てまっすぐに言う。少女は震えているのか頷いているのか分からなかったが、代わりにぎゅっと手を握り返した。傑はにっこり笑って、「それじゃあ、いこうか」と言うとさん、に、いちの合図で初めに曜次とキエは十円玉から指を離した。
 ケタケタケタと嬉しそうな笑い声と共に視界が暗闇に閉ざされていく。布団に入って真っ暗にした部屋の隅から、じわりと暗闇が広がってくる、そんな感覚だった。
 あっという間に視界は真っ黒に多い尽くされて何も見えなくなってしまった。曜次の隣にいるはずのキエも、握っているはずの手も見えない。ただ、確かにキエが手を握っている感覚だけはそこにある。
「聞こえてるかな? キエー! 手絶対離さないで」
 真っ暗闇の虚空に向かって曜次は声をかけたが返事はなかった。キエに曜次の声は届いていないと思った方がいいだろう。
「ふむ」
 曜次はキエと片手をつないだまま顎に手を当てて思案する。このまま切り捨ててもいい、と思われるが食われた二人の行方が分からない。ヨシヒロとハナといったか、果たしてこの状態で呪霊を斬って二人は助かるのだろうか。
「仮に助からないとしても、今はキエとノリコ、確認してる生存者が最優先かな」
 曜次はポツリと呟いて、左手で、刀を抜いた。普段刀を持つ手は右手であるが、今右手はキエと繋がっているから離すわけにはいかなかった。
 曜次の刀は暗闇であっても銀色の鈍い光が煌めいていた。ということはつまり、完全な暗闇であると認識しているのはおそらく曜次のようにこの呪霊に飲み込まれたものたちだけで、案外キエや飲み込まれた子供たちは暗闇に閉じ込められているわけではないのかもしれない。子供というものは非常に純粋である故に、本来なら視えないものを見ることも、また見えているもののその先を見ることもある。
 幸いにして右手にキエの手を握っている感覚はあるのだからそれで十分だった。
 曜次は一息つくとそのまま刀をまっすぐ切り落とした。頭上に掲げた刀から一線。剣先が美しい弧を描いて振り下ろされた。
 その瞬間、胃に響く低音が轟き、曜次はドンッと何かに背を押されて前のめりに転がった。刀がキエを傷つけないよう即座に鞘にしまったが、そのおかげで受身を取るのに失敗して盛大に鼻を打つ。たらりと血が唇を彩って、口の中には鉄錆の味が広がった。
「おえっ……キエ! いるか!?」
「ヨシくん!」
 なんとか顔を上げるとそこは先ほどまで四人が居た教室であった。窓際で真っ黒な人形をした呪霊がぐずぐずと形を崩していく。
 教室の床に転がっているのは曜次とキエとしてヨシ君と呼ばれた少年であった。キエはすぐに立ち上がると曜次の手を振りほどいてヨシ君__おそらく彼が先の話にあったヨシヒロと言う少年なのだろう__の側に駆け寄ると背をゆする。だが少年はぐったりとしており、顔からは血の気が失われまるで死人のようであった。長時間呪霊の体内にいたのであるから当然であるが、キエはそんなヨシヒロを見て顔を真っ青にしている。
「大丈夫だ、キエ。まだちゃんと生きてる」
 曜次は鼻を押さえたまま、ヨシヒロの首を押さえ脈を確認してからそういった。その一言でキエは安心したようにその場に座り込んでしまう。 
「でもな、状況はそんなによくないんだ。ヨシヒロは俺が担ぐ、キエ、案内できるか? このまま外に出るぞ」
 曜次がそういうと、キエは震える足で立ち上がった。窓の外からはまるで動物園の動物を観察でもするように呪霊が集まってきて覗き込んでいる。ピシリと嫌な音がしてガラスにヒビが入った。
 曜次は倒れて動かないヨシヒロを担ぐと、一瞬教室の全体に目をやる。傑とノリコを飲み込んだと思う呪霊はぱっと見る限りどこにも居ないようだ。移動したのか、はたまたすでに傑は小学校を脱出しているのか、どちらかはわからなかった。
 まだ小学生のヨシヒロの体は軽い。
「キエ、左手を出して」
 そう言って曜次が右手を差し出すと、キエは右手を出してしっかりと曜次の手を握った。
「よし! 階段の場所わかるか? 走るぞ」
 開いたままの教室の扉から廊下へ走りだすと、そこは百鬼夜行よろしく呪霊があちらこちらにうろついていた。こっくりさんの縛りがあったときは学校の中に入れなかった呪霊が、縛りが解けた今一斉に入ってきた、といった様子である。
(あの呪霊は一級かそれ以上のものだったのか?)
 曜次はそんなことを考えながら、悲鳴を上げたキエの手を解いて代わりにキエの軽い体を抱き上げた。
「階段から脱出はやめだ、ちょっとふわっとするぞ」
 曜次はそういって、廊下を走ってくる呪霊から避けるように教室の中に飛び込んだ。そして、すでに教室の中にも溢れている呪霊をかいくぐって、キエを一瞬手から離し、近くにあった椅子を掴み上げて思い切り窓ガラスに叩きつける。ガシャーンという大きな音とともにガラスが割れて破片が飛び散った。曜次は他の呪霊にキエが連れ去られる前にキエの体を抱き上げて大きく跳躍すると割れたガラスに思い切り足から飛び込んだのである。
「怪我! してない!?」
 浮遊感。
 キエは声を出すどころではないようで、返事はない。だが体は勝手に落ちていく。曜次は二人を抱えたまま、三階から思い切り飛び出したのだ。ふわふわとした不思議な感覚、それから体が下に引っ張られるような感覚。まるで内臓を空においてきてしまったような、そんな不可思議な感覚と共に三人の体は降りていく。
「少し、ドンッってするから! するけど平気だ、か、ら!」
 曜次は着地の瞬間に前に転がるようにして衝撃をいなす。ぐるりと一回転、キエの「きゃあ」という悲鳴が聞こえたが、悲鳴を上げられるだけ元気ならば十分だろう。
「あーさすがに足が痛い! 痛い! が! 走るぞ!」
 じんじんと衝撃が走り痛みを伝え震える足を叱咤して、曜次はキエとヨシヒロを担いだまま走り出した。呪霊は未だ校舎に群がっているところを見ると、どうやら傑の方が本命だったらしい。これは急いだ方がいいかと、曜次はぴょんぴょんと跳ねるように二人を担いで校門まで来ると帳から飛び出して、帳の外で待っていた木島に二人を渡す。
「わ、わ、さっきまで夜だったのに夕方……」
「びっくりだろ? 木島さんあとよろしく、俺傑の方に行くので」
 曜次はそういい残すと再び帳の中に飛び込んだ。
 夕方から夜、一瞬視界が真っ暗になるが、校舎からもれる明りで、目はすぐに暗闇に順応する。
「階段、階段……ええいめんどうくさいな!」
 曜次は校舎に飛び込んで上に上がる階段を探したものの、通ったことがない小学校と言う慣れない場所に足が止まる。階段の場所も分からずにうろうろしているよりも、いっそ、と曜次は外に出ると、刀を校舎に立てかけて刀を足場にぴょんと二階まで飛び上がった。
「もういっちょ!」
 校舎は不気味なほどに静かだ。傑とノリコは無事だろうか? 傑は優しいからきっと大丈夫だろう。怖い思いをさせないようにふるまうことは傑にとっては簡単なはずだ。ただ、彼の術は呪霊を操るわけだから、その点においては怖い思いをするかもしれない。知らない人から見れば、呪霊の数がただ増えたようにしか見えないのだから。
 階段を使う手間を省いて、校舎の壁を登った曜次はさすがに息が切れて、先ほどの教室の中で壁に背を持たれかけて思い切り息を吸って、吐いた。刀をしっかりと握ると、焦る気持ちも、はやる息も少しずつ落ち着いてくる。
 教室の中に入ると、廊下から音が聞こえる。どうやら傑は廊下の方にいるようだ。
 邪魔にならない程度に体が動かせるようになってから、曜次は即座に廊下に駆け出した。
 傑もまた教室側に体を避けたせいで、あやうく事故を起こすところだったが、それを曜次がぎりぎりで交わす。
「悪い!」
曜次! 君はそこの二人を!」
 傑が視線だけで指した方には少女が二人、片方は完全に意識を失っているようだった。ノリコともう一人の少女、ハナだろう。意識はないものの、胸はかすかに上下している。まだ生きている。
 曜次は二人を抱えると教室の中に入って、そして二人を掃除用ロッカーの中に押し込んだ。
 天井から降ってきた呪霊を刀の一線で切り伏せて、それから意識がはっきりしているノリコに刀を渡す。
「いいか、ノリコ。俺はこれからあっちの兄ちゃんの手伝いをしないといけない。この刀は持っているだけで恐い奴が襲ってこなくなるから、しっかり握ってろ。あ、俺はモップ借りるな」
 三回ノックしたらそれはおにいちゃんだけど、それ以外は絶対に開けちゃだめだ、そういい含めて曜次は掃除用ロッカーからモップを一本借りて扉をしっかりと閉めた。緊急事態だ、仕方あるまい、少し臭くて息苦しいかもしれないががそこは我慢してもらおう。
 曜次は掃除用ロッカーから引っ張り出したモップの先端を蹴り壊すと、右手で構えて長さを確認する。
 少し、長い。普段使っているのが太刀であるから、これは大太刀、といったところだろうか。普段あまり使わないが、槍術も訓練を受けていないわけではない。槍として扱ったほうがいいかもしれないな、と曜次は思いながら、教室を渡って廊下に飛び出した。
「傑! 援護する!」
「待て!」
 曜次が簡易な槍を構えたときだった。傑がそれを静止する。飛び出そうとした曜次は勢いを殺しきれずに一瞬体を傾けてから「なんでだよ!」と怒鳴り返した。
「これは私の任務だ、全て祓われては困る。大体君は私の付き添いだろう」
「ええ? まぁ確かにそうなんだけど」
 黒い人型は最早原形はなく、廊下を覆っている、まるで闇そのもののようだ。廊下の奥は呪霊に飲み込まれて最早何も見えない。領域が展開されているようではない、だがこれは二級以上に相当する呪霊だ。
 傑にはまだ早いんじゃないか、という言葉を曜次は飲み込んだ。
 傑の呪力量が突然跳ね上がったからだ。
 呪霊もまたその変化に気づきぴたりと動きを止める。
 しん、と静まり返った廊下の中、全ての動きも呼吸も傑に飲み込まれていくようだった。
 指を組む。複雑な形だった。曜次には決してできない呪術の神髄。

 領域展開・蠱毒
 
「お、おお?」
 突然空間が開けて、再び閉じた。そして一瞬足元が揺ぎ、曜次の体も傾く。足場がなくなった浮遊感が気持ち悪い。だが次の瞬間にはがくん、と浮遊感も止まり曜次の足元も元に戻った。しかし、そのときに曜次が居る場所は先ほどの廊下ではなく、もっと広い、壷のようなものの中にいた。天井に口が開いているのが見えるが、それは高く高く、とても手を伸ばして届くような距離ではない。
「傑!」
「私の後ろから出るなよ、これは私の領域だ」
 傑の体から、一瞬、影が広がった気がした。夜の闇よりもなお暗いその空間からいやな音をたてて無数の呪霊が現れた。
「うわっ」
 曜次はぴったりと傑に張り付く。呪霊は曜次には全く興味を示さず、突如この領域に居る全ての呪霊がお互いを食い始めたのである。その様はおぞましく、強いものが次から次へと弱いものを食う、まるで弱肉強食という四文字そのままであった。
「なにこれ!? 傑の領域なにこれ!?」
「名前の通り蠱毒だよ。私の持っている呪霊全てを引き換えに、この領域内で呪霊が争ってその中で一番強かったものを私が取り込める」
「取り込めるのは絶対?」
 曜次の問いに傑は頷いた。
 傑の額からじわりと汗が滲む。
「絶対。この領域で戦う限り。ただ引き換えに今まで集めてきた呪霊を全部失うんだ、効率が悪い」
「すげぇなぁ」
「途中で、」
そこまで言って傑の体がぐらりと傾く。
「おい!」
「悪い、ここまで呪力を使うとは思わなかった」
 慌てて傑の体を支えた曜次に、傑は素直にそういう。ここまで素直な傑は珍しいが、そんなことを言っている場合ではない。
「集めた呪霊を使い切るのもそうだけど、途中で私が領域を解いたら呪が跳ね返ってくるんだ」
「それめっちゃ重要じゃん、そういうことは早く言えって!」
「言ってもどうしようもないだろ」
 確かに傑が領域を展開することについて、曜次に口出しできることはない。もしも途中で領域を解いたら呪が跳ね返ってくるのは蠱毒という領域展開そのものへの強い縛りとなるだろう。自らの犠牲というものは何よりも強い縛りや呪力の制限解放を行うことが出来る。人柱というのは間違った表現ではない。呪術師は常にその身を犠牲にして呪いを祓っているのだ。
 傑は意識を保つことで精一杯のようだった。だがすでにほとんどの呪霊は、食い合い潰しあいを終えて残ったいくつかが激しい戦いを繰り広げている。一級呪霊同士による潰しあいは激しく、荒々しくそしておぞましかった。傑の定めた領域の外へ出ることはできないらしく、中で互いを食い合っている。だがその食い合いも終結し、最後に残ったのはあの黒い人型だった。
 最後の一体になったとき、領域がぐんと縮まった。曜次と傑を残して、蠱毒の壷は最後に残った呪霊を飲み込み閉じてしまう。そしてそれはいつも傑が呪霊を飲み込むときに形をとる、綺麗な球体になって傑の手のひらの上に転がった。
「はぁー」
 傑は大きくため息をついてからその場にしゃがみこんだ。傑の握った手の中にある球体は最早無害なもので、後はそれを傑が飲み込んで終わりだ。
「すごかったな」
「……今ならできると思ったけど、やっぱりきついな、これ。効率も悪いし、縛りを変えたほうがいい」
「いや十分すごかったと思うけど」
「結局一級の呪霊一体だろ?その代わりに五百近く集めた奴を全部食われた。集めるのに苦労したのに」
「そうかぁ、俺は領域展開はできないからなぁ」
「今はだろ」
「今はだけじゃなくて将来もね」
「?」
 曜次の言葉に傑は一瞬怪訝な表情をしたが、曜次は何も答えずに立ち上がってしまったのと、傑自身も随分と消耗していたこともあって、そのことについて深く言及しそびれた。
「そういえば他の呪霊も丸ごといなくなっちゃったけど」
「ああ、蠱毒、だからね。私の領域は周囲に居る呪霊を集めるんだ、そういう性質もある」
「なるほど、じゃこれで任務完了ってわけだ」
 曜次はにこやかに笑いながら教室に入った。傑の言う通り、教室の中の呪霊も、窓から中をのぞいていた呪霊もすべてきれいにいなくなっている。便利な術だなぁと曜次はぼんやりと思いながら、ロッカーの扉を三回叩く。そうするとおそるおそる扉が開いて、中からノリコが飛び出してきた。曜次にぎゅっとしがみついたノリコは泣きながら刀を曜次に渡した。
「よく我慢したなぁ、これで全部終わったから、ハナを連れて病院に行こう。どこが階段かわかる? 俺校内のことよくわからないんだよね」
 曜次は窓ガラスを割って飛び出したせいでそこら中に切り傷かすり傷がある。だがそれ以外は元気なもので、曜次が笑うとノリコも少し笑った。

 それから傑と曜次は二人の少女を連れて帳の外へ出て、木島に任務の完了を告げると、車に乗り込んだ。
 四人の子供たちは後から来た別の補助監督が預かり病院へ連れて行ったので、曜次と傑は彼女らのその後については何も知らない。彼女らは何らかの記憶処理を受けてまた日常に戻るだろう。傑と曜次もまた日常に戻るだけの話だ。
 そういえば、と曜次は思ったことを口にした。
「音楽室行かなかったな!」
「音楽室なんてどうでもいいだろ……」
 曜次の言葉に呆れた様子で言葉を返したのは傑だ。呪力をすべて吐き出してすっかり疲れ切ったのか、傑は車の後部座席に座り込むとすぐに寝息を立てて寝始めた。曜次は今回はあまり消耗していないので、これからもう一件仕事がないかなぁなどとぼんやりと考えながら、車窓を眺める。びゅんびゅんと通り過ぎていく電柱や木々を眺める限り世界は平和に見える。この世界の中におぞましいものが隠れているなんて考えたくもないが、曜次はいずれくる両面宿儺復活の時のために刀を振るうのだ。傑が呪術師を続ける理由とは少し違うが、それでも曜次と傑は仲良くやっていけるはずであった。
「理由なんて、もっと単純でもいい気がするんだけどな」
 ぽつりと呟いた曜次の言葉を拾うものはいなかった。
 
 余談ではあるが、小学校の呪霊を駆除した後、傑の黒い玉を食べてみたいと言い出した曜次は、四級呪霊のそれを丸のみにし、その結果約一週間の間腹を下し続け授業に出れなかった。あれは真正の馬鹿だ、と傑は言った。



2020.02.07 加筆修正