「俺もいきたい」
曜次に話をすれば当然そういった反応が返ってくることは容易に想像できた。だからできる限り言わなかったのだが、どこから任務の話を聞きだしたのか、
曜次はいつの間にか、傑が小学校に行くことを知って部屋に押しかけ自分も連れていけと言い出したのである。本人は非番であるのだから家でゆっくり休んでいればいいものを、と思わないでもなかったが、一度言い出したら聞かないのが
曜次だ。傑はため息を一つ吐いて「わかったよ」と了承することになるのはいつものことだった。
一級の術師は忙しい。準一級の術師である傑もすでに毎日のように降りかかってくる修祓の任務に辟易しているところだが、一級の
曜次はもっと忙しいはずだった。だが
曜次が忙しそうにしているのを傑は見たことがない。一応任務はこなしているのだろうが、それを表に出さないのだ。
曜次と出会ってしばらく経ったが、
曜次が笑っている以外の表情を傑はまだ見たことがなかった。いつもへらっと笑って済ませてしまう。彼から怒りも嘆きも感じたことがない。そんなことを考えているうちに、正門までたどり着いた。今回は傑がメインであり
曜次は完全におまけであるため、刀はしっかりと刀袋の中にしまってある。
今回もまた木島の運転する車に乗って、今回の任地となる小学校へと向かったのだった。
「ご武運を」
基本的に戦闘が禁じられているサポート役である木島らは、帳のような簡単な結界術といったものしか使わない。使えないのではなく使わない。正式に術師でない場合、ある程度の制限があるのだ。
木島に見送られるようにして、
曜次と傑が小学校に入るとすぐに帳が下ろされた。帳は周囲から中の様子を隠すだけでなく、強制的に夜を纏わせることで、呪いを誘い出す効果がある。帳の中では呪いはより活発に動き出す、と言うわけである。
すっかり夜になった校舎の中に踏み入れる。傑はあまり気にせず土足で上がったが、
曜次は昇降口を見てどうやら土足ではないらしいと認識したのか律儀に靴を履き替えて、適当に積み上げてあったスリッパに履き替えた。
「いざと言うとき動けないだろ」
傑の言葉はもっともなものだった。
曜次はそれもそうか、と納得したようで「ごめんなさーい」といいながら土足で構内に踏み込んだ。
本来ならば履き替えるのが道理であろうが、この小学校へは遊びに来たわけではない。呪いを祓いに来たのだ。いざと言うときに動けない格好ではとても任務にならないため、土足で上がるくらいは許される。
「えーっと、今回の任務って生存者優先? だっけ?」
曜次はいつものように帯刀はしていなかった。刀袋を背負って、あくまで傑のサポート役というものに徹するつもりらしい。本当に手を出さないか、は本人に確認していないのでなんともいえないが、この段階では刀を抜くつもりはないことは確かなようだ。
「……昨晩四人の児童が家を抜け出して学校に集まって何かをしていたらしい。まぁ肝試しか何かだろうが、それが丸一日たっても帰って来ない上に行方不明と来た。今朝保護者から連絡があって、さらに小学校から高専にまで連絡が入り今の時間、十六時か……まぁ今の時間に任務が高専の生徒まで降りてきた、ということだ」
「まだ丸一日たってないから生きてる可能性は高いね、でも完全な人払いまでが早い気がするけど」
「元々ここには呪物が魔除けとしておいてあったそうだよ、つい先日回収したばかりだからその影響かもしれないってわけだ」
ほら、と傑はポケットの中に折りたたんだ紙を引っ張り出して
曜次に見せた。
「へぇ! 本当だ、こんなの置いてたのか。なになに、えっこれ百葉箱の中にしまってたの」
「そうらしい」
傑は呆れたような声でそんなことを言う。
二人がそんな会話をしている間にも呪いは何体も姿を現したが、傑が全て取り込んでしまうから
曜次の出る幕はない。のんびりと傑から借りた資料を見終わって、顔を上げるとでかい目玉と目が合う。
「おっと、傑ー、こっちもよろしく」
「数が多いな。魔除けになっていた呪物の影響か?」
「どうだろうね」
曜次はそういいながら、目玉を避けて傑に資料を返した。傑は大きな目玉をものともせず手をかざすと、目玉はぼろぼろと端から崩れて傑の手のひらの中に納まってしまう。
「いつ見ても綺麗なもんだね」
「……そんな風に言うのは君だけだよ」
「そう? 呪霊操術、かっこいいじゃん」
「……」
傑は少し困ったように眉を寄せた。普段はもっと違う反応なのに、
曜次と話をしているといつも調子が狂うのだ。呪霊を丸ごと飲み込むという過程を良く思わない術師は山ほどいる。傑はそういうものだとなれきっていたからいっそ「気持ち悪い」といわれた方が気が楽だった。所詮、術師であってもそういうものだと割り切れるのに、
曜次と来たら全て肯定して飲み込んでしまうものだから、どうも気が狂う。だから傑はいつも
曜次に肯定されるたびに困った顔をする他にないのだ。素直に受け取るにはまだ傑はあまりにも大人だった。そして全てを受け入れるには傑は幼かった。
話を切り上げて傑は一階から順番に教室を覗いていく。普段なら鍵のかかっている教室も今は全て開け放たれていた。
「なぁ小学校のトイレには花子さんがいるんだろう?」
突然、
曜次はそんなことを言ったのはちょうど一階の女子トイレをひとつひとつ覗いていたところで、
曜次は三つ目のトイレの前に立って、扉を閉めてわざとらしくこんこんとノックをする。その表情はひどく真剣で遊びでやっているのではない、ということはわかるのだが、傑も彼も呪術師である。まさか、呪術師がそんなものを信じるなど、あまりにも馬鹿げているだろう。
傑は時々
曜次をどう評価していいか分からなくなる時がある。ひどく大人びて見えるときもあるのに、こういうときは馬鹿みたいに子供じみているのだから、扱いに困るのも当然といえば当然のことだ。
傑は「どうやって呼び出すんだっけ」などとほざいている
曜次の様子に眉根を寄せてため息を吐く。
「全ての小学校にいたら一体何人いることになるんだ」
「理科室の骸骨は動くって!」
「普通は動かない、まぁ今日は動くかもしれないけど」
「階段は数える度に数が変わるって!」
「カウントする段が毎回ことなるだけだろう」
「音楽室は」
「ああもう君のそれは一体どこの情報なんだ!」
次から次へと
曜次の唇から出てくる言葉は、小学校の幼稚な都市伝説だった。子供と言うものは想像力が非常に高い。大人には幼稚に見える本でも子供には十分な恐怖を与えることがある。そして増加した恐怖は
曜次の言うとおり学校に集まって、学校の怪談の出来上がり、と言うわけだ。
「学校の怪談! って本で読んだ!」
「呪術師なのにそれを信じてるのか?」
傑は完全に呆れた様子で
曜次に言葉を返したが、
曜次は全くめげることもなく楽しいじゃんと言う。そんな様子に傑は最早天井を仰ぐしかないが、大真面目に馬鹿をやる相手には大抵何を言っても通じないのだ。
「いやあ信じているっていうかそうだったら楽しいなって思って」
「楽しくないだろう」
思わずため息が出た。初めから閉じていた三つ目の扉を開くと案の定弱い呪霊がトイレの裏に張り付いていたが、花子さんと呼称するものではないだろう。それもまた飲み込んで女子トイレを後にしてもなお、
曜次は楽しそうに色々と傑に話掛けてくる。理科室の人体模型は動くのだとか、音楽室の肖像画と目が合うだとか、確かにそうだがそれは全て呪いによるものであることぐらい呪術師である
曜次にもわかっているだろうに、彼はあえてそんな話題を口にする。
「君は一体今日はなんなんだ! 普段からよくわからないけど、今日は特に意味がわからない!」
堪忍袋の緒が切れた傑が思わずそんな風に声を荒げると、
曜次は一瞬きょとんとしてから「俺、小学校って行ったことなくてさ」と言った。
曜次のその言葉に勢い余って続く言葉を失ったのは傑の方で、「えっ?」と思わず口に出してそれから一拍置いてようやっと次の言葉が出てきた。
「義務教育だぞ?」
「義務教育だから別に出なくてもよかったんだよ。家が山の中だからさぁ小学校も遠くて、家で一応中学校に値するところまでは家庭教師がついてたけど、こうやって」
曜次はそういいながら二階の階段を上がってすぐ正面の教室の扉を開く。
「たくさんの同級生がいて、そこで勉強したことはないし、理科室とか音楽室とか、本の中でしか知らないんだ。あ、うん、中学校は一度行ったことがあるけど任務だったし、だから通ったことはないんだ」
だから、今回夜蛾先生にお願いしたんだよととても嬉しそうに
曜次は言う。
「小学校に入る機会なんて任務くらいだろ? 傑と一緒に行ったら楽しそうだなって思って」
「……はぁ」
「ため息つくと幸せが逃げるって」
「それも迷信だ、でもまぁ、君がいたら、小学校や中学校も、少しは楽しかったかもね」
傑は
曜次の話をしばらく無言で聞いてから大きくため息を吐いて、ぽつりとそんなことを言った。
「傑は小学校楽しくなかった?」
「楽しいか、楽しくないかでいうなら、楽しくなかったんじゃないかな。見えないものが見えるなんて、皆気味悪がるからね」
そっか、そういえばそうだね、と
曜次は首をかしげてあっけらかんと言い切る。その口調には同情も、哀れみもなく、ただ事実としてそのことをぽん、と受け入れているといった様子であった。
曜次にはそういうところがある。いつも楽しそうに笑っているが、ふとしたときに無表情になる。怒ることもあるが本気で怒っているところを傑は見たことがない。喜ぶことも悲しむことも、ある種の活動の一つで、義務的にそうするべきだからそうしている、そんな印象を傑は
曜次から受けることがあった。
傑は何を言えばいいのかわからなくて結局また困ったように眉を寄せるに留めた。
天野曜次という男の心の奥底に何があるのか、未だつかめない。
だがそんなことを思われていると知ってか知らずか、当の本人はけらけらと楽しそうに笑うのだった。
そんな姿を見ていると深く考え込んでいるのも馬鹿馬鹿しくなるような気がして、ふぅ、と一つため息を吐くと傑はいいか、と
曜次を指差して言う。
「今回は三級以下の呪いだって話だし、私が集めるから邪魔するなよ」
「わかった、刀は使わない」
「……」
「わかった! 傑の邪魔はしないって!」
じとっとした目で睨みつけると、
曜次は慌てて言葉を付け足したのだった。とはいえいざとなれば
曜次は刀を抜くだろう。それは傑の打ち漏らしの後処理というわけだ。どの程度呪霊がいるのかわからない今はなんとも言えないことは確かだった。邪魔はしない、でも自分の身は守る、この二つは矛盾しないのだから。
「そういえばさ、傑って一般家庭の出だよね」
「どうしてそう思うんだい?」
「呪霊操術なんて式神を使うより格式が上の術式なのに、夏油なんて名前聞いたことがないから」
曜次は歯に衣着せずずばりと言い切る。
「そうだね、私の母も父も呪術師ではない。私が術式を持っているということは、過去を遡れば呪術師がいたのだろうけれど、家系図が残っているほどの家でもないから」
それに対して、と傑は
曜次の顔を覗き込んで言う。
「君は有名どころのお坊ちゃんというところかい。でも
天野なんて名前は初めて聞いた、御三家にも含まれていないし、かといって君の今までの発言を組み合わせると
天野はそれなりに有名な家系だと思うんだけど」
「傑はよく人の話を聞いてるなぁ! 俺先生の話も聞いてないのに!」
「数学の先生の話はもう少し聞いた方がいいと思うよ」
傑はくつくつと笑いながら言う。
「でも正解、
天野は御三家とは関係ない関東を中心にした呪術師の一派。知ってる人は知ってる呪術師の系譜だよ。
天野打刃物(うちはもの)って言えば伝わる?」
「打刃物で聞いたことはある」
傑は首をかしげながら、かすかに残った記憶から聞いたことがあるような名前を引っ張り出した。
「ナイフや包丁なんかが有名なんだっけ」
「そうそう、でもそれは
天野打刃物の中でも一般に流通するもの、つまり表舞台のものだね」
「表舞台ということは裏があるということ?」
「傑は話が早いなぁ、そういうこと。裏の顔は呪術師の一派であり刀鍛冶の一派でもある」
曜次はそう言いながら刀袋から一口刀を取り出して、鞘から抜き放つ。蛍光灯の光を浴びてギラリと輝く刃物には刃こぼれもなく、鋭い刃が空気すらも切り裂くようであった。
「両面宿儺全盛期、俺の一族の初代当主が両面宿儺を殺すためだけに打ったのが始まりとされる、刀鍛冶でありながら剣士であるのが呪術師としての
天野家の顔。俺の存在価値はいまだなお残る両面宿儺の指を斬るために刀を育てることにある」
「刀を、育てる」
「そう。この刀は呪具だ。付喪神って俺たちは呼んでるけど、高専風に言うならば付喪神と言う呪霊が宿った呪具がこの刀になる」
曜次は手の中でくるくると器用に刀を回して見せた。取り落とすこともなくパシッと鞘を掴んで構える姿にはほんの少しの乱れもない。ぴたりと静止した刀は凶器としての恐ろしさと同時に美しさすら垣間見える。
「呪霊を斬ることで刀は育つ。今は一級呪具だけど、これを特級にして、死蝋化した両面宿儺の指を斬る、そして両面宿儺という呪いそのものを祓うんだ」
刀を軽く振って、
曜次は刀を鞘に納めなおした。刀と同じくらい美しく作られた鞘の拵えは、素人の傑にも良いものであることがわかる。
しかし、と傑は首を傾げる。
曜次の実力は以前同行した任務でよく知っている。それだけの術師を輩出できる家が、なぜここまで有名ではないのか、そこが不思議であった。
「それはねぇ、
天野家と呪術界の上層部が仲が悪いからだね」
曜次は傑が疑問を口にするよりも早く、何が言いたいのかわかっているとばかりにそんなことを口にする。
「昔々の話になるんだけど、まだ呪術界と
天野家がなかよくやってた頃の話、里も開かれていて打刃物を制作する一族としてそれなりの地位があった頃、呪術師を恐れた一般人、つまり非術師に里を襲われたことがある、と口伝されている」
「書物には残っていないということ?」
「正確には書物まで残らず焼き捨てられたってこと」
なるほどと傑は頷いた。
「非術師からすれば呪術師なんていう得体のしれない存在は恐怖でしかないわけだ。その上実力もあるとなると呪術界としてはいつ
天野家が反旗を翻すが恐ろしいということもあって、里が非術師によって襲われたとき、呪術界は何も手助けしてくれなかったんだよね」
里は焼け落ち、女子供まで皆殺しの憂き目にあったんだって、と
曜次は語る。
「そんでその時の当主が、怒り狂って呪霊を放ったんだ。勿論刀の付喪神のことだよ、命じたのは里を襲った者たちの塵殺だ。解き放たれた呪霊は命令通り里を襲った連中、それから近場の関係ない人間まで皆殺しにした。双方残ったものはなにもなく、それ以降
天野家は呪術界上層部を信用しなくなり、同時に里を隠すようになった。表向きは刃物を制作する一族として山奥に隠れ住むことを選択したんだ」
それで、今に至るわけと
曜次は物語を終える。
「それじゃあ、君は?」
天野曜次と言う存在はなぜ高専にいるのか? と傑は問う。
「見かけ上は仲良くしていますよっていうことですよ。当主を高専に入学させることで、仲たがいしたいわけではないってことを示しているわけ」
ゆっくりと歩きながら階段までやってきた二人は、つづら折りになった階段に足をかける。
「知ってる? 高専の呪具保管庫には
天野家が作った呪具も結構あるんだぜ。呪具を専門に制作している術師は少ないから、
天野家の呪具は貴重なんだ」
「なるほど、おおよそのことは理解できたよ」
手を顎に当てながら頷いた傑はまたひとつ尋ねる。
「それで入学の時は学長の面接、なんて答えたんだい」
「あれかー、俺は『両面宿儺を斬るのは俺』って答えた」
「よくそれで許されたな」
「まぁそれはほら、さっき話した通りだから。傑は?」
「私は術師になるにあたっての心構えとかどうありたいとか、わりと一般的なことを聞かれたかな」
へぇ、と面白い物を見る目で
曜次は傑を見る。
「傑は呪術師としてどうありたいの」
「面接みたいだな」
「いいじゃん」
「術師として拾われて、高専にいるわけだけど、少なくとも呪術は非術師を守るためのものだと思っているよ」
とすれば、私の在り方は自然非術師を守るということになる、と傑は続ける。
「術師としての自覚をしたのがいくつだったかなぁ、おかしいなということに気づいたのは小学校に上がる前後だった気がする。見えないものが見えるっていう奇妙な現象から始まって、家族を守らなければいけない状況に追い込まれて自分の力を自覚したよ」
「ふぅん?」
「それから夜蛾先生に拾われて、そこからは話は早かった。高専への入学もすぐに決まったし、もともと古武術や合気道をやってたから入学前から任務にも行ったね」
「なるほどね」
曜次は一段飛ばしで階段を登り切り、軽くステップを踏んだ。階段の蛍光灯はちかちかと明滅し、それが夜の学校という不気味さをより一層際立たせている。そろそろ呪霊の気配が濃くなりはじめ、自然と
曜次も傑も言葉少なげになった。四級にも満たない呪霊ばかりだが、油断はできない。一つ一つ取り込みながら教室を調べていく二人の姿はまるで新たにこの学校に赴任することが決まった新米の教師のようだった。
「そういえば最後に一つ」
「なんだい」
「その呪霊の玉(魂)って美味しいの?」
その一言に傑は吹き出した。
2020.01.26 加筆修正