ヨゴトノリトのパラドクス

転校生

それから二人は淡々と、下から順に小学校の中を見て周った。曜次は教室の扉を開けるたびに「机がいっぱいある」だの「黒板がある」だの、傑には見慣れたものに感嘆しながら進んでいった。その間にも多くの呪霊にあったが、それらは全て傑がとりこみ、残るのは夜の帳に包まれた教室だけだ。
 入るときも「お邪魔します!」と律儀に声をかけていくが、去るときも「お邪魔しました」とまた律儀に礼をしていく曜次は、礼儀正しいのだが、馬鹿なのか傑にはよくわからなかった。
 とにもかくにも傑と曜次はそのようにしてひとつひとつ丁寧に教室を覗き込んで、呪霊を見つければ傑が祓って、誰も居ないことをロッカーまで開けて確認していく。そのようにして三階までたどり着いた二人は階段を上りきったところで、空気が変わったことにいち早く気づいた。
 残穢がいくつも残っている。だがそれらは全て低級の呪霊のものだ。この階にはもっと大きなものがいる。だがその残穢がないのは少し奇妙なことだった。また呪霊と同時にかすかに人の気配がした。
「傑」
「わかってる、生存者の救出優先だ」
 ひっく、ひっく、と引きつりながらすすり泣く声が聞こえる。三人分、いや二人分かと目安をつけて、二人は音を頼りに走ると五年三組の教室の前で足を止めた。
「ここか」
「そうだね、嫌な気配もまとめてある」
 曜次はそっと扉に手を当てる。この中で何が起こっているのか、曜次にも傑にもはっきりとはわからない。もしも呪霊が何らかの縛りを中にいると思われる二人に強要しているのだとしたら、突然扉を開ければ危険かもしれない。もしかしたら扉を開けることに関するなんらかの縛りが存在するかもしれないし、そもそもこの扉の向こうは生得領域かもしれないのだ。そうなれば傑だって曜次だって命が危なくなるかもしれない。
 だが仮にそうだとしても、それでも生存者のために動かなければならないのが呪術師だ。
 曜次は念のため刀を刀袋から取り出すと腰のベルトに差し込んだ。傑は何も準備するものがないので、曜次の方を見て一度頷くとそっと引き戸に手をかけた。
「人と呪霊が居たら即、斬る」
「呪霊だけだったら私が祓う」
「おっけー」
 曜次は刀を構えて、腰を落とす。
 癪ではあるが、刀を持たせた曜次は早い。術式で強化しているわけではなく、単純に刀を扱う技術が飛びぬけて優秀なのだ。曜次に言わせると、二十メートル近くある距離でも一瞬でなかったことにしてしまうかのようなその技術は「縮地」というらしいが、曜次から原理を教わっても傑には何もわからなかった。
 傑が教室の引き戸を思い切り開ける。教室の中は電気がついていたから、曜次と傑の目には二人の少女が机に向かって手で何かを支えているのが視えた。その少女の背後には二体の黒い人形をしたような呪霊が、少女の肩を掴んで机の中を覗きこんでいる。
「こっくりさんこっくりさんお帰りください」
 少女たちは同じ言葉を繰り返していた。傑にはその言葉に思い当たることがあったが、そのことを曜次に確認するよりも早く曜次は動いていた。
 刀の銀色が蛍光灯に煌めいて、呪霊の首に触れる。相手が特級だろうと構わない曜次の特攻。その速度に呪霊は曜次の存在に気がつくよりも早く、首を落とされた、はずだった。
「あり?」
 気がつくと窓の外に放り出されていたのは曜次のほうだった。
「!?」
 ちょうど三階の窓から飛び降りたような、しかし窓は開いていない。まるでテレポートされたようなそんな状況で、曜次は刀を握って「あーー」と叫びながら落ちていった。
 呪霊はまるで何事もなかったかのように二人の少女ががたがたと震えながら見つめる机を、上から覗きこんでいる。時折肩をゆすったりとんとんと叩いたり、その度に少女が小さく悲鳴を上げた。あまりにも死に近づいたため少女たちには背後に居る呪霊が見えているのだ。
 傑は、曜次が攻撃に失敗したのを見て、直接取り込むのを止め、自分が集めた呪霊で牽制にかかる。傑が手をかざすと、その影からずるりと顔面が四つに裂けた犬のようなものが現れた。
「いけ」
 傑が小さく呟くと、呪霊は何も言わずに走り出し、黒い人型に噛み付いた。そう思った瞬間、傑が取り出した呪霊はすっとその姿を消してしまったのだ。
「……」
「あーー! もう! まじなんなの!」
 傑の背後から騒がしい音が聞こえる。外に放り出された曜次がどうやら帰ってきたようだ。なりふり構わぬ足音と騒々しさになんとなく気が抜ける。
「傑! 無事!?」
 曜次は抜き身の刀を持ったまま教室に飛び込んだ。
 その時になってようやっと少女の一人が傑と曜次の存在に気づいたようで、「助けてぇ」と泣き声交じりで助けを求める。
「助ける! 助けるから待ってろ! ってかあれどういう状態? 俺、確実に首を切ったと思ったんだけど」
「私もさっき試した、取り込まれたのでもなく食われたわけでもなく、消えたように思えた」
「呪霊が?」
「そう、私の呪霊が」
 少女の背後には人の背丈よりも大きな呪霊が張り付いており、しかしどうしたことか何かをしようとはしていない様子だった。殺意はある、けれどもなぜか少女は無事だ。異様なのはそれだけでなく、少女がこの段階になってもかたくなに机から手を離そうとしないことだ。二人とも震えながらも手を机の上にのせて、そのまま絶対に動こうとしない。それどころかぶつぶつと何かを呟いている。
「ごめんなさい」
「お帰りください」
 呪霊には切りかかっても意味がない。祓おうにもどうやら何かの縛りがあるのか、はたまた実はこの教室がすでに領域になっているのか、とにかく呪霊に攻撃することができない。そして呪霊はこちら、つまり傑と曜次の方を一切気にしている様子がないのもまた奇妙な話だった。
 直近で危険はなさそうだと判断した二人が首をかしげながら少女らの近くにいくと、ぼたぼたと涙を流しながら「ごめんなさいもうしません、助けてください」といわれ、曜次は「もっちろん! でもちょっと待っててね」と明るく返す。その言葉に少女は少し安心したようだった。傑は無言を貫いた。
 少女たちが机の上に置いているのは、一枚の紙だった。丸っこい字であいうえお表がずらりと並び、その上に鳥居のような印と、鳥居の左右には「はい」と「いいえ」という文字が書いてある。そして少女たちはその紙の上に十円玉を置いて、そこに指を添えていた。
 曜次はどうやら思いつくものがなかったらしく首をかしげている。
「これ、なに?」
「君、降霊術師だろう? こっくりさんを知らないのか」
 傑が呆れたように言うと曜次は首をかしげたまま「どっかで聞いたことはある」と言った。
「今まで散々理科室の骨格標本は動くとか音楽室の肖像はこっちを向くとか言っているくせにこっくりさんは知らないのか!?」
 傑が思わず大声を出したので曜次は言い訳をするように「悪かったよ知らないよ。それと理科室で動くのは人体模型」
 変なことばかり知っていると思えば、今度は変なところで知識がない。
「テーブルターニングの一つだよ。西洋でもある。日本では狐の神様を呼び出す方法として『狐狗狸さん』と書くこともあるな」
「へー、あ、なるほどそれで降霊術師の話になるわけか」
「そうだよ。こうして紙を置いて、書く内容は色々だけど、まぁあいうえお表とはいといいえが多いんじゃないか」
「傑詳しいね」
「本で読んだことがあるだけ、曜次は似たことをやったことがあるんじゃないか?」
「ないよ、俺は術式で降ろすだけだから」
 それに狐にまつわる霊はいたずら好きだから、一度降ろすと大変なんだ、とも続けた。
「じゃあ傑もそれ以上詳しくは知らないわけ?」
「まぁ、そうだね、私もそんなことやったことはないから」
「じゃ、こっちに聞くしかないね、ねぇねぇ名前は? 俺の名前は天野曜次、あっこっちは傑ね。この椅子の配置を見ると後二人一緒に居たっぽいけど、二人はどこいっちゃったかわかる?」
 曜次は机に向かって並べられた四つの椅子のうち一つに座った。二つは少女が座っている。そして残った一つに、曜次に促されるようにして傑は座ることになる。
「わ、わ、わたしきえ」
「わたしはのりこ」
「そうキエちゃんにノリコちゃんね。大丈夫、俺とこっちのめっちゃ不機嫌なおにいちゃんが助けるから、でも助けるために話を聞きたいんだけど」
「おい曜次
 呆れたように傑に声をかけられたが曜次はいいからいいからと笑って傑をいなす。
「俺もこっちの兄ちゃんもこっくりさん? のルールを知らないんだ。まずルールから教えてくれる?」
 少女はお互い目を合わせたあと頷いて、それからこっくりさんのルールを話し始めた。おおよそのルール、やり方は先ほど傑が簡単に説明してくれたものと同じでさしたる実りはないが、重要なのはそこからだった。一つ、はじめた場合は「こっくりさんこっくりさんお帰りください」と言ってお帰りいただかないといけないこと、二つ、こっくりさんにお帰りいただくまでは絶対に十円玉から指を離してはいけないこと。
 少女がたちが震える舌で話すのを聞きながら、しばらく唸っていた曜次は、最後のルールを聞いてぽんと手を打った。
「わかった、この呪霊とキエとノリコの間には縛りがあるんだ」
「指を離してはいけないってやつ?」
「そうそれ。絶対に指を離してはいけない、逆に言えば指を離したらあとは呼び出したものの好きにできる。キエ、ノリコ、今俺と傑が座っている席にいた二人は十円玉から手を離したんだな?」
 キエは震えているのか頷いているのかわからないぐらい頭をぐらぐらと揺らした。だがおおよそ当たり、といったところだろう。曜次はキエの反応を見て腕を組み、うーんと首を傾げる。
「こっくりさんだけじゃなくて狐の呪霊を呼び出すと大抵稲荷神社関係の小狐が呼び出される場合が多いんだけど、今回に限って言えばもっと悪いもんが呼び出されたって感じだね」
「悪いもの? 狐の呪霊は悪くないのか?」
「あれは神様に近いものなんだよ。呪霊と言う枠を超えて、神霊といったらいいかもしれない。だからわざわざ人を食ったりしない。そもそも狐の呪霊は多くの場合特級だから、低級の呪霊や人間にあまり関心を持たないことが多い。食っても別段腹が膨れるわけでもないから。狐は仮想怨霊ってやつだからね」
 仮想怨霊、つまり多くの人が同じものを想像することにより生まれうる、都市伝説から発生する呪霊と言う奴である。例えばトイレの花子さんや動く人体模型のように、多くの人が知り恐れるものはそれだけで呪霊として発生する可能性が高い。それを呪術界は仮想怨霊として常に監視しているわけだ。こっくりさんもそんな仮想怨霊の一つであり、呪術界としてはなんとしても消し去りたいものであるが、人の口伝によって伝えられるものを簡単に消すことが出来ないのである。それゆえに、興味本位で始めてしまう例が後を絶たないのだ。
「こっくりさんはやったことないけど、それに近い降霊術は経験がある。でも俺の降霊術は基本降ろしたらそのまま祓うのが普通だ。来てもらってさらに帰ってもらうなんて方法はわからない」
 曜次はお手上げ、とばかりに両手を上に上げる。
曜次、縛りの中にいるというのは」
「こっくりさんで呼び出した呪霊は、お帰りいただくまではこっくりさんという方法そのものに縛られている。十円玉から指を離すことで呪霊はようやっと対象を食うことが出来る」
 曜次の言葉にヒッとノリコが引きつった悲鳴を上げた。その瞬間手が震えあわや十円玉から離れそうになったのを、傑が手を重ねて押さえる。
「ナイス傑。キエもノリコも今は絶対に手を離しちゃだめだ。で、対策なんだけど」
 曜次は傑の方を向いてにっこりと笑う。
「呪霊は今、この通り」
 そういうと曜次は刀を持ってなんの迷いもなく呪霊に向かって振りぬいた。しかし刀はまるでそこになにもないかのようにするりと呪霊を通り抜けてしまう。
「縛りの中にいる以上、絶対的に強い。だから俺たちが取るべき方法は、こっくりさんを正しい方法で終わらせる」
「正しい方法?」
「キエ、ノリコ、これって四人で始めたんだろう」
「う、うん、ヨシヒロくんとハナちゃんはた、た、食べられちゃってで、で、で、でも」
「四人で始めたものは四人で終わらせないといけないわけだ」
「う、うう、うん」
 がくがくと震えながらキエが頷いた。すでに二人食われている。これでは終わらせることができない。
「……曜次、まさか」
「いやぁまさぁここにちょうど二人いるとは」
 傑が一歩引いて椅子から立ち上がるよりも早く、曜次は傑の手をとってにこりと笑う。
「ということでこれから曜次おにいちゃんと傑おにいちゃんの二人を混ぜてこっくりさんにお帰り願いたいと思いまーす! 異論なし?」
「ありだ、おおありだ馬鹿! 縛りの中に入ったあとどうなるかわからないんだぞ!」
「それはそれ、臨機応変。それにそうでもしないと先に食われた二人がどうなってるのかわからない。それに一度食われれば無事縛りはなくなって、呪霊を祓うこともできるはずだ」
「それなら何も私たちが一緒に混じる必要はないだろう! 先に二人が__」
 そこまで言いかけて傑はぐっと口をつぐんだ。それがどんなに過酷で無茶なことかは理解しているのだろう。この二人が食われた後に呪霊を祓えばいい、とは、傑も言うことができなかった。
「わかった。一人一殺だ」
 傑は少し不機嫌になりながらも、改めて椅子に座りなおすと、十円玉に指を乗せた。曜次も続いて指を乗せて、これで四人が揃ったことになる。
「キエ、空いてる手、貸して」
 曜次はキエに向かって話掛けると、キエの空いている手をとってぎゅっと握った。
「ノリコは傑と手をつないで、そうそう。これで手を離した瞬間に俺とキエ、傑とノリコはそれぞれ呪霊に食われると思うけど、そこは大丈夫、俺たちこのお化けを祓うために来たから、絶対に手を離さないこと、おっけー?」
 曜次は今の状況が呪術師側にとってどれほど追い込まれているのか、それをおくびにも出さずに笑って言うと、キエもノリコも少し安心したようだった。まだぐすぐすと泣いてはいるものの、しっかりと頷く。
「それじゃあ悪いけど、キエにお帰りのご挨拶を願おう。できる?」
 キエは曜次の言葉に頷く。
 教室の明りだけがぽつんと点いている。闇の帳に覆い隠された教室はさぞかし中がよく見えるだろう。呪霊につられてか、はたまた人間の気配につられたか、教室の窓の外には少しずつ呪霊が集まりつつあった。それでも手を出して来ないのは、傑と曜次を含めた四人がこっくりさんの縛りの中にいるからだろう。縛りが解かれれば一斉に襲ってくることも十分に考えられる。
 曜次はキエと、傑はノリコと手をつないだことを確認するとキエは震える声で「こっくりさんこっくりさんありがとうございましたどうかお帰りください」と言う。曜次も傑も動かしていないのに十円玉はすっと動いて「いいえ」の上に乗っかった。
「お願いします、お帰りください」
 いいえ
「お帰りください、お願いします」
 いいえ
「おっけー、つまり帰る気はさらさらないということだ」
 曜次の言葉にキエはひっと息を呑んだ。
「大丈夫、縛りは絶対だ。指を離さない限りあんたたちには手を出せない、これがこの降霊術の縛りだ」
「どうしたらその縛りを解除できる? 手を離せばいいか? でもそうなった場合」
「そう手を離したら食われる、これは絶対、でも[そこまで]なんだ」
「ああ」
 傑はどこか納得がいったようにため息を吐いた。
「つまり一緒に手を離すわけだ」




2020.01.26 加筆修正