下流に行くにつれてカーンカーンと金属を叩く高い音がその場を席巻していく。音と共に鉄の臭いが、臭いと共に熱がむわりと三人を包み込んだ。日が差していてもまだ肌寒く感じる今日であっても、鍛冶師たちの熱気は衰える様子がない。
ひときわ大きな建物の前で、
曜次はひょっこり中を覗くと「じっちゃーん」と大声を出す。それでも熱心に刀を打っている鍛冶師たちには聞こえていないようで、今も何本もの金属が何度も叩かれ強靭になっていく。
そのうちの一人が、丸めた背中を伸ばして、何事か若手に指示をすると
曜次の方へ歩いてくる。腰にぶら下げた布巾で手を拭くと、そのままその手を
曜次の頭の上に落とした。
ごつっと痛い音がするが、初老の男性は全く動じずにそのまま
曜次の頭をわしわしと撫でながら「じっちゃんじゃねぇ、刀匠と呼べといっただろうが」と言うのだった。
彼は仏頂面で
曜次の後ろの二人を見ると、「入れ」とそっけなく言う。あまりにも不機嫌そうなその態度に、傑と悟は鍛冶場に入るのを躊躇したが、それに気付いた
曜次が手招きをしてようやっと足を踏み入れる決心がついた。
「じっちゃんさ、普段俺が友達なんか連れて来ないからめっちゃ喜んでる」
「あれで?」
こそっと
曜次が言うと、悟はあまり信じていない様子で肩をすくめた。傑は似たようなやり取りを神社でもしていたなぁと思いながら、招かれるままに鍛冶場に入る。
「あんまり近づくなよ、あぶねぇからな」
曜次によれば、この鍛冶場で一番偉いのは権力という意味ならば
曜次で、実力という意味ならば刀匠・
天野曜由であるということだった。曜由はあまりふらふら歩き回ると邪魔になる、と口ではかなりそっけなく言いながらも、座布団つきの椅子を用意してくれる辺り、手厚い歓迎を受けているようだと、悟も傑も察するのだった。
鍛冶場は音に溢れている。カーンカーンと金属を叩く高い音、グオオオオと何かの唸り声のようなふいごで火をおこす音。鍛冶場では
曜次も、
曜次がじっちゃんと呼ぶ初老の男性も大声で会話をしている。そうでなければ周囲の音にかき消されてしまうためだ。
「なぁじいちゃん! 俺が打つ刀ってある?」
「お前が来なければ完成していた刀ならある」
曜由は顔をしかめながらそんなことを言った。
悟と傑が座っているところから程近いところで刀工の二人がカーンカーンとかなり刀の形になってきている熱い金属の塊を打っている。打つたびに飛び跳ねる花火は、地面に触れると小さくじゅ……と鳴いて消えていった。怖いほどに火花が飛び散るものだから、悟と傑は思わずのけぞる。
「大丈夫だ、そこまでは飛ばねぇ」
悟と傑の心配を察したのか、曜由は軽く手を振りながら言う。
「全員、作業がないものは集まれ、
曜次が刀を打つぞ」
「わーお、毎回そうだけどなんか照れくさいね」
「何がわーお、だお前のせいで折れるんだぞ」
里の鍛冶師の代表であり、第五十四代
天野曜次の祖父である
天野曜由は顔を歪ませるとため息を吐いてからああなんていやな日だとばかりに天を仰ぐのだった。
曜次はいそいそと鎚を用意して、そわそわとしていた。
今まさに玉鋼を炉に入れた者や、熱心に玉鋼を叩いている者たちを除き、手が空いている者たちがわらわらと
曜次の周りに集まってくる。「また折るのか?」「今回は頑張れよ」と、
曜次とそう変わらないだろう年齢の者から年上の者まで、皆がぽんぽんと
曜次の頭を撫でながら声をかけていく。その度に
曜次はにこにこと笑ってそんな言葉を受け取っていった。
曜次の周りがすっかり立ち姿の人に囲まれると、座っている悟と傑だけがなんとなく異質になってくる。人に囲まれこんなところで座ってていいものかと二人が目配せしていると、それに気付いたらしい
曜次が「二人は客だもん、座ってて大丈夫だよ」と言ったので、二人はなんとなく居心地の悪さを感じながら座席に座ったまま、今まさに炎の中から真っ赤に熱せられた刀が取り出されるのを見ていた。
「オマエ結局なにやるの?」
悟は
曜次の裾を引っ張って尋ねる。
「んー、最後の一打ちってやつ?実際には最後じゃなかったりするんだけど、当主のお役目の一つなんだよね、刀鍛冶に参加するのって」
そうしているうちに手馴れた鍛冶師たちが熱く熱く熱せられた刀を取り出して、
曜次の前に持ってくる。
曜次は一瞬二人を方を見てから大きく振り上げた。刀匠・曜由はさっと耳に指で蓋をする。他の鍛冶師たちも同様に耳を塞ぐのに驚いていると、曜由が悟と傑の方を向いて、唇だけで「耳、塞げ」と言った。
曜次が鎚を振り下ろす瞬間のことだった。
だが悟と傑が耳を塞ぐよりも、
曜次が鎚を振り降ろすほうが早かった。
カンと
曜次が鎚を振り下ろした瞬間のこと。キィィイイイイイインという甲高い悲鳴のような音が鍛冶場を支配する。今まで景気よく聞こえていた、カーンカーンという鉄を打つ音とは真逆の、頭を揺さぶるその音に耐え切れず傑も悟も耳を塞いだ。それでもなお響いてくる音は目からも鼻からも口からも入り込んでくるようでその場にしゃがみこんで頭を押さえる。まるで泣き声のようだと思った。その真ん中に立ってる
曜次だけがけろっとした表情で、それからやっちゃったという顔をする。
「また折りやがったな!」
「ごめん! ごめんってでも俺のせいじゃない!!」
「お前のせいだ! 今回は名刀になるはずだったってのにふざけるな!」
曜次の手元には確かに美しく打ち上げられるのを待つばかりの刀があったはずだが、今は中央から真っ二つに折れた刀が鎮座しているのみ。真っ赤に熱せられていたはずの鉄は、異様な速さで熱を失い、いつの間にか折れたただの鉄くずに変わってしまっていた。
先ほどの悲鳴のような絶叫、そして刀の無惨な姿に、「
曜次は刀を打てない」という言葉の本当の意味を、悟と傑はようやっと理解したのだった。その文字通り、
曜次が刀を打つと折れてしまうのだ。
刀匠でありこの鍛冶場の責任者である曜由は烈火のごとく怒り狂い、そして鍛冶場の入り口にぽーんと
曜次を投げ飛ばした。そのままごろごろと転がっていった
曜次が痛い痛いといいながら立ち上がり、服についたほこりを払う。
「まーただめだった」
「今のは?」
悟と傑が石畳の上で座り込んだ
曜次のところに近寄ってくる。
「今のね、付喪神が死んだ声って皆呼んでるよ」
「まぁ確かにそんな感じではあった」
「俺さぁ刀鍛冶の家の生まれの癖に呪具を作るのが苦手でさぁ」
曜次はそんなことを話し始める。
そもそも
天野家は刀鍛冶の家である。自ら扱う呪具を自らつくり、そして特級まで育てるというのが代々
曜次の名を受け継ぐものの役割だ。だが当代の
曜次は自身が生み出す呪力が少ないせいで呪具を作ることができない。付喪神とは呪霊であり、呪霊とは人の負の感情から生まれるもの。もとより感情のブレが少ない
曜次は、付喪神を生み出すのに充分な呪力を産むことが出来ないのである。その結果、呪力を与えられることで完成するはずの刀は折れてしまうのである。この里で作られる刀はもとより呪力の受け皿として作られており、受け皿に充分な量の呪力を注がなければ呪具として完成しないということだ。
だから
曜次は影鷹丸をはじめとし、基本的に蔵に収められている昔に作られた呪具を使っているという。
要するに達観しすぎているのだ。大きく感情がふれることがなく、他者に向ける感情が薄い。それゆえに呪力も薄い。
「はーだめだ俺には刀鍛冶向いてない」
「それでいいのか」
「いいよ、この間姪っ子が生まれたんだけどさ、これがまぁ良い刀鍛冶になるそうだ。そういや今日だっけ?」
「何が?」
「姪っ子がはじめて刀を打つの。さっき祭りがあるって言っただろ。今日は里の子の七五三なんだよ。里で七歳と五歳と三歳になる子供が刀を打つ」
「それで、その姪はいくつ?」
「三歳」
「刀なんて打てないだろ」
「打つっていってもさっきみたいに最後の一振りだけだから、父親に手を添えられて打つんだよ。それでどれぐらい才があるが見極めるわけ。ちなみに俺は初鍛刀で折りました」
ぺろっと舌を出した
曜次に傑と悟は呆れた表情を送った。
鍛冶場から熱気が漏れてくるが、それと一緒にどこかもの悲しげな空気が漂っていた。
傑からすれば
曜次は呪術師の家系で、家族にも環境にも恵まれていて才能もある呪術師だった。だがこうして里へ来てみれば、
曜次もまた苦労してきたのだということを思い知らされる。
刀鍛冶の里で、呪術師として生まれ鍛冶師としての才能も求められる中でただ一人刀を満足に打つことすらできない当主。剣士としての才よりも、鍛冶師としての才の方が重要視されているのだ、ということは傑にはすぐわかった。
曜次は「当主でありながら刀を打つことが出来ない」という重圧を常に受けながら、今の今まで生きてきたのだ。
それはきっと苦しいことだろう。傑は少なからずそう思う。
曜次自身はもしかしたらそんな感情もどこかに置いてきてしまったのかもしれないが、それならばせめて自分と悟だけは
曜次のことを責めない、そんな存在でありたいと思うのだった。
そんなことを傑が考えているとは知らずに、
曜次は「うーん、姪っこの見学はさすがに出来ないかな……」などとぼやいている。
「うちの里の七五三は内輪の行事だから、さすがに見学できないからさっさと部屋に戻ろうぜ」
わかった、と言うと
曜次は嬉しそうな表情をする。その表情がなんなのか、最近は少しずつわかってきたような気がする。
鍛冶師の里は昼もカンカンのにぎやかであったが、夜になるとより一層にぎやかな様子になる。里の中央を流れる川や家々の入り口にはいくつもの提灯が吊り下げられ、カンカンと刀を打つ音の代わりに太鼓や笛の音が響いている。高さは低いものの打ち上げ花火もそこここで打ち上げられており、まるで祭りさながらの様子であった。
里の中でも高い位置にある
曜次の屋敷からは、人々のにぎやかしい様子がよく見える。悟は窓を開けて、下の様子を眺めながら「いつもこうなの?」と
曜次に訪ねると、
曜次は首を横に振る。
「いつもはこんなんじゃないよ、夜は静かさ。ただ、ほら、七五三って言ったろ? 今日はうちの里にとって特別な日なんだ」
「
曜次はいいのか?」
傑が訪ねると
曜次は「いいのいいの」と手を振る。
「今夜のメインは三歳の姪だから。それに俺は今晩参加しないって事前に言ってあるし」
つまるところそれは、
曜次が里よりも悟や傑と一緒にいることを優先した、ということだ。その事実に気付いた傑はなんとなく気恥ずかしくなって、悟ると同じように窓を開けてにぎやかな祭りの様子を見下ろした。悟は花火が上がるたびに歓声を上げている。
夜になって冷たくなった風が窓から室内に入り込んでくる。
曜次はすっかりくたびれたのか、畳の上に転がりいつの間にかすぅすぅと穏やかな寝息を立てている。
それも当然だろう、
曜次は今日反転術式による治癒を受けたが、反転術式とは万能の薬ではない。負の力を正の力に変え本人の持つ、もしくは人間が持つ治癒能力を超えた力を与えるのだ。基本的には本人の直そうとする力の底上げであり、反転術式は治療を受ける側も治療する側もどちらも精神力を削り、疲労を重ねるものである。通常は反転術式を受けた後は安静にするのが鉄則であるが、
曜次は骨折を直してもらってからも動き回っていたのだ。疲れるのは当然であった。
傑は適当な布を引っ張り出して
曜次にかけてやると、少し寒かったのか、
曜次はそれに抱きついて丸くなった。その様子は幼子のようだ。
よく考えれば
曜次はこの小さな里で十五年という年月を数えたのである。ただ刀だけを握り呪霊を戦う日々を過ごしてきたというのは悟はともかく呪術師の家系ではない傑には、想像もできない月日であった。呪霊だけは見えるものの、祓う方法を知らず逃げる以外に選択肢がなかった傑と、幼い頃から人間の負の感情と戦い続けてきた
曜次と、立場は全く違うのに、今三人は同じ学校で、全く同じ境遇にいる。
「こんなところまで来たの、なんか不思議な気分」
ふと悟がそんなことを言う。
「どうして?」
「だって
曜次と会わなかったら鍛冶師の里になんて絶対来なかったと思うし」
「それは……何事にもあるめぐり合わせの一つじゃないかな。運命と言うと少し仰々しいけど、出会うべくしてであったとも、単なる偶然とも……まぁ、何を言っても結局出会えたことに感謝する他に何もない、と私は思うけど」
「傑は詩人だね」
「そう? 少し照れくさいね」
傑の顔色は変わらない。それが面白くなくて、その後悟は散々傑をからかってみたりしたのだが、結局悟の目論見は上手くいかなかった。
曜次はいつも二人の感情を簡単にかき乱していくというのに本当に不思議なことだ。
いつの間にか悟も傑も眠りに落ちてしまい、開いたままの窓から背の低い花火が綺麗に見えていた。部屋の中はしんと静まり、三人の寝息が時たま、静けさに色を添えた。
20190318