ヨゴトノリトのパラドクス

剣舞参

その後はまたせわしなかった。傑と悟も着物に着替えさせられ、雅楽を奏でる顔ぶれの後ろにちょこんと控えている。
 すでに日は落ちており、かがり火が神楽殿を明々と照らし出していた。雅楽と共に現れた曜次は低く頭を垂れて礼をすると、立ち上がり、すらりと刀を抜く。
 最終合わせの稽古をみていたはずなのに、いざ始まると傑も悟も再び曜次の剣舞に魅せられた。
 曜次が踏み込む度に神楽殿が揺れた。
 刀を振るう度に空気が清浄に、澄み渡っていくように感じた。
 果たして神楽殿を下から眺めている人々は、曜次のこの剣舞に何を思っているのだろうと、雅楽を演ずる奏者達の一つ後ろで、着慣れない狩衣を着せられ、ぼうっと曜次を見ている傑はぼんやりと思っていた。
 あれは天野曜次だ。
 いつも部屋を間違えて勝手に人の部屋で寝ている。
 空っぽの小学校で楽しそうにはしゃいでいる。
 大きな花火に歓声を上げて、屋台を物珍しそうに見ている。
 あれは傑のよく知っている天野曜次のはずだった。だというのに、気づけば曜次の纏う清浄な空気に飲み込まれている。曜次の指先から髪の毛の先まで、全てが一つの、刀を振るうために作られたもので、それに飲み込まれた傑の頭はどこかぼうっとしていた。ああ、これが見惚れるということなのかと思うまでに随分と時間がかかったように思う。傑は曜次の剣舞に魅せられ魅入ったのだ。
 天野神社で行われる剣舞は最短でも三十分はかかる。本来なら複数の舞手が交互に行うはずなのだが、あまの神社で行われる剣舞に限って言えばその全てを曜次が成していた。三十分に渡り動き続ける体力と、いくら舞っても力強さが失われない踏み込みに、魅入られて気づけば残り五分になろうとしていたときだった。
 ずうん、と大きな振動が起きる。
 ずうん、ずうん、と繰り返し起こる振動は徐々に近づいてきており、それと同時に薄ら寒い空気が流れ込んできた。
 季節はまだ夏が終わったばかりで、寝苦しい夜もある。神楽殿を熱心に見ていた観客の数名もこの薄ら寒い気持ち悪さに気づいたようで、両手で体に触れていた。
 傑と悟もその気持ち悪さ、薄ら寒い感覚にいちはやく気づいて、すでに半分立ち上がる姿勢になっている。これは、ただの寒気ではない。呪霊だ。しかも間違っていなければあのとき滝つぼで上空を飛び去った呪霊が近づいてきているのだ。
「傑」
「わかってる。万が一の時は君が曜次の方へいけ、私が盾になる」
「わかった」
 曜次の額に汗が滲んだのが二人がいるところからでも見えた。今までなんということもない表情をしていたというのに、曜次にも呪霊が近づいてきているのがわかっているのだ。だがそれでも剣舞を止めるわけにはいかないのである。
 ミシッ、と神楽殿がきしんだ。その音は雅楽の奏者にも伝わったようで、一瞬音が濁った。だがそれでもすぐに持ち直したのはさすが、天野神社に連なる者、といったところだろうか。この神社にいる以上、呪いや呪霊と切っても切り離せないものがあまりにも多い。それに一つ一つ恐怖していては何も始まらないだからだろう。
 さらに続いてミシミシと神楽殿がきしむ。傑と悟の感覚が間違っていなければ、呪霊はすでにこの神楽殿の屋根の上にいるはずだ。
「悟」
「うん」
 傑がそう言った瞬間であった。
 頑丈に作られているはずの神楽殿の天井が落ちる。
 朱に塗られた美しい柱に亀裂が入り、そのまま柱は崩落した。
 観客席から悲鳴が聞こえる、神社の者達がすぐさま駆けつけて観客の避難誘導を始めたが、曜次や雅楽奏者は逃げること叶わずにそのまま崩落した神楽殿の下に巻き込まれたが、曜次が屋根の下敷きになる直前、駆け出した悟が曜次の体に触れていたからおそらくはぎりぎり間に合っただろう。傑は神楽殿が崩壊するよりも一歩早く神楽殿から飛び出したので、無傷ですんだが、瓦礫の下に巻き込まれた人は多い。だが一番崩壊の度合いがひどいのは曜次が舞っていた場所であるから、雅楽奏者の怪我はそう大したこともないだろうと思いながら、傑は神楽殿の上に鎮座する呪霊を見上げた。
 大きな一つ目をぎょろりと動かしてそれは傑を見ていた。首にはいくつもの頭蓋骨を連ねて並べ、大きな唇からは憎悪を撒き散らしている。
 明らかに三級や二級の呪いではない。一級か、下手すれば特級に相当する呪霊だ。
 傑はごくりと生唾をのみこんだ。傑の現在の階級は三級である。とはいえ二級呪霊であればなんなく調伏し己のものとする自信はあったが、一級、特級が相手となればそう簡単にはいきそうもなかった。
曜次と一緒にいると本当に飽きるということがなくて助かるよ」
 
 一方で瓦礫の下敷きになった二人は、悟の術によってかろうじて柱の下敷きにならずにすんでいた。とはいえ周囲は完全に法界した瓦礫ばかり、曜次は片足を柱に挟まれ逃げ出すこともできず、悟もここで術を解けば二人共重たい柱の下敷きになるとなれば、救援を待つ他にできることはなかった。
「んぐぐぐぐ……」
「……悪い……悟」
「そうしおらしく謝られると調子が狂う」
「そうか、でも巻き込んだのは俺だからな……」
曜次、お前」
 つん、と鼻をついたのは血の臭いだった。悟のものではない、とすれば、
曜次!」
「思いっきり腹に刺さってるの、ちょっと、笑える」
「笑えるか! ああもうどうしよう、傑はこっちを気にしてる場合じゃないし、すぐ助けは来るのか!?」
「観客の誘導が終われば……俺が死ぬと当主がいなくなるからそれなりに」
 げほっと咳き込んだ曜次の口から血がこぼれ落ちる。
「それ、なりに」
「いい、いい! しゃべるな、今全部どうにかするから」
「大丈夫だよ悟、それより俺の術式、見れなくて残念、だね」
「は?」
 曜次は痛むだろう腹の傷に顔をしかめながら指を組む。
「火中に叩く玉鋼、魂を打て、魄を打て、禊ぎの血は我が誓約の下に」
「お前、それ」
「俺は領域展開は、できないけど、簡単な結界術ぐらいならなんとかなる。これはね、俺の刀の付喪神を顕現させる術だよ」
 俺の意識が持つ限りは、と言って曜次は大きく咳き込んだ。
「痛い」
「わかってる、わかってるよ、今僕がなんとかするからああ、どうしようこれ吹き飛ばしたら傑に当たるかもしれないし」
 曜次はそれきりとんと喋らなかった。目は開いていたし、呼吸もしていたから、悟はますます焦る。まだ間に合う。でもこれ以上遅くなったら間に合わないんじゃないか?そんな不安が募って、どうしたらいいのか、最善の手が思い浮かばなかった。
「悟」
「何!?」
「手つないでて」
「……わかったよ、わかったから頼むから死なないで」
「死なないよ、大丈夫。傑も死なないし悟も俺も死なないよ。大丈夫だから、手握ってて」
 誰かの熱を感じてると安心できるし、後一歩踏ん張れるから、そう曜次は言いながら震える手を悟の方へと差し出したのだった。
 悟は差し出された手をぎゅっと握って、まだ十分に加減ができない自分の呪術を呪った。自分がもっとこの無下限呪術を正確に扱えていたら、とそんな思いがぐるぐると巡って、その度に涙が溢れそうになる。
「大丈夫だよ悟、悟は十分、使いこなせて、る」
「しゃべるなよ、頼むからもうしゃべらないで、大丈夫だ僕がなんとかするきっとなんとかするから」
 叫ぶように嘆くように祈るように言う悟に曜次はほんの少し笑ってみせた。

 崩壊した神楽殿と突如現れた巨大な呪霊を前に傑も握った手から汗がこぼれ落ちるのを止めることができなかった。呪霊はどうやら何かを探しているらしいが、それが見つからないといった様子で手当たり次第に呪いをばらまいている。呪力をばらまいているといってもいい。ただの呪力のはずなのに圧縮されたそれはどこかにぶつかる度に爆発する。その憎悪の深さに、傑は反撃の手段を得ることもできずにいた。
 避けるだけならばどうにでもなる。だが曜次と悟の方は一体どうなっているのか。これ以上広範囲に攻撃をさせればいずれ神楽殿もさらに崩壊を重ねる可能性があった。そうなる前に止めなければいけないのだが、傑にはこの呪霊に勝つ方法がわからない。自分の呪術で勝てるのか? 領域に取り込むことはできるのか? はたまた手持ちの呪霊でこの呪いに勝てるものがあるのか? ぐるぐると思考はめぐり、その度にじわじわと時間が過ぎていく。早くなんとかしなければならない。
 参拝客の誘導はほぼ終わったようで、狩衣姿の男性や巫女姿の女性が神楽殿を取り巻いているが、呪霊がそこにいる以上、助けに行くことができずに皆歯噛みして呪霊を見上げる他にできることがなかった。唯一、戦う術を持っているのは傑だけだというのに、そのあと一歩が踏み出せない。早くしなければいけないことはよくわかっているというのに。
 カンっと軽い音とともに刀が傑の目の前に突き刺さったのはまさにそんなときであった。
 傑の見慣れた刀は、突き刺さった地面に伸びる影が動く。まるで影そのものが意思を持っているように蠢き、やがて一つの形をとった。その姿は制服を着た天野曜次そっくりだった。黒い瞳も同じように黒い髪も全てが曜次そっくりだ。
「やあ、はじめまして」
 そう笑った顔までも曜次そっくりであったから、傑は思わず「曜次……?」と口にしてしまったが、その男はそれを聞いてけらけらと笑った。
「残念、俺は曜次の姿をしているけれど、曜次じゃありません」
 それなら誰でしょう? とまるで傑をからかうように言う。曜次はそんなふうに人を馬鹿にしたような口は聞かない。なら誰だと思ったとき、勝るには一人思い当たるものがあった。
 突如降ってきた刀。
 曜次の姿をとった呪霊と思しきもの。
 見慣れた刀の柄。
「……影鷹丸?」
「大当たり、よくわかったね、ヒントもあげてないのに」
 そう言って影鷹丸はけらけらと笑うのだった。
 影鷹丸は曜次が常に持っている刀のひと振りだ。自分で刀を打つことができないという曜次天野の里からひと振りの刀を借り受けて、両面宿儺打倒のために育てているという。曜次の扱う、天野の里で打たれた刀には付喪神が宿るという話を聞いたのはついこの間のことだった。その呪霊が曜次の姿を取るというのは初めて見たけれども、なるほどよくよく見てみれば禍々しい気が影鷹丸を取り巻いていた。彼は人でない。確かに呪霊だった。
「俺をわざわざ呼び出したってことは主様もそれなりにピンチってことだね、でもあんまりやる気ないな」
 曜次、いや影鷹丸はそんなことを言うと、自身それそのものであろう刀をぐるぐると手の中で回して、呪霊と向き合った。
 一瞬後には影鷹丸は呪霊の頭の上におり、手足に細かく斬撃が入れられている。
「つまらない、やる気もない。なぁ、ええっと夏油傑だっけ」
 傑は口では答えずにただうなずいてみせた。
「そう夏油傑、取り込んでみなよ」
「は?」
「だから、これを取り込めって話。大丈夫、いけるさ、こいつは特級でも下の下だからね。それとも競争にする? 俺が切り殺すかそれともお前が取り込むか」
 影鷹丸はにっこり笑ってそんなことを言った。その笑みに曜次の姿が重なって、急がなければいけないことを思い出す。
 影鷹丸が何を思って「できる」と断言したのかはわからない。だが一級の呪霊である影鷹丸がそういうのであればそれはもしかしたら本当に可能なのかもしれない。
 傑はすっと手を上げて、真っ向から呪霊を捉える。
「______ッ_____ッ」
 呪霊が耳障りな音を立てて鳴く。それは悲鳴にも似た何かで、傑は思わず耳を抑えたくなるのを必死で我慢して、集中した。
 傑の呪霊操術に必要なのは、相手を屈服、すなわち調伏すること。調伏に必要なのは心と身体の一致であり、心が安定していればしているほど調伏はたやすくなる。すなわち最も大切になるのは、「この呪霊を調伏することができる」という確信と自信なのである。
 だが今回の傑にはそんな余裕はなかった。故に呪言でもって縛るのだ。
 傑は破邪の法でもって九字を書く。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女、我毒を食らい毒を制す者、ここに下れ! 急急如律令!」
 かがり火がぴたりと止まった。
 空気の揺らぎがその場で突然止まってしまったかのようだった。
 暗い空の星も月も夜の闇にひっそりと息を止めているようだ。
 傑もまた息を止め、相手もまた息を止める。その中で唯一影鷹丸だけが、にやにやと楽しげに傑と呪霊を眺めてはどうなることかと笑っている。
 傑と呪霊は今まさに一騎打ちの最中にあり、少しでも集中を欠けば、呪霊に食われるだろう瀬戸際にいる。それは傑だけではなく呪霊の側もまた同じだ。呪言に縛られ、夜の闇がじわじわと呪霊を取り囲んでいく。かがり火の灯が遠くなり、傑の影と呪霊の影が繋がった。
 その瞬間、ぴたりと動きを止めていた空気がごうと流れる。流れは呪霊から傑に、まるで強力な力で引き込まれているかのように業風が吹き荒れ、かがり火が倒れ周囲に炎が広がった。だが勝負はついた。呪霊は体の端からぼろぼろと形が崩れ、傑の手のひらの中に収束していく。やがて風も炎も弱まると、全ての中心で傑が完全に取り込んだ黒い球体を握ってしゃがみこんでいた。
 特級を取り込むのは傑も初めてだ。凝縮した黒い球になったそれを改めて確認すると、ぶわりと嫌な汗が背中に伝う。
 ぱちぱちぱちと手を叩く音がする。振り向くとそちらでは曜次の形をとった付喪神・影鷹丸がにこにこしながら傑を見ている。
「見事、見事。まさか本当に取り込むとは。私としては失敗したお前の代わりに切るつもりだったのだが、正直な話こちらの方がよい結果だ」
「……?」
 影鷹丸の物言いは遠まわしだ。一体何をと思った瞬間、刀が傑の目前で煌めいた。
「わからんか?あえて待っていたのは」
 影鷹丸の姿が消える、そして傑の真後ろに現れた。ぎりぎり三節混で受け止めるも力を交わしきれず地面に叩きつけられる。
「特級を取り込んだ呪術師もしくは特級に相当する呪霊を抱える人間を切った方が早く特級になれるからだ」
 真上からまっすぐ脳天を目指して振り下ろされた刀を傑は転がって避けた。髪を縛っていた糸が切れる。
「本来ならご法度であるが、幸いにして我が主は瓦礫の下。お前は特級に殺されたということにしてやろう」
「冗談を抜かすな」
「冗談ではないぞ幸いそこら中に呪霊が集まってきているからな、お前が死んだ程度」
 再び影鷹丸が踏み込む。
「誰も気にするまい!!」
 早かった。キンッと三節棍と刀が一瞬交差し、そして技量の拙い三節棍の方が力負けして折れる。パキンという音は随分と軽いもののように聞こえたが、目前に煌めく銀色は、「死」そのものだった。避けきれず首を落とされると思った瞬間、パンという軽い音と共に突然影鷹丸の姿が消えた。勢いのまま背中から地面に叩きつけられ喘ぐ傑が見たのは、地面にずぶりと突き刺さった刀であった。
「!?」
 がらがらと崩壊の音がする。どうやら瓦礫の下から悟と曜次が出てきたようで、曜次がこちらに向けて指を指している。
「残念」
 そんな声が聞こえた気がした。傑は大きくため息をついてそのまま綺麗に晴れ渡った空を仰ぎ眺めた。
「悪い大丈夫だったか!?」
「大丈夫じゃない、君、分の付喪神ぐらいしっかり管理しておけ」
「すまん」
 その表情はいつものように軽くなかったので傑もため息で終えた。いつものように明るく笑ってくれた方がずっと、よかったというのに。つまるところはそれだけ切羽詰った状況であったということだ。
「ああっくそ、もう一回は無理だな」
 先ほどの特級呪霊に呼び寄せられて集まってきた呪霊が集合していく。弱い奴ほどよく群れるというが、これだけの数は面倒だ。曜次は足をやられているらしく、悟の肩を借りないと自力では立てない様子である。これでは刀を握れというのも無理なもので、傑は先ほど取り込んだ真っ黒な球体を手に取る。
 黒い球体は、よくよく見ると中で呪霊がぐるぐると渦を巻いて出口を探しているのが見える。何故傑が呪霊を取り込むときこのような形態になるのか、それは傑自身にも実はよくわからないことだった。飲み込むというイメージから球体になったのか、それとも傑の体に刻み込まれた術式にそうなるよう記述でもされているのか。わからない、だがこれを飲み込めば全てが終わる。
 傑は折角だとばかりにそれをごくりと飲みこんだ。手のひら大の球体であるが、口に含むとすっと小さくなって喉元を通るときには小指の先ぐらいの大きさになってしまうので、飲み込むのにそう苦労はいらない。
 使ってみるか、と傑が手をかざす。
 先ほどの呪霊が再び姿を現し、体中についた口で鳴いた。
「食え」
 傑がそう命じると同時に群れていた呪霊が全て食われていく。
「ははあ呪霊操術とは付喪神を使役するよりも便利そうだ、なぁ今度教えてくれよ」
「無茶言わないでくれ、君には無理だろう」
「そうかな、俺と傑の術式はかなり似てるから上手くできそうだけどなぁ」
 呪霊がいなくなった空はすっきりと晴れている。月と星がきらきらと輝いていた。



20190208